1-1
西暦2999年。日本。
「異世界保全課第三班、折時アラタ」
『承認しました』
プシュ、と音を立てて扉がスライドする。面倒なことに、俺はあと五回は名乗って同じような扉を越えなきゃならない。
「あ、おはようございます」
「おはよう、イグル」
始業前だと言うのに、高梨イグルはせわしなくキーボードを叩いている。
男女二人だけの小さなオフィス。俺は居心地の悪さを感じながら、席に着いた。
技術的なことは若いイグルに任せて、俺はモニターに映る数値や図形やらを眺める。
「なぁ、これが赤くなってるとマズいんだったか?」
「波形はどうですかぁ?」
「波形? あぁ、なんかすごい。良い波きてるよ」
「サーファーじゃないんですから。で、均衡値は800きってます?」
「どれだっけ?」
「一番上の数字です」
「1740だな」
「1740!?」
イグルが血相を変えた。
「ちょちょちょ、ヤバいなんてもんじゃないですよ! リカバリ効きませんよこれは!」
俺たち第三班が監視する異世界の物語が、大きく変わろうとしている。
主に外的要因によって運命が捻じ曲がると、世界の消滅に繋がるらしい。
「あわわ、これは大変ですよ! 主人公死んじゃいますよこれはあああ!」
そう、例えば主人公が序盤で死ぬとか。
「アラタさん、出番ですよ!」
「やっぱ行かないとダメか?」
「そのためだけに雇われてるようなもんなんだから、ダメにきまってるでしょう!」
所謂、神の見えざる手で外界から手を加え、物語を元の軌道に戻すこともできる。
でも、今回はそうはいかないらしい。
「はぁ、じゃあデータくれ、データ」
「対象はロウラ・シュラウガン。予定より3年も早く魔王討伐に参加しちゃってます」
仲間との出会いも成長するイベントも全部すっ飛ばしたか。
「17歳で、特徴はぁ……騎士! あと髪の色はナイルブルー!」
「ナイ……え、なんて? ま、青っぽい感じか」
大体の容姿が分かればなんとかなるだろう。
「とりあえず逃がせばいいんだな?」
「はい、可能な限り五体満足で逃がしてください!」
俺は転送装置の上に立つ。不測の事態が発生した場合は、こうして人間が現地に赴くしかない。
『通信確保完了』
『言語設定完了』
『免疫調整完了』
『主人公補正、起動完了』
機械音声が鳴り終わると、足元から紫色の光に侵食されていく。
「準備完了です。失敗したら始末書と減給です! マジで成功させてください!」
「うぃ」
熱はない。イグルほど仕事に責任を感じてないし、矜持もない。
だが、任されたからにはやってやろう。
視界が徐々に歪み、世界が書き換わる。
異世界の草木が靴の裏を押し返す。
広がるのは悲惨な景色。枯れた荒野を滑るように、光の弾が飛んでくる。
「【主人公には、決して弾は当たらない】」
俺は世界への干渉を宣言する。事前でも事後でもいい。そうしなければ、主人公補正は効果を発揮しない。
光の弾は、最初から決まっていたかのように俺に被弾しない軌道を描く。
「さて、ロウラはどこかな」
振り返ると、そこに少女がいた。
確かに髪は青っぽい。風貌もまるっきり騎士だ。背は高めだが、幼さを残した容姿は年齢相応だ。
「き、貴様何者だ! ここは危険――」
ロウラが叫ぶと同時に、背中に風圧を感じた。
俺は念のためもう一度、今度は本当に主人公のために宣言する。
「【主人公には、決して弾は当たらない】」
これでロウラを救うことができた。あとはこの場から一緒に離脱できればミッションクリアだ。
「あーあー、伝わってるかな?」
『大丈夫ですよ、言語設定ミスってないですから!』
イヤホンから聞こえるイグルの声が耳を劈く。音量設定はミスったようだな。
「君を助けに来た。俺を盾にしてさっさと逃げるぞ」
「な、何故私などを……」
「それは君がこの世界の主人公だから」
「主人……公? 何を言って……」
