北の国の赤い蜘蛛61
現れた四つの幻体の四方にも、新たな幻体が生まれつつあった。信じられないことだが、このペースでいけば一時間半もかからず烏傘の“変体”を必要なだけ量産できるだろう。
梅岩は驚愕しながら木霊家の嫡男を見つめた。
この男、秘書としては悉く無能だった。一見して手際が早いが、無駄な動きばかりなのだ。帰国して書斎を見たとき、本棚に並べられた書籍のレイアウトのあまりの使いにくさには辟易させられた。
狸一族の王子様は、雑用においては獣なりの能力しか発揮しない。その上、人化もイマイチで尻尾を隠すのにも一工夫いる有り様だ。
木霊寺の住職の苦労がおもんばかれたが、硯治郎には全く別の才能があった。内在している妖力が、人外のものにしても並外れているのだ。
退魔の術を使っている限りは帝家の結界内でも問題ないが、仮に邪鬼の呪術でも行使されたらどんな災害が起きるか見物だ。
さしもの木霊にも多量の幻体創製はそれなりに負担がかかるようだ。鼻からヒゲが生え、生白かった腕は焦げ茶色の毛が覆いはじめていた。術式に集中するあまり、人化が疎かになりつつあるのだ。
「堂本、煙草の持ち合わせはあるか?」
梅岩は木霊の補助する手立てを考えた。
老婆は慌てふためきながら、バッグから二箱の『GoldenVice』とプリントされた煙草を差し出した。
「足りないな。店に急いで、置いてあるだけ持ってきて貰えるか?」
堂本と呼ばれた老婆は二度頷いて、鈍い足で走り始めた。
「飯村、車を用意してやれ!」
梅岩は周りのものに指示を出しながら、煙草の封を開けた。
「こいつを焚けば、邪気を弱めることが出来る筈だ!……大北、人手が足りないから呼んでくれ。島津、火を持って来い!」
手立てさえ生まれれば、梅岩は水を得た魚だ。
喧騒とともに、少年救出作業が開始された。




