幸いの街のガラスの花
◆推定読書時間:10~15分
「喪失の悲しみと幸い」がテーマの短編ファンタジーです。
ジョージ・マクドナルドあるいは宮沢賢治のような幻想的な世界観がお好きな方に合うかもしれません。
◆これまでいただいた感想
・ファンタジー要素を感じながら、スムーズに読み始めることが出来て、途中からは「悲しみの涙の花」の謎に引っ張られて最後まで一気読みしました。
・悲しくて幸せな思い出と、忘れたくないという決意が立ち上がってくるのを感じました!
・改めて幸せとは何か、そして幸いの在り方について考えさせていただきました。
誰もが幸せに暮らす幸いの街の真ん中に、大きな時計塔がありました。
時計塔には、エリンという名の少年が住んでいました。
エリンの仕事は、時計塔の長い針をピカピカに磨くことでした。
今日も長い針をピカピカに磨いたエリンは、薄汚れた短い針に座りました。
短い針が3の位置にあるときが、エリンの一番好きな時間です。
商店街をみおろすと、お店のおじさんから野菜を買う女の子の姿がありました。
商店街から右側にあるカフェ通りでは、幸せそうな若い夫婦が微笑みを交わしています。
今度は左側にある広場に目を向けると、子供たちがおいかけっこをしていました。
誰もが笑顔で、本当に幸せそうです。
ふと視線を感じて時計塔のしたのほうに目を向けると、男の子がエリンを見上げて手を振っています。
よく見ると、男の子は大きなパンを持っています。
食べかけのまま手を振っているようです。
エリンはすっかり楽しくなって、大きく手を振り替えしました。
エリンはいい気分で短い針の上にたつと、てっぺんに延びた長い針をそっと撫でました。
長い針は薄汚れていますが、こちらはエリンのおつとめではありません。
そのとき、午後の暖かな風がエリンのほほを撫でました。
それと同時に、どこからか白いなにかが飛んできて、エリンの顔に張り付きました。
エリンは慌てて顔に張り付いたものに手を伸ばしました。
それは、小さな女の子でした。
女の子の背中にはトンボのような透き通ったはねがついており、小さなからだの倍以上もある袋を持っていました。
こんな小さな女の子は見たことがありません。
けれどエリンはこの女の子を知っていました。
時計塔の文字盤にこの女の子の絵が描いてあるからです。
幸の国には、むかしから人々を幸せにする妖精がすんでいると言われていました。
その妖精は風の少女と呼ばれていました。
風に乗って人々のほほから涙を集めて花を作り、風の終点に届けると言われています。
風の終点は少女が運んできた花が咲き乱れ、それはそれは美しいのだそうです。
この女の子は、エリンが毎日見ている風の少女の絵とそっくりでした。
もしもこの女の子が本当に風の少女なら、この袋の中にあるのは涙から作った花に違いありません。
風の少女が運ぶ花は、透き通ったガラスの花と言われています。
一体どんな花なのか、エリンは想像しようとしました。
そのときです。
袋の中から光る何かが一つ、転がり落ちました。
それは、透き通ったガラスの花でした。
時計塔の窓から差し込む日の光を浴びてキラキラ輝いています。
薄く透き通ったガラスの花びらは幾つもの色で輝いていました。
よく見ると花びらの一枚一枚に何かが映っているように見えます。
けれどそれは一瞬のことでした。
袋からこぼれた小さな花は、輝きをまといながらクルクル回って床に落ち、カシャン、音を立てて壊れました。
小さな音でした。
けれど、女の子が目を覚ますには十分な音でした。
エリンの掌の上で目を覚ました女の子は、慌てて床をのぞき込みました。
床に落ちた花は形を失っていました。
「ごめん」
エリンは慌てて壊れた花を拾おうとかがみましたが、手を伸ばす前に、飛び散った花びらは涙に戻り、床にしみて消えました。
