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第一話 ダイしかねないほどハードな探偵

(……まただ)

山形から東京へと帰る新幹線の中。


見える景色が山や雑木林よりも人工物の方が多くなってきたころ、窓際の指定席にゆったりと座っている少年にとってうんざりする出来事が起きた。


耳をつんざく悲鳴。ざわめく乗客。惨劇の舞台の幕が上がった音。


東京行きの新幹線はこの瞬間、行先が地獄へと変わる。


「どうしたんですか!?」


誰かが叫ぶ。


「トイレの……トイレの中に!!」


まだ何人たりとも状況を理解できておらず、誰もが情報を欲している中、少年は窓際に置いていた眼鏡を冷静に手に取り、いつも通りの動作で顔にかける。


悲鳴が聴こえるまでは安心して寝ていた彼は大きく欠伸した。


「……どうするの? 東京に着くまで時間あるっぽいけど」

「愚問ね」


眼鏡の少年の隣に座っている女性は微笑んだ。

今流行りのレディーススーツを着ているため、服装のチョイスだけを見るなら誠実そうな印象があるが、彼女の首から上を見るとそんな印象は確実に消し飛ぶ。

それは座っている姿勢だと、気を付けていなければ床に付きそうな程に伸ばし放題の茶髪だ。立てば一番長い髪の房の先が太股の付け根に来る程ある。


「事件が起こったなら、首を突っ込まないわけにはいかないでしょう。私たちは探偵なんだから」


私たち。

昔はその言葉に何度も突っかかりを覚え、訂正を求めた。だが、今の少年は彼女だけでなく、世間一般の目から見ても『探偵』と呼ばれる人種になっている。ここで彼女の誤解を解いても、世間単位での誤解が解けるわけでもない。


(……この世から犯罪なんてなくなればいいのに)


人類創生の時分から連綿と続く命題に頭を抱えながらも、少年は最低限の荷物を纏めはじめる。既に彼女は悲鳴の方へと颯爽と向かって行ってしまった。


「な、なんだキミは?」


誰かの困惑の声が聞こえる。


「探偵です」


当然のように非常識な答えを叩き付け、彼女は現場へと押し入った。


――――――――――――――――――――――――――

三月三十日。土曜日。春休みの東京駅。


日本の首都の名前を冠しているだけあって、そこは人がごった返している。それだけならいつも通りの東京駅だが、その日の人だかりの中には、いくつかの異物が混じっていた。


その異物の内の一種は、背広に身を包んでいるものの、眼光は野犬のように鋭く、背筋はピンと伸びた青年を中心とした、潔白な雰囲気を持つ集団。


その正体は、警視庁捜査一課に所属する刑事だ。

その少し離れた場所には、一眼レフを構え、少し浮ついた雰囲気の記者が何人かいる。


「……あの。先輩?」


記者がすぐ傍にいるという状況に居心地の悪さを感じ、少しそわそわした様子の小柄な女性は、野犬のような雰囲気の青年に話しかける。


「何ですか、あの記者共。自分たちは殺人事件だとかでここに呼び出されたわけですけど、アイツら一体何のためにここに来てるんですかね」

「ああ。耳の速い連中だな。大方、殺人事件のあった列車から殺しの情報を垂れ流しにした一般人がいたんだろ。最近だと特に珍しくもない。俺もスマホ世代だしな」


と、言いながら野犬のような青年はポケットから薄型の携帯電話を取り出してみせた。


「……日本人のこういう野次馬根性は筋金入りですね」


後輩はしかめっ面で記者の連中を大雑把に見渡す。

みんなが騒いでいるから自分も騒ぐ。みんなが驚いているから自分も驚く。火事と喧嘩は江戸の華とはよく言うが、女だけでなく男まで華を愛でる絵面は様にならない。


「はっきり言って気持ち悪いです」

「エスニックジョークに取りだたされる程の日本人の性分だ。一朝一夕じゃ変わらないし、今のところ、それで実害があるわけじゃないから変わるわけもないだろうな。第一」


スマホを慣れた手つきで弄りながら、野犬じみた青年はつぶやく。


「騒がれる方は堪ったものじゃないだろうが、騒ぐ方は面白いぞ」

「……先輩。もしかしてとは思いますけど、捜査のことをネットの海に垂れ流したりしてませんよね?」

「安心しろ。俺もそこまでバカじゃない。ほら」


青年は自分の携帯を見せた。液晶に写っているのは入力途中のメール画面だ。

しかし、一片たりとも内容が読み取れない。何故なら本文が絵文字やデコレーションで異常装飾され、普通なら一行で済ますされるような文章が非常に長ったらしくなっていたからだ。

