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神を喰らう少年と、神に祈る少女  作者: 朽木 良平
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悪魔

 入学式の日、セイとダンは教会へとやって来た。

 他の新入生や在学生も、大勢寮へと入ってくるので、多くの人に慣れないセイは、戸惑いを覚えたものだ。

 入学式は教会で行われ、新入生、百五十人ほどが教会の中に入っている。

 とても大きいと思っていた教会だが、百五十人も入ると、やはり、少し狭く感じる。

 教会のドアには、これから所属するクラスが張り出されていたので、二人はその表から、自分の名前を探す。

「セイさんにダンさん」

 呼びかけられたので二人は振り向くと、そこにはイノがいた。

 セイ達は手を上げて答え、イノに近付いて行く。

「イノ。この人たちは知り合い?」

 イノの隣にいた少女が、イノに尋ねる。

「ええ、この町で知り合ったお友達です。とても良い人達ですよ」

 イノは微笑んで答える。

「へぇ~」

 まるで値踏みでもするかのようにセイ達を見てきたので、セイ達としては、あまり良い気分がしない。

「イノ。この人は誰?」

 セイはイノに尋ねる。

「彼女は私のルームメイトのシズミさんです」

「……シズミです」

 胡散臭い者でも見るような目を向けながら、投げやりな感じで言ってくる。

「セイです。……そして、こっちがダンです」

 セイが自己紹介をして、次にダンが自己紹介をするだろうと思ったのだが、ダンは何も言おうとしない。だから、仕方なくダンの紹介もしておく。

「よろしく」

 ダンは気の無い感じで言うだけだ。

「えっと、セイさん達は、入口で何をしていたんですか?」

 何だか気まずい雰囲気を察し、話題を出そうとイノがセイに尋ねる。

「ん? 扉に教会での座席と、これから所属するクラスが書かれているんですよ」

「そうなんですか。私達も見てきます」

 イノがシズミを連れて、扉に向かう。

「で、ダン。どうかしたんですか?」

 二人を見送ってから、セイは何故か不機嫌な感じになっているダンに尋ねる。

「ん? いや、なんか、あのシズミって女の態度が、なんかむかついてな」

 ダンはバツが悪いというような、情けない顔をする。それが、子供が拗ねたように見えて、セイは笑ってしまう。

「あはは、まぁ、確かに、あからさまに人を見下すような視線を向けて来ましたからね」

「だよな。マジでむかつくよな」

 ダンがセイの言葉に、我が意を得たりと顔を上げる。

「別にむかつきませんよ」

 しかし、セイの答えはダンの望むものではなかった。

「マジで?」

「ええ、自分のことをどう思おうと、結局、相手の自由ですから。それに、自分が見下されるのが嫌なら、より正しい人になれば良い」

「ったく、正論だよ。だけどな、人間はそんな正論だけじゃ、感情を納めることはできないんだよ」

「それは、若さですよ」

 セイが大真面目な顔で言うものだから、呆れ果て、シズミに対する怒りも、ダンはどうでもよくなってきたようだ。

「年なんて、そんな変わらないだろうが。――全く、俺達も行くぞ」

 ダンはそう言って、教会の椅子へ足を向ける。


 教会の席に着いてしばらくは、生徒達の声でざわついていたが、教生達が壇上に集まると、教会の中は静かになる。

 最も年老いた、一人の教生が、生徒達の前に立つ。

「新入生の皆さん。ようこそ。私はこの学校の学院長のクウガです」

 その後、学院長の有難くも堅苦しい話しが長々と続いた。

 生徒達の様子は自然、二種類に分かれていた。

 セイのように学院長の言葉を聞き流す者と、イノのように真面目に聞く者だ。

 おそらく、前者は神への信仰心が特にはない者で、後者は信仰の篤い者だろう。

 学院長の話しのほとんどは、神の素晴らしさを謳ったものだったからだ。

 次に前に立ったのはセイにも見覚えのある男だった。

「神父のアクシンだ」

 自己紹介をするアクシン。

「やっぱり、あの人が神父なんですね」

 隣に座るダンに小声で話しかける。

「ああ、会ったことあるんだっけ?」

「ええ、一度だけですけれどね。聖人なんですよね? 聖人なんて初めて見ますよ」

「そうだな。俺もだよ。確か聖人って、特殊な能力を持ってるんだよな。アクシン神父はどんな力があるんだろうな」

「ええ、本当にどんな能力なんでしょうね」

 聖人は特殊な能力を持っている。

 聖人によって異なった能力を発揮する、聖人自身の力と、神々がこの世界での行動を補佐する為に創り上げた、普通の人間には見えない神士と呼ばれる存在の能力を利用する力だ。

 二人が興味あるのは、聖人自身の能力。

 セイは首を傾げて、思いついたように手を叩く。

「そうだ、ダン。一つ、アクシン神父に向かって、大暴れしてみては?」

「してみては? じゃねぇよ。俺に死ねってか?」

「まさか。さすがに殺しはしないでしょう。五体満足ではないかもしれませんけど」

「絶対嫌だ。お前がやれ」

「友達を死地に送り込む気ですか? なんて酷い」

「いやいや、先に送り込もうとしたのはお前だからな」

 二人の声は次第に大きくなってきていた。

 周りが煩わしそうに見てくる。

「そこ。騒がしいぞ」

 アクシンの注意する声と共に、二人の脳天に、殴られたような衝撃を受ける。

「何だ? 今のは」

「今のが、アクシン神父の力なんでしょう」

 アクシンの力は衝撃波か、空気を操っているのかもしれない。

 セイは立ち上がり、頭を下げる。

「申し訳ありませんでした」

「お前達は、人々の推薦で来たんだろう? 人の期待を裏切るな」

「はい」

 セイは頷いて、席に付く。


 入学式が終わると、各自、教室に案内されて、セイとダンは教室へと行く。

 同じクラスには、イノやシズミもいた。

イノはセイに気付くと、嬉しそうに近付いて来る。

「良かった。同じクラスだったんですね」

「ていうか、あんたらは何してるんだか」

 隣でシズミが呆れたように見てくる。

 入学式の時のことを言っているのだろう。

「まあ、あれはちょっと反省です。でもね。私はある意味満足しています。聖人の力って奴を、この身で受けることが出来たんですから」

「……マゾ?」

 シズミが変態を見るかのような目で見てくる。

「俺は違うからな」

 隣に立つダンは、同類だとは思われたくはないと否定する。

しばらくして、教生が教室にやってくる。

「はい、皆。席に付いて」

 生徒達が席に付いたのを見届けると、教生は授業の説明をし始めた。

 今日のほとんどは、学校の案内や校則の説明だけで終わるようだ。


 次の日より、本格的な授業が始まった。

 数式と歴史、そして色々な技術や技法を教えられた。

 セイにとって、新しいことばかりだった。

 数式や歴史には、習ったものもあったが、それでも、自分の持つ知識より、奥深い。

 そして、技術や技法に至っては、知らないことばかりだ。

 知らないことを知る。

 それはセイにとって何よりも楽しかった。


 一ヶ月ほど経ち、セイ達は学校での暮らしに慣れ始めた。

 授業が終わると、教会で祈りを捧げた後、学校の図書室に行くのが、セイとイノの日課になっている。

 セイが教会に行くのは、イノに付き合ってで、セイだけ先に、図書室に行くことも半々くらいにある。

 二人は、本当は町にある大きな図書館に行きたいのだが、授業が終わってからどんなに急いで行ったとしても、一時間もしないうちに閉じてしまう。

 授業は午後四時に終わり、町の図書館は午後五時に閉まる。そして、町の図書館に行くのに三十分もかかるのだ。そんな短時間では、本を選んで読み始めたところで、閉まってしまうことだろう。だから、六時まで開いている学校の図書室にセイは行く。