「ああ、なくなっちゃったわ」
女の子はエリンの指にしがみついて床を見下ろしています。
壊れた花は、まさに涙からできた花だったのでしょう。
あの一瞬のきらめきはもう二度と戻らないのだと思ったとき、エリンの喉の奥に何かが詰まりました。
苦しさにエリンが思わず眉を寄せると、手のひらの上の女の子がこちらを見ています。
女の子はエリンの顔をじっと見ると、手を伸ばしてきました。
エリンは驚きました。
すると女の子も驚いて手を引っ込めました。
「泣かないの?」
女の子の問いかけに、エリンは「どうして?」と首をかしげました。
「悲しそうな顔をしていたから」
「悲しい顔?」
エリンは首を振りました。悲しい気持ちになどなるわけがありません。
「そんなはずはないよ。僕は幸いの街のエリンだから」
幸いの街のひとはみんなこんなふうに名乗ります。だからエリンもそう言いました。
それでも女の子がエリンの顔をじっと見つめるので、エリンは少し考えることにしました。
「もしも悲しそうに見えたのなら、花が壊れてしまったからだよ。もっと僕が気を付けていたら、花が落ちて壊れることはなかったかもしれない」
エリンがもう一度「ごめん」というと、女の子は「あなたのせいではないわ」と言いました。
それからエリンが「ねえ。君は風の少女だよね」と尋ねると、女の子は「たぶん」と答えました。
たぶん、とはずいぶん不思議な返答です。
「私たちがそう名乗ったわけではないもの。街の人がそう呼ぶだけだわ」
「じゃあ、君の名前は?」
「フウ」
「フウ……それが君の名前なんだね」
女の子――フウはうなずくと、羽をゆらゆら揺らしました。
「どうしたの?」
「さっき、羽を痛めてしまったみたいなの」
「それは大変だ。手当てをしないと」
「大丈夫。風の終点に行けば治せるから」
でも、とフウはうつむきました。
「袋が重くて飛べないの。とびきり重い花があるせいよ。でも、花を捨てるわけにはいかないし。これ以上、なくすわけにもいかないわ」
フウは長いため息をつくと、花が落ちた場所を見つめています。レンガの床は乾いていて、花がおちて壊れて消えたことが嘘のようでした。
風の少女は街の皆の恩人です。
風の少女のおかげで、街の人もエリンも、毎日の幸いを感じることができます。
エリンはなんとかフウの役に立ちたいと思いました。
「そうだ。いちど、花を持ち主に返すのはどうだろう?」
花は誰かの涙からできていると言われていますから、それぞれにもとの持ち主がいるはずです。
「花がなければ飛べるんだろう?」
「ええ、そうね」
「なら簡単じゃないか。風の終点にいって羽を治してから、もういちど花を集めればいい」
これなら花を捨てることもなくすこともありません。
エリンとフウは、ガラスの花をもとの持ち主に届けるために街にでました。
「ねえ、フウ。ところで、どの花が誰のものか君にはわかるの?」
「もちろん、わかるわよ」
ひょっとして、花に持ち主の名前が書いてあるのでしょうか。
エリンがふしぎに思っていると、「あ、時計塔のお兄ちゃん」と声をかけてくる人がいます。
大きなパンを持った男の子でした。
さきほど、時計塔の下からエリンに手を振っていた男の子です。
パンはかじりかけのまま、ちっとも減っていませんでした。
フウが袋から花をひとつ取り出しました。
丸く薄い花びらが幾重にもかさなり、可愛らしく咲いています。
透き通る花びらに、日の光が辺り、キラリと光りました。
「これをあなたに」
フウがガラスの花を差し出しました。
男の子は目を丸くしてフウを見ています。
「え、風の少女?」
男の子はフウに手を伸ばしました。
とたん、不思議なことが起きました。
ガラスの花びらに、男の子の姿が映し出されたのです。
