本物の令嬢の私生児を育てるために、家族全員から子宮摘出を強要された私
プロローグ
高宮家の両親に続いて、私の養父母までもが、婚約者に私を裏切らせたい側へ回った。彼らはいつも遠回しに、男が一時の情に流されることくらい珍しくない、私さえ我慢すればこの婚約はまだ続けられる、と言った。それでもこの程度の屈辱に耐えられないなら、婚約を解消すればいいのだと。
すべての始まりは、私と高宮悠真の婚約式の日だった。佐伯家の実の娘である佐伯莉乃が遺書を残して家を飛び出し、高宮悠真は振り返りもせず彼女を追いかけた。養父母も宴会場を飛び出していったが、最後には莉乃を追い詰めた罪を、すべて私に押しつけた。
九か月後、佐伯莉乃は子どもを産んだ。退院して間もない彼女は、まだ体も回復していないまま、赤ん坊を抱いて病室に立っていた。私と高宮悠真が並んで現れると、彼女の目からすぐに涙がこぼれ落ち、まるでこの世のすべての不幸を背負ったように泣き出した。
「お姉さまは幸せね。お義兄さんがそばにいてくれるんだもの。私なんて、子どもまで産んだのに、父親が誰なのかも分からないのに」
高宮悠真はひどく胸を痛めたような顔をして、その場で彼女の子を引き取ると言い出した。これからはその子を自分の一人息子として育てる、とまで言った。
私は同意しなかった。
次の瞬間、養母の佐伯美智子が、私の頬を思いきり叩いた。
「莉乃をこんな目に遭わせたのはあなたでしょう。あなたに反対する資格なんてないわ。莉乃を追い詰めたあの日、本当なら自分で病院へ行って、子宮を摘出すべきだったのよ。人の二十年を奪った偽者のくせに、莉乃の前で顔を上げられると思わないで」
私は彼らの正義に満ちた顔を一つ一つ眺めて、ふいに笑いたくなった。
次の瞬間、私は婚約指輪を外し、そのまま窓の外へ放り投げた。
「それなら、婚約破棄でいいわ」
その途端、誰もが納得しなかった。
1.幼なじみの悪意
高宮悠真は失望したような顔で私を見た。まるで、理不尽なことを言っているのは私のほうだと言いたげだった。
「晴香、君は変わったよ。昔の君はこんな子じゃなかった。いつからそんなに意地悪で、人の気持ちが分からない子になったんだ?」
私は二十年以上もそばにいた幼なじみを見つめた。かつて彼は、一生私を守ると言ってくれたはずだった。けれど今の彼は、佐伯莉乃の病床のそばに立ち、まるで罪人を裁くような目で私を見ている。
「莉乃は未婚で子どもを産んだんだ。それだけでも十分つらい。僕が彼女の子を引き取るのは当然だろう。おばさんが君に今後子どもを産ませないと言ったのも、その子に安定した家庭環境を与えるためだ。何が悪いんだ? 忘れるなよ。莉乃がこんなにつらい人生を送ることになったのは、君が彼女の二十年を奪ったからなんだ」
その言葉を聞いて、頭の奥がくらくらした。
高宮悠真はさらに、ほとんど優しいとさえ言える声で、もっと残酷なことを口にした。
「それに、ただ子宮を取るだけじゃないか。君はずっと生理痛がひどいって言っていただろう? 手術をすれば、もう一生痛まなくて済む。悪い話じゃないだろう?」
その瞬間、私はようやく理解した。
人は、自分が相手を傷つけていると分かっていないわけではない。ただ、その相手は傷つけられて当然だと思っているだけなのだ。
私がうなずかないのを見て、養父の佐伯隆史も顔を険しくした。彼は私の鼻先を指さし、恩知らずだと罵った。佐伯美智子と並んで病床のそばに立ち、ようやく取り戻した実の娘を守りながら、私に向かって悪意ある言葉を浴びせた。
かつて私も、彼らに大切にされていた娘だった。彼らは私が少しでも傷つかないよう、同じように私の前に立ってくれたことがある。だがその愛情はもう消え、残っているのは憎しみと嫌悪だけだった。
佐伯隆史は私を突き飛ばし、指輪を探して戻してこいと命じた。
「佐伯家は二十年以上もお前を育ててやった。それなのに、こんなわがままな娘になるとはな。今日中にあの婚約指輪を見つけられないなら、二度と佐伯家の敷居をまたぐな」
私は彼の肩越しに、病床の佐伯莉乃を見た。
全員の注意が私に向いている隙に、彼女は私へ挑発するように笑い、音もなく唇を動かした。
「ばかね」
珍しく、私も彼女と同じ意見だった。
これまでの、恐る恐る顔色をうかがい、卑屈に耐えてきた私は、今思えば確かにばかだった。
私は静かに彼ら全員を見渡し、冷たく笑った。
「私はもともと、取り違えられた偽令嬢でしょう。佐伯家の門なんて、もうくぐらなくていい。佐伯莉乃がそんなにかわいそうなら、婚約者も彼女に譲るわ」
彼らの怒声を背に、私は一度も振り返らず病院を出た。
2.消された家
幼い頃から暮らしてきた家に戻ったとき、胸の奥が少しだけ痛んだ。
東京・世田谷にあるその邸宅には、かつて私の痕跡があふれていた。玄関の棚には幼い頃に賞を取った写真が飾られ、ピアノ室には使い古した楽譜が残っていた。庭の隅には、子どもの頃に未来の自分へ宛てて書いた手紙を埋めた場所もあった。
けれど佐伯莉乃が戻ってきてから、家はすべて彼女の好みに作り替えられた。私の写真は撤去され、ピアノ室は彼女の衣装部屋になり、私が手ずから植えた紫陽花まで使用人によって根ごと抜かれ、彼女の好きな白薔薇に植え替えられた。私の痕跡を徹底的に消して初めて、彼女こそ佐伯家の娘だと証明できるかのようだった。
二年前、一人の元看護師が佐伯家を訪ねてきた。彼女は泣きながら養父母に謝罪し、二十年以上前、東京の私立産婦人科で起きた事故を打ち明けた。
当時、生まれたばかりの佐伯家の娘は何者かに連れ去られた。病院は責任を隠すため、捨てられていた女児を佐伯夫妻に渡した。その女児が、私だった。
真実を知った養父母は、あらゆる人脈を使い、狂ったように実の娘を探し始めた。そしてほどなく、佐伯莉乃が見つかった。彼女は東京郊外の母子家庭で育ち、成績もよくなく、高校卒業後に養母と衝突して家を出たという。養父母が彼女を見つけたとき、彼女は新宿のバーで客の相手をしながら酒を飲んでいた。二人はその境遇にひどく胸を痛めた。
