第三章:【6】
少々流血シーンがありますので、苦手な方は見ないようにお願いします。
ストロング・ヒル。強風が吹き荒れるこの緑の丘は代々黒い狼の騎士たちの決闘場所だ。
そして今も決闘が行われようとしている。アルとテーラーは両方馬に跨り、凄まじい闘志を剥き出しにしている。まだ自分の剣を授かっていないアルのために、両者同じ剣と同じ盾を使用する。
さらに二人のどちらかが逃げ出せないように、周りの観客達はぐるりと周りを囲んでいた。娯楽を禁じられた騎士たちの唯一の娯楽は、このような決闘だった。何人もの騎士たちがどちらが勝つか賭けをしている。審判役のベルナは片手を振り上げ叫んだ。
「これより、決闘を開始する!観客は一切の干渉を禁じ、勝敗は相手を馬上から叩き落した方が勝ちとする。では、両者前へ」
ゆっくりと馬を歩ませ、アルとテーラーは対峙した。そしておもむろに剣を掲げ、先を触れ合わせると一礼をする。ねっとりとした視線を絡ませあい、再び距離を取る。その微妙な空白のうちに頭部に鎧を被り、二人の男は構えた。
「テーラー!そんな少年に負けたら、末代までの恥だぞ!」
興奮した一人が野次を飛ばし、それに呼応するかのように全員が拳を突き出し喚き始める。テーラーは雑念を切るかのように剣を斜め下に振り下げた。
「うるさい!言われなくとも分かっている!」
アルはそんなテーラーの様子を鎧の隙間よりじっと伺っていた。自分の息遣いが妙に響き、ドクドクンと心臓が脈打つ音しか聞こえなくなっていく。神経を集中させ、目の前の敵のみに焦点をあわせる。右手に持った盾は重いので腕だけでなく首からベルトで吊っている。
すぅ……とアルは手綱を握り締め、自分の馬の首を撫でた。初めて乗る馬をどれだけ上手に乗りこなせるか、それも勝敗を分ける要因になりそうだ。馬の耳が、アルから放たれる青い炎のような闘志に反応し後ろに伏せられた。
どちらが先に仕掛けるのか──その場の全員を固唾を呑んで見守る中、我慢の限界を超えたテーラーが一気に掛け声を挙げ馬が走り始めた。それを見たアルも力強く馬の腹を踵で蹴り突進した。
互いに土塊を巻き上げ、瞬きをする暇もない速さで衝突した。剣から火花が散り、馬が嘶く。寸分の隙も見せず、テーラーは剣を振り上げアル目掛けて垂直に落とした。素早く盾でそれを回避したアルは、すれ違う様になった馬を振り向かせテーラーの馬がこちらを向かないうちに剣で突く。しかし軍衣を貫通したかのように見えた剣先はテーラーの纏った鉄衣に阻まれ、逆に身を乗り出したせいで馬上のバランスが崩れる。それを見たテーラーはすかさずアルを落とそうと自らの馬を窮屈に回転させ一歩を踏み出す勢いでよれたアルの盾めがけ剣を突き出す。砂埃が舞い、美しい日差しが二人の男を照らし出す。
「──ぐっ!」
盾の中央より少し外れたが、テーラーの的確な突きにアルは鐙の上に立ち上がるようにして踏ん張った。常人なら鐙に力を入れれば入れるほどバランスは崩れるのだが、アルの馬術の素質は素晴らしく逆に足場を固めることになる。なぎ払うように剣を受け流し、テーラーの首元に剣先を向かわせる。思わぬ反撃にぎょっとしたテーラーは慌てふためいた。観客達は瞬きをする暇もなく一進一退の攻防に食い入っている。
次の時には、テーラーが喉の代わりに犠牲にした右腕に剣が突き刺さっていた。確りとしたその感触に、アルは身震いしながらも勢いよく剣を引き抜いた。血液が皮膚を伝いテーラーの右手の甲に流れ出す。それを見た観客からは怒号がはじけ飛んだ。
「何やってんだぁ!」
「情けないぞテーラー!それでも黒い狼の一人か!」
アルの戦いでの才能を認めたくない黒の騎士たちはテーラーの不甲斐なさを責める。それを聞いたテーラーは激痛が走る右腕を見ながら屈辱に打ち震えた。
「……絶対、殺す」
誇りを傷つけられた手負いの狼は牙をむき出す。テーラーは素人同然の少年に本気の殺意を見せ、それを感じ取ったアルはぐぃっと手綱を引き絞った。誇り高き精神は何も、テーラーだけの特権ではない、アルもまた、同じ誇り高き若狼だった。互いに唸り、体をぶつからせる。
「はっ!!」
