2-8.村八分
新居に移ってから一週間。ダイターの訪問を除けば、リシェルたちは平穏な生活を送っていた。朝起きて皆で朝食を取る。昼間はリックが留守番で、リシェルたち三人はダンジョンに潜る。当初警戒していた襲撃もなく、ダンジョンの攻略は順調に進んでいた。だが、問題が一つ。
「ハァ。鍵開けスキル持ってる人、見つかんないねぇ」
朝食の席、本日の計画を話していたリシェルたちだが、結局、問題はそこに行きつく。いくらダンジョンで鍵付き宝箱を見つけようと、それを開ける手段がない。リシェルの持つ魔法鞄には既に五十を過ぎる宝箱が眠っていた。
向かいの席、椅子の高さが足らずにテーブルに顔がつきそうなリックが、リシェルをジッと見つめる。スープスプーンを握り締めたまま、「なぁ」と口を開いた。
「あんたがダンジョンで探してるのって、何?」
「母さんの形見、みたいなものかな」
リシェルの答えに、リックは「ふーん」と頷く。それから、スープに視線を落として呟いた。
「あんたの母ちゃん、ダンジョンに捨てられたんだよな」
「……ええ」
「まあ、仕方ないよな。犯罪者はお墓作ってもらえねえもん」
言って、スープを一口、二口啜った彼は、カチャンと音を鳴らしてスプーンを置く。
「……あのさ、俺が探してきてやろうか、スキル持ってるやつ」
視線を外したまま。「手を貸す」というリックに、リシェルの口元が弛む。自然に浮かんだ笑みで「ありがとう」と礼を言い、「でも」と続けた。
「気持ちだけで十分よ。これ以上私たちに肩入れしたら、あなたが町に居られなくなる」
「別に……、そんなの関係ねぇし」
リックは強がるが、彼はレームクールの住人。リシェルたちが町を去った後も、この地で暮らしていかねばならない。
リシェルは苦笑して、もう一度「手助けは不要」と告げる。納得がいかないらしいリックは、むくれた顔でフイと横を向いた。そんな彼の隣――彼が顔を背けた反対側に座るミーナが、彼の後頭部をツンと突く。
「もー、拗ねないの。リックだって、ママの言ってることは分かるでしょう?」
突かれ、リックは煩わしそうに頭を振るった。
「止めろ」
ミーナはフフッと笑って、「ありがとうね」と告げる。
「気持ちはすっごく嬉しい。うん。リックは将来いい男になるね、絶対!」
軽口に、リックは「うるせぇ」と返してミーナを振り向く。
「お前は将来すげぇうるさい女になる、絶対」
「あー! 年下のくせに、『お前』とかナマイキ―!」
「はぁ? 年下ぁ? お前のがガキだろ。いくつだよ」
じゃれ合い始めた二人。身長差はほとんどないが、僅かにリックが高かった。顔つきはミーナが幼くてリックがしっかりしているため、一見、リックのほうが年長に見えるが。
「ふっふっふ、甘いわね、リック」
ミーナは顔の前で人差し指を振って見せる。
「私はすごい魔法使いなんだから、若返るのなんて簡単よ。本当はすっごいおばあちゃん、かもよ?」
ウィンクしたミーナに、リックがギョッとしてリシェルを振り向く。「本当か」と問いかける目に、リシェルは笑いを堪えて頷いた。
「簡単ではないけれど、見た目に年をとってないのは本当よ」
魔力の基礎代謝を下げるため、ミーナは自身の身体の成長を止めている。
「……じゃあ、本当はいくつなんだよ」
リックに警戒の目を向けられ、ミーナはニヤリと口角を上げた。
「教えない! 私は今の自分が気に入ってるから、これからもずーっとこのままよ」
悪戯げに笑う彼女に、リックは「なんだよそれ」と呟いて嘆息する。そのまま、冷め切ったスープにスプーンを突っ込んだ。
日が暮れかけたダンジョンからの帰り道。ミーナはご機嫌に鼻歌を歌っていた。ダンジョンで思わぬ成果を上げたからだろう。ケントでさえどこか浮足立って見える。本来の目的から外れるが、リシェルも近年まれな成果に気分が高揚していた。
「……ギルドに行ってみましょうか」
リシェルの提案に、前を歩いていたミーナがクルリと振り返る。
