2-14
「あがっ……あああ、あう……」
ヒュリューカは目の下で流れ続ける血を手の平で掬いながら、尻餅を突いた。
「あ、愛の鞭……と、言ったところかな……」
洗脳されているからこそ、ヒュリューカは暴力を振るわれても懲りない。
それだけが心残りだ。
「お嬢! ホンマごべんなぁ……ウヂが馬鹿やっだぁ!」
ジェラコは涙と鼻水を流しながら、ピュナに抱き着いた。
厳格な執事という設定は忘れ去られ、強い感情だけが彼女を動かしている。
「もう、ジェラコったら。わたくしだって、泣いたり狼狽えたりしたいのに……全部あなたに取られちゃったわ」
ピュナはまだ状況を飲み込めていないだろう。
それでも、困ったように微笑みながらジェラコの頭を撫でた。
「ううむ、これは一体何がどうなったのでしょうか?」
俺の背中から顔を出して、ロウラが首をかしげる。
「ま、大団円ってとこじゃないか?」
なんて無駄な遠回りだったんだろう。
最初から、俺やロウラが奔走する必要はなかったんだ。
愛情も友情も、初めからそこにあったのに。
俺はジェラコとピュナの姿を見て、自らの愚かしさを改めて実感した。
「誘拐犯は縛り上げたが……そいつも縛った方がいいのか?」
そう言って、ブラニュートが血だらけのヒュリューカに杖を向けた。
背後にはルーパもいる。
ジェラコと一緒に馬車でやってきていたか。
「いや、こいつはいい。もうジェラコにぞっこんだからな」
俺はぶっきらぼうに答えた。
「な、ななな、ロウラの従者は躾がなってないのか!? なんて太々しい態度だ!」
「ははは……実は最初からこんな感じの人だったよ……」
ブラニュートが憤慨し、ルーパが苦笑する。
もう、取り繕う必要はない。
俺とロウラにとってのエンディングは近い。
「ピュナ。頼みがあるんだ」
俺は素のままに声を掛けた。
暫く二人きりにしてやりたい気持ちもあるが、同業のジェラコには遠慮する必要はないだろう。
「は、はい! 何でしょうか?」
「俺たちは、ロウラの故郷を滅ぼした男を探している。ピュナが協力してくれれば、そいつをここに呼び出すことができるんだ」
「ええと……」
当然、ピュナは理解できない。
もっと詳しく……そう思っていたが、ピュナは眉の端を上げてから続けた。
「わたくしにできることならなんなりと。魔法はまだ使えませんが、家の力は使えるでしょう」
貴族としての権力。それを貸し出すと言う。
「ありがとう。でもそれは必要ない。ジェラコの手を握って、強い感情を乗せて欲しい」
「強い感情?」
「あぁ。同情でも、友情でも愛情でも……俺とロウラのために」
「アラタ様と、ロウラのために……!」
「それと――ジェラコへの感謝を」
「ウ、ウチ!?」
ジェラコは飛び上がる勢いで体を揺らした。
「ふふ、いつもありがとう、ジェラコ。その話し方、とっても素敵よ」
「お嬢……」
一時の愛情よりも、気兼ねない友情よりも、きっと積み上げてきた信頼には敵わない。
ジェラコの左手をピュナが。右手を俺が握る。
「ほな、いくで」
ロウラが剣を握る。
イグルがイヤホン越しに気合を叫ぶ。
何も知らないブラニュートとルーパが、不思議そうに様子を伺う。
「【主人公の前には、必ず宿敵が現れる】」
主人公補正の宣言だけが、教会に静かに響く。
「……失敗、なんか?」
静寂に耐えられなくなったジェラコが、諦めの言葉を吐いた。
しかし、それを否定するように教会の扉が軋む。
月光に照らされ、インバネスコートの端を揺らしながら、その男は現れた。
雨露キュウスイ――オワリと行動を共にしている、どこかの世界の主人公。
「ッ――イグル、オワリはどこだ!?」
『検知できません! こちらのプログラムをブロックされた形跡もない……本当に周囲にいないみたいです!』
これでは、イグルの用意した”必殺技”も使えない。
「……力量差は歴然。斬る必要はなさそうですね」
ロウラは構えを解いて、剣を下ろした。
騎士としての審美眼。俺はそれを信頼している。
キュウスイは、きっと戦えるタイプの主人公じゃない。
「これは僕の独断による単独行動だ。常広オワリはいない。証拠がなくとも、それは分かっているんだろう?」
ゆっくりとこちらへ歩を進めながら、キュウスイは説明した。
異世界保全課……いや、境界技研に何ができるのかは、オワリから聞いて知っているようだ。
「ここに折時アラタが居たのは想定外だが、僥倖だ」
キュウスイはジェラコと俺を順に目で追ってから言った。
元々は、ジェラコを探して魔法学園に向かっていたのだろう。
しかし、ジェラコの主人公補正が因果を書き換え、偶然の出会いを必然の出会いに変えた。
本当はオワリを呼び寄せるつもりだったが、僅かに感情の力が足りなかったか……。
「一人で何の用だ?」
「手掛かりを持ってきた。僕が知る限りの全てを話そう」
キュウスイは長椅子の端に座り、静かに語る。
「さぁ、謎解きの時間だ」
「……謎解き? ふざけるな! オワリの居場所を吐け」
「落ち着け。僕は常広オワリの味方だが、君たちの味方でもある」
他人事のような話口調に、俺は苛立ちを隠すことができない。
今にも殴りかかりそうな俺を、むしろロウラが制止する。
「異世界を壊す利点は何だと思う?」
「さぁな」
こちらへ問いかける形で、キュウスイは話を進める。
俺はそれが、どうしようもなくもどかしかった。
『私たちの世界の、均衡値を下げるため……ですかね』
イグルがイヤホン越しに呟いた。
「その通りだ」
「ッ!? 聞こえたのか、今の?」
「折時アラタの陰にいる者は、優秀みたいだな」
キュウスイの探偵としての優れた聴覚。そう考えたとしても、常軌を逸して超人的だ。
「君たちは、自分たちの世界の均衡値を見たことがあるか?」
「……ない」
オペレーターであるイグルですら、その権限はない。
「数多の異世界と繋がりを持って、均衡値が安定するはずもない」
「オワリは……自分の世界の崩壊を防ぐために、異世界を消滅させてるって言うのか?」
「そうだ」
それが本当なら、ロウラの世界が消滅した原因は……俺、なのか?
境界技研が異世界を監視し、干渉した所為でロウラの世界は標的になった――ということになる。
きっとロウラは、微塵もそうは思っていない。
それでも、俺はロウラの顏を見ることができなかった。
「そんなん、ええわけないやろ! なんや、お嬢の世界も壊すつもりか!?」
ジェラコが捲し立てる。
「言う通りだ。良いわけがない。だから、僕は君たちに協力する」
「じゃあ、何でオワリにも協力する? お前がオワリの主人公補正に感情を乗せなければ、世界を崩壊させることはできないはずだ」
「……僕は常広オワリに恩がある。同時に、自身の世界を救いたいという気持ちも理解できる」
キュウスイは目を閉じて、胸の内を明かす。
「僕は探偵として、法と倫理に従って生きてきた。しかし、異世界でそれは通用しない」
「だから、感情に従って動くのか?」
「あぁ、そうだ。僕は僕の信じる道を進む。主人公らしく、自分勝手にやらせてもらう」
敵意とも善意とも受け取れる鋭い視線から、決意の固さが伺える。
俺には、それを覆す方法が思いつかなかった。




