第一章:【4】
まずここまで読んでくださった方々にお礼を言います。ありがとうございます!
そして、本題ですがこの話から視点が切り替わります。今までは一人称のオレでしたが、三人称になります。混乱を招く可能性がありましたので、一応忠告をさせて頂きました。
城内に一歩入るや否や、アルはその荘厳さに思わず立ち尽くした。ずっと奥にある、行き止まりであろう壁まで続く大広間。突き抜けるように高い天井には、細い鉄筋が複雑に入り組み、所々に紅く透き通るように光る宝石が散りばめられている。そして目線を落とすと、壁には等間隔にランプが飾られていて、昼だというのに城内は少し薄暗い。
「すごい…」
城に慣れていないアルは素直に感嘆の言葉を口にした。するとエレスは少し頬を緩めた。どうやら、船の上での一連の出来事はもう気にしていないようだ。なかなかに切り替えが、早い。
「でしょ?このブラックホーリング城はケルディアの城と比べても全く引けを取らない。外観、広さ、内部の仕組み、全てにおいて──優れてる。例えば…」
エレスはそう褒めちぎると、まだ気がすまないと言った様子で颯爽と歩きはじめた。慌ててアルも後に続く。クリフはそんな二人の様子を、後方から腕を組みながら興味深げに眺めている。
「そう、例えば少年。あの壁を見て」
そう指差したのは、先程アルが行き止まりだと思っていた一番奥の壁。両脇には剣を掲げた白と黒の騎士の像が互いに向き合うようにして設置されていた。細部まで創りこまれたそれを、アルは深深と覗いた。像の背が高いため、近くからでは見上げる形になる。
エレスはそんなアルを横目で見て、説明を始めた。
「この城は一見、この大広間は壁で行き止まりに見える」
「はい、──行き止まりだと思いました」
像から目を離し、アルはエレスの方を見やった。細い指先で、壁をつ…となぞりながら、彼女は何かを企む様に口角を上げた。
「ところが。これにはある仕掛けが施されている。……ヒントは少しばかり、"敵"に"皮肉"を込めた、プライドの高い"奴ら"には許しがたい"侮辱"。──少年、分かるか?」
エレスは時々、このように知恵を試す様な事を言う。これは恐らく、アルの器を試しているのだろう。気の強い彼女ならではの行為。
「…そうですね…」
アルは負けじと腕を組み、暫し目の前の壁を見つめた。特別、変わった風には見えない。年季の入ったそれには、少しのクスミしかなかった。強く触ってみても──確りした感触が手の平に残るだけ。となると、他に仕掛けになるようなものは、唯一両脇に設置された騎士の像だけだった。
"黒の騎士"と"白の騎士"が向かい合っている。黒の騎士は勇敢に両前足を挙げ嘶く馬に跨り、剣を振り翳し険しい表情だ。しかし、"白の騎士"は馬さえおらず、地面に尻餅をつくような格好で天を仰いでいる。その手にはかろうじで剣が握られている。
アルは"黒の騎士"の像へ近づき、隈なく触って確かめた。本気で謎解きをするアルを遠くで眺めていたクリフは、ようやく帆船での怒りを静めたようで、深青だった瞳を薄い色に変えて叫んだ。
「騎士の命は剣!」
そこでようやく、アルは"黒の騎士"が持っている剣が、動かせる事に気がついた。柄を握っている固い指を触り、なんとか剣を引きずり出す。
「うわ…っ」
次の瞬間、剣を支えるものがなくなった。アルは剣の重みに驚き、思わず剣先を床に叩きつけてしまった。手首を捻ったのか、少し苦悶の表情を浮かべる。その重みは、それが本物の銅と鋼鉄で出来た鍛えられた剣だということを示していた。アルの失態に、エレスはにやついた。
「なんだ少年、本物の剣を持った事がないのか?」
「──」
それは事実だった。アルは簡単な銅で出来た、農村に伝わる剣ならば今まで慣れ親しんでいた。このような、鍛えられた剣は持った事がない。ギュッと細いが力強い剣の柄を握り、アルは銀色に鈍く光る剣の刀身を見据えた。そして、次に白い騎士の方を向く。何かを決意したように、その白藍色の瞳は光っている。
「エレスさん」
「ん?」
「オレ、分かりましたよ」
そう言うと、アルは白い騎士の像に近寄った。手中に収めた剣を、持ち上げる。白の騎士は表情を強張らせ、まるでアルに命乞いをするかのようだった。