「うん、行く行く! 今日の採集品をドーンと積んで、『これでどうだーっ!』てしてやったら、あのギルド長も『参りましたー』ってなるよね、きっと!」
多少大袈裟だが、ミーナの言葉にリシェルも賛同する。「参りました」はともかく、交渉の材料として今日の成果は申し分ない。これで漸く、鍵開けのできる人間を紹介してもらえるかもしれない。期待を胸に、リシェルたちはギルドへ足を向けた。
一週間ぶりのギルドは、特に何か変化があるわけではなかった。相変わらず敵意剥き出しの冒険者たちの間を通り、カウンターへ向かう。リシェルの姿を目にした受付の女性が慌てて奥へ引っ込み、すぐにいつもの男が姿を現した。
「帰れ」
開口一番の言葉に、リシェルは「待って」と食い下がる。
「珍しい採集品があるの」
「何を持ってこようが、うちでは買い取らん」
「買い取りはしなくていいわ。でも、先ずは見てほしいの」
興味を示さない男の目を見つめ、リシェルは徐に告げる。
「レッサードラゴンよ」
男の口元がピクリと動いた。
レッサードラゴンはレームクールの固有種。討伐難易度も高いため、その素材は高値で取引される。鱗一枚でさえ貴重なものだが、今回は――
リシェルは周囲を見回した。椅子やテーブルの置かれたギルドには十分な空間がない。
「ついてきて」
言って、リシェルはギルドの外へ向かう。大通りに出て振り返ると、不機嫌な顔の男が――それでも興味はあるようで――ギルドの入口でリシェルの動向を見守っていた。たむろしていた冒険者や、通りかかりの町の住人も足を止め見物している。
用意された舞台に、リシェルは魔法鞄からレッサードラゴンを取り出す。丸ごと一体。馬車一台分の巨体の出現に、周囲でどよめきが起きた。
「……どうかしら?」
ギルド長を振り返り、リシェルが尋ねる。渋い顔を更に渋くした男が口を開いた。
「どこで狩った? 何階層だ?」
「最下層の――」
「最下層だと!」
男がギョッとしたように目を見開く。だが、すぐにまた元の渋面に戻り、レッサードラゴンを眺めた。やがて、彼はフンと鼻を鳴らす。
「要らん。持って帰れ」
意地なのだろう。ギルドの利益よりも感情を優先する男に、リシェルは歯噛みする。
「一体だけじゃないわ。まだたくさん――」
「何体だろうと関係ない。レームクールにお前たちの力は必要ない」
取り付く島もない男は、皮肉な笑みでリシェルを見下ろす。
「レッサードラゴンが出たってんなら、自分たちで狩る。例え最下層だろうとな」
胸をそらす男に、いつぞやと同じ、同調する冒険者たちの怒声が響く。リシェルは首を横に振る。
「無理よ――」
言いかけた言葉は、ミーナの叫声に阻まれる。
「リック! 何よソレ、どうしたの!?」
リシェルは瞬時に振り返る。姿を認める前から嫌な予感はしていた。リックを目にした瞬間、恐怖が込み上げる。急ぎ駆け寄り、立ち尽くす彼の身体を確かめた。転んだのだろう。接ぎを当てて大事に着ていた服が土まみれだ。同じく駆け付けたミーナが、必死に服の汚れを払う。ただ、幸いなことに、大きな怪我は見当たらなかった。
(良かった……)
安堵しかけたが、俯くリックの表情が暗いことに気づく。
「リック、どこか痛い? 何があったの?」
「……食い物、売ってもらえなかった」
「え?」
想定外の言葉に虚を突かれた。リックがボソリと呟く。
「鍵開けのスキル、持ってるやつ探してたんだ。そしたら……」
声が震えた。リックは耐えるように唇を噛み、もう一度口を開く。
「そしたら、俺のこと『犯罪者に尻尾振る犬だ』って、追っ払われて、突き飛ばされた」
「っ!?」
「『お前みたいな野良犬に売るもんはない』んだってさ……」
最後に、「誰も売ってくれねぇ」と呟いて、リックは口を閉じる。俯く彼の肩が小さく震えた。ミーナが、小さな身体に寄り添い抱きしめる。
「……なんてこと」
リシェルの口から怒りが零れ落ちる。
(なんてことするの、こんな子どもに……!)