彼らは、どんなことがあっても私も娘だと言った。けれど私は、彼らが私を遠ざけていくのをはっきり感じていた。私の部屋は莉乃に明け渡され、私は地下室のそばにある、窓のない小部屋へ移された。
「どうせすぐ高宮家へ嫁ぐんだ。いずれ出ていくんだから、少しの間くらい我慢しなさい」
私は悔しかったが、それでも部屋を譲った。
それでも彼らは、私を許せなかった。
3.婚約だけが、私を家に残す理由だった
ある日、私は偶然、養父母が書斎で言い争っているのを聞いてしまった。かつてあれほど私をかわいがってくれた佐伯美智子が、泣きながら佐伯隆史に、私を家から追い出してほしいと頼んでいた。私を見るたびに、莉乃が外で受けてきた苦しみを思い出すのだと言っていた。
けれど佐伯隆史は同意しなかった。
なぜなら私には、まだ高宮家との婚約があったからだ。
十歳の頃、私は慈善茶会で一人の老婦人を助けたことがある。その人はプルーンの種を喉に詰まらせ、周囲の大人たちは皆、慌てふためいていた。私は学校で習った応急処置を思い出し、窒息しかけていた彼女を助けた。
後になって、私はその老婦人が高宮家の老夫人、高宮静江だと知った。彼女は高宮家の実質的な権力者であり、佐伯隆史がずっと取引を望んでいた相手でもあった。私への感謝として、彼女は佐伯家と長期の提携契約を結び、その後、高宮家は佐伯家に多くの資源を与えた。
その年、私は高宮悠真と出会った。彼は私と同い年で、性格は内向的、口数も少なく、友人もほとんどいなかった。そんな彼が唯一そばに置いたのが、私だった。
高宮静江は私たちが仲良くしているのを見て、半分冗談のように、けれど半分は本気で、私たちの婚約を決めた。
それから私たちは同じ中学に通い、同じ高校へ進み、同じ大学へ入った。私はずっと、私と高宮悠真は当然のように最後まで一緒にいるものだと思っていた。
五年前、高宮静江が重い病に倒れた。彼女は最期の時が近づいた頃、私と高宮悠真を病床に呼び、私を必ず大切にしなさいと彼に言い聞かせた。
高宮悠真は祖母のベッドの前で、立っていられないほど泣き崩れた。
「おばあさま、僕は一生晴香を大切にします。誓います」
けれど佐伯莉乃が現れてから、彼はその誓いを破った。
4.祖母が残してくれた逃げ道
たとえ彼ら全員が佐伯莉乃を選んでも、彼らは私を簡単に切り捨てることができなかった。なぜなら高宮静江は亡くなる前に、家族信託を整えていたからだ。彼女は高宮家の中核となる一部の株式と資産管理権を私に預け、さらに遺言書で、私に独立した相続権があると明記していた。
もし高宮悠真が私を裏切る日が来たら、私はその遺言を根拠に、彼を高宮家の中核資産から外すことができる。私の一言で、高宮家と佐伯家の提携も即座に打ち切れる。
かつては何とも思っていなかったそれらのものが、後になって、彼らにとって最も不本意な障害になった。
婚約式の日、佐伯莉乃が遺書を残して家を出た。その瞬間から、養父母の私への憎しみは完全に制御を失った。
「莉乃こそ私たちの実の娘よ。莉乃に何かあったら、あなたを絶対に許さないから!」
その日以来、高宮悠真も佐伯莉乃への同情を隠さなくなった。彼女が妊娠したと知ると、彼はその子を引き取りたいと言い出した。これは私の罪滅ぼしでもある、と。
私が反対すると、彼は激しく怒った。
「莉乃はあんなにつらい思いをしてきたんだ。君みたいに、最初から裕福に育てられた人間には分からないよ。幼なじみで、おばあさまが君を認めていたからこそ、僕はまだ婚約を守っている。そうでなければ、花嫁はとっくに別の人に替わっていた」
彼は、祖母の遺志を果たすために婚約は履行すると言った。けれど心の中には、これからも佐伯莉乃の居場所を残すのだと。私にはもう少し大人になって、その子を受け入れ、佐伯莉乃が時々私たちの生活に現れることも受け入れてほしいと言った。
私は九か月かけて自分を説得した。私さえ品よく振る舞い、黙って耐えれば、いつか彼らは私のよさを思い出してくれるのではないかと思っていた。
けれど私は失敗した。
今になって、ようやく分かった。
私は本当に愚かだった。
5.血液袋扱い
荷物をまとめ終えた頃には、もう夜が明けていた。
佐伯家を出ようとしたその時、携帯電話が鳴った。画面には高宮悠真の名前が表示されていた。数秒迷った末に、私は電話に出た。
彼の声は焦りのあまり、ほとんど裏返っていた。
「晴香、どこにいるんだ? 早く病院に来てくれ。おじさんとおばさんが倒れそうなんだ!」
私はすでに彼らに心底失望していた。けれど彼らが二十年以上、私を育ててくれたことも事実だった。
私は急いで病院へ向かった。病院の入口に着くなり、高宮悠真が駆け寄ってきて私の手首をつかみ、ほとんど引きずるように輸血関連の処置室へ向かった。何が起きたのか尋ねる暇もないまま、私は椅子に押し込まれた。
「彼女も希少血液型です。この人の血を使ってください!」
医師が準備を進めようとしていた。その時、ようやく私は口を開くことができた。
「何があったの?」
高宮悠真は目を泳がせ、まともに答えようとしなかった。ただ先に人を助けてくれと言うだけだった。
嫌な予感がした。
次の瞬間、佐伯隆史と佐伯美智子が慌ただしく駆け込んできた。佐伯隆史は、医師がまだ処置を始めていないのを見るなり、眉をひそめた。
「なぜまだ採血していないんだ? どうしてこんなに遅い?」
佐伯美智子は泣きながら医師に訴えた。
「莉乃には今すぐ血が必要なんです。一分だって無駄にできません。早くしてください。私の娘を助けられるなら、この子の血を全部抜いても構いませんから!」
医師は彼らを一瞥し、それから私の意思を確認した。
胸の奥が冷え切っていくのを感じながら、私は腕を引いた。
「私は佐伯莉乃の血液袋じゃありません。この血は、提供しません」