少なくとも、まともな日本人男子が生み出すような文面ではない。


「……あ、あの。それ誰が書いたんですか?」

「あん? 俺だが」

「へ、へー……」


反応に困る。そして解読も難しい。そんなメールを受け取る彼の幼馴染とは一体どんな人柄なのだろう。少なくとも、まともな言語中枢を持ってなさそうだなと後輩は思う。


「……で。奈津上(なつがみ)先輩」

「そう先輩先輩言わないでくれ。刑事歴も年齢もアンタとそんな変わらないんだから」


そう言って奈津上と呼ばれた青年は、メールの打ち込み作業を再開する。しかし、話を打ち切ったというわけでもなさそうなので、後輩は食い下がる。


「そうは言ってもですね。一応、私がここに配属されたのも、警視庁に来たのもあなたより後なわけですし……それにあなた、二十代ってナリをしてないですし」


がち、という音が聞こえた。携帯の液晶画面に爪が立てられた音だ。ハッとして顔色を窺がうと、奈津上は露骨に怒っている顔はしていないものの、その顔に影を差していた。どうやら気にしていたらしい。

しまった。と気づいた後輩は強引に違う話題を探し、話のレールを切り替える。


「とっ、ところで!! 主任はどこに行ったんでしょうねぇ!! もうそろそろ新幹線が東京駅に来るんですけどねぇ!! 彼の号令がないと色々と困りますよねぇ!?」


彼女の言う主任とは、奈津上たちの上司のことだ。

アクの強い面子を上手く纏め、部下からの信頼も厚い典型的な『デカ』。


しかし、彼の姿を後輩は発見することができない。ついさっきまで駅のホームのベンチで駅弁を食べていたと思ったのだが。


「ああ。主任なら駅弁を食った直後に腹痛を訴えて、トイレに駆け込んだぞ」

「食中り!?」

「いや。あの人の胃腸が極端に弱いだけだ。駅弁に罪はない。腕っぷしと頭脳は文句ないんだけどな」

メールの送信を終え、奈津上は溜息を吐きながら携帯をズボンのポケットにしまう。

「まあ、構いやしないさ。どうせ事件は終わったも同然なんだからな」

「えっ?」

「あの記者共が見たいのは、血生臭い殺人事件なんかじゃない。事件が解決した瞬間だ」


後輩は怪訝そうに眉を動かす。


「事件が解決する瞬間って。そんな一朝一夕で殺人事件が解決するわけがないでしょう?」

「一朝一夕で終わらせられるんだよ」

「……ん? え?」

恋島留乃(こいじまるの)……って探偵、知ってるか?」

「!!」


合点がいった。と同時に、後輩の鼻息が一気に荒くなる。


「知ってます知ってます!! どんな難事件でも解決に導く凄腕の探偵! あまりにも長い茶髪が特徴で、そのワイルドな容姿から付けられた字名が『推理の獅子』!! 警察関係者の中で彼女に助けられた人間は数知れないって話です!!」

「推理の獅子……ねぇ」


奈津上は、本人のイメージとかけ離れすぎた異名に思わず噴き出す。口元に手を添えられ、目元がまったく動かなかったので、後輩は『咳をしたのかな』くらいにしか思わなかった。


「うわー! 一体どんな人なんだろう! 今まで写真でしか見たことがないんですよー!!」

「いや、ぐふっ。そ、そんな大層な人物じゃ、えぐふっ」

「何を言ってるんですか! 正義のために、真実をお天道様の下へと引きずり出す女探偵ですよ! おそらく知名度は日本でトップクラスの探偵なんですよ!! きっと格好いい人なんだろうなぁ」

「……ぐ、ぐふっ……ま、まずい。腹痛い」


腹と口元を押え、奈津上は背中を丸める。

漏れる笑いを堪えきれなくなっているだけなのだが、後輩は純真無垢な物腰と目付で心配しはじめる。

奈津上の笑いは、目元がまったく動かないため口元を押えられると咳をしているようにしか見えないのも原因だが、この後輩刑事は刑事のくせして少し鈍感だった。


「えっ。もしかして駅弁、先輩も食べたんですか? 大丈夫ですか? 今からでも胃薬買ってきましょうか?」

「い、いや。平気だ。お前ここにいろ。おぶふぅっ」

「?」


奈津上が何か期待しているような目で、自分を見ているということに後輩は気づいた。いや、奈津上だけではない。他の先輩たちも、どこか意地の悪い笑みを浮かべて自分を見ている。