手が震えた。込み上げる激情に冷静な思考を阻まれる。ただ、もう腹が立ってしかたなかった。
腰に巻いた魔法鞄をケントに向かって放り投げる。
「ケント! お願い、全部出して!」
言葉と同時に、右耳の飾り――中央の真珠を指先で弾く。魔法の発動を感知して、宙に向かって叫んだ。
「ネフ!」
怒り任せに呼んだ名に、間髪入れずに静かな声が返る。
『どうしたの? そろそろ諦めた?』
「いいえ」
答えたリシェルは身を翻し、大股にレッサードラゴンの巨体に歩み寄る。最初の一体の横で、ケントが魔法鞄から新たな巨体を取り出していた。
「……交渉よ。食料を売ってちょうだい」
『へぇ、今度は兵糧攻め? 色々やられてるねぇ』
笑い含みの声は暫し沈黙し、それから、冷めた声で告げる。
『でも、言ったよね。もう手は貸さないって』
声が小さな囁きに変わる。
『……帰っておいで』
命令とも懇願ともとれる声。リシェルは首を横に振った。
「いいえ。私も言ったでしょう。交渉だって」
言って、ケントの隣を見上げる。そこに積み上げられたもの――
「レッサードラゴンに十体。それと、一週間分の食料を交換よ」
『……へぇ?』
面白そうに呟いた声の主は、迷っているのか沈黙する。代わりに、リシェルの背後から声が響いた。
「ま、待て!」
振り返ると、ギルド長が焦った様子で近づいてくる。
「二十体だと!? 馬鹿な。いや、だが、本当にそれだけの数があるのならうちで買い取る!」
先ほどの態度とは一転。買取を申し出た男の言葉に、周囲から不満の声が上がった。
「おい、コーエン! お前、なに言ってんだ。こんなやつら、相手にすんな!」
「そうだ! レッサードラゴンくらい俺たちが狩ってきてやる!」
冒険者たちの声に、ギルド長が「馬鹿野郎!」と返す。
「レッサードラゴンがそう簡単に狩れてたまるか! 大体、一体、二体狩れたところで……!」
言って、男はリシェルを忌々しそうに睨む。
「……よそで二十体も市場に出されちゃあ、レッサードラゴンの価格が暴落する」
そうなれば、レームクールのギルド収入はがた落ちだろう。リシェルとて、普段ならばこのような強硬手段に出ない。だが――
『駄目だよ。交渉権はこっちにあるんだから』
落ち着いた声が割って入る。声と共に、レッサードラゴンが積まれた上空に裂け目ができた。
『いいよ、リシェル。悪くない取引だからね。……譲歩してあげる』
裂け目から白い手が伸びてきた。手が触れた途端にレッサードラゴンは全て消え失せ、代わりにケントが食料袋を手にする。
『交渉成立』
その言葉を最後に声の主は沈黙する。魔力の繋がりが断たれたのを感じて、リシェルはハァと息をついた。
「帰りましょう」
ケントを促し、リックとミーナに歩み寄る。最後にギルド長を振り返った。
「……一週間で出ていくわ。ここには二度と来ないから、お互いに不干渉でいましょう」
言い捨てて、男が何かを答える前に歩き出す。四人並んで、日の落ちた通りを後にした。
町を抜け、木立の間に家が見えてきた頃、リックが「なぁ」と口を開く。
「あれってなんだったんだ。あの手、魔法だよな?」
彼の疑問に、ミーナが「ああ」と答える。
「あれはただの変態、忘れていいわ」
「変態?」
困惑するリックに、ミーナが頷いて返す。
「そうよ。隙あらばママを攫おうとする変態だから、さっさと忘れて関わらないようにするのが一番!」
更に困惑したリックが、リシェルを振り返る。リシェルは彼の疑問に答えた。
「空間魔法よ。少し、珍しい魔法かもね」
「へぇ。俺、あんなの初めてみた」
リックが楽しげに「おもしれぇよな」と口にする。その反応が不満らしいミーナが、彼の脇腹を肘で小突いた。「イテッ」と叫んだリックに、ミーナはプイと顔を背ける。二人の他愛もない言い合いが始まり、リシェルはひとまずの安堵を覚えた。リックの顔に、もう陰りは見えない。
(……ただ、これからどうするか)
リックが独断で動いたことによる影響。予想通りではあるが、彼を直接害する者まで現れた。状況は悪化しているが、彼の行動がリシェルたちを思ってのことだと分かるから、怒るに怒れない。
リシェルは小さく嘆息し、空を仰ぐ。自分たちがこの地にいられるのもあと僅か。色々と悩んでいるが、そろそろ覚悟を決めねばならない。同時に、リックにも大きな決断を迫ることになるだろう。