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Color blindness  作者: グリコ
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第一章:【2】

"黒の住みか"へ続く道は一本道なので、また来た獣道を引き返さなければならない。馬車馬の足取りは少し休んだせいか(すこぶ)る良かった。


「……さてアル少年。飛ばすよ」


「はい」


ふと、オレは自分の中で何か火種のようなものが出来た気がした。目の前の、操り主がこれから楽しいことに連れて行ってくれそうな気がするのだ。


──誘拐犯なのに。可笑しくなって、思わず吹き出す。エレスさんは幽霊でも見る目つきでこちらを振り返った。


「どうした少年…遂に気でも狂ったか?」


「…ふ、いいえ。少し、面白かっただけです」


「ますます気持ち悪いな」


エレスさんは鼻で笑った。それを見て、オレは身を乗り出した。そのまま行儀が悪いのかもしれないが、操り主の席の隣へ座った。


「何してるんだ、狭いじゃないか」


「いいじゃないですか、二人のほうがなんとなく安全でしょう?」


そう言うと、隣の空色の瞳はますます疑うような目つきでこちらを見た。手綱を引き絞り、馬に急ぐよう命じる。もと来た道を戻りきり、一般の砂利道へ戻る。ずっと先まで、今日も空は澄み切っていた。日の光は高くなって、誘拐犯との旅の二日目が始まった。ずっと先まで、薄茶の砂利道が続いている。人影は見えない。


「何が安全だ……ああ、追っ手のことを心配してるのか?」


「ええ。ノッド叔父さんに言われましたよ。貴女に何かあったら力を貸してやってくれ、って」


それを聞いて、エレスさんは斜めに分けている金髪の前髪を整えた。昨日は人形みたいに表情がなかったのに、堅かった蕾がゆっくりと綻ぶように、徐々に表情が出てきた。


「何だ、それは。叔父さんも余計な事を…それに"子羊"の少年に何が出来るとも思えないけど」


口を尖らせて、こちらを嘲るように見る。その目が妙に涼やかで、思わず剥きになった。


「何ですかそれ。言っておきますけど、俺結構馬乗りの技術には自信があるんですよ?」


するとエレスさんは口元を押さえて愉快そうに笑った。それが乾いた背景に似合っていて、思わず見惚れた。


「はは、笑わせるなよ少年。君に──たった14年間生きてるだけの、"子羊"に馬乗りが出来るなら、我々やそれこそ君の入りたい"白の羊"の騎士はどうなる?」


「それは──!」


図星だったので、口を瞑るしかなかった。エレスさんはにやつきながら持っていた手綱をオレに差し出した。


「そら、未来の騎士団員くん。ちょっとばかりこれを操作してみろよ。出来るかな?」


「馬鹿にしないでくださいよ…こんなの簡単です」


四本の手綱を親指と人差し指、中指と薬指にそれぞれ挟む。すると今まで大人しく駆けていた馬車馬が急に興奮し始めた。しかしオレは荒馬には慣れている。フェイユモルトはかなりのじゃじゃ馬だったから。重くなった手綱を引っ張ってはいけない、そうすると力と力の反発が起き、ますます馬は興奮する。


「…──」


微妙な具合にスナップを利かせ、馬の口を自分の指先に感じるようになれば、もうほぼ完璧だ。良い具合の重さを手綱に感じて、どうだとばかりに眉を上げてみせる。


「どうです?」


隣のエレスさんは舌を巻いていた。まだ少し信じられないとばかりにこちらと馬を交互に見る。


「……やるな少年……そうだ。じゃあ、そのまま操作頼んだから、私は寝る」


「ええ!?ちょっと待ってくださ──」


言いかけて、止める。そうだ、よくよく考えればエレスさんは今まで一睡もしていない。オレが寝ている間もずっと馬車を動かしていたのだろう。隣ではすでにオレの肩に頭をあずけて眠るエレスさんが居た。勝手に人の肩を借りて寝る神経の太さを疑ったが、すぐに考えを改めた。


