第二章:【5】
ようやく騎士団本部に着いたアルは、様々な木々の中でも最も高い強度を誇るウリンが城門に使われている事に気がつき気を引き締めた。今から自分が入ろうとしている場所は、"あの"黒い狼の本部なのだ。
気合を入れながら歩を進めるも、ふと門が上に吊り上げられたままになっている事を不審に思ったアルはまた両足を地面にくっつけた。
「……」
何か、何か嫌な気配がする。しかし今更──歩みを止める訳にはいかないのだ。エレスに真実が何かを聞くまでは。
そう覚悟を決め、アルは堂々と門下を通り抜け何部へ進入していった。すると中で数人の騎士がひそひそと何かを耳打ちしていたが、アルを見た途端その剣幕は険しくなった。腰に携えた自慢の剣を今にも引き抜きそうなほど腕に力を込めながら、アルを囲うように丸い陣形を取った。"黒い狼"の騎士、それも数人に取り囲まれ、まるで丸腰のアルは一気に肝が冷えるのを感じた。
「あ、あの──ちが」
「貴様、"白の羊"の者か!?どうやってリノへ侵入してきた!」
「白昼にも関わらず堂々と……!」
「ですから!違います!オレは」
「アル?何やってんの、こんなところで」
すっかりしどろもどろになっていたアルに救いの手を差し伸べたのは、エレスの素っ頓狂な声だった。涙目になりながらも、アルは一時停止している騎士たちの輪から脱出しエレスに駆け寄った。彼女の隣には思い出すのも忌々しいユウヤと、相変わらずの優しい笑みを浮かべるクリフ、と──後一人アルには見覚えの無い騎士が居た。目の覚めるような紅いの長髪に、男らしいがっちりとした輪郭、きりっとした眉、その紅い髪より清んだサンセット色の瞳。
「あれ、君は──」
男はアルを見るなり繁々と顎に指を当てた。自分が見つめられている事など露知らず、アルは命からがら、未だに早く鼓動する心臓を落ち着かせるのに躍起になっていた。
「……ひょっとして、先程の少年じゃないか!」
目を見開き、何か珍しい小動物を見るような目つきで、男はアルに向かって叫んだ。そう言われて、男に全く見覚えが無いアルは困惑するばかりだった。
「何ですか?もしやベルナ団長、アルと知り合いですか?」
エレスはまさかという物草でベルナとアルを見比べた。まるで接点がない二人が、いつの間に出会っていたのだろう。ベルナは自分よりも一回りほど小さな、まだまだ未熟なアルを見て、一抹の不安を覚えた。本部に来るということは、時期に始まるケルディアとの戦争にも、この少年を駆り出すことになるだろう……白い制服を着ていることから、恐らくケルディアより連れてきた少年だ。自分の母国と戦うには──まだまだ、時期尚早だと思われる。
「いや、ほとんど話していないがな、アル、とか言ったか?君──ほら、道で、危うく馬とぶつかりそうになっただろう?」
「あ、」
ようやく思い出したアルは、あのときの騎士が目の前にいるベルナという男だと気がついた。あの素晴らしい馬術の持ち主である騎士と、直に会えるとは──。密かに胸のうちで、自分の理想だと決め付けていた騎士にあえて、アルは一気に気分が高揚していくのが分かった。慌てて手の平をズボンに擦りつけ、そのまま握手を求める。
「あ、あの、お初にお目にかかります……オレ、アル・ライトと言います。凄かったです。あれほどの暴れ馬に乗れる人は、今まで見た事ありませんでした」
「暴れ馬って…アンルリィのことか?はは、そうか。嬉しいよ、私はベルナ・オルゲン。黒い狼の団長だ。よろしく」
太陽の様に熱く輝く笑顔と、ギュッと、固くつかまれた手のひらに、アルは烈しく心臓が脈打つのを感じた。凄い、凄い。こんな立派な人が"黒い狼"の団長。アルは自分の中で、"黒い狼"への忠誠心がぐんぐんと育っていくのを感じた。
「アル。わざわざ走って本部に来てくれたとすれば、非常に悪いのだが──我々はまた今からブラックホーリング城に戻る。もし君が私達の誰かに用事があるとしたら、済まないが、話は城に戻ってからにしてくれ」
「分かりました」
夢見心地であるアルは、自然にそう答えていた。それゆれ自らがどうしてもエレスに聞きたかった事は延期されてしまった。エレスはアルの様子に首をかしげながらも下級騎士達が用意した5頭の馬を見やった。その中には、愛馬である栗毛の牝馬、フォロウも居た。
「え、五頭って──アルも一緒に帰るのですか?」
「ん?何か問題でもあるかな?」
体が大きいにも関わらず、ベルナは身軽に愛馬・アンルリィに跨った。エレスも手綱を握り締め颯爽とフォロウに乗馬すると、ユウヤもクリフもそれぞれに愛馬に乗っているのを確認し、最後にアルも悠然と鹿毛の馬に乗っているのを確認した。
「アルはまだ騎士ではありませんよ。従士にもなっていません。そのような輩に、騎士団の馬に徒歩で十分かと」
反論しようとするアルを横目で見ながら、エレスは早速興奮し始めたアンルリィににやついているベルナを睨んだ。
「そうなのか?まぁいいじゃないか、彼だけ徒歩というのも、可哀想だろう?それに後に騎士になるのならば、これも訓練のうちだ」
自らを庇うような言葉を放ったベルナに、アルは益々尊敬の眼差しを輝かせた。
