第四章:【1】
少々流血シーンがあります。苦手な方はご遠慮ください。
幸いにも、天候に恵まれアル達を乗せた帆船は最短の3日で航海を終え、目的地であるバトス港に着いた。動物の毛皮で作った寝袋や、多量の乾パン、飲み物であるチュレルを擦り込んだ液体を入れた皮袋──などなど、様々な荷物を帆船から降ろすと、ベルナは船長にお金を払った。
「いい航海だった。礼を言う」
すると船長は気後れ気味に金を布袋へ収納して、帽子のツバを摘んで一礼をした。
「いいえ…しかし、気をつけてください。ここいらの盗賊は、本当に野蛮な連中ばかりです。私どもも数年前連中に襲われまして、リノへの物資を根こそぎ奪われました」
それを聞いたベルナは、苦悶の表情を浮かべ、地面に置いていた巨大な皮袋を持ち上げた。
「そうか…私はここ数年アゼルに帰ってきていないからな──そこまで状況が悪化しているとは、思いたくないが」
船長は盗賊を警戒しているのだろう、周りを見回した後、いそいそと乗組員に指令を出し、帆船を動かし始めた。
「では、また3日後の日が暮れるほどに伺います。そのときに旦那の姿が見えない場合は──」
ゆっくりと動く帆船を見ながら、ベルナはくるりと帆船に背を向け歩き始めた。
「ただちにケルディアへ戻り、ティア嬢にその事を伝えろ」
ベルナにつられて、アルやユウヤ、そしてヘンリーとカルロスも歩き始める。それぞれが、帆船を降りた瞬間から険しい顔つきになっていた。特にアルの顔は緊張しきり、その指はもう既に愛剣の柄に添えられている。盗賊を警戒しているのだろう。
「……もっとも、私がティア嬢を残して死ぬ訳がないがな」
ぼそりと、ベルナが自信たっぷりの顔つきでそう呟いた。
バトス港には人気がなく、退廃した町並みだった。港に止まっている船で、稼動しているのは一隻も見当たらない。全て腐敗し、真っ二つに甲板が割れているか、プカプカと浮いているだけしかない。昔は恐らく活気があったのであろう、煉瓦や石垣で造られた家々は、整備されていない為ひび割れ、風化し、崩れかけている。
「ひっでぇもんだな…」
カルロスが、街の一角に放置された荷車の中の小魚を突付く黒い鳥達を見ながらぼやいた。アルはおどろおどろしい街の風景にますますデュランダルを握り締める。
「しかし、人っ子一人いないとは……少しおかしくないかい?」
喉が渇いたのか、ヘンリーが薄い四角形型の容器の仰ぎ、液体に濡れた口をぬぐいながら言った。それを聞いたユウヤは鋭い目つきで左右の家々に視線を走らせる。
「──」
次の瞬間、突然五人の足元に複数の矢が突き刺さった。思わず、条件反射でアルは一歩下がった。すると両脇に聳え立つ家々の屋根から複数の黒い影が現れた。
「これはこれは──世にも悪名高い"黒い狼"の方々ではありませんか?」
その男は太陽の光を背に受け、完璧に全身を影に覆われていた。アルは目を細めながら、男の容姿を見定めようとした。簡単な木綿で出来た服装、剥き出しになった二の腕には腕輪が嵌めてある。腰から背にかけて布をねじる様にして吊るしてある。
「悪名高いとは人聞きが悪い。貴様らは、盗賊だな?」
ベルナは剣を引き抜きながら、全反射をする太陽に目を細めた。男はくつくつと笑うと、持っていた何かを持ち上げた。アルが、それを三日月型の弓矢だと認識した瞬間、今度は多量の弓矢が両脇から飛んできた。
「っ!」
アルは慌てて地面を蹴り、塩のこびりついた民家の壁に背を押し付けた。暑さだけではない、嫌な汗が背中を伝い落ちる。他の仲間を探すも、皆姿がなかった。