「……ま、いいか…」


フゥと息をついて、リズミカルに走る馬車馬を見る。そして馬の耳の間から先を見る。依然として人影その他動くものは見られない。決して油断はしないが、この調子なら少しぐらいは。そう思って、肩に感じる重みは放っておくことにした。逆に少し肌寒いなとか思っていたから、それが心地よかった。


馬車馬は進んだ。どんどん進んだ。ふとこの道でいいのかと思ったが、一直線だから大丈夫だろう。砂埃が舞って、少し目に涙が滲む。指の間が皮で摺れて、痛くなり始めた。握る力を程よい加減に緩める。


「…ん」


「あ、起きました?」


頭が少し動き、エレスさんは寝ぼけ眼のままこちらを見た。そして目を擦りながら大欠伸をした。口元を押さえて欲しい。しかし"黒い狼"なんて、名前だけなのかもしれない。こんな子供のような人が人を殺すとは──考えにくかった。


「ふぁ……お、だいぶ進んだな少年。もうすぐ検疫所に当たるはずだ。手綱を代われ」


「あ──ハイ」


握っていた手綱を渡し、少し安心する。そして横の女性を盗み見た。


「あの…」


痛む指を押さえて、ずっと先に検疫所が見えた。一台馬車が止まっている。普通の馬車だ。白の羊はまだまだ動いてないらしい。


「検疫所を抜けたら、どうするんですか?」


「…検疫所を行ってすぐのところに小さな港町がある。そこの波止場に仲間の船が来るはずだ。そうだな…時間で言えばちょうど日が昇りきったぐらいか。その船でリノへ一直線、だいたいこんな予定だ」


「そうですか…」


検疫所を抜けることは、恐らくたやすい。なんたって"白の羊"の関係者なのだから。そう思って少し落ち着く。そして今まで流されていた話題へ切り替える。


「エレスさん、そういえば何故貴女は集会所から出てきたんですか?どうして"子羊使い"の馬車に乗っていたのです?いろいろおかしくないですか?」


ああ、とエレスさんは頷いた。点のようだった検疫所がどんどん大きくなる。


「それは──偶然だ。私は定期的に、叔父さんや母さんの様子を見るのも兼ねてケルディアへ潜入するんだ。案外ケルディアの奴らは盲目で、白の色さえ纏っていれば疑う眼差しを一つも持たない。どれだけ誤魔化されているのか、分からないんだろう。反対に黒の色を持つものの意見は全くと言っていいほど聞かない。だから私は、旅の途中で白い馬車や騎士団の奴らを見つけるとそいつらの白を奪うことにしている。変わりに私の黒を纏わせる。その方が都合がいい。そして今回の馬車と制服を奪われたのはお前達を迎えに来るはずだった奴。たまたま私に出会ってしまった。ただ、それだけだ」


「……でも、何回も来るのなら、あらかじめ用意してからにした方が良いと思うんですけど」


エレスさんは少し考えた後、少し微笑んだ。


「ふふん、甘いな少年。白は有効な分、それだけ動きが目立つ。人の目につきやすいんだ。だから使うときはほどほどにしないと。"目的を持った使い方"をすると、白は本当に役に立つ。……じゃあ、これらの事から白の性質が分かるか少年?」


いきなり質問を投げられて、少し考えを侍らせる。白の性質……そんなこと考えもしなかった。白は"白の羊"に言われるように騎士団のモチーフだ。格好がよく、清潔で、気高い。まさしくケルディアの騎士団にぴったりな色……のはず、なんだけど。ここで少し、何かが引っ掛かる気がした。さらさら流れる砂時計の砂が、少しずつ詰まり始める。