「……?」

「ん。来たぞ」


きらりと輝く灰色のフォルムに、緑色のラインの入った、曲線の美しい新幹線が、減速しながら東京駅へと入ってくる。しばらくして新幹線は完全に停止し、その後一拍開けてドアが開く。


「乗客と乗務員には、刑事の人が許可を出すまで外に出ないように伝えといたわよ」


凛とした声。赤いプレーンパンプスが鳴らす足音。列車から出てきたのは、一人の女性だけだった。

伸ばし放題のくせして指通りのよさそうな長い茶髪を携え、キャリアウーマン風の服装に身を包み、目付はどこまでも柔らかく優しそうな大人の女性。

後輩が写真で見た姿と、殆どそのままの恋島留乃がそこにいた。


「もっちゃ……あ、久しぶりねみんな。くっちゃ」

「んっ?」


感動に目をキラ付かせていた後輩は、すぐに目を擦って、何かの見間違いかと恋島留乃を二度見する。


「……何ですかアレ」

「ゆべしだな。日本各地でよくみられる和菓子だ。東北地方で作られるものの中には胡桃が入っていて、中々に油分が高いが凄まじく美味いぞ」

「いや。まあ。そりゃわかるんですが……」


誰も彼もがノータッチなので、思わず幻覚か何かかと疑いたくなる。

服装のチョイス自体はいい。そして、東北地方の――おそらく山形の――お土産をいつ開封していつ食うかなど、当人の勝手だ。

問題は、彼女の服の状態だった。


「……何で全体的に破けたりしてるんですか。ちょっと目のやり場に困るんですけど……」


ストッキングは伝線しまくり、パンプスは細かい草や泥がこびり付いている。スーツの方はもっとひどい。上着の片口の部分は引っ張られたように破け、ところどころ刃物で切り付けられたような細かい傷のある酷い有様。

その下に着込まれている薄手のワイシャツの方も同様……というより、何か少し焦げ臭い。実際、上着に隠れて見えづらいものの、ところどころ焼けて黒くなっていた。しかもボタンがいくつか取れていて、下着が見えてしまう程に胸元が解放されている。


「……えーと? 戦場帰りか何か?」

「ははは。まさか。私が行ったのは山形県よ。群馬県じゃあるまいし」

「群馬県民に失礼すぎるんですけど」


いや、おかしい。一体何があった? 殺人事件と平行して、こっちの方も立派な事件なんじゃないか?

とりとめのない思考回路が頭を駆け巡るが、後輩には一体彼女に何が起こったのか知る由もない。頼れる先輩である奈津上に目を向けると、彼は肩をすくめる。


「まあ……探偵も歩けば麻薬密輸の現場にぶつかるというか、な?」

「ダイ・ハードじゃあるまいし、そんな棒に当たる頻度で大事件にぶつかるわけが」

「ぶつかるんだ。このアホは。おい」


奈津上は背広の上着を脱いで、留乃に手渡す。彼女は彼女で当たり前のように『あー、すーすーして落ち着かなかった』とか言いながら、彼の背広で肌を隠す。


「まあ、コイツの体質というか運勢というか。とにかく二日に一回の頻度で、コイツはこうやってスーツを駄目にするような事件に遭遇する。ついでに、遭遇した事件はキチッと解決してしまう。そんなことを当然のように繰り返している内に、いつの間にか作り上げられたイメージが『探偵、恋島留乃』だ。まあ有能なのは間違いないが」


奈津上がそこまで言うと、留乃は腕を組み、胸を張った。


「可哀想になるくらい運が悪いのよ!!」

「誇らしげに言うことじゃないですよ!! 本人なら尚更!!」


さらり、というより、質量がありすぎて最早バサリという擬音が相応しい長髪をかきあげ、留乃は後輩の姿をじっと見つめる。


「……な、何ですか」

檜山彩也子(そうやまさやこ)


心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚える。彼女が何とはなしに言った名前は、後輩の本名そのものだったからだ。


「あってる? わよね。前に隆介にそう呼ばれていたもの」

「りゅーすけ……ああ、奈津上先輩の下の名前。そっか。彼に私の名前を……」


どこで呼ばれた?