いいえ、花びらに映ったのは男の子だけではありませんでした。
男の子によく似た、男の子よりもっと小さな子の姿も映っています。
二人の男の子はよくにていました。小さな男の子は、弟なのでしょう。
花びらの一枚一枚に、兄弟のようすが写し出されました。
おいかけっこをしたり、大きなパンを半分に分けて食べたり。
弟がお兄ちゃんのせなかでうとうとしている姿もありました。
二人は楽しそうで、幸せそうでした。
べつの花びらの中で、男の子の弟はベッドの中で眠っていました。
ベッドの中の弟は細くやつれていました。
それからお兄さんが持つパンを見ると、弱弱しく手を伸ばしました。
ガラスの花が男の子のほほに触れ、静かに溶けていきます。
涙からできたガラスの花は、男の子のほほで涙に戻りました。
一滴の涙が、男の子のほほの膨らみを流れて、顎にとどまり、それから地面に落ちました。
「どうして忘れていたんだろう」
男の子は眉間にしわを寄せました。
頬の肉が盛り上がり、唇がかすかにふるえています。
エリンが驚いていると、男の子の瞳に水がたまり始めました。
「一緒に食べようと思っていたのに。僕は先に、食べちゃったんだ」
男の子はパンをぎゅっと握りました。
その時エリンは気づきました。
端が欠けたパンはすっかり固そうで、所々にカビが生えています。
ずっと、食べないまま持っていたのでしょう。
「焼きたてのパンが、とてもいい匂いだったから」
男の子は、パンをにぎりしめたまま、泣き出しました。
エリンは思わず、逃げ出してしまいました。
何故なら、この街で泣いている人を見たことがなかったからです。
男の子が見えなくなって、ようやくエリンは足を止めました。
「ね、誰の花か、すぐにわかるでしょう? ちゃんと返せてよかったわ。袋もすこし軽くなったし」
エリンはちっとも「よかった」とは思えませんでしたが、フウが安心したようなので頷くことにしました。
「さあ、次の花をかえしにいきましょう。早く花を返して風の終点にいかなくちゃ」
「ねえ、フウ。さっきの男の子は、また幸せになれるかな」
涙を返された男の子は、きっと今も泣いているのでしょう。
「私の羽が治ったら、もういちど花を受け取りに来るわ。そうしたら、また幸いをたくさん感じられるわ」
なるほど、とエリンはうなずきました。
あの男の子が悲しんでいるのはフウが花を返したからです。
フウが涙から花を作ればすぐにまた、あの男の子は笑いだすでしょう。
悲しみが取り除かれるのですから。
それからエリンとフウは、ガラスの花を街の皆に返して歩きました。
ガラスの花びらには、街の人たちの思い出がいくつも浮かび上がりました。
畑を耕す父親と、それを手伝うお母さんと子供の姿がありました。
カフェでお茶を酌み交わす若い夫婦の間には、小さな赤ちゃんが眠っていました。
追いかけっこをする子供たちのそばに、お菓子を配る老婆がいました。
花びらに浮かび上がるのは、いつもエリンが時計塔から見ていた風景です。
誰もが笑顔で、本当に幸せそうでした。
けれど、花びらのなかには、今はいない「誰か」がいました。
なかには、その誰かの名前を呼ぶ人もいましたが、答える人はありませんでした。
幸いの街から微笑みが消えました。
商店街から、カフェ通りから、広場から、笑い声が消えました。
どこからか、すすり泣く声も聞こえてきます。
今や、幸いはどこにもありません。
エリンはフウとすっかり軽くなった袋を抱えると、急いで時計塔に帰りました。
袋のなかには、ひとつだけ、花が残っていました。
エリンは階段を駆け上り、時計塔の上から街を見下ろしました。
夕方の時計塔は風が強く、街の音をすっかりかき消してくれます。
いつも座っている短い針は、斜め下をさしています。この角度では、針に座ることはできません。