「……よく分かりませんね…でも、使いようによって、何かが起きるって事ですか?」


こちらを向いたエレスさんは、何かを企む悪戯好きな少女の様に八重歯を見せ笑った。


「六割がた正解だ。何かが起きる──つまり、白ほど人の心を操る色はないのさ」


そう言って、遂に馬車は検疫所の横へ止まった。検疫所の人は少し緊張した面持ちで応対した。深く被った青いツバ付き帽子が検疫所の役員である証拠。


「これは…騎士団の関係者の方ですか?この先は港町のウェイブしかありませんよ?」


「ハイ。少し用事がありまして」


エレスさんはひたすらニコニコしている。オレも釣られて微笑む。なんだろう、このなんとも言えない罪悪感は。昔クラムの家の倉庫から小麦をいくつか盗んだとき以来だ…。


「……隣の、貴方は?」


少し検疫員の目が曇った気がした。


「オレは──」


「この子は私の仲間です」


エレスさんが制する様に身を乗り出した。検疫員の顔にくっつきそうなほど、自分の顔を近づける。オレの位置からではどうなってるのか見えない。


「…そ、そうですか。では、少しお待ちください。許可証を発行いたします」


「どうも」


へへ、と商人のように笑うと、エレスさんは肘でオレを小突いた。耳に唇を押し付けて、オレ以外には聞き取れないほどの小声で呟く。


『馬鹿…少年、君試験受けるっていうつもりだったでしょ。試験者は全員、昨日の夜に首都へついてるはずなんだよ。何で試験者の君が今こんな場所に居るのか、そう聞かれたらどうするつもりだったんだ。もう喋らなくていいから、黙ってな」


『……すいません…』


「ハイ、どうぞ」


直に発行された許可証を受け取り、エレスさんは検疫員にウインクした。頬を染めながら、検疫員は慌てふためいた。


「よ、よい旅を!」


「はーい」


上機嫌なエレスさんが許可証を振って、馬車はまた進みだした。首を少しだけ傾けて後ろを振り返る。検疫員に変わった様子はない。人一人がようやく立てるような青い板張りの小屋に立って、次の通行人を待っている。特に慌てる様子もない──……。大丈夫か?向き直ると、エレスさんは鼻歌を歌っていた。微かに、海の香りが鼻を掠める。


「少年、港町についたら少しお茶でもするか?」


「え…そんな事をしていていいんですか?」


エレスさんは許可証をポケットに突っ込んで、退屈そうに言った。


「当たり前だ、追っ手の気配はない。少しぐらいお茶してもいいだろう。それに船に乗りさえすればあとは何の心配もないんだから」


少し不安になった。追っ手のことじゃない、船は確かに便利なものだ。しかし危険も伴うはずである。家の本棚にあった本のどこかで、 "船の航海は危険が伴い、大海原の真ん中で座礁しそのまま死ぬ事も多い"と記述してあった気がする。


「でも船に乗ってからって安心できませんよね?」


少し刺々しい口調になってしまった。思わず前方を見る。結んである金色の髪がたなびいて、視界に入った。


「…案ずるな少年。私達"黒い狼"の技術力をなめないでくれ。もう海の真ん中で迷子になる可能性はほとんどない。しかし……」


ずっと横顔を盗み見ている。長い睫毛は金色で、透けるように震えている。エレスさん顔は全体的に小さい。小顔、とでもいうのか。その割りに目が大きいから、際立つんだ。


「少年は、何故そんなに知識を持つ?ただの農民の子供ならば、普通そんな知識知らないはずなのだが」


盗み見ていたので、急にこちらを向いたエレスさんとばっちし目が合ってしまった。しかしそんな事よりも、聞かれた質問に答えなければ。


「ああ家に割りと本があるんです。それに母さんが、読み書きや基本的な知識を教えてくれたんです」


そこまで言って、また違和感を感じた。そうだ…ただの農民なら、母さんが根っからの農民なら、読み書きなんて出来ないだろう。何故…?しかしそれ以上考えることは止めておいた。何か、踏み込んではいけない気がした。