 学校の図書室も、教室三つ分の大きさで、小さいわけでもない。

置いてある本も、ほとんどが読んだことないものばかりだったので、二人にとっては十分満足できるものだった。

 二人が本を読んでいると、図書室にダンがいることにセイが気付く。

「珍しいですね。ダンがいますよ」

 セイがイノにダンがいることを教えると、イノも珍しいと言わんばかりに驚く。

「何をしに来たのでしょう?」

 イノが首を傾げる。

ダンが読書をしている印象が無いので、率直な疑問を言ったのだろうが、結構、失礼なことを言っている。

 ダンはまだセイ達に気付いていないのだろう。

 キョロキョロと、目的の本棚を探しているのだろう。

「勉強の資料ですかね?」

 イノは思いついたことを言ってみたようだ。

 ダンは見た目の粗暴さから、想像できないが、かなり優秀な部類だ。セイが一生懸命勉強しているにも関わらず、ダンの成績に勝ったことはない。

 部屋でも勉強しているところも、あまり見ない。テスト前に一夜漬けするくらいだ。

「むぅ、努力してないと言いながら、裏では必死に努力しているという例のアレですか」

「その例のアレっていうのがよくわかりませんが、そんな感じでしょうか? と言うか、それって嘘ってことですよね。嘘はいけません。嘘は災いを呼びます」

 なんだか、使命感に燃えたイノと共に、二人は、ダンの行き先を見ていると、一つの棚で立ち止まる。

「思いっきり創作物語の書籍コーナーに行きましたね」

「例のアレではなかったみたいですね。良かったです」

 ダンが嘘を吐いてたわけではないと、イノはホッとため息を吐く。

「ちょっと、呼んでみますね。――おい、ダン」

 セイは立ち上がり、ダンに呼びかける。

 静かな図書室にセイの声が響き、他の利用している生徒達が迷惑そうな顔を向けてくる。

「セイさん。図書室では大きな声は駄目ですよ」

 イノは恥ずかしそうに顔を赤く染める。

「そうなんですか? まぁ、今度から気を付けます」

 何故大きな声を出してはいけないのかわからないながらも、イノが本気で嫌がっているのは感じたので、セイは素直に承諾する。

「恥ずかしい奴め」

 いつの間にか近付いて来ていたダンが、顔を顰めて言う。ダンも相当恥ずかしかったのだろう。

「ああ、ダン。図書室に顔を出すなんて珍しいですね」

 全く気にした様子を見せずに、セイはダンに話しかける。

「まぁな。調べものだ」

 ダン自身、図書室にあまり来ないことを自覚しているので、自嘲気味に肩を竦める。

「いったい、何を調べているのですか? 良かったら手伝いますよ」

 友達の手伝いが出来るチャンスとばかりにイノが提案する。

 ダンはイノの申し出を喜んで受け入れる。

「助かるよ。演劇にやる良い物語とかないかな?」

 ダンの言葉に二人は驚く。

「演劇ですか?」

「ダン。演劇をやってるのか?」

「あれ? 言って無かったか?」

 ダンは首を傾げる。

「ええ、聞いていません」

 イノは首を振って言う。

「聞いたかもしれないけれど覚えていません」

 セイは胸を張って答える。

「覚えとけよ」

 ダンはそんなセイに呆れたようにため息を吐く。

「まぁ、イノに話してなかったんなら話すけど、俺は昔から演劇が好きでな。良く親父に連れて行ってもらってたんだ。それで、いつかは自分も演じる側になってみたいってな」

 自らの子供の頃を思い出しているのだろう。そして、それは大切で優しい思い出なのだろう。ダンの瞳は今まで見た中で最も穏やかだった。

「だから、学校で仲間を募って、演劇をやってるんだ。とはいえ、まだ練習しかしてないけどな」

 自らの現状に苦笑するが、二人は笑う気はない。

 二人は演劇なんてやったことはないから、どれほど難しいものかもわからないし、夢に向かって、努力する人を、冗談でも笑うことは出来ない。

「そう言えば、町を案内してくれた時にも、お薦めって、劇場に連れて行ってくれましたね」

 イノは思い出したように言う。

今思えば、あの時のダンが一番生き生きしていた気がする。

「ああ、そうだな。いつかは俺もあの舞台に立ちたいんだ。無理かもしれないけどな」

「無理だろうね」

 セイはあっさり頷く。

「酷えな」

「そうです。酷いですよ、セイさん。ダンさんなら、きっと大舞台に立てますよ」

 ダンはセイの切り捨てたような言葉に、顔を顰め、イノは非難する。

「イノは演劇のことがわかるんですか?」

 セイが尋ねると、イノは心苦しそうな顔をする。

「いえ、……わかりません。けど、友達なら、励ますべきです」

「そうですね。でも、友達なら、無駄な夢を諦めさせるという意見もありますよ?」

「そんなのは、お節介です。人が夢に向かって努力する。それは、とても尊いことなのです」

「確かに。それでも、尊いだけでは生きてはいけないのも事実ですよ」

「……そうかもしれません。それでも、諦めたらその人の心には後悔が残ります。そんな人生は、悲しいです。セイさんにはそれがわからないのですか?」

「後悔はするでしょう。でも、他の道には悲しみだけではなく、喜びや楽しさは確かにあるんですよ。視野を広げればいくらでも見つけられます」

 イノの言葉がどんどん感情的になっていくのに対し、セイの返答はどこまでも淡々とした口調だった。

「おいおい二人とも、俺のことで喧嘩すんなよ」

 ダンが軽口を叩きながら二人を止めようとするが、イノが手を出してダンの動きを制す。

「ダンさん。邪魔しないで下さい。私はセイさんの根性を叩き直します」

「あはは、叩かれるのは勘弁して欲しいですね」

 セイは笑い、ダンの方に目線を向ける。

「それで、ダンは無理かもしれないと思いながらも、夢に向かって努力するんですか? それとも、諦めるんですか?」

「諦めないさ。やっと、夢が動き出したばかりだぜ。少なくとも、諦めるかどうか迷うのはもっと先のことさ」

「そうですか。では、頑張って下さい」

 セイは優しい笑みを浮かべる。

それは、ダンの夢への努力を歓迎したもので、イノは拍子抜けしたように、戦意を失っていた。

「セイさんは夢を追いかけるのに反対だったのでは?」

「そんなことないですよ。ダンには頑張って欲しいと思いますよ。イノ風に言えば、友達ですし」

「……えっと?」

 今までの意見との違いにイノは困惑する。

「良いですか、イノ。努力するかどうか決めるのは最終的に、ダン本人です。だから、私達が友達としてダンにしてあげることは、視野を広げることです。もし、夢を諦めた時に絶望しないように、他の喜びや楽しみもあるのだと、色んな選択肢を与えるんです」

「でもそれでは、他の道に目移りしてしまうのでは?」

「そしたら、その夢が、その程度の夢だったという話ですよ」

難しい夢ならば、いくつもの誘惑を打ち破り、努力しなくてはいけないのだ。他の楽な道に揺らぐようなら、それこそ早めに諦めた方が良いだろう。

「つまり、セイさんは、ダンさんの夢を試しているんですか?」

「ん? ちょっと違いますね。私はただ、演劇だけが道じゃないと言っているだけです。人間それしかないと思い込んでいると、上手くいかない時に、精神的に参ってしまいますからね」

