第五章:【2】
ブラック・ホーリング城の南、一番日当たりの良い場所に造られた庭園にティアベルは居た。小さいながらも、所狭しと咲き誇る花々に、ティアベルは管理をする者に礼を告げる。本来ならば、彼女は元・ケルディア国王の本妻の娘、誰しもがお近づきを願う身分であるが、クーデタのせいで彼女は消息が不明、リノ島以外ではもはや死んだ者扱いをされている。16歳、一番お喋りで、一番舞踏会等で注目をされる時期だ。
しかしティアベルの頭の中は、甘ったるい貴族らしくなく、戦いの事で一杯だった。繊細な髪質の、さらさらと風に流されている栗色の髪に手をやりながら、ティアベルは目の前の赤い花びらを見つめた。
「……」
その姿を後方で見つめる者が居た。御付の者に制されながらも、強引に庭園に侵入したユウヤとアルは、今更気まずくなっていた。自分達は相当に無礼な事をしている。貴婦人の庭園に入り込み、静寂な空間を乱そうとしている。しかしユウヤは覚悟を決めたのか、そっとティアベルに近づいた。さすがに見習い騎士であるアルは踏み込むことが出来ず、遠巻きに様子を見ている。
「……ティアベル様」
控えめな、低い声に反応したティアベルは振り替えり、それがユウヤである事を確認すると──少々残念そうにまた紅い花に目を戻した。
「何事ですか」
ユウヤは姿勢を正し、極力失礼のない様に尋ねた。
「エレス郷を、ミリへ送ったというのは真でしょうか?」
それを聞いたティアベルは、柔らかい花びらから指を離し、大きな瞳でユウヤをじっと見つめた。彼女の周りにはいつも穏やかな空気が流れている。
「……真です」
「…っ!」
それを聞いたユウヤは、拳を堅く握り締めた。目の前に居るのは自らの主君であることを自覚しているのかいないのか、その目は憎悪に染まっている。
「何故です……どうして、そのような危険な旅に──エレス、郷を!」
ティアベルは紅い花びらに指先を伸ばし、ゆったりと囁いた。
「エレスは黒い狼の幹部ですよ?……それにクリフも付いています。彼女達以外に、他に誰がこの役目を果たせるでしょうか」
風が吹きぬけ、ユウヤの長い前髪を揺らした。瞬間、深緑の瞳が細められ、渇いた音が響き渡った。ティアベルは、今起きた事が信じられないとばかりに、目を見開いた。紅い花びらを弄っていた彼女の手の甲は、ユウヤに叩き落とされた事によって少し腫れてしまった。
遠めで見ていたアルは、隣で息を潜めていたティアベルの御付の者が悲鳴をあげるのを聞いた。
「……」
ユウヤは、とても主君に向けていい顔ではない──嫌悪感を剥き出しにした表情で、唸るように言った。
「今すぐエレスを呼び戻します。出航の許可を」
赤くなった手の甲をさすりながら、ティアベルは視線をユウヤから外した。切なげにオッドアイを揺らすと、喉から搾り出すような、震える声で彼女は呟いた。
「──出航はエレスの意思です」
それを聞いたユウヤは、罪悪感に苛まれた表情をしたが、しかし後戻りは出来ないと、さらに詰め寄った。
「何故止められなかったのです」
すると、今度はティアベルがユウヤの頬を叩いた。再びアルは御付の者が悲鳴をあげるのを聞いた。木々が風に揺らされ、緑の葉が地面を這うように流されていく。
仕返し、なのだろうか。
痛む頬に、ユウヤはティアベルを見ていた。お互い、これ以上ないというほど張り詰めている。ティアベルは頬を高揚させ、憤怒した様子で声を荒げた。
「口を慎みなさい!貴方は私の騎士なのですよ──それに、止めなかったと、思うなんて」
美しい緑と青の瞳が揺れ、一気に液体が目尻に溜まる。それを見たユウヤは、今更になって動揺したのかその場に跪いた。
「も、申し訳ありません!私としたことが……」
ふわふわとしたユウヤの茶髪を見下ろしながら、ティアベルは何かを考え込んでいた。大きな瞳で、じっとユウヤを観察する。やがて、自らの頭に感じた感触に、ユウヤはハッとした。
「……彼女は、彼女の誇りで行動してます」
頭をゆるゆると撫でられ、たじろいだユウヤは、無言のまま俯いた。その様子を遠めで見ながら、アルは自分も駆け寄るか否か迷っていた。整えられた芝生を、何度も靴で擦る。
ユウヤの頭を撫で終えたティアベルは、赤い花弁を流し見ながら静かに言った。
「──恐らく、彼女は貴方に感謝しないでしょう」
それを聞いたユウヤは、深緑の瞳を細めた。まるでそんな事は問題ではないとばかりに、素早く立ち上がると、少しだけ首を傾げ、嘲るように口角を上げる。
「かまいません」
遠目からでは反抗的にみえる態度だが、その瞳には、先ほどの様な敵意は宿っていなかった。むしろ、親から褒美の言葉を貰うのを待つ子供のように、爛々と輝いている。そんなユウヤの様子を、訝しげな目つきでティアベルは見た。そうして、眉根を寄せ、困った様に宙を眺めると、ひらひらと彷徨う蝶が彼女の肩に止まった。黄色の鮮やかな羽を開閉させながら、蝶はティアベルの頬をくすぐる様に触覚を動かした。
「……同じ幹部なら、分かるでしょう?エレスに嫌われてもいいのですか?」
その問いに、少しばかり閉口したユウヤだが、すぐにきっとした目つきでティアベルを見据えた。
「いいです。エレスの命には換えられません」
それを聞いて、今度こそティアベルはため息をついた。彼女の頭の中は幾重にも考えが張り巡らされているのだろうが、今回ばかりは仕方がないといった様子でユウヤを見る。
「……追いたいのならば追いなさい。期日までにはまだ時間がありますし、島にはベルナが居ますから、恐らく大丈夫でしょう」
それを聞いたユウヤは、思わずぐっと拳を握り、後方のアルを見た。アルは渾身の笑みを浮かべるユウヤに、自分も少し嬉しくなるのを感じた。
「ありがとうございます!それでは」
一歩下がり、深く礼をする。そして小走り気味にアルの方へ向かったユウヤを見ながら、ティアベルは摘んだ赤い花びらに顔を埋めた。甘い匂いが鼻腔に充満し、その瞳を潤ませる。
好き勝手な行動ばかりする騎士達に、内心かなり困惑していたが、ティアベルはドレスの裾をつまみあげると直に城の中へ入った。
白の羊がリノの島に来る時まで、残り15日だった。
展開が…進まない…です(ーー;)
でも書いたほうがいいと思うシーンばかりなんで…無駄な贅肉は取った方が良いのでしょうか…
ユウヤがエレスを思う気持ちを表したかったのです。
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