「そうか……ちなみに、君の母親の名前は?」


「サーシャ・ライトです」


少し、馬車全体が揺れた気がした。いや気のせいみたいだ。


「サーシャ・ライト……全然、知らない」


この世が終わりの様にエレスさんはどんよりと俯いた。その様子が面白くて、少し笑う。


「当たり前でしょう、関わったことないんですから」


「…そう、そうだよね。そんなに世の中狭くない!」


勢いづくように鞭を振るって、馬車は港町へ入った。静かに馬車馬を進めながら、少し様子を探るように町を眺める。白は目立つ。ジロジロと、通行人に見られている。小さい港町だから、そんなに裕福ではないのだろう。布をそのまま来たような服で、小魚を入れたカゴを抱える人。だいたいそんな人ばかりで、活気はあまりない。馬車なんかに乗ってる人は俺達以外に見られない。


「…さて降りるぞ少年」


白い馬を留めて、降りる。港町の中央、真ん中ある小型の噴水を取り巻くように、鼠色の石が敷き詰めてある場所で何人かの子供が楽しげに玉遊びをしている。それを見たエレスさんは微笑ましげに目を細めた。


「子供は無邪気でいいな」


「そうですね」


後ろを振り返ると、白馬が二頭繋がれている。見間違いだろうか、少し寂しげだった。整った尻尾を大きく振って、嘶いている。


「あの馬ともお別れだ。だいぶ世話になった。白馬じゃなければ、黒い狼にほしいくらいだ。ケルディアの騎士団にはもったいない」


「ええ、よくあの長い道を走り続ける心臓を持ってますよね」


「名馬だ、め・い・ば」


やがて小さな店を見つけた。"tale(話)"という店だ。四角枠の窓から店内を覗くと、客はほとんど居ない。店の主らしき初老の男が一人で白の皿を拭いている。表の看板に"トゥーレ(有)"と書いてある。それを見たエレスさんは手を叩いて喜んだ。


「見ろよ少年!トゥーレだって…私あれ大好物なんだ!ここにしよう!ほら、早く!」


思い切り背中を押されながら、店内へ入る。初老の男は少しこちらを見ただけでまた皿を拭き始めた。白髪交じりの男以外に店員はいないようだ。エレスさんはすぐさま「トゥーレ一つ!」と叫んだ。男はゆっくりと頷き、皿を拭くのをやめて何か細長い茎のようなものを取り出した。何だあれは……


「それで、少年は?」


聞かれて、オレは別に喉が渇いていなかったが、トゥーレはそんなに美味しいのかなと思い同じものを頼んだ。すると男はまた頷いて、若緑色の茎を大雑把に切った。思わず目を見張る。茎から大量に汁のようなものが溢れだした。


「…そんなに珍しい?」


視線を目の前に戻すと、エレスさんは窓から見える景色を眺めていた。


「ええ、何ですかあの──茎みたいなのは」


「みたいじゃなくて茎なのよ、あれを煮込んで出した汁と、茎から出る汁を混ぜたのがトゥーレ。凄く甘いのよ」



「へぇ……」


相槌を打つと、そのままに佇む。店内は流れるように音楽が流れている。耳につくこともなく、かつ眠くなる程でもなく、まどろむ様なゆったりとした音楽。窓からは波止場が見える。多分エレスさんは仲間の船が来ているかどうか見てるのだろう。港だけにさまざまな船が止まっている。


「お待たせいたしました。トゥーレです」


声がして、振り返ると男が二つのカップを持っていた。四角形の白い布を敷いて、その上にトゥーレの入った大き目のカップを置く。


「どうも」


遠い目で外を見ていたエレスさんは、待ってましたとばかりにカップを持ちまず香りを楽しんだ。立ち上る湯気と共に、甘ったるい匂いがした。カップの中に目を落とすと、淡黄色の液体の表面に何か糖分だろうか、クリーム色の粒が浮いている。