当然そうなる。理解できるはずもない。
『魔王は魔術師の成れの果てです。基本的に本体は弱いので、ひたすら遠距離攻撃しかしてきません』
「とにかく、俺には遠距離攻撃は当たらない。俺の陰に隠れてれば安全だ」
『まさにアラタさんの主人公補正と相性ピッタリの相手ですね』
「うるさいなぁ」
『口に出ちゃってますよアラタさん』
ロウラはほんの一瞬だけ呆けたように見えたが、すぐに唇を噛んで立ち上がった。
「もう少しなのです。魔王は眼前! あと数歩駆ければ、この剣を喉元に突き立てられます!」
「あー、500メートルぐらい離れてる気がするけど……」
「今! まさにこの場所で私は死ぬはずだった。そうならなかったのは僥倖。ならば騎士道に従って進むだけ!」
あまりにも愚直すぎる。死ぬために生きているような奴だ。
「いざ!」
「あーあ……」
『あーあ、じゃないですよ! さっさと追いかけてください!」
「いや、あれに追いつけるわけないだろ」
ロウラは普通の人間だ。しかし、異世界の普通が俺たちの普通と同じとは限らない。
酸素濃度や重力の違いで、生物の在り方は大きく変わる。
現に、ロウラはオリンピック選手も顔負けの速さで走っている。
『あ、ダメだこれ。絶対死ぬ』
遂にイグルも匙を投げた。
魔王に降り注ぐ光の柱。魔法には詳しくないが、全力の一撃を放とうとしていることは予想できる。
恐らく、ロウラはあと一歩届かない。
「イグル、あれできるか? 神の見えざる手だよ」
『簡単に言ってくれますねぇ……』
俺は仕組みを理解していないが、イグルはいつも小手先で異世界の均衡を保っている。
どれだけ大変な作業か知らないが、何かできるはずだ。
『世界の構造変えるの絶対間に合わないんで、アラタさんの方に干渉しますから! 覚悟しといてくださいよ!』
俺? そうか、俺か。何をされるのか分からないのに、どう覚悟しろって言うんだ。
詳細を聞くより先に、イグルが声を上げた。
『空間座標……再設定完了!』
ターンッ、とエンターキーを弾く音が聞こえた。
すると突然、眼前にロウラの背中が現れる。俺が瞬間移動したのか。
再び距離が空く前に、咄嗟の判断で彼女の手を掴んだ。
「……ッ!?」
「よっ、また会ったな」
突然のことに、ロウラが間抜けな声を上げる。
『でも、これからどうするんですか!? 多分あれ、地表を消し炭にするほどヤバいやつですよ!』
逃げ場なしってことか。流石の主人公補正にも限度がある。外れようのない弾は避けられない。
「ロウラ、とりあえず止まれ」
俺ごと引きずる勢いだ。とにかくロウラを落ち着かせる必要がある。
「勝機を逃すおつもりか!?」
「俺が0%の可能性を1%にしてやる」
今でも魔王を倒せると信じているのか、ロウラは0%という言葉に眉をひそめる。
「剣を持つように握れ」
「い、いや、形が違うので……」
「気持ちの話だ。魔王の全力を弾く。とにかく感情を乗せろ。怒りでも何でもいい」
主人公補正は主人公の感情によって力を増す。
俺の存在はあくまで主人公補正という剣。それをうまく扱えるのは、主人公本人以外にない。
「感情を乗せるにはどうすれば?」
「とりあえず叫んどけ」
右手をロウラに、左手を魔王に向けて突き出す。
「来るぞ」
光が放たれる。しかし、眩しくない。むしろ暗く感じる。感情すら握りつぶす暗黒の意思が向かってくる。
それでも、ロウラの馬鹿みたいに短絡的な性格なら、負けない程の感情をぶつけてくれるはずだ。
「少し、熱くなってきたな」
久しぶりに沸き起こる熱。生き死にの中にだけ垣間見える、失ったはずの高揚。
それに応えるように、ロウラが俺の右手を包み込んで握り返した。
「――っすうぅ、ステーキが食べたあああああああああああああああああああああああ!」
ロウラの声が空まで届く……翻訳ミスかな?
