第九話:プロトタイプの光と影 ~忍び寄る技術的暗雲~
第7開発準備室は、かつてないほどの活気に満ちていた。
いや、活気というよりは、締め切り前の開発現場特有の、一種異様な熱気と緊張感が漂っている、と言った方が正確かもしれない。
高山Pの配慮でアバターのパターン制作の為に3Dモデル班のキャラチームが別室ではあったが配置され、キラ☆から提供された大量の自撮り、友人、橘さん達の伝を使ったリサーチの資料から抽出したパーツ類がサンプルとして急ピッチにデータとして準備された。
富安京一郎、キラ☆、そして佐藤涼子。
三人のメンバーは、それぞれの役割に没頭し、プロジェクト・ギャラクシーの中核となるプロトタイプの開発に邁進していた。
京一郎は、黙々とコードを書き続けていた。
彼の指先から生み出されるプログラムは、少しずつ、しかし確実に、ゲームの骨格を形成していく。
佐藤は、デザイナーとしてのセンスを遺憾なく発揮し、京一郎の実装した機能に、洗練されたインターフェースと魅力的なビジュアルを与えていく。
そしてキラ☆は…意外にも、この開発プロセスに積極的に関与していた。
もちろん、彼女が直接コードを書いたり、デザインツールを操作したりするわけではない。
だが、出来上がってきたプロトタイプを誰よりも熱心に触り、
「ここのボタン、もうちょい右の方が押しやすい!」
「アバターのこの角度、なんか盛れない!」
「このエフェクト、もっと『キラッ☆』って感じにして!」
などと、ユーザー目線での、極めて具体的かつ感覚的なフィードバックを、矢継ぎ早に繰り出すのだ。
当初、京一郎は彼女のそうした「感覚的フィードバック」に辟易していた。
しかし、佐藤という翻訳者を得て、そして彼自身も少しずつ彼女の言語を理解しようと努める中で、そのフィードバックが、単なるわがままではなく、ターゲットユーザーの感性を的確に捉えた、貴重な指摘であることが多いことに気づき始めていた。
例えば、「盛れない」という一言にも、ライティングの問題、カメラアングルの問題、あるいはアバターの表情やポージングの問題など、様々な要因が含まれていることを、彼女は感覚的に指摘してくるのだ。
京一郎は、その指摘を技術的な課題へと分解し、佐藤と共に解決策を探る、というプロセスに、少しずつ慣れてきていた。
「センパイ! 見て見て! この組み合わせ、めっちゃ可愛くない!?」
キラ☆が、プロトタイプの画面を京一郎に見せる。
そこには、彼女がカスタマイズしたアバターが表示されていた。
ピンク色のツインテールに、黒いゴシックロリータ風のドレス、そして目元には地雷メイク風のアイシャドウ。
確かに、独特の世界観があり、ある種の「カワイイ」を体現しているように見えた。
「…なるほど。ユーザーが多様なスタイルを表現できる、カスタマイズ性の高さは、このゲームの大きな魅力になりそうですね」
京一郎は、素直な感想を述べた。
「でしょー! この子がさー、もっとキラキラ輝いてたら、マジで最強なんだけどなー!」
キラ☆は、期待を込めた目で、京一郎を見上げた。
出た。その言葉。
「キラキラ」。
プロジェクト初期から、キラ☆が一貫して、そして熱狂的に求め続けている要素。
それは、単なる装飾ではなく、彼女にとって、このゲームの魂とも言うべき、絶対に譲れないものらしかった。
デザイン議論の際、佐藤の仲介によって、ボタンタップ時や特定の演出時に限定的なエフェクトを加える、という方向で一度は落ち着いたはずだった。
しかし、キラ☆の心の奥底では、依然として
「常に、全体が、最大限にキラキラする」ことへの渇望が燻り続けていたのだ。
プロトタイプ開発が進み、アバターが実際に動き、様々な衣装やアクセサリーを身につけられるようになるにつれて、その渇望は、再び強く燃え上がり始めていた。
「ねー、センパイ。やっぱさー、あの機能、入れらんない? 『全パーツ・リアルタイム・キラキラ☆MAX』!」
キラ☆は、まるで最終兵器の名前でも口にするかのように、真剣な表情で言った。
「…キラ☆さん、その件については、以前もお話しした通り、技術的な負荷が非常に大きいと…」
京一郎は、慎重に言葉を選びながら、再び説明しようとした。
「でもさー! プロトタイプ、ここまでめっちゃいい感じじゃん? ここに、あの最強キラキラが加わったら、マジで他のゲームとか相手になんないって! 絶対バズる! 『#キラキラしか勝たん』だよ!」
キラ☆は、熱っぽくまくし立てる。その瞳は、純粋な確信に満ちていた。彼女には、その「キラキラ」が、このゲームを成功へと導く唯一無二の鍵であると、固く信じているようだった。
京一郎は、内心で深く葛藤した。技術者としての冷静な判断は、依然として「NO」と告げている。
描画負荷、サーバー負荷、パフォーマンスの安定性…考えられるリスクはあまりにも大きい。
しかし、一方で、キラ☆のこの純粋な熱意と、彼女が語る「成功への確信」を、完全に無視することもできなかった。
渋谷での調査で垣間見た、ギャルたちの「キラキラしたもの」への強い憧れ。
そして、SNSでの反響。
もしかしたら、彼女の言う通り、この「過剰なまでのキラキラ感」こそが、ターゲットユーザーの心を掴むための、決定的な要素なのかもしれない。
さらに、京一郎自身の、技術者としての挑戦心も、彼の判断を鈍らせていた。
不可能かもしれない。
だが、もし、自分の持つ技術の粋を集めれば、あるいは…? アストライア・エンジンのポテンシャルを最大限に引き出し、最新の最適化技術を駆使すれば、この無茶な要求に応えられるのではないか?