「…いい匂い」


誘われるようにカップに口をつけて啜る。舌の上にじわりと爽やかな甘味が広がった。甘いのだけれど、だれない。喉越しはよく、サラサラと流れていく。しつこ過ぎず、あっさり過ぎない。ふと何か粒の様なものを舌に感じた。先程のクリーム色のあれだろうか。噛むと、濃縮した辛さが吹き出た。思わず喉を押さえながら舌を出すと、エレスさんはさほど気にせずに言った。


「ああ、それすごい辛いから噛まない方がいいよ。本来は味を締めるために入れてるだけみたいだから」


「は…早く言ってくださいよ!」


何とか舌の痺れも収まり、トゥーレも全て飲み切った。エレスさんは素早く会計を済ませ店から出た。磯の香りを含んだ風が吹いて、気持ちよさそうに伸びをする。すると──磯の香りに、何か別の香りがまざっている気がした。辺りを見回す。すると背後から男の声がした。


「エレス・ウィア。"黒い狼"の幹部で、世界有数の情報網を持つ女」


低い、成熟した男だけが放つ低い声だった。思わず背筋が震えて、振り返るとそこには正真正銘白い制服を纏った騎士団員が居た。グレーの髪は前髪だけが長く、目元を隠すように伸びていた。薄い唇は苦虫を噛み潰したように歪んでいる。そして腰には、重量感漂う剣が携えてあった。


「……ああ、思い出した!どっかで見たことあると思ったら、君"白の羊"の幹部でしょ!名前は何だったかなー」


楽しそうな声にピシリ、と細糸が張り詰めるように緊張が走る。慌ててオレはエレスさんの肩を引っ掴み引き寄せた。


『エ、エレスさん。何呑気にしてるんですか!』


『いいから、いいから、黙ってみてなさい少年は』


 別にノッド叔父さんとの約束を守る義理はないのだが、"黒い狼"である(しかも幹部らしい)エレスさんと店でトゥーレを飲んでいたとなると、仲間だと思われ一緒に連行されるだろう。それは断じて避けなければ……。"白の羊"幹部の男は腰の剣に手をやって、重々しく口を開いた。


「…随分余裕だなエレス・ウィア……お前は包囲されているのだぞ」


20人ほどの白の騎士に取り囲まれた。それぞれに剣を持っている。さすがにこれは──やばい状態だ。エレスさんは懐から二本のナイフを取り出した。黒い柄に、銀色の刀身。見たところ変わったナイフではないようだ。あえて言うならば、刀身が反っている事位だろうか。

それを見た男は高笑いした。


「はっはっは!それが貴様の武器か?」


「そうだよ、何か文句ある?」


喧嘩を売るような口調に、思わず冷や汗が吹き出る。男は、忌々しそうに剣を引きずり出した。


「…あまり舐めた口を聞かない方がいい……穢れた黒を持つ貴様が、我々騎士団の制服を

着てよいものではない。清潔で、気高い、その白さを!」


オレは自分のことを言われてる訳ではないのに、ムカついた。黒は、そんなに黒は穢れているのだろうか。ふと、気に掛かっていたエレスさんの言葉を思い出す。


"ケルディアの民は嘘を真実だと思い込まされている"


隣のエレスさんが、何かを呟いた。しかし全く聞き取れなかった。そして次の瞬間、俺は地獄を見た。取り囲んでいた白の制服が一斉に地面に倒れ込む。白に混じるは、鮮麗なる赤。


エレスさんの姿を探すと、白さが際立つ箇所があった。グレーの髪と金髪の髪が揺れている。短いナイフと、太い銀の刀身が重なり合い震えている。


「ふふ、舐めた口を聞いているのはそちらじゃないのか?"白の羊"幹部、リゼル・ブランクさん」


「…ほぅ、私の名を知るか。さすがは"黒い狼"だ。情報を嗅ぎまわる嗅覚だけはすばらしい」


何も出来ずに、足に根っこが生えたようにその場から動けない。すると虫の息だったはずの騎士団員の一人が起き上がった。口の縁から流れる血を押さえながら、じりじりと詰め寄ってくる。その手には、切れ味鋭い剣が握られている。エレスさんはこちらを見ていない。