長い針は夕日を反射してキラキラ輝きますが、薄汚れた短い針は光を吸い込むようでした。
「僕のおつとめは、時計塔の針を磨くことだけど……僕はどうして長い針だけを磨いているんだろう」
ずっと、短い針は薄汚れたままでした。
けれど、ピカピカしていたときもあることを、エリンは知っています。
「わからないんだ。誰かが短い針を掃除していたはずなのに」
そういってから、エリンは気づきました。わからないのではなく、忘れていることに。
誰かが短い針の掃除をしていました。
そして3時にはならんですわり、街を見ていました。
「花はあとひとつ、残っているわ」
街の人々はみんな花を受けとりました。たった一人を除いて。
フウは袋とエリンを順番に見て、羽を揺らしました。
すこしだけ冷たい夕方の風が二人の間を通り抜けていきます。
「ねえエリン。エリンは花を返してほしいかしら」
エリンが首をかしげると、フウは目を伏せました。
「この花ひとつだけなら、風の終点までこのまま飛んで行けそうな気がするの」
どこからか、誰かのすすり泣く声が聞こえます。
誰かを呼ぶ声がします。
誰も笑っていません。どこにも幸いはなくなってしまったようでした。
「羽を治したらすぐに戻ってくるわ」
「だけど、僕から幸いはなくなってしまったみたいだ」
エリンは喉ものとを押さえながら、笑おうとしましたが、うまく微笑むことができませんでした。
「なくしてしまったものに気づいたから」
「あなたは泣いていないわ。エリン」
「泣くことができない悲しみも、きっとあるんだ。それに、僕の幸いは、その花の中にあるんだよ」
袋にのこった、最後のガラスの花をエリンは手のひらにのせました。
その花は、大きく重く、ずっしりとしていました。
時計の針のように、細く長く、キラキラ光る花びらが数えきれないほど重なった、まあるい花でした。
それはすこしだけタンポポにもにていました。
一枚の花びらに、長い針を磨くエリンと、短い針を磨く男の子がいました。
また別の花びらにも、エリンとその男の子がいました。
まいにちまいにち、同じ時間に同じように時計の針を磨く二人の姿は、少しずつ大きくなっているようでした。長い年月を、二人で一緒に過ごしたのです。
短い針にならんで座り、街を見下ろすすがたも、たくさんありました。
一枚一枚の花びらの全てに、エリンと男の子がいて、二人は楽しそうに時計の針を磨いていました。
短い針はピカピカで、エリンと男の子はいつも笑っていました。
「思い出したよ。あの子の名前を」
ガラスの花がエリンの手のひらにとけて消えました。
花びらにうつっていた一つ一つの思い出が、エリンのなかにいくつもいくつもよみがえりました。
花びらの数よりずっと多い涙の雫がとめどなくほほを流れて床に落ちます。
床に落ちた涙は、消えることなくそのままそこにシミを作りました。
「その花だけは持っていくわ。だってエリンは私を助けてくれたもの」
フウの手がエリンに触れようとしましたが、エリンはその手から逃れました。
「だめだよ。フウ。この悲しみは、幸いなんだ」
「幸いは、微笑みと共にあるものだわ」
ふたたびフウの手がエリンにのびましたが、エリンはそれを止めました。
「お願いだ、風の少女。僕の幸いをうばわないで」
「悲しみは風の終点で花畑になる方がみんなを幸せにするはずよ」
エリンはそっとフウの頭を撫で、手のひらにのせてたかくかかげました。
「いいんだ」
フウはエリンをじっと見つめてから、ゆるゆると羽を揺らしました。
「さようなら、エリン」
エリンがうなずくと、フウは日の沈んだ山の向こうに向かって飛んでいきました。
時計塔の鐘が鳴ります。
おつとめ時間の終わりを告げる鐘が三度、街に響きわたり、風に散って消えました。
少しでも良い読書時間をお過ごしいただけたなら幸いです。




