1-8
『通信切断完了』
『言語設定完了』
『免疫調整完了』
『主人公補正、停止完了』
聞き慣れた機械音声が、俺の胸をなでおろす。
「ここは?」
ロウラの無垢な視線が、俺を責める。
彼女は今、どんな風に思っているのか。
救われた……そう感じているのだとすれば、間違いじゃない。
でも、救ったのだと思っているのなら、俺はどう言い訳をすればいい?
「ここは別の世界だ」
そう言っても、伝わらないかもしれない。
でも、ロウラは握る手を引いて、俺に聞いた。
「……私の……元の世界はどうなったのですか?」
即答すべきか、嘘をつくべきか。正しい選択肢がないか、思考を巡らせる。
そんなもの、無意味だと分かっているのに。
「ロウラ……ちゃん?」
恐る恐る、イグルが声を掛ける。
「あなたは?」
「あ、私は高梨イグル。苗字が高梨で、名前がイグル」
「これはご丁寧に。私は苗字がシュラウガン、名前をロウラと申します」
見かねたイグルが、注意をそらしてくれた。
毛布をロウラの肩に掛けて、俺から離そうとする。
これ以上、無責任ではいられない。
「ロウラの世界は消滅した」
俺は声を荒らげて言った。
ロウラは表情を変えないまま、振り返る。
「どうすれば世界を取り返せますか?」
まだ、ロウラは諦めていない。
それが自らに課せられた試練であるかのように、むしろ目に光を灯す。
自らが乗り越えることさえできれば、全て戻ってくると……そう思っている目だ。
「……もう、元には戻らない。すべて消えた。全てだ」
俺は包み隠さず伝えた。
ロウラは何度か長い呼吸を終え、毛布と共に甲冑を取り外す。
胸、肩、腕、足の順に。それらは、ガランと鈍い音を立てて床に転がる。
「ぐっ……ぐううう……うううう!」
突然、ロウラは自らの腕を噛んだ。
肉を抉るほどの力が入っている。滴る血の量がそれを物語っていた。
「ちょ、ちょちょ、ロウラちゃん、何やってんの!」
イグルが慌てて腕を引っ張るも、びくともしない。
俺はただ、その光景を見ていることしかできなかった。
暫くすると、ロウラは口を離して、もう片方の腕で口元の血を拭った。
「弱い心は全て飲み込みました」
顎をシワだらけにして、玉のような涙を流す。
家族を想っているのか、全ての命を愁いているのか。幼く見える泣き顔からは、それを察することはできない。
「こ、これどうぞ……」
イグルがハンカチを手渡す。しかし、ロウラは手の平を向けてそれを断る。
「騎士は涙など流しません! お心だけ受け取っておきます」
頬を濡らしながら意気地を見せる。ロウラが泣き止むまで、そう時間はかからなかった。
「ふぅ……アラタ。世界を取り戻す方法は、本当にないのですか?」
「あぁ、ない」
「ふふ、よかった……」
ロウラは予想外の反応を見せた。
「”ない”ということは、”ある”ということ」
そう聞いて、俺は眉を顰める。空元気というわけでもなさそうだ。
「私はこの二日間で、信じられない体験をしました」
魔王の魔弾を捻じ曲げたことも、世界が崩壊したことも、ロウラにとってはそうだろう。
「そして、それ以前に異世界の存在を問われていれば、私はこう答えたでしょう――そんなものは”ない”、と」
俺は次の言葉を聞く前に、鼻の穴を広げた。
「つまり! ”ない”ということは”ある”ということなのです!」
俺は笑うでもなく、驚くでもなく、清々しいほどの無謀を全身に浴びて、目が覚めた。
「……あぁ、その通りだ!」
ロウラが諦めていないのなら、俺が諦める訳にはいかない。
「とりあえず応急処置だ」
俺はロウラの腕を胸の高さまで持ち上げて、イグルに救急キットを持ってくるよう催促した。
***
「では、異世界とは数多あるのですね!?」
「そ。ほとんど同じ世界もあるし、全く別の世界もある。それはもう数え切れない程ね」
「なるほど! ではこの”ぱそこん”という魔法具も、異世界の産物なのですね!」
「まぁ、そんな感じかな。かなりレトロテックだけどね」
ロウラは現代の授業を受けながら、世界について理解を深めている。
イグルの適当さが、誤った知識を与えている気がするが、それも一興だと考えよう。
俺はそんな会話よりも優先度の高い議題を、話しに割って持ち出す。
「オワリたちの目的はなんだと思う?」
それは世界を壊すこと。だとしたら何故?
「見当もつきません」
イグルは椅子に深く寄り掛かって、天井を見上げながら言った。
「キュウスイって奴は、”動機”と”犯人”と”手段”が必要だと言ってたな」
「それは、知る必要があるということですか?」
ロウラは冷静に分析した。
「でも、それだとおかしいですよね? だって”犯人”と”手段”は分かってるじゃないですか」
イグルの言う通りだ。
犯人はオワリとキュウスイ。
手段は主人公補正。それを悪用することで均衡値が規定を大きく上回り、取り返しがつかない状態となった。
「”手段”は世界を崩壊させた方法じゃなくて、異世界に転移する方法のこと……なのか?」
俺は発想を転換する。
オワリたちが姿を消した時、紫色の光を見た。
「”手段”は境界技研の転移技術。そして”犯人”……黒幕は今も境界技研にいる……?」
確証のない甘い推理。だが、可能性は十分あり得る。
「なぁんかそんな気がしてきましたよぉ! とりあえず、元第一班のメンバーを洗い出してみます!」
イグルは、いの一番に舵を切った。
オワリの共犯がいるとすれば、同じ班だった人間が一番怪しい。
「ともかく、このことは上に報告しないとな……」
俺は普通にクビになるかもしれない。
その時は、何とかロウラだけでも暮らしていけるようにしないとな。
「……その必要はないみたいですよ」
そう言って、イグルはキーボードを叩く手を止めた。
『んー、んん。第三班は全員揃っているかな?』
たった三人のオフィスに、突然響き渡る音声。
鮮明なホログラムに映し出されたのは、デフォルメされた狸のキャラクター。
通話ソフトがデフォルトで用意しているアバターだ。
『今月に入って消滅した異世界は、これで8つ目だ』
狸がぴょこぴょこと手足を動かしながら、抑揚のない声を発する。
姿を見たことはないが、この声は聞いたことがある。
『代表者として、これは見過ごせない事態だ』
久能コーポの代表取締役にして、秘密裏に境界技研を運用する男だ。
『君たちには責任を取ってもらう。もちろん、異世界のお嬢さん。君もだ』
そう聞いて、凍りついた俺とイグルを他所に、ロウラは覚悟した表情で立ち上がった。
「ロウラ・シュラウガン。騎士として、責任を持って世界を救う所存!」
ロウラの心は、既に先を見据えていた。