「…──!!」


子供同士の決闘と、実践は違う。体の奥底から沸きあがる恐怖に怖気づき、足がすくむ。


剣が勢いよく振り上げられた。──もうだめだ、そう思って目を瞑った瞬間、生暖かい何かが顔に掛かった。──恐らく、血だ。同時に、何かが倒れこむ音。


「…ふぅ。君、大丈夫かい?」


背後で、透き通った青年の声がした。顔にかかった液体が目に入らないよう、片目だけを開けると、足元に男が倒れこんでいた。そして振り返ると、そこには優しい微笑みを浮かべるエレスさんが居た。…いや、エレスさんじゃない。柔らかにウェーブした金髪はほどよい短さで、角度のたびに濃淡が変わる青い瞳。また、黒い制服を着ている。瓜二つだけれど、全く違う。


「クリフ!」


エレスさんは青年を見てそう叫んだ。青年はしなやかにお辞儀をすると、いきなりオレを担いだ。


「うわ…っ!」


「じっとしていてください」


男に担ぎ上げられるなんて…屈辱だ。クリフと呼ばれた男は素早い動きで俺を抱えたまま波止場へ向かった。同時にエレスさんもリゼル・ブランクに応戦しつつ付いてくる。


波止場に止まった船の中に、白旗に黒い牙が描かれた帆が連なっている、一際目立つ帆船(はんせん)があった。強い突風に晒され、なびいている。天を仰ぐように突き出た三本のマストを、見上げずにはいられない。クリフは勢いよく飛んで、船の先端──甲板へ着地した。小さな波が沸き立ち、心細気に船が揺れる。どうするんだ──そう思った瞬間、オレは目を見張った。目の前の、クリフは船の最後尾へ素早く移動し、自らの腕を波間に突き出した。クリフ周辺の波が大きく渦を巻き始める。


「エレス姉さん!早く!」


「分かってる!」


「くッ…逃がすか!!」


突風が吹き、少しだけ帆船が動いた。その瞬間、クリフの真下の波が爆発するように巨大な水柱を打ち上げ、同時にとても風の力ではない速さで動き出した。全速力で走っていたエレスさんは、躊躇せず波止場を飛んだ。戦いのせいで白い制服が破けたリゼル・ブランクが、波止場から落ちそうになって留まる。見事な放物線を描いて飛んだエレスさんは、精一杯に腕を伸ばしたクリフに捕まり、そのまま倒れこんだ。凄まじい音がして、クリフは後頭部を打ったらしい。


「間一髪!」


嬉しそうに立ち上がったエレスさんは、波止場に残されたリゼル・ブランクを振り返り目の下を指で引っ張り、舌を突き出した。


目を擦りながら二人に近づくと、エレスさんは羽織っていた白の制服を脱ぎ、わざとリゼル・ブランクに見えるように海へ投げ捨てた。潮風に揺らされながら、白の制服はコバルトブルーの海へゆらゆらと着水した。真っ白なそれは、やがて潮の流れで流されていった。遠くでリゼルが顔を真っ赤にして何かを怒鳴っている。


「あーやれやれ……結構危なかったなぁークリフ!あんたが遅いから!」


そう怒鳴りつけるエレスさんを、やれやれとばかりに苦笑しながらクリフは見上げていた。本当に顔がそっくりだ。違うのは骨格や輪郭…そして髪型だけか。


「エレス姉さん、そろそろ遠慮というものを覚えてください」


「遠慮なんてしてたらつまんないじゃない、あれくらい綱渡りしないと」


オレは少し眩暈を覚えた。どうりで、エレスさんの行動が遅かったわけだ。ギリギリまで、戦いを楽しんでいたのというわけか。人質のオレを放っておいて。エレスさんはああ、と呟いて俺を引き寄せた。


