第四章:【6】 1
巨木の根元に、五人の男が括り付けられていた。自慢の漆黒の制服は泥まみれで、顔は殴られたため腫れている。立ち込めていた深い霧も消え、薄っすらと朝の光が出てき始めた頃、アルはようやく目を覚ました。
「…っ!」
意識が戻った途端、体中に走った鈍い痛みに顔を歪める。手首を縄で拘束されていることに気づき、唖然とする。昨日おきた出来事を思い出そうとするも、痛覚ばかりが脳にいきなかなか思考は覚醒しない。
『アル、アル』
ふと、隣から囁く声がして、アルはおぼろげな思考のまま声の方を向いた。そこには見事に顔面が腫れているヘンリーがいた。目の上は切れ、頬は所々内出血を起し青くなっている。昨日までのヘンリーの美しい顔を思い、アルは思わず吹き出した。その様子を見たヘンリーは怪訝そうに眉を潜めて言った。
『……失礼な奴だな。君って人は』
『…ご、ごめん。でも…ひっどいな、その顔』
涼しげでぱっちり二重だったヘンリーの目元を思い出し、今の顔を見て、アルはまた控えめに噴出す。笑うと腹筋に小刻みな振動が来て、その痛みのためアルは笑うのを止めた。
『そういう君だって相当ひどいぞ』
ヘンリーに刺々しく言われ、アルは思わず息を止めた。美しいヘンリーがこの様だ。自分は一体どのような顔になっているのか……。
おぞましくなり、何度も顔を左右に振る。そのおかげで脳がどうにか覚醒し、ようやく自分の今の状態を確認しようという気になった。背中に硬い感触を感じ、真上を見上げてみると、深緑の葉が垂れ下がりかさかさと揺れている。瞬時にアルは自身と仲間が木にくくりつけられていることを察知した。ベルナやカルロス、ユウヤがちゃんと生きているのは確認したいのだが、ちょうど幹が背を固定して身動きが取れない。それに体に相当ダメージが来ているようで、少し動くたびにアルは顔を顰めた。
これから自分達はどうなるのか、やはり昨日ゼノスが言っていたように紅い闘牛に差し出されるのだろうか。アルは様々な考えを巡らせたが、突如鳴り響いた轟音によってそれは遮断された。馬の嘶きと悲鳴が響き渡る。驚いて、身を強張らせると、目の前に居た二人の見張りが小高い丘の様になっているこの場所より下の方を見下ろしながら叫んだ。
「軍部の連中か!?」
しゅる、という音と共にアルは手首の拘束がゆるまったのを感じた。すぐさま縄を解き、胴体の縄からも脱出する。勢いよく背後を振り返ると、カルロスに肩をかしてやっているベルナとユウヤが居た。
「どうやって縄を──」
「そんな話は後だ!騒ぎに紛れて逃げるぞ!」
ベルナは鬼の様な形相で叫んだ。それを見て、今の状況がどれほど危険なものかアルは理解した。目の前に積み上げられていた武器の中から素早く愛剣を探り出し、帯剣すると、そのまま五人は林へ向かって走り始めた。見張りの二人が五人を見てうろたえるも、それよりも自らのアジトの方が気になるのだろう、両方とも火の手があがった煉瓦の村へ走っていった。
重症のためほとんど歩く事が出来ない巨体のカルロスを二人がかりで支えながら移動するため、速度は遅い。急な斜面を昇りながら、アルは轟々と燃え盛る粗雑な馬鹿共のアジトの方から何か土砂崩れのような音が聞いた。意図せず、そちらの方を向く。煉瓦で出来た家の屋根がずっぽりと抜け落ちている。
「…っ!」
真っ赤に燃え盛る炎は、屋根が木材で出来ていた村を一瞬で覆い尽くした。小高い位置にいるアルからは煉瓦村の全貌が全て見える。村の入り口の周辺には紅い旗を掲げた軍隊が溜まっていて、それとは正反対に位置する裏口からゼノスの指示によってほとんどの住人が逃げ出している。
しかし、その中で一人だけ村の中央に取り残されている子供が居た。