 ダンはセイの言葉に呆れたようにため息を吐く。

「お前の意見は偶に、大人過ぎるよ。俺は、まだ、がむしゃらに夢を追っていたい」

「なら、無理かもとか言わないことですよ。言葉には力があると言われていますからね。無理とか言っていると、本当に無理になります」

 ダンは肩を竦める。

「それで、ダンさんはどんな物語をやろうとしているんですか?」

 イノは気を取り直して尋ねる。

「ん? そうだな。特に何を、とは決めてないんだけどな。大がかりなことは出来ないし、壮大な物語よりも、日常にありそうな話が一番なんだけどな」

「日常的な話ですか」

 イノは考える。

「この図書室にある物のほとんどが神の素晴らしさを讃えたものばかりですね」

 セイは本棚を見ながら言う。

「神を讃えたものか」

「ええ、アクション者でなければ、……皆の祈りに答えて、神が願いを叶えるってパターンの本が多いですよ」

 実際は自分達がどんなに祈ったところで、神々が助けてくれるとはセイには思えないが、少なくとも教会はそう信じている。

「あんまり、気が乗らねぇな」

「そうですか? 私は素敵だと思いますけど」

「なんて言うか神を賛美した劇なんて、ありきたりで、誰もがやり尽くしているからな。俺はもっと、独創的な話しにしたいのさ」

「なら、自分で話しを作ってみては?」

 セイの言葉に、ダンは眉を顰める。

「いや、それは考えたが、残念ながら仲間の中に、文才のある奴がいなくてな。俺を含めて」

 イノは思いついたように手を叩く。

「それなら、シズミさんに手伝ってもらってはどうですか?」

「シズミに?」

 セイとダンは首を傾げる。

「そうです。シズミさんは作家志望なんです」

「へぇ~、作家志望なんだ」

「ええ、部屋で良く、話を書いています」

「でも、あいつ、男嫌いだろう? 頼んでも断られるんじゃないか?」

 ダンはシズミの普段の態度を思い出す。

シズミは女友達とは楽しそうにしているのに、男が話に加わると、途端に嫌そうな顔をして、無口になるのだ。

「そんなの関係ないですよ。いつか、大舞台に立つんでしょう? そのくらいの障害乗り越えなさい」

 セイは面白そうだとダンを煽る。

「そっか。そうだな。頼んでみるよ」

 ダンは頷き、図書室から出て行った。

「全く、慌ただしいですね。今急いで行っても、シズミは取り合わないと思いますけど」

 セイが呆れた顔をする。

「そうですね。シズミさんは部屋にいると思いますし、ダンさんから電話があっても、声を聞いた途端、切りそうな気がします」

 イノの言葉に、セイは頷く。

「私は切られます」

 セイがイノに電話した時に、シズミが出て名前を名乗った途端、電話を切られたことが何度もあった。

 イノは思わず苦笑してしまう。

「さて、もう図書室も閉まってしまいますね」

 セイは図書室に置いてある大きな時計を見て言う。

「そうですね」

 イノは頷いて、立ち上がり、読んでいた本を棚に戻す。

机に置いておいた荷物を取りに戻ると、机の下に人形が落ちていることに気付く。

「誰のでしょうか?」

 イノは首を傾げながら拾い、人形を眺めていると、同じ様に棚に本を戻してきたセイが、人形に気付く。

「ああ、それは私のです」

「セイさんのですか?」

「ええ、村の子供がくれたんですよ。お守り代わりにって」

 それを聞いて、イノはなんだか微笑ましい気持ちになる。

「それは大切なものじゃないですか。落としたりしたら駄目ですよ」

「ええ、面目ないです」

 セイは頭を下げる。


「なぁ、シズミ。お前、作家志望なんだって? 俺は演劇をやってるんだけど、話しを作ってくれないか?」

 やはり、昨日は電話を切られたらしく、次の日の休み時間にダンがシズミに頼みこんでいた。

シズミはイノを睨みつける。

「イノ。あなた、私のことを話したの?」

 イノはシズミの威圧にたじろぎながらも頷く。

 シズミにとって、知られたくないことだったのかもしれない。

 シズミはため息を吐いて、ダンを見る。

「作る気はないわ」

「なんでさ。作ってくれよ。俺、お前の話し大好きなんだよ」

 シズミの素っ気ない答えに、ダンは喰い下がろうとする。

「好きって、読んだことないでしょうが」

「そうだけど、きっと好きなはずだ」

 笑顔でそんなことを言ってくるダンにシズミは苛立ちを覚えているようだ。

「適当なこと言うんじゃない。私の作品を知らない癖に」

 突然怒鳴られたので、ダンは面食らった顔をする。

「そうですよ、ダン。シズミだって、誇りを持って作品を作ってるんです。適当な判断は駄目です」

 ダンが困惑していると、背中からシズミに同意する声が聞こえた。振り向くと、それはセイだった。

「セイ」

「だから、シズミ。読ませて下さい。ちゃんと判断しますから。好きかどうか」

 セイはシズミに視線を移し、笑顔で厚かましいことを言ってきた。

「……女の作る話なんて、面白いわけない。ナヨナヨとして下らない話だ」

 シズミの言葉に三人は首を傾げる。いきなり何を言いだすのだろうか?

「それが、私の作品を読んだ男の感想よ」

 シズミの瞳には屈辱と怒りが込められていた。

 男女差別。

 そういった思考を持っている者は結構多い。神にしても、女神よりも男神の方が多い。

だから、教会は女性を軽視する傾向があり、教会を信仰している人も女性を軽視してしまうのだ。

シズミの男性不審はその、男女差別から来ているのかもしれない。

「なら、なおのこと読ませて下さい。私達は、女性だからという理由で、シズミの作品を卑下なんかしません」

 セイが真摯に言う。

「……わかったわ。そこまで言うなら読んでみて」

 シズミは根負けしたように、鞄から冊子を取りだした。


 午後の授業が終わると、二人は早速部屋に戻りシズミの書いた小説を読み始める。

 シズミの小説は、ミステリーだった。

 登場人物もはっきりした個性を持っているし、話の流れも自然に頭の中に入って来る。

 まぁ、謎も簡単だし、ご都合主義的な傾向もそれなりに強かったが、面白いとセイとダンは思う。

「良いじゃん。こういうのを劇でやりたいよ」

 ダンが読み終わった感想を言う。

「そうですね。話も小難しいわけではないし、劇にとても映えると思います」

 セイも同意する。

 力のない演技者、つまり、ダン達の劇は、ある程度単純な話の方が観客に受けると、セイは思った。

 難しい話を演じるにはそれ相応の演技力が必要だ。下手な演技だと、ただでさえ、話がわかり難いのに、更にわからなくしてしまう。

「だよな」

 ダンも自らの演技力を理解しているようで、素直に頷いた。おそらく、素直に頷いたのには、シズミの話を気に入ったという思いもあったのだろう。

「うん。絶対シズミに話を書いて貰おう」

 ダンはシズミに作ってもらおうと決意する。


「ということで、頼む」

 次の日の休み時間、ダンはシズミに頼みこんでいた。

「読んだの?」

 シズミが尋ねると、ダンは頷く。

「ああ、読んだ。面白かったぞ。なぁ、セイ」

「ええ、面白かったです」

 同意を求められたセイも頷く。

「俺はああいう話の劇をやりたい。きっと、シズミに書いてくれた話なら、良い劇が出来る。俺はそう思ったよ」

 シズミは俯く。

 照れているのだ。

 今まで、自分の話を褒めてもらったことはあまりない。

仲の良い友達だけだ。

 その友達の褒め言葉も、友達だからではないかとシズミは思っていた。

 しかし、ダンやセイは違う。

 二人がシズミに遠慮する理由なんてないだろう。

それも、ダン自身の夢である、演劇の話を作ってくれと頼んでいるのだ。つまらなければ、容赦なく切り捨てているはずだ。

 つまり、ダンは本当に面白いと思っていてくれている。

 シズミは考える。

 ダンの言うように、演劇の話を作っても良いのではないかと。

 実のところ、自分の作った話が形になるというのに、心惹かれもする。

「……わかった。作ってあげる」

 シズミは承諾することにした。すると、ダンは満面の笑みを浮かべる。

「ありがとう」

 ダンの素直なお礼の言葉に、シズミは男性不審も少しは直そうかな、と思う。


 その後、シズミは三週間ほどかけて、台本を作り、ダンは、それを劇にすると改めて、シズミにお礼を言った。


「そう言えば最近は、シズミさんも、ダンさんの劇団に参加しているそうですよ」

 図書館で本を読んでいると、イノが思い出したように言う。

 セイは時たま、何か言い争っている二人を思い出す。

 劇のことについて、語り合っているのかもしれない。

 シズミが台本を書いて、ダンに渡したのまでは知っていたが、そんなことになっているとはセイは知らなかった。

「それは、シズミも何かを演じるってことですか?」

「いえ、脚本と演出だそうです。なんでも、この前ダンさんの劇の練習を見に行ったらしいんですよ。それが、自分の思い描いていたのと結構違ったらしくて、指導し始めてしまったらしいんです」

 その姿を想像して、セイは笑う。

普段、無愛想なシズミが熱く語っている。それはとても珍しい。

「それだけ自分の話に、思い入れがあるってことですね」

 笑いが治まると、セイは感心する。

皆が夢を持って、行動している。それは凄いと思うし、酷く羨ましくもある。

「イノは、何か夢とかあるんですか?」

 ふと、思って、セイは尋ねる。

 イノは困ったような顔をする。

「ああ、何もないんですね」

 セイは勝手に納得するものだから、イノは頬を膨らませる。

「ありますよ。夢くらい」

 イノ自身、確かに夢はある。それはいくつもあるけれど、叶えられないものだと、イノは知っているだけだ。

「じゃあ、夢は何ですか?」

「えっと、……世界中の人を幸せにすることと、結婚して幸せな家庭を作ることです」

「はは、スケール大きいと思ったら、もう一つは小さいですね」

 セイはそう言って笑う。

 それがなんだか馬鹿にされたように、イノは思ったのだろう。

「なら、セイさんの夢は何なんですか?」

 イノはムッとした感じでセイに尋ね返す。

 セイは少し考える仕草をすると、優しく微笑む。

「私の夢は、私が幸せになることです」

「なんだか、身勝手な夢ですね」

 イノは眉を寄せる。

「そうですか? 別に私の人格は腐っているわけでもないので、自分が幸せになるってことは、周りも幸せであることなんですよ」

「周りが幸せ?」

 イノは考えるような仕草をする。

「イノは隣の人が何か不幸なことがあって苦しんでいる時に、自分に良いことがあったとしても、幸せな気持ちにはなれないですよね」

「ええ」

 イノは即答する。

世界中の人を幸せにしたいなんて言っている人が、そんな気持ちになれるはずがない。隣の人が不幸なら、どんなに自分に良いことが起ころうと、隣の人が心配で、素直に喜ぶことなんて、イノには出来はしない。

