健全な男子と大人の本気
朝食後。
椅子に座ったメイリーが、無言で自分の太ももを指さした。
……さっきまで、そこにいたんだがな。
鎧は着ていない、布地は柔らかそうだし、誘いとしては正しい。正しいのだが――。
【すまないメイリー。今の気分は、ローズさんの太ももなんだ】
伝わるはずもないが、視線を逸らす。
メイリーは一瞬きょとんとし、少しだけ肩を落とした。
その様子を見ていたローズさんが、にこりと笑って椅子を引く。
「ほら、こちらですよ」
俺は、ローズさんの太ももに丸く収まった。
落ち着く。包容力が違う。
向かいの席で、メイリーがむっとした顔をしている。
セリナは、何も言わず紅茶を飲みながら、全部お見通しの顔だ。
……朝から平和だ。
◇◇◆
その後、セリナとメイリーは畑の様子と今後の対応について、バルガスとジョーを交えて話し合いに入った。
辺境伯とローズさんも忙しそうだ。
……というわけで。
俺は、自由時間に突入した。
中庭で、廊下で走り、メイドさんたちに構われ、子供たちに構われ、最終的には全力で追いかけっこをする羽目になる。
◇◆◆
「……ナギ様」
振り向くと、片眼鏡の執事――セバスチャン。
直立不動。視線が俺を正確に捉えている。
【やばい】
一瞬で理解した。
この人、捕まえに来ている。
俺は静かに、頭を下げた。
それが試合開始の合図となる。
逃走中である。
「猫でも限度というものがあります。あまり廊下を走られると――」
最後まで聞かない。
俺は全力で走った。
廊下、階段、カーテンの裏、花瓶の影、椅子の下。
だが――
どこに行っても、次の曲がり角に、セバスチャンがいる。
早歩き。走らない。息も乱れない。
なのに、距離は縮まっている。
【こいつ……強い】
角を曲がる瞬間、俺は後ろを見る。
ケージを持つセバスチャンが見える。
セレナ!あれ貸出したのか!
見えてれば俺を吸い込める。猫ケージ!(ハルカス作)
「……ナギ様」
セバスチャンが、わずかに目を細めた。
その瞬間、吸引。
だが失敗。
【危ない。もう少しで吸われるところだった】
俺はなぜ逃げているのか、遊び疲れたのでケージで寝るのも良いだろう。
良いはずだ。
だが!
追われたら、逃げる。それが、健全な男子!
いや、健全な猫!
【吸われなければ、どうってことはない!】
そして、また目前に迫る。セバスチャン。
ケージはない。
騙し討ちは一度だけか、敵ながら潔い。
「……本気で逃げますか」
【ああ】
「では」
片眼鏡が、きらりと光った。
空気が変わる。
「本気で追いましょう」
◆◆◆
メイドの足音が、複数近づいてくる。
【数に頼るとは卑怯なりセバスチャン】
しかし、あまいぞ。
敵が増えるなら、敵に紛れればいい。
そう、メイドのスカートの中に隠れて移動する。
布が揺れ、床との隙間にできる一瞬の死角。そこに、滑り込む。
「きゃっ……?」
メイドが小さく声を上げるが、風が吹いたかの如く俺はメイドと歩調を合わせる。
――成功。
歩調は一定。揺れも少ない。
この人、ベテランだ。
通路を抜け、角を曲がる。別のメイドとすれ違う。
「セバスチャン様が――」
会話が聞こえる。
だが――
「……あら?」
歩みが止まる。
「今、足元……」
やばい。
布が持ち上がる前に、
俺は反対側へロールアウト。
床を転がり、次のスカートの中へ。
「きゃっ!?」
「え、なに!?」
「ナギ様です!移動してます!」
慌てたせいか、さっきのようには潜り込めない。
そのとき。
「……そこまでです、ナギ様」
低く、落ち着いた声。
振り向くと、廊下の中央にセバスチャン。
ケージを手に、微笑んでいる。
逃げ道は――
ない。
一度武器を手放し、油断を誘うとは、敵ながら見事
【……】
一瞬、視線が合う。
「終わりです。ナギ様」
吸われた――
こうして俺は。
キャットタワー・扉ロック・昼寝付きの完全収容生活へと移行することになった。
【大人の本気すごいな】
なお。
この後、セリナが来るまで、誰も助けに来なかった。
……解せぬ。