──あの子は。
子供は完全に火に取り囲まれ、行き場を失っているように見えた。そして頭首であるゼノスも誘導に必死で子供が取り残されている事には気がついていない。
「アル!何やってんだ!はやく来い!」
歯を食い縛りながらカルロスを支えているユウヤが、のろまな従者に苛立つように叫んだ。それを聞き流しながら、アルは必死で子供を助ける経路を探していた。あのままでは子供は焼死してしまう、自分に水を組ませてくれたあの子供が──。
「アル…っ」
このまま逃げてしまえば、身の安全は保障されたも同然だ。それに自分をここまでぼこぼこにした粗雑な馬鹿共の仲間を助ける義理はどこにある?軍事同盟も結べていない。
ふと、諦めかけた自分に気がつき、アルは奥歯を噛み締めた。
そういうことじゃないだろう!義理だとか、同盟だとか──関係ないんじゃないのか?非力な子供が死にかけているんだ……
「…くそっ!」
「ゼノスさん!ゼノスさ…げほっ」
降りかかる火の粉によって腕は火傷してしまった。セスは必死に頭を腕でかばいながら、逃げようともがいていた。大文字のような業火は刻一刻と勢いを増し、自分に迫ってくる。徐々に追い詰められていく精神に、怯えながらも、必ずゼノスが助けてくれると信じていた。
……あのときだって。
両親に捨てられ下級盗賊達にボロ布のように扱われていた自分を助けてくれたのもゼノスだった。近くの家が凄まじい音を立てて倒壊し、周りの炎が酸素を吸い込み、巨大化する。じりじりと身を焦がすような高音に晒され、セスの子供特有のきめ細かい肌は真っ赤になっていく。
「ゼノスさ…」
息を吸うたびに、熱気が肺に入り込み痛む。言葉を発する事も出来なくなったセスはその場でしゃがみこんだ。からからになった喉で、必死にその名を紡ぐも、すでにセスの体力は限界に達していた。霞んでいく視界の端で、セスは誰かの影がうごめくのを見た。
(ああ…やっぱり──)
真っ暗になった視界だが、セスは自分が誰かに抱きとめられるのを感じた。微笑を浮かべたまま、意識の隅っこで感謝を告げる。必ず自分を助けてくれる、正義の象徴の男の姿を。
アジトの方からは激しい熱気が伝わる。草と草が擦れる音がして、四人は獣道すらもない林の中を一気に下っていく。
「アルは、アルはどうするんです!?」
びしびしと体中にあたる小枝にイラつきながら、ヘンリーは先頭のベルナに聞いた。ベルナは険しい表情でヘンリーを見ると、走る速度を強めた。
「今は紅い闘牛から逃れる事が最優先だ!」
訳が分からないヘンリーは後ろを振り返った。ひたすら林が続いている。アルが追ってくる気配はない。
「置いていくつもりですか!」
ずり落ちそうになるカルロスの肩を持ち直しながら、ユウヤが必死に叫んだ。それを聞いたベルナは苦悶の表情を浮かべ、しかし大声で返した。
「置いていくものか!アルは…アルは!」
林を抜け、開けた場所に出た。二日前、アル達が野宿をした場所だ。燃え落ちた薪が黒こげになり残っている。走り続けようとするも、突然ベルナが立ち止まるので皆足止めを食らう。
「どうした──」
ユウヤが声を荒げるも、次の瞬間にはその顔には笑みが浮かんで居た。そこには、黒い制服を焦がし袖が焼け落ちてしまっているが、いたって健康そうなアルが立っていた。それを見た瞬間、ヘンリーの目から洪水のように涙が滴り落ちた。全員が無言のまま、しかし確りと意思を疎通しあう。ベルナは上手く言葉を紡げないでいたが、ようやくいつもの余裕を取り戻して言った。
「……さぁ、戻るぞ」
ようやく自分が納得する話をかけました…自分が楽しみ、自分が納得する作品じゃないとやっぱりだめですよね^^;前のは納得できないので消去しました。