かつては優しく上品だった佐伯美智子が、私に飛びかかってきた。彼女は私の髪をつかみ、さらに腕を強くつねった。真っ赤になった目には、憎悪しかなかった。
「この偽者を二十年以上も育ててやったのよ。あなたにかけたものは、本来すべて莉乃のものだった。あなたは病院に押しつけられた捨て子でしかない。私たちが育てなければ、とっくにどこかで野垂れ死んでいたわ。あなたは私たちに命を借りているの。今こそ莉乃に返しなさい!」
6.彼は跪いても、まだ私を利用しようとしていた
高宮悠真が突然、私の前に跪いた。彼は私の手を握り、涙をぼろぼろこぼした。その姿だけを見れば、本当に後悔しているように見えた。
「全部僕が悪いんだ。僕が莉乃をちゃんと見ていなかった。座浴用の薬液を間違えて飲ませてしまって、それで彼女は産後の大量出血を起こした。晴香、君が僕と莉乃のことを気にしているのは分かっている。でも、どちらにせよ僕たちは夫婦になるんだ」
胃の奥がひっくり返るようだった。
彼の犯した過ちを、なぜ私の血で背負わなければならないのか。
高宮悠真は慌ててポケットから指輪を取り出し、期待に満ちた目で私を見た。
「君が捨てた指輪を探しに行ったから、莉乃の世話をしている時に注意がそれたんだ。莉乃がこんなことになったのは、君にも僕にも責任がある。僕が君のためにどれだけ苦労したかを思って、血をあげてくれないか?」
彼は私の抵抗を無視し、無理やりその指輪を私の薬指にはめた。
「君はもともと莉乃に借りがある。僕が今莉乃に優しくするのも、君の罪滅ぼしをしているからだ。僕がしていることは、全部君を愛しているからなんだ。頼む。君も僕のために一つくらいしてくれ」
私は無表情で指輪を外し、床に投げ捨てた。
「一つ目。あなたが犯した過ちを、なぜ私が背負わなければならないの? 二つ目。婚約は一生の契約じゃない。そんな安物の指輪一つで、私を一生縛れると思っているの?」
高宮悠真が指輪を取り出した瞬間、私はそれが私の捨てたものではないと分かっていた。
あの婚約指輪は、私が自分で選んだものだった。意味を持たせたくて、側面には二人のイニシャルを、内側には婚約の日付を職人に刻んでもらった。けれど彼が取り出した指輪には、何も刻まれていなかった。
さらに滑稽なことに、この偽物の指輪を彼は九か月も手元に置いていたのに、一度も違和感に気づかなかった。
「私はもう、あなたをいらない。嘘をついて私の機嫌を取る必要もない。あなたが犯した過ちの後始末を、私がすることもないわ」
7.私も被害者だった
私は佐伯隆史と佐伯美智子に向き直り、長年胸の奥に押し込めていた言葉を、一つずつ口にした。
「あなたたちが二十年間私を育ててくれたことには感謝しています。でも、私と佐伯莉乃が取り違えられたのは、私が望んだことではありません。あなたたちは被害者です。けれど、私も同じく被害者です」
佐伯美智子の顔色が変わった。私の言葉を遮ろうとしたようだったが、私はその隙を与えなかった。
私は深く息を吸い込み、最後に残っていた未練を、自分の中で完全に断ち切った。
「この二十年間、娘として、私はできる限りのことをしてきたつもりです。あなたたちは私に生活を与え、私はあなたたちに家族としての時間と支えを返してきました。私たちはもう、互いに借りはありません。私は佐伯莉乃に婚約者を譲ります。彼女には夫ができ、彼女の子には父親ができます。ここまでで、私にできることは十分でしょう」
言い終えた直後、佐伯隆史が飛びかかってきて、私の頬を激しく叩いた。
「恩知らずの小娘が、よくもそんな恥知らずなことを言えるな。どうあろうと、お前の命は俺たちが与えたものだ。今返せと言っているんだ。莉乃を助けるためなら、本当に血をすべて抜かれても受け入れろ!」
彼は高宮悠真に目配せした。
高宮悠真はすぐにそれを理解し、佐伯隆史と左右から私を押さえつけた。私の腕は強引に肘掛けへ押しつけられた。
医師は、本人の自発的な同意書がなければ採血できないと強く主張した。けれど佐伯美智子は待てなかった。彼女は高宮悠真に、私が同意するまで殴れと言った。
高宮悠真はほとんど迷わなかった。
彼の手が振り上げられ、私は必死にもがいた。だが、彼らの力には到底かなわなかった。医師は状況が制御不能だと判断して警備員を呼ぼうとしたが、それすら佐伯美智子に妨げられた。
処置室が混乱に包まれたその時、外から大きな音が響いた。
次の瞬間、処置室の扉が蹴り破られた。
8.本当の家族が来た
体がふっと軽くなった。私を押さえつけていた力が一瞬で消えたのだ。
続いて、佐伯隆史と高宮悠真の悲鳴が同時に上がった。二人は黒服のボディガードによって、ほとんど投げ捨てられるように床へ叩きつけられた。彼らは怒鳴ろうとしたが、入ってきた人物を見た瞬間、そろって口を閉じた。
私が状況を理解する前に、背の高い若い男性が早足で私のそばへ来た。彼は自分のジャケットを脱ぎ、震える私の肩にかけた。押し殺した声には、怒りがにじんでいた。
「怖がらなくていい。迎えに来た」
その後ろから、重々しい表情の中年男性が入ってきた。
佐伯隆史の顔が一瞬で青ざめた。彼は信じられないものを見るように、その人の名を呼んだ。
「く、九条会長……どうしてここに?」
その男性は冷たい目で彼を見下ろし、低く言った。
「娘を迎えに来た」
目の前に置かれた親子鑑定書を見ても、私の頭はまだ真っ白だった。
私は、九条ホールディングス会長、九条宗一郎の長年行方不明だった末娘だった。私は誰にも望まれなかった孤児などではなかった。本当に私を愛してくれる父と母、そして兄がいたのだ。
父は私に話してくれた。私が生まれて間もない頃、九条家に恨みを持つ者が病院の混乱に乗じて、産着に包まれた私を連れ去ったのだという。その者たちはほどなく捕まり、相応の罰を受けた。けれど、私だけは見つからなかった。
その捜索は、二十年以上続いていた。