会ったばかりなのだし、この東京駅の中で檜山の名前を呼んだ人間は一人としていないことくらいは記憶している。時間差でそのことに気付いた檜山は戦慄し、背筋をピンと伸ばす。


「……!?」

「ほら。二年くらい前の杉並区連続バラバラ殺人事件のときよ。あなたがまだ新人だったころに、一度だけ隆介に名前を呼ばれたじゃない? あの後、あなた現場を離れたけどね。私、その場にいたのよ」


さっぱり思い出せない。杉並区連続バラバラ殺人事件のことは覚えている。現場の警護という地味な立ち回りで、確かに檜山はそこにいた。

だが、そのときに奈津上に会っていたかどうかの記憶が酷く曖昧だ。確かに誰かに名乗った気がするが、それが彼だったのかが判然としない。


「……私ですら覚えていないことを、あなたは覚えているっていうんですか?」

「探偵ですしね」


よくわからない主張だ。ポケットから紙に包まれたゆべしをまた取り出し、彼女は食事を再開する。


「……あー、ビックリしました……」


どうやら探偵としての能力自体は、雑誌で紹介されていたそれと遜色ないらしい。


「……で。留乃。今回はどうだった?」

「……んん」


口に含んだゆべしを飲み込み、留乃は難しそうな顔をして腕を組み直す。

上着を差し出した件といい、名前で呼び合っている件といい、留乃と奈津上はそれなりに親しい仲らしい。


「ごめんなさい。わからないわ」

「は?」


奈津上は露骨に歯を剥き、激怒の表情を作り出す。

檜山が一度も見たことのない顔だったし、できれば一生見ずにいたかったような怖い顔だった。最早野犬というより狂犬と言った方がいい。

しかし、彼にたじろぐより先に、檜山は驚愕の声をあげ、眼を見開いた。


「いや、え!?」


今までの警察内部の記録で、恋島留乃が関わっている事件はほぼ全て迷宮入りすることなくスッキリ解決していた。だからこそ、耳を疑ってしまう。檜山だけでなく、その場にいた刑事全員が目を白黒させていた。


「わからないの。ごめんなさい。えへっ?」


媚びたように片目をつぶり、許しを請う留乃をしみじみと見つめ、奈津上は言い放った。


「うるせぇ殺すぞ」

「先輩!? その発言は刑事的に……いや、ていうか人間的にどうかと思いますよ!?」


顔と声も相まって怖さが三倍くらいに跳ね上がっている。

奈津上と留乃。この二人はどうやら浅からぬ縁らしいが、少なくとも奈津上の方は留乃のことがあまり好きでないようだ。

留乃は留乃で、のらりくらりと飄々と奈津上に話しかける。


「まあ、というわけで私帰っていいかしら?」

「いいわけあるか。わかっているだろう。お前らだって被疑者なんだから」

「ちぇー」

「さっさと列車に戻れ阿呆。探偵役をこなせないのなら、お前だって特別扱いはしない」


奈津上に二の腕を引っ掴まれ、無造作に列車へと叩き戻された留乃は、渋々自分の席へと戻って行った。

それを見送ったあと、奈津上は剥き出しにしていた嫌悪感と牙を仕舞い込み、後輩に目配せする。


「……どうだった? あの阿呆を見て」

「いや、まあ……」


奈津上にそう訊かれても、空笑いしか出てこない。


「個性的な人だなぁ、と」

「そうだろう。檜山。覚えておけ。世の中にヒーローなんていないんだ」

「……はい」


完璧な人間なぞいないという部分は、今のやり取りでイヤと言うほどわかったので、檜山は重々しく首を縦に振った。


「だが妙だな。アイツが謎を解けないなんて」


人格はともかくとして、彼女の能力のことを高く買っている奈津上は首を傾げる。

だが、いつまでもそうしてはいられない。一度肩をすくめ、奈津上は檜山に目を向ける。


「主任を呼んでくる。それまで聞き込みしておいてくれ」

「りょ、了解です!!」


檜山に続き、釈然としないと言った顔色の刑事たちが列車の中へと入っていく。


「……あ」


そういえば、と奈津上は声をあげる。


「やべっ。入学祝い、あのバカに渡しておけばよかった」


胸ポケットに仕舞い込んだまま忘れていた、プレゼント用に装飾された小さい袋に意識を向ける。


「あーあー……まあ、いいか。入学式に渡せば」


早いものだ、と息を吐きながら奈津上は踵を返した。


「……もう高校生なんだもんなぁ」

――――――――――――――――――――――――――

死体が発見されたのは列車内の共用トイレの中。


その新幹線は山形駅を十三時に出発し、十六時に東京駅に到着するはずの上り列車だった。

第一発見者は一般の女性で、トイレを使用しようと中に入ると、項垂れていた被害者が蓋をした便器に座っていたらしい。血の一滴も見られない上に、何の臭気も感じなかったものだから、寝ているのかと思って声をかけた。それでも反応がなかったので肩を揺さぶってみれば、被害者は何の抵抗もなく床にくずおれ、そこでやっとその人の肌に血色や精気が感じられないことに気付き、悲鳴をあげた。それを聞きつけた探偵が現場に顔を突っ込んでみたものの、事件の真相がさっぱりわからなかった。