「しかし──」
「さぁ行くぞ!」
まだ食い下がろうとするエレスを半ば無視するようにして、ベルナは駆け出しはじめた。黒馬の性格を熟知したかのように、あまり馬にストレスをを溜めないやり方だ、アルはそう思い自分もじわりと馬の腹を圧迫した。
森の中を五頭の馬が疾走している、先頭はもちろんベルナの馬だ。一糸乱れぬ隊列で、馬達は走り続けた。最後尾に付いていたアルの馬に、ユウヤはほくそえみながら併走した。
「おい!」
轟々しい土を巻き上げる蹄の音に負けない音量で、ユウヤはアルに向かって叫んだ。アルは自分が負けた初めての相手であるユウヤは、どうも好意的に思えなかったので無視をする。それを見たユウヤはムッとした表情でそのまま呼びかけた。
「おーい!俺に負けたからって無視すんなよ」
「何を……っ!」
「お、ムキになった。お前誰の従士になるんだよ?」
いきなり胸糞悪い事を聞かれたものだから、うっとアルは息を詰まらせた。しばらく答えるか否かを考え、しかしどっち道ばれることなのだと鷹をくくって答えた。
「貴方です」
アルから放たれた言葉を上手く受け取る事が出来ず、ユウヤは思わず手綱から左手を離し自らを指差して聞き返した。
「俺?」
「……そうです」
間抜け面のユウヤを横目で見て、アルはつくづく、尊敬するベルナの元で従士をしたかったと思った。どうしてこのような性格の悪そうな男の下で鍛錬を積まなければならないのか。確かに技術面は優れているとは思うが──どうも、何か生理的に受け付けない。
「そうか……お前が…俺の従士……」
そう呟いたユウヤの声は、妙に暗かった。アルは、ユウヤだって、自分のような生意気な従士、いらないだろうと思った。どんどん開けていく森の木々を見ながら──いざとなれば、ティアベルとかいう少女に言って、従士の組み合わせを変えてもらえばいい、そんなことまで考え始めていた。嫌な奴とは付き合わない……それがアルのスタンスだった。
「……ふふ」
不意に聞こえた、堪えきれず漏れ出すようなユウヤの笑い声に、アルはぎょっとした。
「ふははは!さすが、ティア嬢も分かってらっしゃる!絶妙な人事だぜ……いいぜ、お前が俺の従士。叙任式はいつだ?」
一気にまくし立てられ、反射的にアルの口は動いていた。
「二日後です」
「そうか。後二日でお前が俺の従士になるのか」
何度もそのことを確認するように繰り返すと、ユウヤは口角を上げて何かを企んでいる表情でアルを見据えた。一心に自分を見据える、今までアルが会ったことのない様な強い眼差しがそこにはあった。熱い教育心と、悪巧みに満ちた眼差し。
「楽しみだ、お前をこき使えるなんてな」
「!」
一瞬でもユウヤに心を開きそうになっていた自分にアルは嫌悪した。こき使うだと、やはりユウヤは性が悪い男だ。
……しかし、自分が思っているよりは、この男は良い人なのかもしれない。一言で言えば、兄貴分、とでも言うのだろうか。そう思い、この男に付いていけば何かと楽かもしれない、という打算的な気持ちも浮かんできた。
(仲間も欲しいしな……)
次の瞬間、緑の量が少なくなり一気に視界が開いた。遠くにリノの街の入り口が見えた。隊列は減速しはじめる。
「……おい」
「……」
呼ばれてアルは横を睨んだ。
「…ぶすっとしやがって……挨拶もなしか?」
口をつぐんで、思わず視線をそらす。
何秒かして、アルは雑然とした気持ちを胸から追い出すように深いため息をつき、再びユウヤを見た。国や大陸など関係なく、挨拶をすることは"常識"だ。
「これから、よろしくお願いします」
「お?何だ、やれば出来るじゃねぇか。未来の従士、こちらこそよろしくな」
そういい、ユウヤは絶妙な手綱裁きで愛馬の馬体をアルの方に近づけた。二頭の馬がぶつかる寸前まで馬体を合わせると、鐙と鐙がぶつかり、金属的な音がする。手綱から話した手を、ユウヤはすっとアルに向かって出した。それを見て、アルも素直に手を握ろうとするが、待てと制された。
「"黒い狼"の合言葉を、知ってるか?」
「??」
「知るわけねぇよな。じゃあ、教える」
そう言うとユウヤは手綱を持つ手を切り替え、腰の剣を引き抜いた。そして走る馬の上にも関わらず、やすやすと剣を空に掲げながらこう叫んだ。
「誇り高き黒の魂、恥じる事なき名誉の死、たぎる血脈は途絶えることなく!」
急に叫んだユウヤを、一馬身程先を行っていたエレスが振り返った。
「何いきなり合言葉を叫んでるんだ?」
訳が分からないとばかりに、エレスはゆるゆると剣を鞘に戻すユウヤを見た。
「いや、ちょっとこのガキに教えてやろうと思ってな」
それを聞いたアルはカチンときたのか、思い切り眉間に皺を寄せた。
「オレはガキじゃない!」
「あーはいはい、悪かったよ」
「それにオレはまだ "黒い狼"の団員じゃないんですから!そんなもの教えられても使いませんよ!」
「何だぁ?人が折角教えてやったのに……」
後ろで騒ぐ二人を見ながら、エレスはまた視線を前に戻した。
(…なんだ…随分仲良くなったんだな…二人とも)
それにしても仲直りするのが早すぎやしないか、とエレスは首を捻った。