「"敵"とはケルディア。ケルディアの騎士は"白い"。さらに"皮肉"とは、白い騎士の像に何かをすること。そして──それは侮辱的な行為……つまり」
アルは掲げた剣を振り下ろした。白の騎士の首が飛ぶ。それは予め、切り落とされることを予感していたかのように、綺麗に切断され床に転がった。
「"首を切ること"でしょう。騎士は、敵に首を切り落とされる事ほど、侮辱的な行為はないと、本で見た事があります」
ずっとその様子を見ていたエレスは、暫し無表情で黙っていた。そして、彼女は切り落とされた像の頭部を拾い上げると、再び首無し像に嵌めてやった。確りと、像はまた怯えに満ちた表情に戻った。何も起きないことを不審に思ったアルは、訝しげに辺りを見回した。すると、どこかから若い男の声が聞こえた。
「惜しかったな、少年」
その声に反応するかのように、微動だにしなかった分厚い壁が、ゆっくりと動き始めた。一部の壁が床に沈みこむようにして陥没していく。どんどん、下がっていく壁の向こうに……アルは誰かが居るのが見えた。岩が砂利を擦るような音と共に、やがて壁は陥没しきった。巨大な四角形の穴が開いた。そしてその壁の向こうにいたのは──漆黒の鎧を纏った、端整な顔をした青年だった。柔らかな茶髪の髪に、細長の目、高い鼻。薄い唇は少しの微笑を讃えている。
「…開いた…?」
アルは青年を凝視した。青年の背は高く、アルの頭は彼の肩の位置までしか届かない。
「読みは中々鋭かった。普通の、そうケルディアの奴らなら君の思考で上手く言っていた。でもここは"黒い狼"の城だ。君の思考では、通用しない」
青年が壁を通り抜け、アルの方へ歩いていくまでに、下がっていた壁が再び上昇し始めた。石と石が互いに反発しあいながら、無理にでも隙間を埋めていく。穴の開いていた壁が再び完全な壁に戻るまで、そう時間はかからなかった。
それを見届けた青年は、アルの手から剣を奪い白い騎士の像を見下げた。エレスやクリフは、まるで面白いものを見るような雰囲気で二人のやりとりを見ていた。
「"黒い狼"は気高い。命乞いをするものを、殺したりはしないんだよ。変わりに──」
ヒュッと、剣は真横に一直線を描いた。アルには、剣の影すら見えなかっただろう。白い騎士が持っていた剣が真っ二つに割れた。剣先が、力なく床に落ちる。すると先程閉じた壁が、再び開き始めた。アルはそれを見て、目を丸くした。
「こうして──奴らの剣を、へし折ってやる」
冷たい響きの口調で、青年はそう言い放った。用事は済んだとばかりに、持っていた剣を素早くアルに手渡し、青年はアルをじっと見据えた。茶色の長い前髪の間から覗く、細い目は深緑に染まっている。
「…どう…してですか?殺してしまった方が、敵にとっては痛手になるのに……剣を切ったって、何の意味もない──」
突然の出来事に困惑し、そんな事を口走るアルに、青年は肺の中の空気を全て出すかのような、深いため息をついた。後方で様子を見ていたエレスも、やれやれとばかりにこめかみを押さえる。
「……やはり、ケルディアの奴に俺達の思想なんて理解できる訳ない……どうして、こんな奴を連れてきたんだよ、エレス!」
失望したように、青年はエレスの方を睨んだ。金髪の美女はいきなり振られた話に、少し閉口しながら答えた。
「仕方ないじゃないユウヤ。たまたま出会ってしまったんだから──それに、この子なかなか馬に乗れるのよ。鍛えればきっとモノになる」
ユウヤと呼ばれた青年は、虫唾が走るとばかりに口元を引き締めた。背の高いユウヤから見下ろされ、さらにその細い目でキツク睨まれると、アルは蛇に睨まれたカエルのように縮こまる他なかった。目もあわせず、顔を伏せるアルを見て、ユウヤは失笑した。
「…まぁ、いい。どうせティア嬢はこんな奴騎士団に入らせないはずだ。俺に睨まれた程度で、怯えるような"根性なし"はな!」
その言葉に、アルの肩がピクリと跳ねた。
「……オレは」
剣を持つ手に、力が篭る。城から出ようと入り口に向かって歩き始めていたユウヤは、小さく呟いたアルの言葉が聞こえなかったようだ。エレスが、アルの変化に気づく。
「オレは根性なしなんかじゃない!」
わっと、アルは一気に走り出した。本物の剣の重みには、慣れてしまったようだ。恐るべき俊足で、ユウヤに追いついたアル。それに気がついたユウヤは、流れるような無駄のない動作で、自らも腰から細剣を引き抜いた。