血飛沫を飛ばしながら闘う二人の男を見ながら、半ば遊び半分で眺めていた騎士たちは皆目の前の死闘に目を見張っていた。自分達が侮っていたアルという少年は、なかなかに強い。テーラーが未熟な騎士だといえども、アルは未だに騎士どころか従士にもなっていない。つまり、目の前の少年は素質だけでテーラーと互角に渡り合って入るのだ。ベルナでさえ、アルの放つ凄まじい闘志と才能に興奮していた。
とんでもない、原石を見つけたものだ。
やがて日が昇り──闘いは終盤に縺れかかった。
「はぁ…っはぁ…っ」
肩で息をしながら、テーラーは目の前の少年に恐怖を覚え始めていた。体は痛み、汗は噴出し、眼下の馬は消耗し口角からだらしなく舌を出している。それに比べ、アルは自身の馬と一心同体になり未だテーラーを引きずり落とそうと躍起になり迫ってくる。底なしの闘争本能──……。自分の命を奪おうと突進してくるアルの剣に、遂にテーラーは悲鳴を挙げた。
「やめろぉ!!」
それを聞いたアルは瞬時に馬を止めた。その剣先は、テーラーが息をする度上下する喉仏を貫くまで後僅かという位置で止まった。
「や、やめろ……」
テーラーは彼の"死"よりも辛い"名誉が失われる"ことを選んだ。彼はアルの底知れない才能に、初めはおぞましいほどの憎悪と少しの畏敬の念を抱いた。しかし闘いをするに連れ増す熱気に、ひれ伏すしかなかった。しかし命乞いをされたにも関わらず、アルは再び剣を傾けて言った。
「誇りを捨てるような騎士は、オレの手で抹殺します」
そして剣を力の限り横一線に振った。
「──っ!!」
ドサリと、テーラーは落馬した。一部の騎士が思わず悲鳴をあげる。しかしよく見ると、テーラーは剣で切りつけられた訳ではなく、切れ味の悪い平たい部分で頭部を強打された事による脳震盪で気絶していた。そう、アルはテーラーを生かしたのだ。
テーラーは気絶しながら、アルと一対一で闘ったもののみに分かる、相手の闘志をも呑み込み燃やし尽くすような青い竜の火群に追い詰められていた。悲鳴を挙げながら、苦しそうに喘ぐも、拷問のような精神攻撃は止む事がない。
「勝負、ついた。テーラー・ウィルソンが落馬したため、この決闘アル・ライトの勝利とする!」
その瞬間、言葉を失っていた観客がわぁっと歓声を上げた。アルを認める賛辞の言葉を次々に叫び、ストロング・ヒルは一瞬にして"勇気ある若狼"を称える場所にと変貌していた。
ゆっくりと下馬をするアルに、ベルナは声をかけた。
「アル」
ベルナの呼びかけに、アルが遠慮がちに顔を上げた。
「素晴らしい決闘だった。これでもう誰もお前を見下すものはいまい」
「……はい」
アルの元気がないのに気がついたベルナは不審そうに眉を潜めた。
「──どうした?」
ベルナの凛々しい顔が近づき──アルは思わず唾を呑み込んだ。このままでは、自分の顔がかつてないほどに赤くなっていることがばれてしまう。初めて公式の決闘で勝った、その事が本当は泣きそうなほど嬉しい。綺麗なこの丘の真ん中で、腹の底から雄たけびを上げたいほどだ。しかし尊敬するベルナに、有頂天な自分の様子を見せたくないのだ。逃げるようにして無言で馬を引く。そんなアルの様子を見て、ベルナはなるほど、と納得していた。
(恐らく──アルは今夜嬉しくて眠れないはずだ。自分がかつてそうだったように…)
団長として、素直に団員を祝福してやりたがったが、明日は重要な叙任式が迫っている。その準備を城に戻ってしなければならない。その場で、立派な騎士にするのは、何もアルだけではないのだ。それに彼がティア嬢より授かるはずの物が、何より祝辞となろう。
そう気持ちを切り替えると、ベルナは騎士たちに何度も剣を触れ合わされているアルに苦笑しつつ、ストロングヒルを後にした。
次回のために補足しておきますと、叙任式とは
【見習いの期間を終えた少年達が騎士になる式】です。
叙任式に望める年齢は騎士団によってまちまちなのですが、一番早いのはアゼルの軍隊で15歳から叙任式に出る事が出来ます。
ケルディアは17歳で、アルベルトは20歳からです。この差は民の発育が関係しています。アゼルは15歳程度でも大人の体格をしているので、そうなった様です。
黒い狼では、本来少年の年齢は17歳になっていなければ叙任式を受けることはできません。しかし戦争直前という事から緊急で14〜16の見習いでも叙任式を受けることができます。