「私も同じです。だから、私が幸せな時は、周りも幸せってことです」

 セイの言葉に、イノは笑ってしまう。

つまり自分と同じではないかと思ったのだ。

 しかし、イノが思うほど、セイの答えは、純粋でも、善人でもない。

実際は違うのだ。

セイの思いは、自分と、自分の周りだけ幸せなら良いということなのだ。自分の近くでなければ、どんな不幸があったところで構わない。

それが、セイの考え。


 イノはいつも通り、授業が終わると、教会で祈っていた。

 イノは祈りながら、この学校での暮らしを思い出す。早くも、入学してから三カ月以上の時が流れた。

 それはイノにとって、今までにないくらいに楽しい時間だった。

 シズミやダン、そしてセイ。

 この三人の掛け替えのない友達との時間は、あっという間に過ぎていく。

 三人のことを考えていると、自分が自然に笑みを浮かべてしまっているのがわかる。

 このまま、三人との時間がいつまでも続けば良いと思ってしまう。

「熱心だな」

 声をかけられたので、イノが振り向くと、そこにはアクシンがいた。

「アクシンさん。こんにちは」

「ああ」

 アクシンはイノの挨拶に頷きで返す。

「……話がある」

「何でしょうか?」

 アクシンの言葉にイノは首を傾げる。

「神迎えの儀式の日が決まった」

「……っ」

 イノは動揺し絶句する。

 神迎えは、神が天使を選ぶ儀式。

 そして、イノは天使候補として選ばれた人間。

 神迎えの儀式は、神の気分で決まる。だから、イノがこの学校に通う三年間の内のいつになるかまではわかっていなかった。イノ自身、まだまだ先だと思っていたのだ。

 しかし、実際はこんなに早く儀式の日は来てしまった。

「まだ、入学してから、三カ月しか経っていませんよ」

「そうだな。だが、悠久の時を生きる神々にとっては、三年だろうと、三カ月だろうと、たいした違いなどないのだろう」

 そうかもしれない。

 実際、入学式の一週間後に神迎えの儀式があったこともあるらしい。

 俯き考え込むイノに、アクシンは眉を寄せる。

「もしかして嫌なのか? 天使になるのが」

「そ、そんなことは……無いです」

 イノは首を振って否定するが、本当に嫌ではないのか自分でも測りかねていた。

 学校に来る前のイノだったら、こんなに動揺なんてしなかっただろう。むしろ、天使になれることを心から嬉しく思えていたはずだ。

 しかし、今は素直に喜べない。

 天使になるということは、セイ達と別れることになるということなのだ。

 イノは自分の気持ちを確かめようと、再度、祈り始める。


「再来週の休み前の二日間、学校への立ち入りが禁止されるわ。それなりのお金は支給されるから、どこかに泊まるなり、実家に帰るなりするように」

 生徒達から、ざわめきが起こる。それはそうだろう。二日間とはいえ、学校に来るなと言われたのだ

 半数以上の生徒は、突然の休みに喜んでいたが、真面目な生徒達からは文句も出る。

 セイがダンを見ると、喜んでいるのがわかる。次にシズミを見るが相変わらず何を考えているのかわからない無愛想な 顔をしている。そして、最後にイノを見ると、何か、思いつめた顔をしていた。

 イノの顔を見て、セイは何がしかを納得したように頷く。


「また、お祈りですか?」

 放課後、いつも通り教会で祈るイノに、追いかけて来たセイは声をかける。

「あっ、セイさん」

 振り返るイノの顔には、心なしか元気がない。

「どうかしたのですか? 元気ありませんね」

 セイが尋ねると、イノは首を振る。

「そんなことないですよ。……ただ、この学校に来てからのことを思い出してただけです」

「そうですか。だから、冴えない顔をしてたんですね。この学校に来てから、ロクなことが無かったですから」

 真顔でそんな冗談を言うセイに、イノは思わず吹き出してしまう。

「ふふふ。私はこの学校に来て、……いいえ、汽車の中でセイさんと会ってから、私はとても幸せだったと思ってます。……そう、とても」

 イノはこの町に来てからのことを思い出し、とても幸せだったのだと、イノは本心から思う。

 アーデルではイノは修道院の中でも特殊な暮らしをしていた。セイ達のように、心から楽しんで話せる相手などいなかった。

 イノは心から神様に感謝する。セイ達に出会えたことを。

「ほら」

 セイはイノの頬を両手で持ちあげる。

「幸せなら笑って下さい。笑顔でいれば、これからも幸せになりますよ」

いつの間にかイノの顔は、悲しげな顔になっていたようだ。

「……これからも」

 イノはセイから離れて背中を向け、祭壇に飾られた神々の像を見上げる。


 イノはセイから背中を向けて、ずっと考え込んでいる。

 セイは話しかけて良いものかと考えていると、イノが口を開く。

「セイさん。天使は幸せなのでしょうか?」

 セイにはイノがどんな表情をしているのかはわからない。しかし、イノの言葉はセイにとって、驚きだった。イノが、 神様を疑うようなことを言うのは初めてだ。

「私は今、とても幸せです。シズミさんがいて、ダンさんがいて、そして、……セイさんがいる。ですが、天使にとって幸せとは何でしょう? 神様に直接お仕えすることは、それほどまでに、幸せなことなのでしょうか?」

 イノは語る。

 一つ間違えれば、異端とも取られてしまうようなことを。

 だからこそ、セイは迷う。

 既に、セイの中には答えがある。完全に異端となる答えが。

 それを語って良いのだろうか?

「イノ。俺は」

 セイが口を開いた瞬間、教会のドアが勢いよく開き、向かって何かが飛んできた。

 いち早く気付いたセイは、イノに飛びつき、抱き寄せるように倒れる。

「えっ? ちょっ、えっ?」

 イノはいきなりの事に、戸惑ったような声を出すが、次の瞬間、飛んできたものが祭壇に当たり、祭壇の一部が破壊されたことで、イノはそれどころではないことを理解したようだ。

「一体、何が?」

 起き上ったイノは、祭壇にぶつかった物を見る。

それは人の頭ほどもある大きな石だった。こんなものを当たった日には、頭など、かち割れるだろう。

「屈むんだ」

 セイが立ち上がったイノを屈ませる。丁度、イノがしゃがんだ直後、イノの頭上を、大きな石がまた通り、甲高い音を立てて、壁の表面を破壊する。

 セイ達が倒れたところは、並んだ椅子が壁になっているので、屈めば、石が当たること可能性は極端に減る。直接当たることはほとんどないだろうと、セイは判断する。

「何なんですか、いったい」

「俺に言われても困る。むしろ、イノを狙っているようだし」

 最初の石だって、イノに向かっていた。

「そうなんでしょうか? というか、セイさん。口調がいつもと違いますね?」

「……まぁ、今は違うことを気にしてくださいね」

 セイは口調を戻しながらも、イノに呆れてしまう。

 重い何かを引きずる音がする。恐る恐る覗いてみると、一番後ろの列の椅子がゆっくりとだが、持ち上がっている。

 信じられない光景だった。

教会に置いてある椅子は十人掛けの巨大な物で、更に石でできているので、とんでもない重さだ。人の力では普通に考えて、持ち上げるどころか、動かすことも無理だ。それが浮き上がっている。そして何より、近くに人影はあるのに、触れているようには見えない。ひとりでに浮き上がっている。

「まずいですね。あれは悪魔か聖人です」

 どちらも人にはできないことができる存在だ。

 何より、こんなに大きな音が連続で起こっているのに、様子を見に来る者もいない。

 悪魔や聖人は、神の創りだした存在、神士の力を利用することが出来る。

 人を避ける結界などを張る界神士、情報の伝達を行う伝神士、物質の修復や構成を行う技術を持つ工神士、他にも色々な神士が存在するのだが、悪魔は界神士の力を使って、人払いの結界を張っているのかもしれない。

