第五章:【1】
古びた宿舎の入り口に立ったアルは、ふと自分はどこに戻ればいいのかと思った。今まではエレスの部屋に居候させてもらっていたが、見習い騎士になった今は自分の部屋がもらえるのではないのだろうか。
足を踏み入れ、宿舎全ての鍵を管理する、巨大な鍵盤があるカウンターへ向かう。一階の曲がり角、宿舎の入り口からすぐ傍の場所にある木製のカウンターに、一人の老父が座っていた。毛糸で出来たニット帽を被り、温かそうなウォールを羽織っている。アルは黙々と本を読みふけっている老父に、少し遠慮しながら声をかけた。
「あの……」
アルの声に、老父は顔をあげた。皺だらけだが、少しずれた丸眼鏡の奥にみえる小さな目は優しい色を帯びている。にっこりと微笑み、管理人である老父は静かに本をカウンターに置いた。
「はいはい。どうなさったんですか」
ゆったりとした口調に、アルはワンテンポ遅れながら尋ねた。
「あ、あの。…アル・ライトという名の者が住む予定の部屋はありますか?」
それを聞いた老父は、目をぱちくりさせ、おもむろに座っていたイスから立った。そして背後にある、見上げるばかりの鍵盤を皺くちゃの指で一つ一つチェックしながら、不意にアルの方を振り返った。
「君、エレス・ウィア郷と──一緒に住んでた子?」
思わず、ぎくりと強張った表情をしたアルだが、別に気にすることはないと、わざと平坦な声を装う。
「そ、そうです」
鉄製の鍵が互いに擦れ金属的な音を立てる。背の低い老父は下の段を見終えると椅子を踏み台にして上の段を調べ始めた。流れるような指の動きは、老父が管理人としての年月が長く、熟練していることを知らせた。アルがそわそわしていると、少しの間悩むような仕草を見せていた老父が椅子の上から降りた。そして、その手を差し出す。
「はい。君がアル・ライト郷だね。エレス郷から話は聞いてますよ」
確りとした、働き者の分厚い皮をしている老父の手の平を覗き込みながら、銅製の長い鍵を受け取る。淵には105と刻んであった。
「ありがとう──ございます」
自分の部屋の鍵が手に入った。その事に感激したアルは、必ずエレスに報告をしようと思った。自分がここまでこれたのは、エレスによるものが大きい。管理人に一礼をし、すぐさまエレスの部屋へ駆け上る。
「エレスさん!」
喜びのあまり、強くドアをノックしてしまったアルだが、中から返答がないことに黙り込む。耳をすましていても、中に人が暮らしている気配はない。
(…本部かなぁ?)
出鼻を挫かれ、少々落ち込み気味のアルであったが、すぐに105号室に戻り、荷物を適当に置くと、宿舎から出た。すると、思わず誰かとぶつかってしまった。
「っ!」
ひりひりする鼻を押さえながら、アルは目の前で自らを見下ろす男を見た。相変わらず長い前髪、深緑の瞳、一目見て、その男がユウヤだと分かる特徴に、アルは吐き気がした。
「そんなに急いでどこいくんだよ、従者」
自分の胸板に突進してきたアルに、驚くような、少し薄ら笑う様な感じでユウヤは言った。それを見上げるような形になりながら、アルは握り締めていた鍵を慌ててポケットに押し込んだ。
「いいえ、別に──…何でもありません」
万が一ユウヤに、鍵一つでこんなに喜んでいることがばれたらなんと言われるのか。恐らく、精神年齢が少々低いユウヤの事だ、心底面白がり、これでもかというほどアルを弄り倒すであろう。それが分かっているアルは、どうか何事もなくこの男から逃れられますようにと内心祈っていた。
「そうか……あ、お前エレスがどこにいるか知ってるか?」
思わず、アルは顔を上げて言った。
「あ、オレも知りたいんです!エレスさんがどこにいるのか……今から本部に行こうかと思って」
それを聞いたユウヤは、え、と軽く疑問の声を漏らした。そして従者が自らと同じ事をしていた事を不思議に思ったのか、指を顎にあてて考える様な仕草をした。
「何を……言っとくが、エレスは本部には居ない、俺が聞いてきたばっかりだからな。宿舎にも居ないとなると……」
二人して、その場で考え込む騎士に、管理人の老父が物珍しそうな顔をして言った。
「エレス郷なら、航海に出られましたよ」
素早く顔をあげたユウヤは木製カウンターに手をつき、身を乗り出すようにして老父に迫った。
「どこの航海に行ったんだ!?」
老父は顔を近づけてくるユウヤに困りつつ、少し躊躇いながら行き先を告げた。それを聞いたアルは、衝撃を受けた。まさか……エレスが、ミリ大陸に行ったなんて──!
ユウヤは、暫く身を乗り出した状態で停止していたが、ようやくゆるゆるとアルの隣へ戻った。そして深緑の瞳をぎらつかせながら、静かに呟いた。
「……従者。俺はこれからティア様のところへ行く。お前も来るか?」
上手く言葉が出せないでいたアルは、頷く事で同意の意思を表した。
エレスを思う男二人。この二人は、普段はかなり仲が悪く犬猿の仲状態なのですが、目的が一致すると強いと思います笑"