どんな感情でもいいとは言ったが、ここ一番の場面を食欲で攻めるのか?
異世界の言葉ではきっと威厳のある咆哮に違いない。そう思おう。
「ぐっ……ぐぅうううううう!」
ドンッ、という衝撃と共に魔弾が裂ける。左手にのしかかる衝撃を歯を食いしばりながらなんとか抑え込む。
真横へ流れる重力に耐えきれず、中指が折れ曲がり、次に人差し指が捻じ曲がる。一本、また一本と左手の指が使い物にならなくなる。
手首の潰れる感覚が襲う。前腕が広がり、パキンと砕けた音がした。
「がああああああああああああ!」
「あああああああああああああ!」
互いに叫び続ける。それでも一向に魔弾は放出をやめない。
直前で裂けていた魔弾は次第に左手そのものを飲み込み始めた。
肉の焦げる臭いが鼻を突く。
「あああああああああああああ!」
留まるところを知らない魔弾と同じく、ロウラは肺から空気が抜けた後も声を上げ続けた。
主人公を主人公たらしめる気合。そういうのは嫌いじゃない。
ロウラの声に背中を押され、俺は最後の力を振り絞って、魔弾を掴むように左手を握った。
「――曲がれえええええええええ!」
そのまま天に向けて腕を振り上げた。
同時に、魔弾は雲を掻き消して星になる。
「あああ……いぃぃぃ……」
酸欠でふらついたロウラに手を引かれ、俺は仰向けに倒れた。
「はぁ、はぁ、上出来じゃないか……」
俺は余裕ぶって言った。でも、腕の痛みが全身に広がって意識は朦朧としている。
必殺の一撃は回避した。あとは逃げるだけ。でも俺は動けない。
「逃げろ、ロウラ」
ロウラは息を大きく吸い込み、飛び跳ねるように起き上がった。
「逆です。今こそ、攻めるべき時」
「は?」
全部無駄にするつもりか?
そう言いたかったが、言葉を吐くのも一苦労だ。もう説得すらできない。
『いや、アリですよ。魔王は今の一撃で魔力を殆ど使い切りました。チャンスかも……』
イグルが無責任なことを言う。
もし見当違いだったら、左腕を失った上に始末書と減給だ。
気が付けば、走る音だけ残してロウラは姿を消した。
「がんばれ――」
心の底から出た言葉。もうどうにでもなれ。なら応援するしかないだろう。
爆発音と鉄がぶつかる音がけたたましく響く。体に響く重低音が、込み上げる吐き気と眩む視界を悪化させる。
それでも、息を止めて顔を上げた。少しでもロウラの勇士を目に焼き付けておくために。
ミイラのように悍ましく痩せこけた魔王が、紫のオーラを纏って杖を振る。
ロウラの洗礼された動きの前では、魔王の姿は駄々をこねる子供に等しい。
糸のように揺らめく剣が、ありとあらゆる関節を切り離していく。
いずれ、魔王は壊れた人形のように動かなくなった。
「……マジか」
純粋な生物としての強さで見れば、ロウラは既に完成していた。
魔法という、生物の域を逸脱した力さえなければ、彼女の右に出る者はいない。そう確信した。
「もう大丈夫。何もかも終わりました」
ロウラは微笑んだ。さっきまでの豪胆な顔つきからは想像もできない程に可愛らしく。
「名を聞かせてください」
ひんやりとした手の平が頬を包んだ。
もう会うこともないだろう相手に、名乗る必要はない。
だが、それでは世界を救った英雄に失礼だろう。
俺は痛みに唇を震わせながら答えた。
「アラタ……だ」
「アラタ。この恩は忘れません」
まるで死んでしまうかの様な錯覚に陥る。感動のラストってやつだ。
「君は、とことん……主人公、なんだな……」
俺は安心して目を閉じた。