「……悪魔」

 イノは呟き考え込む。

 どうしたものかと周りを見渡していたセイは、イノの様子に気が付かなかった。

 近くに落ちていた壁の破片をセイは拾い、椅子に隠れながら近付いてぶつけようと、考える。

 倒せはしなくとも、イノを逃す隙くらいは作れるかもしれない。

 もう一度、様子を確認しようと、覗きこむと、教会の椅子が迫っていた。

 セイは慌てて屈みこみ、唸りを上げて頭上を通る椅子を、なんとかやり過ごす。かすりでもしたら、それだけで死にそうだ。

「イノ、出て来い。私の狙いは君だ。出て来ないのなら、もう一人の奴も、死ぬことになるぞ」

 女の声だった。どうやら、この悪魔だか聖人だかは、女性のようだ。

 しかし、セイにとって、それはどうでも良かった。それよりも、女性の声に即座に立ち上がろうとするイノの体を、なんとか押さえることがやっとだ。

「何するんですか」

 何故か、イノが文句を言ってくる。

「何するって、イノこそ何しようとしてんですか? 出て行ったら死にますよ」

 セイは冷静に返す。すると、イノは目線を逸らす。

「私は、……私は聖人なんですから」

 イノは躊躇いながらも言う。自分が聖人だと。

 今まで、アーデルの時のように特別扱いされるのが嫌で、黙っていたことだ。

 でも、このまま死んでしまうのなら、黙っている意味なんて無い。

「だから、私はなんとかなりますから、逃げて下さい」

せめて、セイには聖人だということで納得して、逃げて欲しかったのだろう。例え、神に逆らい嘘を吐くことになろうと。

 イノは、死を覚悟して、再度立ち上がろうとする。だが、セイはまた押さえる。

「何を」

 また同じことを言おうとするイノを、セイが止める。

「ったく、慣れない嘘を吐きやがって。嘘は駄目なんだろう。そんな泣きそうな顔で言われて、逃げられるかよ」

「なっ」

 イノは自分の顔が偽りきれていない事実よりも、セイの怒気を孕んだ声に驚いた。

 茫然とするイノを尻目に、セイは立ち上がる。

「おい、そこの悪魔。何故、イノを狙う」

 いきなり見知らぬ男に問われ、悪魔は少し戸惑う。

「何だ、君は? 私の用があるのは、イノだけだ。邪魔をするのなら、君も死ぬことになるよ」

 そう言って、脅すようにセイの顔の横に小石を飛ばす。

 しかし、セイは全く怯まない。

 悪魔は、相手を正義感の強い、無謀な男だと判断あいたようだ。呆れたような顔をする。

「はぁ、無駄な殺しはしたくないんだけどな。まぁ、仕方ない」

 そう言って、また教会の椅子を持ちあげる。

「自らの無謀を、後悔して死に――」

「やめて下さい」

 悪魔が椅子を投げつける直前、イノが立ち上がる。

「あなたの狙いは私なのでしょう? それなら、私だけを殺しなさい」

「私は最初からその気だ。君がすぐに死なないのが悪いんだろう? イノ。それとも、教王の孫娘の命は普通の人間より、重いのか?」

 悪魔が挑発する。

「孫娘?」

 セイがイノを見ると、イノは俯いてしまう。聖人と同じように、イノが秘密にしていたこと。

 聖人であり、教王の孫娘でもある。それを知った人は、どうしても今までとは違う接し方をしてくるのだ。

 例え、この少しの間だけだろうと、セイに特別視されるのは嫌だった。

「そう、その娘は聖人にして、教王の孫娘。そして、天使になる存在。どれだけ神に愛されているのだろうな」

「天使? 神迎えの儀式か。つまりお前は、イノに嫉妬して殺しにきたのか?」

 セイの言葉に悪魔は笑い出す。

「ははは、良い度胸をしている。まぁ、確かにそれもあるのかもしれないな。だが、それだけじゃないさ。その娘は天使になれば、教王の地位、影響力は、より増すだろう。そして、それを快く思わない者達がたくさんいるのさ」

「なるほどね。お前はそのうちの一人ということか」

「そういうこと。ということで、イノ。死ぬと良い。今まで幸せだっただろう?」

 そう言って、悪魔はイノに向かって椅子を投げ放とうとする。しかしその直前、セイは悪魔に壁の破片を投げる。一瞬、その破片に気を取られたので、悪魔の投げた椅子は、イノから逸れた。

「全く、邪魔をするなといっただろう? 良い度胸をしていると感心はしたが、さすがにやり過ぎだな」

 小石がまるで散弾のように飛び、セイを襲う。

「ぐぅ」

 セイは転がるように避けるが、いくつかが体に当たる。

「やめなさい。『神に代わって問います。あなたの名は?』」

 イノが、セイへの攻撃をやめさせるために、聖人の力を行使する。

 イノの能力は、相手に、神に代わって問いかけ、その質問を誤魔化す者に激痛を与えるのだ。

「スズネだ。残念だが、君の能力は理解している」

 悪魔、ズズネは答え、今度はイノに小石を飛ばす。

 イノの能力は、正直に答えられれば、効果がない。悪魔はそれを知っていたようだ。

 セイが即座に立ち上がり、イノの身代わりに背中で受ける。

 石が頭に当たったのか、頭から血が流れる。

「セイさん」

 イノは叫んで、近付き、倒れそうになるセイを支える。

「何故君は、そこまでする? イノが教王の孫娘だからか? それとも聖人だからか?」

 スズネ不思議に思い尋ねる。

 普通の人なら、悪魔が現れたことを知れば、我先にと逃げ出す。それほどまでに、教会は悪魔をおぞましい者と教え込ませている。

「そんなの決まっている。友達だからさ」

 セイはイノを庇うように押しやり、答えながら、足元に落ちた小石を拾い、投げつける。

 スズネは軽々と避けながら、笑う。

「はは、格好良いこと言うじゃないか。普通、そう言って実行できる奴なんて、ほとんどいないよ。……全く。イノ。本当に君が羨ましい」

 スズネはもう一度、椅子を持ち上げる。

「情けだ。二人とも一緒に殺してあげる」

 椅子が迫ってくる。

 避けられるものではない。

 セイは覚悟を決めて、拳を握り締めた。


 アクシンは教会に近付くと違和感を感じた。

 教会に近付くと、まるで何かが阻むような壁を感じる。

 それに、目の前に見える教会も穏やかに見えるが、何か嘘くさい。

 でも、この状態に、アクシンは覚えがあった。

 普通の人を近付けないための、界神士による結界。

 つまり、中には悪魔か聖人がいるのだ。

 それも、中に入らせようとしていないところを見るに、悪魔だろうと、アクシンは考える。

 アクシンが、界神士に干渉して、結界内に入り込むと、真実が目の前に広がる。

 教会の扉は乱暴に開け放たれていて、中からは物騒な音が聞こえてくる。

 アクシンが教会の中を見ると、イノとセイに、巨大な椅子が投げ放たれていた。

 それを見て、アクシンは聖人の力を使う。

 急激な突風が吹き、椅子がセイ達の直撃の軌道から外れた。

「何が」

 皆が驚き、風の発生源を見る。

「アクシンさん」

 イノは喜びの声を上げる。

 アクシンも聖人だ。

 それも、悪魔退治をしていた実践派の。

イノ達にとって、この状況をどうにかしてくれる存在だ。

 アクシンはイノの声に頷いて答えると、スズネを睨む。

「私の教会に何ようだ? 悪魔よ」

「へぇ~。君がアクシンか。噂は聞いているよ。聖風のアクシン」

 スズネは軽い感じを装っているが、声の中に緊張が滲み出ている。スズネにとって、アクシンは警戒すべき存在なのだ。

「悪魔の私がやること。それは決まっているだろう?」

 そういうとともに、スズネは、石の散弾を放つ。

 しかし、それはアクシンの起こした突風によって逸らされる。

 だが、スズネもそれは予想していた。

 スズネは別の方向から、次の石を放つ。

 アクシンは、風を竜巻状に変化させ、自らの周囲を弾き飛ばすことで防ぐ。

「くっ、なら」

 スズネは次に、教会の椅子を放つ。どんなに強い風だろうと、重量のある物体なら、風の防御をぶち破れると考えたのだ。

 先程の、一点型の突風でも、教会の椅子は逸らすのがやっとだったのだ。竜巻状に威力を伸ばした状態なら、相手に当たるはずだ。

 事実、竜巻の壁は、防ぎきれずにアクシンへと向かう。

 しかし、アクシンも十分に予想していた。竜巻の風が破られたと見るや、自らの背中に強力な追い風を発生させ、急速な動きで移動する。

「逃すか」

 スズネが竜巻から出て来たアクシンに、石を放つ。だが、急いで行った攻撃だから、一つだけの単発。

 アクシンは能力を使うこと無く避け、攻撃に移る。

 スズネにアクシンの放った強烈な風が襲う。

 アクシンの能力は風だけに目に見えない。

 スズネは風を受けるが、足を踏ん張って、なんとか飛ばされないようにしている。

 だが、すぐに気付く。飛ばされないように踏ん張っている自分は、無防備な状態で、身動きができなくなっているのだと。

 案の定、アクシンは懐からナイフを取り出して、切りかかって来ていた。

 スズネは意を決して、吹き飛ばされる選択をする。

 そうしないと、切られて終わるのだ。

 スズネが風に乗るように飛ばされ、壁に打ち付けられる。

 打ち付けた背中に強烈な痛みが走るが、切られるよりはマシだと考え、――そして、自らの失敗にスズネは気付く。

 強烈な風に押し付けられて、壁から体が動かないのだ。

 壁に張り付いて、無様に手足を動かすのが精一杯で、まともに移動などできはしない。そして、更にスズネにとって不味いことに、強力な風のため、呼吸すら上手く出来なくなってくる。