数日前、兄の九条怜司が友人の集まりに参加した時、佐伯家の婚約式で起きた騒ぎを偶然耳にした。誰かが、壇上に一人取り残されて戸惑う私の動画を面白がって見せていた。兄は最初、興味を示さなかったが、ふとした拍子にその画面を見た。
たった一目で、兄は私の顔が若い頃の母に七、八割ほど似ていることに気づいた。彼はすぐに、海外旅行中だった両親へ連絡した。
飛行機が着くなり、両親は私が病院にいると知って、そのまま駆けつけた。
そして、ちょうど私が献血を強要されている場面に出くわしたのだった。
9.九条家の末娘
血縁が確認されたとしても、初めて会った家族との距離感に戸惑うだろうと、私は思っていた。けれど血のつながりとは、不思議なものだった。
一日も経たないうちに、私は九条家の人々と、まるで一度も離れたことがなかったかのように親しくなっていた。母は私を抱きしめて長い間泣き続けた。父はそばに座って黙っていたが、何度も私に白湯を注いでくれた。兄は終始冷たい顔のまま、弁護士に佐伯家と高宮家がこれまで私に関して行ってきたことをすべて調べるよう命じていた。
私の荷物はまだ佐伯家に残っていた。九条家には私に合う服もほとんどない。母は私に上限のない家族カードを渡し、兄に私を銀座へ連れていくよう命じた。
「目的は一つよ。あなたの妹のクローゼットをいっぱいにしてきなさい」
兄は車を停めに行き、私は先に店へ入った。
銀座の高級ブティックに足を踏み入れたところで、私は佐伯莉乃の取り巻きたちに出くわした。彼女たちは以前、私ともそれなりに仲がよかった。だが莉乃こそが本物の佐伯家の令嬢だと知ると、すぐに彼女へ乗り換え、何度も面と向かって私を嘲笑した。
私は相手にするつもりはなかった。
けれど彼女たちは、わざわざ私を追ってきた。
「佐伯晴香、あなたって本当に図々しいのね。もう佐伯家の令嬢でもないくせに、佐伯家のお金でこんな店に来るなんて。偽者のくせに、何年もお嬢さま暮らしを楽しんで、高宮家との婚約まで騙し取ったんでしょう? 普通なら恥ずかしくて、人前に出られないはずよ」
そのうちの一人が、私のバッグを見た。世界限定モデルだと気づいた彼女は、手を伸ばして奪おうとした。
「莉乃が産後の大量出血で大変だったのに、あなたは献血を拒んで、病院で騒ぎを起こしたんですって? 莉乃のお金を使っておきながら、感謝もできないなんて。今日は私が莉乃の代わりに、しっかり教えてあげる」
彼女が力いっぱいバッグを引っ張った瞬間、私は手を離した。彼女は勢い余ってよろめき、そのまま床に尻もちをついた。丁寧に巻かれていた髪まで崩れ、ひどくみっともない姿になった。
私は彼女を見下ろし、静かに言った。
「病院の話を聞いたなら、その後どうなったかも知っているの?」
彼女は立ち上がり、スカートを払いながら冷笑した。
「もちろん知っているわ。あなたは莉乃を死なせて、自分が佐伯家の令嬢に戻ろうとした。でも残念だったわね。莉乃は運がよかったの。病院がすぐに血液を手配して、あなたの夢は壊れたのよ」
私は残念そうに首を振った。
「そう。やっぱり知らないのね。でも大丈夫。あなたたちも、すぐに知ることになるわ」
10.兄が私の味方になった
彼女たちは交代で私を嘲笑し始めた。言葉はどんどんひどくなっていったが、私の心は驚くほど静かだった。
彼女たちの感情が最も高ぶったその瞬間、声がぴたりと止まった。何人もの視線が、まるで停止ボタンを押されたかのように店の入口へ向いた。
振り返ると、九条怜司が顔を鉄のように強張らせて立っていた。
彼女たちはたちまち表情を変えた。慌てて服と髪を整え、媚びるような笑みを作ろうとした。
兄は重い足取りでこちらへ来て、私を背中にかばった。そして、彼女たち一人一人を冷たく見渡した。
「今日、君たちが僕の妹にしたことは、すべて覚えておく。彼女の代わりに、この借りはゆっくり返させてもらう。家へ帰ったら伝えておけ。九条家は、家風の悪い家とは取引しない」
彼女たちの顔から血の気が引いた。
兄は店長に防犯カメラの映像を出させ、先ほどの取り合いで傷ついた限定バッグを、彼女たちに定価で弁償させた。彼女たちは泣きながら謝罪し、カードを切った。さっきまで選んでいた商品も、もう買うとは言い出せなかった。
けれど兄はそこで終わらせなかった。
彼は店員に、私のサイズに合う新作をすべて包むよう命じた。さっき私が受けた屈辱を埋め合わせるためだと言って。
九条家へ戻ると、兄はこの一件を両親に話した。私はもう気にしていなかった。あの場で十分、やり返したと思っていたからだ。
けれど父も母も兄も、私以上に怒っていた。
もともと彼らは、きちんとしたお披露目の席を用意し、東京の上流社会へ私を正式に紹介するつもりだった。だが今は、一日遅れるごとに私がまた屈辱を受けるのではないかと心配している。
そこで三日後に開かれる九条ホールディングスの取引先向け晩餐会で、私の身分を公表することになった。
私は自分から、佐伯隆史、佐伯美智子、そして高宮悠真を招待したいと申し出た。両親は最初反対したが、私が譲らなかったため、最後には認めてくれた。
11.流された婚約指輪
晩餐会当日、私はドレスに着替え、控室で休んでいた。
すると突然、扉が開いた。そこに現れたのは高宮悠真だった。目は赤く充血し、顔には無精ひげが生え、額には青あざまであった。ここ数日、相当ひどい状態だったのだろう。
彼は一つの指輪を取り出し、片膝をついた。爪の隙間にまだ泥が残った手で、それを私の前へ差し出した。
「晴香、僕が悪かった。君を傷つけて、本当にすまなかった。許してほしい」
今回のそれは、確かに私が捨てた指輪だった。
彼の声はかすれ、目には後悔が浮かんでいた。
「僕はずっと、僕たちは一緒にいすぎて、気持ちが薄れてしまったんだと思っていた。少し別の人に目を向けて、新鮮さがほしかっただけなんだと。でも君がそばにいなくなったこの数日、僕の生活はめちゃくちゃだった。目を開けても閉じても、頭に浮かぶのは君のことばかりだった」