「…光の照らす内から盗賊の住処に姿を現すとは、黒い狼は随分間抜けな獲物だな」
アルは自分のすぐ上の屋根から男の声が聞こえたので、思わず足が震えた。なにせ盗賊等という連中と、今まで一度も闘ったことがない。しかも相手は、弓矢の使い手だ。どう闘えばいいのか、一切検討がつかないため、アルは生唾を飲んだ。すぐ近くで物音がしたので、アルは思わず産毛が逆立った。横を見ると、そこには痩せた男が立っていた。動きやすそうな木綿の服は所々継ぎ接ぎで、目は血走っている。男は両手に握ったナイフを舌なめずりしながら、アルに近寄った。さらに、再び後ろから砂が擦れる音がして、二人目の盗賊が迫っていた。
「……!」
アルがデュランダルを構えると、盗賊たちは嘲るように笑った。
「随分と良い剣を持ってるんだな小僧…!高く売れるぜぇ」
突如男はナイフを投げ、アルが素早くそれを避けると、その隙に背後に居た他の盗賊がアルの胴体目掛けて蹴りを入れた。
「カハッ…!」
間近の殴り合いになれていないアルはその一撃をもろに腹部に喰らい、逆流した胃液を吐いた。さらに盗賊はにやつきながらアルの頬を殴り、ナイフをアルの首元に押し付け、意地汚い声で囁いた。
「──残念だったな小僧…もう少し楽しめるかと思っていたけどよぉ…案外」
アルは朦朧とする意識の中で、愛剣の力強い柄を握り締めた。
「黒い狼ってのも、弱いんだな?」
瞬間、男の悲鳴が路地に響き渡った。緩んだナイフに、アルは素早く横転がりをして距離を保つ。痩せた盗賊の腕を、一本の弓矢が貫いていた。
「うぐ…っ…あ、誰だ!?」
男は矢の棒部分を掴み、勢いよく引っこ抜いた。鮮血が乾いた土に滴り落ちる。未だ反応が鈍いアルは、走ってきた誰かに腕を捉えられそのまま走り始めた。慌ててアルが横を向くと、そこにはヘンリーの姿があった。
「ヘンリー…!?」
「喋るな、早く走れ!」
言われ、アルは短く息を吐き深く吸い込んだ。そして自分達が走り抜けた後の道筋にヒュンヒュンと弓が突き刺さるのを尻目に、家々の連なる道を抜け広場の様な場所に出た。
「今僕達を追ってきている敵の数はせいぜい五人、大部分はベルナ団長やユウヤ、カルロスが相手をしている。頭首らしき男もだ」
「じゃあ、オレ達は五人倒せばいいんだな!?」
頷いたヘンリーは急に振り向き、背に背負っていた矢筒から素早く矢を取り出し、弓の弦につがえた。そして力の限り引き絞り、追いかけてくる盗賊めがけて放った。
「ぎっ!」
盗賊の一人の首に矢が刺さり、倒れこむのが見えた。それに自信をつけたのか、ヘンリーは次々と矢を放った。盗賊たちはばたばたと倒れ、やがてアル達を追いかけてくるものは居なくなった。
「……ふぅ」
安堵のため息をつくヘンリーを見て、アルは全く出番のなかった愛剣をおずおずと鞘に収めながら尋ねた。
「ど、どうして弓矢がそんなに上手いんだ?騎士団の練習では一回も弓矢の訓練なんかないはずだろう?」
擦れた指先をみながら、ヘンリーは首を傾げて答えた。
「さぁ?僕にも分からないな……まさか、自分に弓矢の才能があったとはね」
不敵な笑みを浮かべるヘンリーを見て、アルはつくづくこの少年が自分の仲間でよかったと思った。
「さぁ、団長達の加勢にいこう。もしかしたら、もう決着はついてるかもね──」
そう言い、再び走り出したヘンリーをアルは慌てて追いかける。それにしても……予め通知されていたとはいえ、アゼル大陸に着いてすぐ襲われるとは。治安の悪さに呆然としながら、自分達がこれからしようとしている、"アゼル一の盗賊の住処に乗り込む"という無謀な行為に気が遠くなった。