突き抜けるように広い空間全体に、鋼鉄同士が激しく衝突する音が響き渡った。アルは歯を食い縛りながら、自身よりもずっと背の高いユウヤを仰いだ。風船に針を近づけた時のような、危うい緊張感が辺りに漂う。
「アル!」
思わず止めようとするエレスの腕を、隣のクリフが掴み首を横に振った。ユウヤは愉快そうに笑った。
「……案ずるなよエレス。俺はこんなガキを殺したりしない、自分より弱いものと分かって闘うのは、"黒い狼"の精神に反するからな!」
大きめの声でそう叫ぶユウヤに、アルはこめかみが引き攣るのを感じた。しかし──さすがに、成熟しきった成人男性の腕力とまだ14歳の少年の腕力では、差が有りすぎる。重なり合い震えている刀身は、徐々にずれ始めた。
「…今なら、まだ許してやるから、謝れよ、アル?」
身長差を利用して、わざとユウヤは屈みアルの耳元に囁いた。同時に、全体重を剣と共にアルに押し掛けた。いくら踏ん張っても、歴戦も猛者であるユウヤの斬撃を素人同然のアルが持ち応えられる時間は長くない。アルはくぐもった声で、しかし確りと答えた。
「──謝るのは、あんたの方だろ?それに……取り消せよ…オレは"根性なし"なんかじゃない!」
油断していたユウヤは、突如強まった力に少しだけ驚いた。次の瞬間、大広間の静寂を破るように高い摩擦音がして、何かが回転しながら床の上を滑っていった。
「……!」
肩で荒い息をつきながら、アルは驚愕した。剣の刀身の上半分が、なくなっていた。辺りを見回すと、床で剣先が回転している。なんという事だろう、あまりに強いユウヤの腕力は、鍛えられた剣さえもへし折ってしまった。遠めで見ていたエレスが、ヒュ〜と口笛を吹いた。
「……剣先がなくなったら、何も出来ないな?」
無表情で、軽く鼻で笑ったユウヤに、アルは腹が煮えくり返りそうだった。剣をへし折られることが、こんなにも屈辱的な行為だとは思わなかった。今なら"黒い狼"が何故命よりも剣を折ることにこだわるのか理解できる気がした。そう、それは相手の誇りを傷つけるため。精神的に、追い詰めるため。
「……くそッ!」
自らの実力のなさに腹が立ち、地団駄を踏みたかった。恥辱に打ち震えるアルを見下ろしながら、ユウヤは自らの剣を鞘に収めた。
「そう悔しがるな。お前が俺に勝てる訳がないんだ。初めっからな」
無残に転がった剣先を見ながら、殺気に満ちた眼差しでアルはユウヤを睨んだ。あまりに、多大な屈辱。いとも簡単に挑発に乗り、そして負けた。ギリ、と奥歯を噛み締める以外に、出来る事は何もないのだ、そう、何も。遠くで闘いを見ていたエレスが、重苦しい雰囲気に収集をつけようと口を開いた。
「ユウヤ、素人相手に何ムキになってるの」
それを聞いたユウヤは、興味がないとばかりにぶっきらぼうに答えた。
「ムキになどなっていない。少し力を入れただけだ」
広間から出て行くために、数歩歩んだ後ユウヤは何かを思い出したかのように再びエレスに振り返った。
「そうだ、エレス。折れた剣の代わりを早急に鍛冶屋に頼んでおけ」
「分かってる、私に命令するな!」
そう憤怒するエレスに軽く口角を上げ、ユウヤはその場を後にした。
「アル…」
遠くで、何かに懇願するかのように小さな声でエレスは言った。まだ14歳の少年が、あれほどの苦汁を舐めさせられたのだ。恐らく、その精神的苦痛は尋常ではない。上部をへし折られた剣を持ち、ひたすら押し黙るアルへ恐る恐る歩み寄る。
「アル…大丈夫…?」
密やかに、慰めるようにその肩へ手を乗せる。アルは無反応だった。まるで魂を抜き取られた人形のようだ。恐らく彼は、今の今まで負けた事がなかったのだろう。誇り高いエレスは、もし自らの人生初の敗北が、あのように鮮やかなものだとしたら、とても耐えられないと思った。
しかし──ユウヤが言ったように、この決闘の勝敗は初めから付いていたのだ。実力の差は歴然だった。ユウヤが何者かを知ったら、アルも納得するかもしれない。それにこれで、"黒い狼"の実力を分かって貰えたという利点もある。
……少年に傷心はつきもの、か。
勝手にそう解釈をつけると、エレスは力の篭っていないアルの手を取り諭す様に言った。
「…アル、悪いが、先に進もう。ティア嬢は暇な方ではない」