「クリフ!この子はアル・ライト!一言で言えば誘拐しちゃった子!結構可愛い顔してるしょ?」


指先でツンツンと頬をつつかれて、眩暈は激しくなった。クリフは常に微笑を絶やさず、また礼儀正しいお辞儀をした。


「初めましてアル・ライト君。私はエレス・ウィアの実弟であるクリフ・ウィアと申します。"黒い狼"の騎士団員でもあります。以後お見知りを」


"黒い狼の騎士団員"。そう聞いて、恐ろしくなる。エレスさんといい、クリフといい、"黒い狼"の人たちは優しそうに見えて本当に怖い。慌てて、こちらもお辞儀をする。クリフは、笑うと目尻に皺が出来て、犬のようだった。


「あの、一つ聞いていいですか?」


「はい、何でもどうぞ」


とてもニコニコしている。釣られてこちらまで頬が緩みそうだ。


「もしかして──エレスさんとクリフさんは双子、ですか?」


そう言うと、二人はお互いに顔を見合わせた。そして笑った。


「そうよ!私のほうが、少し早く生まれたらしいけどね……だからこんなに顔も似てるの」


エレスさんはクリフの頬を引っ張って、遊んでいるようだった。頬を抓られても微笑を崩さない寛容さは凄いと思う。


「ハイ。姉は女性だから得をする顔立ちなのですが、如何せん男の私では損をするばかりです」


「何言ってんのよあんた!めちゃめちゃ女の子にもてるでしょうが!」


勢いよくクリフの肩を叩くエレスさん。同じ顔が二つある。揃いも揃って美形だ。俺はようやく眩暈も納まってきたので、静かに深呼吸をした。帆船はゆっくりと、今は風の力だけで動いている。そうだ、先程の水柱について聞かないと。


「あの、さっきの水柱は一体──」


ようやく頬を開放されたクリフさんが、相変わらずニコニコ顔で答えてくれた。


「ああ。あれは僕の能力で、少し船に勢いをつけさせるためにやったものです」


呼び名が私から僕に切り替わったのは、親しみを込めたと思っていいのだろうか。


「そうなんですか…凄いですね。どういうものなんです?」


デッキに設置してあるイスに座ったエレスさんは、どこかから飲み物を取り出してゆったりと寛ぎ始めた。俺もあれ欲しいな。


「そうですね…簡単に言えば、瞬間的に水圧を極限まで高め、水面下で爆発を起こす、ただそれだけの事です」


そんな能力、聞いたことない。そもそもこの世界に、そんな現実的でない能力を使える民が居たなんて──……。目に見えないモノを信用するのは難しい。そんな気持ちが空気に滲み出ていたのか、クリフは腕を組んだまま話を続けた。


(にわ)かには信じがたいモノだと思いますよ、実際に力を使う僕でさえ、自分にこのような能力があると気づいたときには驚きましたから」


「……」


空を見上げると、眩しい光が真上にあった。エレスさんが言っていた、"日が昇りきるぐらい"ちょうどだ。


「しかし実際出来てしまうのだから、信じるしかない。それに僕には二分の一だけエルフの血が流れていますから、それほど不思議じゃないと、思ったのです」


「エ、エルフ?」


本でしか見知りえない存在。そもそもオレはケルディアから出た事がないのだ。この世界はほかに三つの大陸があるらしいが──エルフと聞いて、それらが身近に感じられた。


「ええ、エルフです。僕の場合は、ハーフエルフとでも言うのでしょうか。ご存知なのですか?」


「少し、本で(かじ)った程度ですけど」


「そうですか、賢いのですねあなたは」


そこまで言うと、クリフは目元が影になるように手をかがした。甲板の上は中々に熱い。少し影に入ることにした。







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