彼は私を見上げ、涙をこぼした。
「今になって分かったんだ。僕はとっくに、君と一緒にいることが当たり前になっていた。晴香、僕は君なしでは生きられない」
彼が手を伸ばして私に触れようとしたので、私は嫌悪感を隠さず身を引いた。
彼はさらに激しく泣いた。本当に苦しんでいるようにも見えた。
「全部僕が悪かった。君を騙すべきじゃなかったし、莉乃に献血しろと迫るべきでもなかった。すぐに許してほしいとは言わない。ただ、償う機会をくれ。誓うよ。これからは絶対に、君に二度とつらい思いをさせない」
私は彼の手から指輪を受け取り、洗面室の方へ数歩歩いた。
高宮悠真は明らかに安堵し、興奮したように立ち上がった。両腕を広げ、私を抱きしめる準備までしていた。
次の瞬間、私は洗面室の扉を開け、指輪をトイレに落とした。そして水を流した。
その婚約指輪は、私と彼の目の前で完全に消えていった。
高宮悠真の顔が一瞬で歪んだ。拳を握りしめ、呼吸まで荒くなる。
「佐伯晴香、君は僕たちの昔の感情をそんなふうに扱うのか? これは僕が苦労して見つけ出した婚約指輪だぞ。九条家の令嬢になったから、強気になったつもりか? それでも君はまだ僕の婚約者だ。忘れるな。おばあさまの前で、僕のそばにいて支えると約束したのは君だろう!」
12.祖母は最初から、あなたを見抜いていた
彼は懐から譲渡契約書を取り出し、私の前へ差し出した。
「君は確かに僕のおばあさまを助けた。けれど、おばあさまが君に心を砕き、あれだけ多くのものを与えたのは、ただの恩返しじゃない。君を未来の孫嫁だと思ったからこそ、高宮家の資産管理権を預けたんだ。君が婚約を破棄するなら、高宮家のものは僕に返すべきだ」
彼はさらに、これまでの収益と利息まで計算させていた。元本と合わせて返せと言うつもりらしい。
私が黙っていると、彼は冷笑した。
「君の性格なら、九条家に金を出してくれとは言えないだろう。君は今でこそ九条家の娘だけれど、彼らと再会してまだ数日だ。本当にそんな大金をすぐ用意してくれると思うのか? でも、僕はまだ君を愛している。こんなに醜く争う必要はない。君が僕とやり直すなら、何もなかったことにしてあげる。高宮家のものも、今までどおり君のところに置いておけばいい。僕たちは昔のように戻れる」
先ほどまで卑屈に悔いていた人間は、もう上から見下ろす顔に変わっていた。彼は私を斜めに見て、最後の機会を恵んでやっているつもりのようだった。
私は危うく笑い出しそうになった。
「私はこの先一生結婚しなくても、あなたとは結婚しない。佐伯莉乃がそんなにかわいそうなら、あなたが彼女と結婚して、あの子の父親になればいい。高宮家の財産は、静江おばあさまが私に直接託してくれたものよ。あなたには一切関係ない。欲しがっても無駄よ」
私はあらかじめ用意していた公正証書遺言を彼に見せた。
高宮悠真は目を見開いた。顔には信じられないという表情が広がっていた。
「あなたは、おばあさまが高宮家の資産を私に管理させたことしか知らなかった。私はただ、あなたの代わりに預かっているだけだと思っていたのでしょう。でも、おばあさまはあなたが実の孫であっても、頼りにならないと見抜いていたの。だから遺言で、その株式と信託収益を私に相続させると決めていた。私があなたと結婚しなくても、私には相続権がある」
私は彼の目を見て、一語ずつ告げた。
「本当に何も持っていないのは、あなたのほうよ」
高宮悠真は怒りで全身を震わせ、拳を強く握りしめた。彼がこちらへ飛びかかろうとしたその時、控室の扉が再び開いた。
九条怜司が入ってきた。
高宮悠真の体がこわばった。彼は兄を見ることすらできず、顔を青くして俯いたまま出ていった。
13.子どもを抱いて跪く女
まもなく晩餐会が始まった。
私は兄の腕に手を添え、会場へ入った。数歩進んだところで、赤ん坊を抱いた女が突然、私たちの前に立ちはだかった。そして、そのまままっすぐ膝をついた。
産後まだ一か月も経っていない佐伯莉乃だった。
彼女の顔色は悪く、体は細く、腕の中の赤ん坊は柔らかな毛布に包まれていた。彼女はわずかに顔を上げ、口を開くなり、息も絶え絶えに泣き始めた。
「お姉さま、ごめんなさい。全部私が悪いんです。私が、お姉さまとお義兄さんの間にこんな大きな誤解を生んでしまいました。死んでお詫びしたいくらいです」
会場の客たちは、騒ぎを聞きつけて次々にこちらを見た。
佐伯莉乃は泣きながら語った。自分は本当に私と高宮悠真を引き裂きたかったわけではない。ただ、私が妬ましかったのだと。私は幼い頃から佐伯家で育ち、何不自由なく暮らし、家族に愛された。けれど彼女は裕福ではない母子家庭で、冷たい養母と生きるしかなかったのだと。
佐伯家に戻ってから、高宮悠真は彼女にとても優しかった。彼女はこれまで、男性にそんなふうに優しくされたことがなかった。だから一瞬で心を奪われた。自分にもまだ機会があると思った。だが私と高宮悠真は結局、婚約に進んだ。彼女はそれに耐えられなかった。
私が持っているすべては、本来なら自分のものだったのだと。
「私は遺書を残しました。でも、本当に死にたかったわけじゃありません。ただ苦しかったんです。お姉さまにも、自分のものを全部奪われる苦しみを味わってほしかった」
彼女は肩を震わせながら泣いた。まるで胸の奥に隠していた罪を、ようやく吐き出したように見えた。
「その後、私はひどい目に遭って、この子を妊娠しました。全部、私への罰です。だからお願いです。お父さまとお母さま、それにお義兄さんを許してあげてください。みんな、お姉さまのことを本当に大切に思っているんです。私のせいで、あなたたちの関係まで壊さないでください」
佐伯莉乃の涙はあまりに真に迫っていた。
一時は、本当に彼女に同情する者まで現れた。
14.養父母の偏愛
その時、佐伯隆史が佐伯美智子を支えるようにして、よろめきながら近づいてきた。二人は佐伯莉乃を起こそうとしたが、莉乃は私に許してもらうまで立たないと言い張った。