 この状況をなんとかしようと、手近な物を動かして、風を止めようとするが、スズネが能力を使って何かを動かすより先に、それを邪魔する為に、アクシンがスズネを押さえている風を利用して、石を投げ飛ばす。

 強力な風に乗って飛んで来ている。

 当たったら、致命的な怪我をするかもしれないのだ。だから、スズネはその石を止めるのに、能力を割かなくてはならなかった。

 どちらにしろ、戦闘不能だ。

 この状態は、アクシンにとって詰みだった。

「さぁ、悪魔よ。滅びると良い」

 アクシンはスズネの意識が朦朧とし始めているのを確認して、ナイフを突き立てようと歩き出した途端。

「うわあああぁぁ」

 セイが、突如叫ぶ。

 スズネの押しつけられている壁とは逆側の壁に、二人は戦いの中、避難していたのだが、セイの叫びの直後、人の何倍もの大きさの狼が、セイの近くの壁を破壊して現れる。

「魔獣だと?」

 振り返ったアクシンが驚きに声を上げる。

 魔獣とは、獣が魔に堕ちた存在。人が魔に堕ちたら悪魔になるのと同じ、つまり、獣にとっての悪魔なのだ。

 悪魔が獣を魔物に堕とし、自らの配下にするという。この魔獣は、おそらくスズネの配下だろう。

 魔獣は近くにいるセイに見向きもせず、アクシンに襲いかかってきた。

 その動きは速く、避けることは無理だった。

 だから、アクシンは魔獣に向かって風を起こす。

 アクシンは風を一つしか起こせないので、必然、スズネの拘束を解くことになってしまうが、選んでいる暇はなかった。

 しかし、アクシンの風の攻撃を、魔獣は横に飛んで避ける。

魔獣の直感と運動能力は、人間どころか、聖人の上を行く。

 それでも、アクシンにはまだ、手段があった。

 どんなに相手が直感を働かせようが、攻撃する直前には、隙が生まれる。そこまで引きつければ、アクシンの風をぶつけることができる。

 アクシンは最大の力で迎え撃てるように、力を溜めて、魔獣が近付いて来るのを待つ。

 だが、魔獣は近付かない。

 警戒するように、ノロノロと周囲を歩くだけだ。

 アクシンの考えに気付いているのかもしれない。

「くぅ」

 アクシンは歯がみする。

 今、スズネは風に拘束されていたため、朦朧状態が続いている。しかし、時が経てば、意識を完全に取り戻し、魔獣と共にアクシンを襲いかかってくるだろう。

 さすがにそうなったら、一つの風しか扱えないアクシンでは、対応しきれなくなる。

 アクシンは先にスズネに止めを刺すことに決めた。

 練り上げた風の力を一点に集中させて放てば、岩すら砕くことができる。それより柔らかい人の体なら、確実に潰せる。

 スズネへの攻撃は、魔獣に対して、致命的な隙を与えてしまうかもしれないが、このままでいても、結果は見えているのだ。それに、主人であるスズネを攻撃しようとすれば、注意を引こうと、魔獣が無謀な攻撃に出てくれるかもしれない。そうしたら、溜めていた力で迎撃すれば良いだけだ。

 無傷で済むかもしれない。

賭けに出る。

 アクシンが動こうとした瞬間、魔物が急激に動き出す。

 読み通りだと、アクシンはほくそ笑む。

 しかし、アクシンが魔獣に向き直ろうとするが、違った。

 魔獣が走り寄ったのは、アクシンではなく、スズネだ。

 まだ、朦朧としているスズネを咥え上げると、出口に向かって走り出す。つまり、逃げようとしているのだ。

 アクシンは焦る。

 逃がしたら、また、イノを襲いにやってくるだろう。それも、万全の準備をしてやってくる。だから、逃すわけにはいかない。

「させるか」

 アクシンは叫び、練り上げた風の力を放って、魔獣を撃ち落とそうとするが、魔物は器用に避け、アクシンの風は壁を砕くのみだった。

 そして、魔獣は砕かれた壁から、逃げ出してしまった。

「くそっ」

 アクシンは悪態を吐く。

 完全に魔獣にしてやられたのだ。

 深く息を吐いて、苛立つ気持ちも一緒に追い出し、なんとか心を落ち着けて、アクシンは、セイ達の方を見る。

 二人は、悪魔がいなくなって安心したのか、壁にもたれるように座り込んでいる。

「イノ。大丈夫か?」

 アクシンはイノに声をかける。

「あっ、はい。私は大丈夫ですけれど、セイさんが」

 イノは頷いて、隣に座るセイを見る。

 何発も石をぶつけられたのだ。頭からだって血を流している。しかし、

「たいしたことないですよ。痣や、たんこぶができているくらいです」

セイは何でも無いと言うように、手をひらひらと振る。

「そうか。それなら、保健室に行って、治療をしてもらって来い」

 アクシンがそう言うと、セイ達に興味を無いと言わんばかりに、教会に散らばった瓦礫を片付け始める。

「わかりました。ありがとうございます。――うわっと」

 セイは立とうとするが、足を痛めたのか上手く踏ん張れずに倒れそうになる。

イノが慌てて支え、転倒は免れた。

「セ、セイさん。大丈夫ですか?」

 慌てて支えたものの、異性と密着した経験などないイノは、すぐに真っ赤になる。しかし、怪我の原因は、自分を庇ってのことだからと、恥ずかしさを振り払おうとする。

 セイはイノの気など知らずに、イノに体を預けたまま、自分の足の調子を試している。

「いえ、ちょっと駄目みたいです。支えてもらって良いですか?」

「は、はい。任せて下さい」

 声を上ずらせながらも、イノは頷く。

 セイはイノに支えられながら、保健室に向かう。

 そんな二人の後姿を、アクシンは呆れたように見ていた。

 どんなに仲良くなろうと、イノが天使になれば終わってしまう関係だ。

 別れが辛くなるだけの関係を、大切にしようとするイノが、アクシンには愚かしく見えた。

 それも自分には関係ないことだと、頭を振る。

 アクシンはただ、イノを天使にする神迎えの儀式を成功させるだけだ。天使候補であるイノが、何を思い、何をしたところでアクシンにはどうでもいい。

 アクシンがそう思いながら工神士の力を借りて教会の修復を始めると、退けた瓦礫の下に、一つの人形が落ちていた。


 保健室に入るが、中には保険医はいなかった。イノは教会の手伝いで、怪我の手当てを何度もやったことがあるので、勝手に治療させてもらおうと、棚を調べ始める。

 棚には打ち身への塗り薬や包帯があり、椅子に座らせたセイに向き直る。

「さぁ、セイさん。服を脱いでください」

「イノのエッチ」

 セイが冗談めかして答えると、イノの顔は真っ赤に染まる。

「い、いえっ、その、――もう、何言ってるんですか。治療のためですよ」

 一瞬、慌てふためいたが、自らのやるべきことを思い出すと、セイを恨めし気に見る。

「馬鹿な事言ってないで、脱いでください」

「はい、すいません」

 セイはあっさり謝り、上着を脱ぎ始める。

 セイの体にはところどころに痣ができている。先程のセイの冗談で多少なりとも意識してしまったのか、顔を真っ赤に染めながら、打ち身の塗り薬を塗っていく。

 塗り込んでいる間、イノは巻き込んでしまった罪悪感が湧きあがり、自分はこれ以上、セイと一緒に居てはいけないと、イノは思い始める。

「ああ、そうだ、イノ。今度の休みの日に、図書館に行きませんか?」

 セイがイノの気持ちを知ってか知らずか、呑気な事を言う。

「……何でですか?」

「ん? 今度の休日に図書館で特別展示があるらしいんですよ。ダンも誘ったんですけれど断られてしまいまして、イノは行きませんか?」

「違います。私と居たらまた巻き込まれ、悪魔に襲われてしまいます。そして、今度は死んでしまうかもしれないんですよ」

 悲痛とも言える声をイノが上げる。

 セイが振り向き、俯くイノの顔を両手で持ち上げ、相手の目をじっと見つめる。

「イノ。私は自分の死が怖いからと言って、イノを見捨てるようなことはしません。そして、それは巻き込まれるんじゃないんです。自分から関わってるんですよ。だから、イノが気にすることはありません」