と、いうのが四月十四日、朝の新聞にて書かれている事件の全容だ。


「あっはっは……やばいわー。私、たった一回の失敗でどん底までこき下ろされてるわー」


まだ朝食もできていないような早朝。

留乃は引き攣った笑いを浮かべながら新聞を開いていた。口にはタバコを加え、髪は起きたときそのままにしているものだから跳ねまくり、絡まりまくりの酷いものだった。

野暮ったい黒縁眼鏡をかけ、動きやすいタンクトップとスウェットに身を包んだその姿に、普段は辛うじてあったはずの色気や威厳は感じられない。


「ちくしょー。噂好きのアホ共めー。私だっていつでも完璧ってわけじゃないのよ。むしろいつでも無敵な女がいたとしたら、それはそれで近づき難いでしょうよ。私はいつでもアットホームで親しみやすい探偵を目指してるのよ。だからいいのよ。チャームポイントか何かだと思ってやりすごしなさいよー、くっそー……」

「姉さん」

「ああもう。いらいらするわー。バーカ。この新聞書いたヤツのバーカ。キーボード打ったときの衝撃で指の骨折って死ねばいいのよ」

「ねーえーさーん?」

「いやもう、ついでだから折れなさい。体の骨全部折れなさい。スライム状になりなさい。そして新人勇者の前に立ちふさがって初期装備でぶっ倒されなさい」

「あーん」


誰かが留乃の頬に、出来立てほやほやの卵焼きを押し付ける。


「ぎゃぁああ熱ああああああッ!?」


叫んだ拍子に咥えたタバコがひらりと落ちるが、卵焼きを押し付けた人物はもう片方の手で器用に灰皿を使い、それを受け止める。


「朝ごはん、できたよ。ほら。あーん」


柔らかくて優しい眼差し。天然の茶髪。物腰や喋り方のトーンや何から何まで留乃に似ている少年は、あまり上機嫌ではなさそうだった。無視されたことに対してイラついたのだろう。だからと言って、激熱の料理をさしだすこともないだろうが。


「……せめて冷ましてからにしてちょうだい」

「眼鏡、返してくれたらいいけど。いつも僕のを使うなって何度も言ってるじゃないか」

「え。イヤよ。コンタクトを取りに行くの面倒だし」

「終いには殺虫剤撒くよ、このチャドクガ」

「チャドクガ!?」


確かに後ろ姿だけで見ると、ソファの上でうねうね動く毛むくじゃらの生物に見えなくもないだろうなと思う。が、いくらなんでも虫に、それも害虫に例えるなんて。留乃にとって遺憾極まりないことだった。


流奈(るな)! いくら何でもあんまりじゃないの!? 傷心の姉にこの仕打ち! 鬼! 悪魔! 血も涙もない暗黒大魔王!」

「メラゾーマに限りなく近いメラを叩き込まれたい?」


と、言って流奈が取り出したのは、ついさっきまで自分が吸っていたタバコだ。彼が誤ってくしゃみでもした日には余裕で留乃は失明するような、目先数センチの位置にある。


「ごめんなさい。今までの非礼全部詫びて暗黒大魔王教に改宗するから、それだけはやめてちょうだい」

「そもそも非礼を詫びるんなら大魔王扱いをやめなって……」


卵焼きをつまんだ菜箸を携え、流奈は台所へ戻っていく。


「ん」


ふと、その後ろ姿を見て気付いた。前からだとエプロンに邪魔されて気づかなかったのだが、彼は身慣れない服を着ている。


近くの学校の制服だ。確か宿曜学園(すくようがくえん)だとかいう都立の高校の。


「……あれ。今日っていつ?」


彼女が予定を忘れることはありえない。だが、日付を誤認することはよくあった。


「何言ってるのさ。新聞読めばすぐにでも判別付くでしょ」

「……あっ!!」


新聞の末端の末端に書かれていたことは映像として覚えている。ただ読解していなかっただけだ。


今日は四月の十四日。日本屈指の探偵の弟、恋島流奈の入学式当日だ。


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