娘が哀れでたまらないのだろう。二人はその場にしゃがみ込み、三人で抱き合った。
佐伯美智子は赤い目で私を見上げ、涙声で言った。
「莉乃、かわいそうな私の娘。悪いのはあなたじゃないわ。私たちがあなたに申し訳なく思って、晴香をおろそかにしてしまったの。全部私たちが悪いのよ。晴香、恨むなら私たちを恨みなさい。私たちはあなたを何年も育ててきた。当然、あなたのことも愛していたわ。決して粗末に扱ったわけじゃない。でも、実の娘が戻ってきたのよ。あの子はあんなにつらい思いをしてきた。少しばかりあの子を優先して、何が悪いの?」
周囲では、小さなささやきが起きた。実の娘が長年外で苦労してきたのなら、親が補おうとするのは当然ではないか。そう思う者もいたようだった。
佐伯美智子はその空気に支えられたのか、さらに言葉を続けた。
「あなたが、莉乃の子を悠真くんと一緒に育てることを嫌がっているのは分かっているわ。でも、あなたたちはもともと結婚する予定だったでしょう。子どもが一人増えたところで、大きな問題ではないはずよ。莉乃はまだ結婚もしていない。父親が誰か分からない子を抱えて、この先どうやって生きていけばいいの?」
私は冷たく笑い、彼女の言葉を遮った。
「彼女が未婚で妊娠したのは、私のせいなの? 私が彼女を家出させた? それとも私が男を用意して、彼女の人生を壊したとでも?」
佐伯美智子の表情が固まった。それでも彼女は、佐伯莉乃がどれほどかわいそうで、どれほど傷ついているかを言い募ろうとした。
私は薄く笑った。
「でも、私はその子の父親が誰か知っているわ」
私は兄を見た。
九条怜司は静かにうなずいた。
15.大型スクリーンの真実
宴会場の大型スクリーンが突然、明るくなった。
画面には、佐伯莉乃が一人の男と車内で口づけを交わしている映像が映し出された。映像はそれほど鮮明ではなかったが、二人の顔を見分けるには十分だった。
やがて、男が顔を上げた瞬間で映像が止まった。
その顔は、紛れもなく高宮悠真だった。
会場は一瞬で騒然となった。
全員が彼の顔を確認したあと、兄は続きを早送りさせた。
映像の最後で、佐伯莉乃と高宮悠真は前後して車から降りた。佐伯莉乃はわざと髪を乱し、スカートの裾に泥をこすりつけた。一方の高宮悠真は、婚約式のために仕立てたスーツの上着を羽織っていた。
時系列は、もはや説明するまでもなかった。
佐伯隆史、佐伯美智子、高宮悠真の顔色を見れば、彼ら全員が真相を共有していたわけではないことも分かった。
佐伯美智子は震える声で尋ねた。
「莉乃……これはどういうことなの?」
佐伯莉乃は必死に首を横に振った。
最初は映像の女は自分ではないと言った。だがすぐに、スクリーン上で彼女の横顔が拡大された。すると今度は、映像は私が技術で合成したものだと言い出した。
「佐伯晴香、私はもうあなたに謝ったでしょう。それなのに、どうしてこんな偽物の映像で私を辱めるの? あなたはもう九条家に認められて、あんなに立派な身分を手に入れたじゃない。どうしてまだ私を許してくれないの? 私とお義兄さんにこんな噂を作って、それで気が済むの?」
佐伯莉乃の言葉を聞いて、高宮悠真もようやく我に返った。彼は胸を押さえ、深く傷ついたような顔を作った。
「晴香、君には本当に失望したよ。君が高宮家の財産を握ったまま、婚約破棄の後も返そうとしないことは、僕は耐えられる。けれど、こんな偽物の映像まで持ち出して、僕と莉乃の名誉を壊そうとするなんて。九条家の令嬢になったからといって、かつて君を大切にした人間をこんな形で傷つけるのか?」
彼らがあまりに熱心に演じるので、途中で遮るのが申し訳なくなるほどだった。
けれど私は、親子鑑定書をそのまま彼らの前へ投げた。
「映像が偽物だと言うなら、この親子鑑定の結果はどう説明するの?」
16.婚約者の隠し子
鑑定書には、白紙に黒い文字ではっきりと記されていた。
佐伯莉乃の腕に抱かれている子どもと、高宮悠真の間には親子関係がある、と。
会場は完全に静まり返った。
私は佐伯莉乃の青ざめた顔を見つめ、声を荒らげることなく言った。それでも周囲の人々には、十分聞こえる声だった。
「あなたは高宮悠真の子を妊娠していたのに、全員の前で、自分は誰かにひどい目に遭わされ、父親の分からない子を身ごもったと泣きついた。おかしいと思わないの? あなたたちが私に育てさせようとしたのは、かわいそうな子どもなんかじゃない。私の婚約者の隠し子よ」
佐伯莉乃の腕がびくりと震えた。
高宮悠真も顔色を失い、唇を動かしたが、まともな言葉にはならなかった。
「あなたたちは、私に婚約者とあなたの子を育てさせようとした。そのうえ、その子のために私は子宮を摘出し、将来自分の子を産む可能性まで捨てろと言った。これが気持ち悪くないとでも思っているの? もちろん、鑑定結果が偽物だと思うなら、今から全員で病院へ行ってもう一度検査しても構わないわ。ここにいる皆さんにも、結果が出るまで一緒に待っていただきましょう」
私は、彼らの後ろめたい顔を一つ一つ見た。
誰も何も言えなかった。
心当たりがあるからこそ再鑑定に応じられない。その態度だけで、すべてを物語っていた。
先ほどまで佐伯莉乃に同情していた客たちは、たちまち表情を変えた。恥知らずだと彼女を罵る者もいれば、高宮悠真を最低だと非難する者もいた。佐伯家へ向けられる視線には、嘲りが混じっていた。
事情を知らなかった佐伯隆史と佐伯美智子も、怒りで顔を青くした。佐伯隆史はその場で佐伯莉乃の頬を叩いた。
「お前は、俺たちが必死に探し出した実の娘だぞ。結婚したいなら、ふさわしい相手をいくらでも探してやれた。なのに、どうして婚約者のいる高宮悠真なんかと関係を持った? 佐伯家の顔を、全部潰してくれたな!」
佐伯莉乃は頬を押さえ、涙を流し続けた。
けれどもう、さっきのような清らかで無実な顔は作れなかった。
17.今日から、私は九条晴香