 そう言うセイの目からは、どこまでも真摯な思いが伝わってくる。

「どうして、……私が聖人だからですか? それとも教王の孫娘だからですか?」

 今まで、命を狙われたことはなかったわけではない。その時に命を賭けて守ってくれる人はいた。しかし、それはイノが聖人であり、教王の孫娘だったからだ。

 イノの言葉に、セイが呆れたように溜息を吐く。

「そんなのどうでもいいことですよ。先程の悪魔にも言った通り、私はイノを大切な友達だと思っています。だから守りたい。何かおかしなことはありますか?」

 友達を守るのは当然だとセイは言う。

「……いいえ」

 おかしなことは何もない。

 イノがかつて本を読んで憧れていた友情もそうだ。友のために命を賭ける。そんな本はいくつもあった。

 嬉しかった。とてもとても嬉しかった。

 今までイノを大切に思ってくれた人は、全て聖人だから、教王の孫娘だからだという理由からだ。

 イノ個人を大切だと言ってくれた人は初めてかもしれない。

 それは、本当に涙が出そうになるほど嬉しかったが、だからこそ思う。

 セイには死んで欲しくないと。

「やっぱり、セイさんは私と一緒に居ない方が良いです。セイさんには死んで欲しくないんですよ」

 イノは自らの一緒に居たいという気持ちを抑え込み、セイの安全を考えて言う。

「そうですか。で? イノは一緒に図書館を身に行きませんか?」

 頷きはしたものの、セイはまるでイノの言葉を聞いていないという発言をする。

「ですから、セイさんは一緒に――」

 セイはイノの言葉を遮るように、人差し指を、イノの口の前に差し出す。

「私の答えは、もう言いましたよ。イノを守りたいと。例え、イノが嫌だと言っても、私は意思を変える気はありません」

「でも」

 まだ、何か言おうとするイノの頬を両側から引っ張る。

「あに、ふるんでふか」

 抗議の声をイノが上げるが、セイはイノの顔を見て笑う。

「あはは、柔らかいですね。良く伸びる」

 確かにイノの頬は柔らかく、ちょっと変な顔になっている。

「うう、ふぁなしてくわふぁい」

 イノが懇願するが、セイは首を振る。

「駄目だよ。イノが一緒に居ることを許さない限り、放さない」

「ふぃひょうでふ」

「はは、何言ってるかわからないですよ」

「わふぁりましたから、ゆふひますからふぁなしてくわふぁい」

「そうですか」

 セイは満足そうに頷き、イノの頬を放す。イノは痛む頬を擦りながら、恨めし気にセイを見る。

「イノ。もし、私がイノの立場で、イノが私の立場だったら、君はどうしました?」

 イノは想定してみると、すぐに答えがでる。

「私は、セイさんと同じことをすると思います」

 イノがセイの立場だったら、セイの力になろうとするだろう。全力で。自らの命がどうなろうと構わずに。

それだけイノにとって、セイは大切な友達になっていたのだ。そして、セイもそれだけの気持ちをイノに持ってくれている。

 お互いに同じ思いを持っているのだと思うと、イノは胸が温かい気持ちになる。

 そうして、もう一つ理解もする。力になりたいと思っているのに、危険だからと断られるのは、とても歯痒いものだ。

「わかりました。私も、セイさんと一緒に居たいです。それと図書館も一緒に行きます」

 イノはおずおずと、しかし、はっきりとした微笑みを浮かべて言う。すると、セイも笑顔を浮かべる。

「それは良かった。これからも遊んで行きましょう。……イノが、天使になるまでかもしれませんけれど」

「……天使」

 セイの何気なく付け足された言葉に、イノの顔は強張る。

 イノは今まで天使になるために生きて来た。

 天使になることは、全ての人の夢であり、喜びだ。

 少なくとも小さい頃から言われ続けていたので、イノ自身そうなのだと思っていた。しかし、天使になることが実際、間近に控えて、イノの心の中にあるのは喜びでなどではなく、喪失感だった。

 天使になればこのまま学校に通うこともできないし、セイ達と一緒に遊ぶこともできない。

 今まで無かった幸せを手放すことになるのだ。だからこそ、異端ともとれる不安をセイに語ってしまった。

 イノはそれら全てを振り払うように頭を振る。

「セイさん。先程、口調がいつもと違いましたね」

 話題を変えようと、怒られた時の口調を思い出して笑う。

 セイは曖昧な笑みを浮かべると、肩を竦める。

「俺はこれが素なんだよ。ダンの言う通り田舎者だからな」

「では、どうしてその口調で離さないんですか?」

 聞き慣れないセイの口調に、イノは少し戸惑いながらも聞く。

「尊敬している人がいるんですよ。だから、その人の真似しているんです。その人みたいになるためには、その人の真似をするのが一番ですからね」

 セイはすぐに口調を戻す。その尊敬している人を思いだしているのだろう。とても、優しい目をしている。

「その人は、素晴らしい人なのでしょうね」

「そうでもないですよ。意地悪で我がままで、人としてどうかと思うこともしばしばです。それでも、とても優しい父だった」

「お父様なのですね。ふふ、セイさんが意地悪な理由がわかった気がします。セイさんは、そのお父様が大好きだったんですね」

 イノは微笑む。

 父親を尊敬し、憧れる。それはとても素敵なことだ。

 イノの言葉に、セイは照れて頬を赤く染める。それでも、セイはしっかりと頷いた。

 その後、保険医が戻ってきたので、セイはしっかりと手当てをしてもらい、それを最後まで見ていたイノは、とりあえず、セイがたいした怪我ではなかったことに安堵する。

 一番ひどかった怪我は、足の怪我で、全治二週間の打撲とのことだ。

 ギブスで固めることになったのが、少し動きにくいというだけで、日常生活には支障はないとのことだ。


 セイと別れ、イノは自分の部屋で明日の学校の準備をする。

「なんか良いことでもあった?」

 シズミがその様子を不思議そうに尋ねる。

「何でですか?」

イノは学校の準備をしているだけだ。別にそんな雰囲気を出していたつもりはない。

「鼻歌を歌ってたから」

「えっ」

 イノは驚く。そんな自覚は無かったのだ。

「気付いてなかったんだ。まぁ、無意識で出てくる歌が讃美歌ってのが、イノらしいけどね。それで、何があったの?」

 イノは尋ねられたものの戸惑ってしまう。

 今日は悪魔に襲われたのだ。良いことであるはずがない。

 それでも、自分の心中を見てみると、とても軽やかな気分であることに気付く。

それは、セイと話したからだ。

保健室で話したことによって、……とても、そう、セイに、とても心が近付けた気分になった。

それが、イノには嬉しい。

「たぶん。セイさんと、より仲良くなれたからだと思います。セイさんの事を知ることができたんです」

 イノはそう言いながら、とても幸せそうな笑顔を浮かべるものだから、シズミは口にする。

「それなら、付き合えば」

「ふぇ」

 いきなり、あまりにもシズミの突飛な発言に、イノの頭は混乱する。

 いや、シズミの発言は、別に突飛ではないのだろうけれど、イノにはそういった発想が全くなかったのだ。

 だから、シズミの言葉を理解すると同時に、顔は真っ赤に茹で上がる。

「つ、つつ、付き合うって、こ、恋人とか、そ、そういう奴ですか」

 イノは動揺しながらも、シズミに確認を取る。

「そうだよ。だって、イノはセイのこと好きでしょ?」

「そ、それは好きですけど――」

 友達として。

 続く言葉を、イノは飲み込んだ。

 本当にそうなのでしょうか?

 私はセイを友達としてだけ見ているのでしょうか? それとも、私は本当に恋をしているのでしょうか?

 イノは自分の胸に両手を当て、祈るように自問自答するが、今まで、恋などしたことは無い。

考えたところではっきりした答えは出ない。

 それでも思う。

 これは恋なのかもしれないと。

 もしこれが恋だったとするならば、とても素晴らしいとも思うし、とても愚かしいともイノは思う。

 友と恋は違う。

 友は支えるもの。

 そして、恋は、捧げるもの。

 それがイノの考えだ。

 神様に、全てを捧げようとしている自分が、いったい、何を捧げられるのだと、イノは思う。

「どう? 自分の気持ちはわかった?」

 イノの気持ちが落ち着くのを待って、シズミが尋ねる。

「……いいえ。わかりません」

 イノは力無く首を振る。

「まぁ、そうかもね。そういう時は、デートでもしてみて、自分の気持ちを確かめるのが良いと思う。」

「デートですか?」

「そっ、デート。二人っきりでどっかに出かければ、自分が相手をどう思っているかがわかると思う」

「……二人っきりで出かける」

 イノは約束を思い出す。

「今度の休みに、一緒に図書館に行く約束があります」

「へぇ~。丁度良い。それで自分の気持ちを確かめてきな」

「そうします」

 イノは決心する。

 自分の気持ちを確かめようと。


 ローチカの端。技術の発展により、打ち捨てられた廃屋の並ぶ、人のあまり住まない区域。

 住まうのは貧しい人か、浮浪者達だ。

 その区域の一つの小屋に、スズネは魔獣によって連れて来られた。

 魔獣はここに連れて来た途端、姿を消したが、おそらく自分の身を見張っているのだろうと、スズネはこの小屋に留まる。

 アクシンは、狼の魔獣をスズネの配下だと思っているようだったが、実際はそうではない。

 スズネは魔獣を支配していなかった。

 つまり、別の悪魔がスズネを助けたのだ。

 別の悪魔の目的を考えるが、まぁ、十中八九、スズネを利用するためだろう。

 スズネは相手が自分のことを利用しようとしているのはわかっていたが、それでも待つことに決めた。

 相手が利用してくるのなら、自分も相手を利用すれば良いのだ。

 利用してくるということは、少しは利害が一致しているということなのだから。

 そして、しばらくして、小屋の扉は開かれる。


 次の日の授業をイノはまともに受けることはできなかった。

 シズミに指摘されてから、セイのことが変に意識してしまって仕方がない。

 今まで普通に喋れていたのに、セイが近付いてきただけで、逃げ腰になっている。その避けっぷりは酷いものだった。あからさまなまでに逃げるのだ。

 イノ自身こんな接し方は駄目だと思うものの、自分の体が全く制御できない。

 きっと、セイも傷付いているだろうと、罪悪感に陥ってしまう。

 学校が終わると同時に、イノは教室を飛び出す。

 あのまま教室に居たら、余計セイに失礼な態度を取ってしまうだろうと思ったのだ。

 

