第四章:それぞれの旅
アルは荷物を帆船に積み終え、海と空の境界線に美しい太陽が沈んでいくのを見た。空は全体に細切れの雲が伸び、それが夕陽で赤く染まり──海鳥が鳴きながら、頭上を通り過ぎていった。思わず、この世界の宝物は、この光景だろうと思う。
「よし。荷物は全部積んだな?」
閉じてあった帆を開き終えたベルナは、マストからヒョイと顔を出して言った。
積荷リストにチェックを入れていたヘンリー・ヒューが返事をする。
「はい。団長、全て積んであります。出発しましょう」
ヘンリーが羊紙皮を丸めながら、微笑んだ。甲板で、バーニー・カルロスが仲間たちと熱い抱擁を交わしていた。
「頑張れよ!絶対、粗雑な馬鹿共を仲間にしてこいよな」
仲間の一人が、"自分の分も"と熱情をカルロスに伝える。
「ああ。もちろんだ。俺に出来ないことなどない」
カルロスは薄ら笑いを浮かべながら仲間と握手をする。
「その息だ!」
アルは巨体のモヒカン男のどこからそのような自信が湧いてくるのか不思議だったが、勇ましい顔つきに背中に背負った長い槍を見て納得する。騎士にも関わらず槍を使う者は総じて実力のある者が多い。
「アル」
呼ばれ、振り返るとそこにはエレスとクリフが居た。クリフは格別──普段と変わりなく笑顔を浮かべていたが、エレスのほうは膨れっ面になっていた。
「……どうしたんですか、エレスさん」
甲板の端までにじり寄り、極力港に居るエレスと話しやすい距離でアルは言う。エレスはアルの顔をじっと見て、すぐに目を反らし──また見るという仕草を繰り返していたが、ようやく言葉がまとまったのか、その口を開いた。
「粗雑な馬鹿共は、血気盛んな人たちの集まり。くれぐれも、殺されないように」
それを聞いたアルは、自らの身を案じてくれているエレスに嬉しくなり、思わず笑みがこぼれた。
「分かっています。エレスさんも、気をつけてください」
「……あぁ」
俯くエレスを見て、別に今生の別れじゃないのに、とアルは思った。しかし、ふと──もしこれが彼女と交わす最後の言葉になるとしたら。そんな考えが頭をよぎり、慌てて首をぶんぶんと横に振る。
…そんなことが、あってたまるか。
「出航だー!早く降りろ!」
騎士団じきじきに手配した帆船の乗組員が船と港を繋いでいた縄を解くと、途端に強風が吹き帆がはためく。甲板でカルロスと握手を交わしていた黒い騎士の一人が慌てて港へと飛び降り、それを見たカルロスが豪快な笑い声をあげた。
「じゃあなー!」
どんどん港から離れていき、カルロスとアルは互いに身を乗り出すようにして手を振り続けた。ベルナは操縦士とこれからの航海の行く末を話し合っている。ヘンリーは素早くブリッジの部分によじのぼり、双眼鏡を覗いている乗組員にいろいろ尋ねている。彼らは寸分も、自分達が粗雑な馬鹿共に殺されるとも思っていないらしく、港の仲間達にはあまり未練がないのだろう。
点の様に小さくなった港の人たちを見終えた後、アルは何をしようか迷った。カルロスは甲板の上であぐらをかくように座り込み、帯剣していた剣や槍を丁寧に磨き始めた。自分の世界に入ってしまったカルロスに話しかける訳にもいかず、アルも渋々甲板の上に腰を降ろし暮れ行く空を眺めた。
「何日程でアゼルに着く?」
ベルナは地図を覗き込みながら、操縦士に尋ねた。見るところ中年ほどの小太りの操縦士は帆船の操縦には長けていて、乗組員も優れているらしく、帆船はぐんぐん速度を増した。空は夕陽が沈みきり、一気に暗くなり始めていた。
「そうですね……ここから南東に下ったところにあるバトス港を目指すと、早くて3日、遅くて5日程度でしょうか。しかしあの港周辺には盗賊まがいの連中も大勢居ますが……」
それを聞いたベルナは少し警戒する素振りをみせたが、一刻も猶予がないのを思い出しすぐに了解した。
「かまわない。一番早く着く経路で頼む」
「……分かりました」
操縦士は即座にマスト・ブリッジ・甲板にいる乗組員たちにその意思を伝え、帆船を風に乗せた。
「──い、おい。起きろ」
「……ん」
アルは誰かにこづかれて目を覚ました。しかし何も見えない──それもそうだろう、明かりのない夜の海では、自分の周囲を確認するだけでも精一杯だ。
するとすぐ隣で何者かの気配を感じた。思わず帯剣したばかりのデュランダルに手を伸ばすも、すぐにそれは信頼すべき相手だと気がつく。
「ヘンリー、何してるんだ?」
ヘンリーは片手にランプを翳していたから、アルは安心して彼の元へ近寄った。だいぶ目も慣れてきて、少し後ろにカルロスが居るのも確認する。
「……アル、見ろよ」
そう言われて、アルは何の事かと思った。ヘンリーが指差しているのは、そうやら空のようだった。寝起きで甲板の木の板しか見ていなかったアルは、夜空を見上げて、思わず言葉を失った。
一面の星空が、アルの頭上に広がっていた。ケルディアでみるよりも、ずっと澄み切った夜空だ。アルは宝石よりも美しい聖なる輝きに目を奪われ、しばらく何も言葉を発せられなかった。真っ暗な──漆黒の空に、無数の星がきらめいている。黄色な砂がキラキラと零れおち、穢れのない光となってアルたち一行の頭上に降り注ぐ。
それはヘンリーも同じのようで、その切れ長の目を輝かせて一心に空を見上げている。
「あれ、おおかみの星座だぜ」
ふと、いつの間にか甲板に出てきていたユウヤが双眼鏡に目をくっつけながら言った。それを聞いて、アルは目を見開きながらその星座を探す。
「三つ、強い光を放つ星があるだろ?あれが目印だよ。あれの南東を見ていくと──星と星を繋ぐと小さな、犬みたいな形が浮かぶ星座がある」
「あっ!」
思わず、アルは声をあげた。指示されたとおりに視線をずらしていくと、本当に犬のような形の星があったのだ。星が、人間が思うように光るはずがない、しかし──見れば見るほど、星達は様々な形を作り光を海上に落とす。なんとも不思議で──美しい光景がそこにはあった。
「……綺麗だ」
ヘンリーは掠れたような声でそう呟いた。
困難が待ち受ける旅でも……感動するようなことはある。そう思って、アルは微笑んだ。
満点の星空……夏には風流ですよね。書きながら、すいかでも食べつつ星空観察しようかな…と思いました笑"