その時、父である九条宗一郎が壇上へ上がった。彼はライトの下に立ち、冷えた目で会場を見渡した。声は落ち着いていて、感情の揺れは少しも感じられなかった。
「本日をもって、九条ホールディングスは佐伯家との一切の取引を終了する」
その言葉が落ちた瞬間、佐伯隆史の顔が真っ白になった。
佐伯家がこれまで東京の商業界で足場を固めてこられたのは、高宮家と九条家に関わる資源の間接的な後押しが大きかった。九条家が公の場で協力関係を断つということは、佐伯家がこの圈から締め出されることを意味していた。
佐伯隆史は慌てて駆け寄り、私の手をつかんだ。
「晴香、父さんが悪かった。父さんは、あいつらがこんな馬鹿なことをしていたなんて知らなかったんだ。本当にすまなかった。だが、俺たちが二十年以上お前を育てたことに免じて、ここまで徹底的にしないでくれないか?」
私は少しずつ手を引き抜いた。
かつて私が頼りにし、そして私を奈落へ突き落とした男を見ても、胸にはもう大きな波は立たなかった。
「今日から、この世に佐伯晴香はいません。私は九条晴香です。九条家の娘であって、あなたとは何の関係もありません」
壇上の父が、私の言葉を受け継いだ。
「そのとおりだ。晴香は九条家の子だ。今後、私の娘を傷つける者がいれば、九条家は必ず倍にして返す」
会場に再び低いざわめきが広がった。
佐伯隆史は呆然と私を見つめていた。まるで、この瞬間になってようやく、自分が何を失ったのかを理解したかのようだった。
けれど、もう遅かった。
18.断絶の宴のあと
あの夜のお披露目の宴は、最後には親子の縁を断つ宴になった。
それ以来、佐伯隆史と佐伯美智子は頻繁に私へ連絡してきた。謝罪、弁解、後悔。彼らは、ただ佐伯莉乃がかわいそうで、一時的に判断を誤っただけだと言い続けた。
私は一通も返事をしなかった。
あの日の後、高宮悠真と佐伯莉乃は完全に仲違いしたらしい。佐伯家は世間体を気にして、佐伯莉乃が一生結婚できなくなっても、高宮悠真と一緒にさせるつもりはないという。だが、そんなことは私にはもう関係なかった。
私はようやく、この一件を過去にできると思っていた。
そんなある日、高宮悠真から一通のメッセージが届いた。
彼は、私が新居に置いていた荷物をすべて整理したと書いていた。さらに、この数日は海外へ行く予定だから、いつでも取りに来ていいとも書いていた。
このところ慌ただしくしていたせいで、私は忘れかけていた。結婚後に住む予定だった港区の高層マンションには、今は使わないけれど思い出のある物が、確かにいくつか置いたままだった。
私は人を使って彼の予定を確認した。高宮悠真は本当に海外行きの航空券を購入していた。
そこで私は、彼の便が出発した後、そのマンションへ向かった。
部屋に戻ると、少しだけ胸が締めつけられた。この部屋は、高宮悠真が最初の投資利益で購入したものだった。あの頃はまだ佐伯莉乃も戻っておらず、高宮静江も生きていた。養父母も、まだ私の父と母だった。
あの頃、彼らは皆、私を愛してくれていた。
けれどすべては、もう戻らない。
19.彼は搭乗していなかった
私はリビングで古い荷物を確認していた。
その時、ふいに足音が聞こえた。
顔を上げると、本来なら飛行機に乗っているはずの高宮悠真が、私の前に立っていた。無精ひげを伸ばし、頬はこけ、目には冷たい執着が宿っていた。その眼差しに、背筋が凍る。
「晴香、やっぱり来てくれた。さっき君がこの部屋を名残惜しそうに見ているのを見て、分かったよ。どれだけ口では冷たく言っても、君の心の中にはまだ僕がいる。君はただ、僕に意地を張っているだけなんだろう?」
そう言って、彼は私へ突進してきた。
私は身をかわそうとした。だが彼は椅子を蹴り飛ばし、私の足元へ倒した。避けきれず、私はよろめいてソファに倒れ込んだ。彼はそのまま私に覆いかぶさってきた。
「晴香、僕はもう完全に佐伯莉乃と別れた。誓うよ。これからは彼女と一切連絡を取らない!」
私はもがきながら言った。
「あなたたちには、子どもがいるでしょう」
彼は突然笑い出した。
その笑みは暗く、背筋が冷えるほど不気味だった。彼は寝室を指さし、まるで些細なことを話すように軽い声で言った。
「前はいた。でも今は、もういない。子どもはあの中だ」
彼は私に顔を近づけ、かすれた声で、しかし興奮したように囁いた。
「でも安心して。あの子が、もう二度と僕たちの邪魔をすることはない。だって、もう死んだから」
私は息をのんだ。
さらに強く抵抗したが、彼は私を押さえつけ、まったく離さなかった。
高宮悠真は私にぴたりと体を寄せ、笑みを深めていった。
「今から、僕たちはやり直すんだ。二人で頑張れば、すぐに本当に僕たちだけの子どもを持てる。だって僕は、こんなにも君を愛しているんだから」
私は彼の狂った顔を見て、ふいに鼻で笑った。
「残念ね。あなたにはもう、一生そんな機会はないわ」
彼が私の服を引き裂こうとした瞬間、玄関から大きな音がした。
私が連れてきたボディガードが扉を蹴破り、中へ飛び込んできた。
20.彼が諦めるはずがないと、私は知っていた
実のところ、高宮悠真が急に静かになった時点で、私は彼がもっと大きな企みを隠していると分かっていた。
私は彼をよく知っていた。たとえ高宮家の財産のためだけであっても、彼がそう簡単に私を諦めるはずがない。彼は私をおびき寄せるために、わざと航空券を買い、自分は海外へ行くとメッセージを送ったのだ。
彼は十分に芝居を打ったつもりだったのだろう。
けれど彼は知らなかった。私は飛行機が離陸した後、もう一度搭乗情報を確認していた。結果は、彼が搭乗していないことを示していた。
それでも私がここへ来たのは、彼が最後に何をするつもりなのか確かめたかったからだ。このすべてには、決着をつける必要があった。
私はボディガードを連れてきて、部屋の外で待たせていた。さらに私の身には非常用の通報装置もつけていた。ボタンを押せば、彼らはすぐに飛び込んでくる。