 イノが教会に来ると、昨日、かなり破壊されたはずの教会は、今朝には元に戻っていた。

その様に、改めて感嘆する。

 おそらく、工神師の力を使って直したのだろう。

 イノは工神師を見たことはない。

 聖人とは言え、神士に干渉するのは難しい。ある程度の力が必要なのだ。そして、工神士は神士の中でも扱いは特に難しい。

 工神士は様々な神の技術を持っているのだ。それを思えば、当然と言えば当然と言える。

 どんな聖人や悪魔でも、工神士を使えてしまったら、世の中はおかしくなってしまうのだ。

 実際、二十年前にこの国の技術が爆発的に進んだのは、工神士の技術が漏れたからだと言われている。

 今思えば、人の暮らしが良くなり、良いことだと思う。だが、過ぎた技術は人を堕落へと導くし、その技術を欲して、争いが生まれもする。

 つまり、工神士は戦争の火種になりかねないのだ。

 イノは教会に入り、心を落ち着けるために祈る。

 イノは祈ることが好きだった。

 両手を胸の真ん中に置き、無心になる。そうすると、感じられるのは、両手から伝わってくる。自らの心音。

 その音を感じていると、自らの心のざわつきが消えていき、澄み渡っていくような気分になる。

 そして、心が完全に、澄み渡ったところで、イノは神様に感謝を捧げる。

「イノ」

 祈りが終わったのを見計らったように名前を呼ばれ、一瞬セイが来たのかと、イノは体を震わせるが、振り向くと、後ろに居たのはアクシンだった。

「アクシンさん。こんにちは」

 イノが挨拶をするが、アクシンは頷くだけで、周りを気にするように見回す。

「あの、何かあったんですか?」

 悪魔に襲われた昨日の今日だ。

 何があってもおかしくない。

「昨日、一緒に居たセイという少年は、居ないのか?」

 一瞬、イノの胸がギクリと跳ねる。

 アクシンは、イノが恋心を抱き始めていることに気付いて、注意をしようとしているのかもしれないと、イノは思ったのだ。

「セイさんがどうかしたのですか?」

 なんとか動揺を押し隠しイノは尋ねる。

「その少年には近付くな」

「な、何故ですか? セイさんは私の大切な友人です。ただ、それだけです。神迎えの儀式に支障を与えたりしません」 

 セイに会えない。

 イノは想像すると、心が空っぽになるかのような薄ら寒さを感じる。そして、それほどの衝撃を受けている自分に、イノは戸惑う。

「あの男、セイは悪魔かもしれない」

「なっ」

 イノは絶句する。

 そして、次に浮かんだのは苛立ちだ。

「ふざけないでください。どうして、セイさんが悪魔なんですか」

 自然、イノの口調は怒りを孕んだものになる。大切な友人を悪魔扱いされたのだ。許せるものではない。

「ならば聞こう。セイにはおかしなところがいくつもある」

「おかしなところですか?」

「そうだ。まず、セイは何故、悪魔を恐れない?」

「悪魔を?」

 イノはセイがスズネと対峙した時の様子を思いだす。

 教会は悪魔を完全な悪として教えている。その為、人は必要以上に悪魔を恐れていると言ってもいいだろう。

 しかし、セイにはその恐れが無かった。

 殺されるかもしれない状況だというのに、スズネに対して質問をするだけの余裕すらあったのだ。

 それは殺されないという確信があったからではないか?

「そして次に、どうしてセイは、魔獣に気付いた?」

 イノが納得できる理由が思いつく前に、アクシンは次の疑問を投げかける。

「……魔獣に」

「あの時、魔獣の存在に驚いて叫んだのだと思ったのだが、考えてみれば、魔獣が現れたのは、叫んだ後だ。あれは、悪魔に止めを刺そうとした私の注意を、引きつけようと叫んだのではないか?」

「……悪魔を守るために?」

 アクシンの言葉から導き出される答えはそれだけだ。

「そうだ。それに何より、一緒に同じところに居たイノは、魔獣の存在には気付かなかっただろう?」

 イノは押し黙る。

 そう。イノは気付かなかったのだ。魔獣が壁を壊すまで。

「そして、セイは神を嫌っている」

「神様を……。そんなことはないはずです。お祈りもしますし、讃美歌を歌いもします。そんな彼が、神を嫌いだなんて」

「悪魔なら嘘をいくらでも吐くことができる」

「信じられません」

 イノは叫ぶ。

 正確には、信じられないのではなくて、信じたくないのだ。

「どうして、セイさんが神様を嫌っているのだとわかるんですか」

「これを見てみろ」

 アクシンはイノに人形を渡す。

 その人形をイノは何度か見たことがある。

 そう。セイが持っていたものだ。

 確か、ヨイツの村に住んでいる、セイを兄と慕う女の子から貰ったお守りだと、セイは言っていた。

「どうしてアクシンさんが、その人形を?」

「瓦礫の下に落ちていた。そして、この人形には問題の手紙が入っている」

 そう言って、アクシンは人形の服に挟まった紙を取り出す。

「読んでみろ」

 アクシンに渡された、折り畳まれた手紙を手に持ち、イノは逡巡する。

 他人の手紙を読むことに抵抗を感じるのだ。

 それでも、真実を知るためにと、イノは手紙を広げる。

『しんあいなるセイ兄へ

  ドッチがカバンの中にはいっていることに、セイ兄はおどろいたかな?

  わたしは、セイ兄がいなくなるのは、とてもさびしいです。

  でも、しん父さまはいってた。

  わたしより、ひとりになってしまう、セイ兄のほーがさみしんだって。

  しん父さまがいってた。

  かみさまにセイ兄をまもってくれるように、いっぱいいのろうって。

  でも、セイ兄はかみさまがきらいだから、まもってくれないかもしれない。

  だから、セイ兄にドッチをかしてあげる。

  きっと、セイ兄をドッチがまもってくれるから。

  そして、げん気にもどってきてね。

                        ナズナより』

 その手紙は、子供らしい拙い字で、書かれていた。

 普通であれば、この手紙に温かな気持ちになれたかもしれない。ナズナという少女が、セイをとても慕っていて、大切だと思っているのが伝わってくることだろう。

 だが、イノは心が温まるどころか、心を握りつぶされたかのような気分になる。

確かに、そこには書かれていたのだ。セイが神嫌いだと。

「で、でも、神様が好きでなかろうと、悪魔であるとは限りません」

 イノはなんとか反論する。

 神を信仰していないからといって、悪魔だと限ったわけではない。そんなこと言ったら、隣の国は全員悪魔になってしまう。

 隣国のクオンは神に頼らず、生きていくことを旨としている国だ。

 最近は落ち着いたが、この国とも見解の相違によって戦争も何度か起こったものだ。

 しかし、そんな隣国の人間が、全て悪魔というわけではない。

「確かにな。だが現状から言えば、悪魔である可能性が限りなく高い。だから、セイには近付くな」

 アクシンは子供のように意地になっているわけではない。むしろ、イノの言葉に同意するように頷いてから、諭すように言ってくる。

 イノは俯いてしまう。

 アクシンの言うことは正論だ。理解できる。でも。

「……嫌です」

「イノ」

 アクシンは聞き分けのない子供を見るような目をする。

 しかし、イノは顔を勢いよく上げると、教会の扉に向かう。

「セイさんに確かめます。私にはその能力がありますから」

 そう、イノの聖人の能力を使えば、相手の嘘を見抜くことができる。

「待て。それは危険だ」

 アクシンが止めようとする。もし、セイが悪魔だったら、悪魔と知られた途端、襲いかかってくるかもしれない。

 しかし、アクシンの制止の声を聞いても、イノは構わず、教会を飛び出した。


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