それだけではない。私たちは、五分ごとに私が無事を知らせるメッセージを送ると決めていた。最後の連絡から五分を超えた場合、彼らは迷わず扉を破る約束だった。
ボディガードが駆け込んだ後、私はすぐに寝室へ走った。
ベッドの上には、本当に赤ん坊がいた。
私は慎重に近づき、その子の呼吸が弱いながらも続いていることを確認した。すぐに病院へ運ばせ、佐伯家にも連絡した。
幸い、子どもは助かった。
病院を出る時、私は佐伯家の人々を見かけた。佐伯美智子は私の手をつかみ、何かを言おうとした。けれど彼女は口を開いたまま、結局一言も発しなかった。
私は手を引き抜き、そのまま背を向けた。
21.高宮悠真の結末
九条家へ戻ると、父は怒りで顔色を変えていた。
彼は本来、高宮悠真が釈放されたら、さらに徹底的に思い知らせるつもりだった。だが高宮悠真が出てくることはなかった。
後になって知ったことだが、あの晩餐会の後、高宮悠真は佐伯家に、自分のために口添えをしろと迫ったらしい。佐伯莉乃は泣きながら、私を諦めて自分と結婚してほしいと頼んだ。だが彼は拒んだ。佐伯家も面子を失うことを恐れ、彼のために動くことはなかった。
そこで彼は、子どもを連れ去り、その子を盾に佐伯家を脅した。
佐伯家も警察へ通報した。
今回、高宮悠真には傷害、監禁、脅迫、強制わいせつ未遂など、複数の容疑がかけられた。おそらく彼は、長い年月を刑務所で過ごすことになる。
高宮家の内部も完全に混乱した。高宮静江が残した遺言は正式に効力を持ち、私が握っていた株式と信託収益は、弁護士団によって改めて整理、確認された。
高宮悠真はずっと、私が彼から離れれば何も持たない人間になると思っていた。
けれど最後に本当に何もなくしたのは、彼のほうだった。
22.佐伯家の没落
高宮悠真の件が落ち着くと、佐伯家の日々も急速に悪化していった。
九条家が公に佐伯家との取引を打ち切ると表明して以降、佐伯家の事業は坂を転げ落ちるように傾いた。他社も九条家の機嫌を損ねることを恐れ、契約満了後の更新を次々に見送った。かつて佐伯家の周りに集まっていた人々も、一人また一人と姿を消した。
最後の体面を守るため、佐伯隆史は資産を売却し、家族を連れて日本を離れる準備を始めた。
佐伯莉乃の暮らしも、うまくいっていないらしい。彼女は佐伯家へ戻れば、自分に属するはずだったお嬢さまの人生を取り戻せると思っていた。だが彼女は自ら婚約を壊し、家の名誉を壊し、佐伯家に残されていた最後の退路までも壊した。
救われたあの子を抱く彼女は、佐伯家が永遠に逃れられない恥の象徴になった。
出国前、佐伯隆史と佐伯美智子は九条家へ私を訪ねてきた。だが兄が門前で止めた。兄によれば、二人は自分たちの口で私に償いたいと言っていたらしい。
どうしても私に会えないと分かると、彼らは一通の手紙を残していった。
兄はその手紙を私に渡した。そこには多くのことが書かれていた。二十年以上の間、どれほど私を愛し、この娘をどれほど大切に思っていたか。佐伯莉乃を見つけた後、どれほど無力で、矛盾し、罪悪感に苦しんだか。
彼らは、私を愛していなかったわけではないと書いていた。ただ、実の娘を補いたかっただけなのだと。もしやり直せるなら、決してあんなふうに私を傷つけたりしないとも書いていた。
私は数行読んだところで、もう続きを読みたくなくなった。
遅すぎる悔恨に、意味などない。
私は手紙を丸め、ゴミ箱へ捨てた。
23.これから先、すべて私には関係ない
その後、佐伯家は本当に日本を離れた。彼らは東京の不動産と会社に残った資産を売却し、佐伯莉乃とあの子を連れて海外へ行った。
誰かに、彼らを恨んでいるかと聞かれたことがある。私は長い時間考えたが、もうそれほど強い感情は残っていないことに気づいた。
一番痛かったのは、病院で彼らに腕を押さえつけられ、献血を強要された時だった。
一番冷え切ったのは、彼らが当然のように、佐伯莉乃の子のために私の子宮を取れと言った時だった。
あの瞬間から、私の中で彼らへの期待はすべて死んだ。
だから今、彼らが幸せでも、不幸でも、もう私には関係がない。
私はもう佐伯家の偽令嬢ではない。高宮悠真の婚約者でもない。私は九条晴香。九条宗一郎と九条夫人が取り戻した娘であり、九条怜司が何より大切に守ってくれる妹だ。
私はかつて捨てられ、憎まれ、裏切られ、絶望の底へ追い詰められた。
けれど、それは私のせいではない。
取り違えられたことも、偏愛されたことも、裏切られたことも、私の罪ではない。悪いのは、私を傷つけておきながら、それでも感謝しろと望んだ人たちだ。
24.新しい人生
高宮悠真が収監された後、私は高宮静江の墓を訪ねた。
墓地は東京郊外にあった。春の風は柔らかく、桜はもうほとんど散っていた。石段の端に、数枚の花びらが貼りついているだけだった。私は白いトルコキキョウの花束を墓前に供えた。それは彼女が生前、最も好きだった花だった。
私はしばらくそこに立ち、静かに語りかけた。
「おばあさま、ごめんなさい。悠真とは、最後まで一緒にいられませんでした」
風が梢を揺らし、花びらが墓石の前へそっと落ちた。
私はふいに、少しだけ笑った。
「でも、おばあさまはきっと最初から分かっていたんですね。彼が、人生を預ける価値のある人ではないことを。私に逃げ道を残してくださって、ありがとうございました」
墓地を出ると、兄が車のそばで待っていた。
私の目元が少し赤くなっていることに気づいたはずなのに、彼は何も聞かなかった。ただ車のドアを開け、温かいコーヒーを私の手に渡してくれた。
「帰ろう」
「うん。帰ろう」
車は墓地を離れた。窓の外で、東京の街が少しずつ明るくなっていく。
裏切られ、捨てられ、辱められた過去の日々は、ようやく完全に背後へ遠ざかっていった。
これから先、佐伯家も、高宮悠真も、もう私には関係ない。
私は、私自身の新しい人生を始める。