それは、極めて困難で、しかし同時に、技術者としての血を騒がせる、魅力的な挑戦にも思えたのだ。
隣を見ると、佐藤も、困ったような、それでいて少し興味深そうな表情で、キラ☆の話を聞いていた。
「確かに…もし実現できれば、ビジュアル的なインパクトは絶大でしょうね。他のゲームにはない、圧倒的な『映え』を生み出せるかもしれません」
佐藤は、デザイナーとしての視点から、その可能性を口にした。
ただし、すぐに付け加える。
「もちろん、パフォーマンスとの両立が大前提ですけど…」
「でしょー!? れなちーもそう思うよね! ね、センパイ、やろーよ! お願い!」
キラ☆は、京一郎に詰め寄った。
その必死な表情に、京一郎は、ついに首を縦に振ってしまった。
「…分かりました。試してみましょう。
ただし、これは極めて実験的な試みです。
成功する保証は全くありませんし、もし深刻な問題が発生した場合は、この機能を断念する可能性も十分にあることを、理解しておいてください」
「やったー! さすがセンパイ! 信じてた!」
キラ☆は、飛び上がらんばかりに喜んだ。
その満面の笑顔を見て、京一郎は、一抹の不安を感じつつも、同時に、この困難な挑戦への意欲を、改めて掻き立てられるのを感じていた。
※
そこから、京一郎の孤独な戦いが始まった。
「全パーツ・リアルタイム・キラキラ☆MAX」機能。
それは、アバターが身につける全てのアクセサリー、衣装のラメやスパンコール、さらには髪のハイライトや瞳の中の光に至るまで、あらゆる「光るべき要素」を抽出し、それらが常に、そしてリアルタイムに、複雑な輝きを放ち続けるように制御するという、まさに悪魔的な仕様だった。
「光る部分をテクスチャマスクで抜いて、ブルーム処理入れれば指定した場所をランダムにキラキラしているように見えることは可能です」京一郎は一度簡易的な標準シェーダーと基本的な円陣描画での効果を見せたことがあるのだが、求められているハードルは全然違うモノだった…
そこで京一郎は、まず、膨大な数のアバターパーツのデータを解析し、「キラキラ属性」を持つマテリアル(素材)をキラ☆の言う光り方の違いを個別に特定、分類する作業から始めた。
次に、それらのマテリアルに対して、環境光や視点の角度に応じて輝き方が変化する、複雑なカスタムシェーダー(描画プログラム)を、新たに設計する必要があった。さらに、大量のパーティクル(光の粒子)を効率的に描画するための最適化、GPUへの負荷を分散させるための並列処理技術の導入、そして、それら全てをアバターのアニメーションと同期させるための、精密な制御ロジックの実装…。
それは、既存のレンダリングパイプラインを根本から見直すような、大規模かつ高難易度の改修作業だった。
京一郎は、文字通り、寝る間も惜しんで、その作業に没頭した。
第7開発準備室には、連日深夜まで明かりが灯り、時には、彼がデスクで仮眠を取っている姿を、早朝に出社してきた佐藤やキラ☆が発見することもあった。
彼の目の下には、くっきりと隈が刻まれ、整頓されていたデスク周りも、技術書や資料、空になったコーヒーのカップなどで、徐々に乱雑になっていく。
しかし、彼の目は、モニターに映るコードと、そこに秘められた可能性だけを、ひたすらに追い続けていた。
佐藤も、デザイナーとして、その挑戦をサポートした。
彼女は、京一郎が実装しようとしている複雑な光の表現を、より効果的かつ美しく見せるためのカラーパレットや、エフェクトのデザインパターンを提案した。
また、UIデザインにおいても、キラキラ演出を最大限に活かしつつ、操作性を損なわないような工夫を凝らした。
キラ☆は…相変わらずマイペースではあったが、それでも、京一郎の鬼気迫る仕事ぶりを目の当たりにしてか、以前よりも少しだけ、彼の作業を邪魔しないように気を遣っているように見えた。
時折、「センパイ、生きてる?」「これ、差し入れ!」などと言って、エナジードリンクやお菓子をデスクに置いていくこともあった。
それが、彼女なりの応援の形なのだろう。
そして、数週間後。悪夢のような、しかし同時に、技術者としての興奮に満ちた日々を経て、ついに、「全パーツ・リアルタイム・キラキラ☆MAX」機能の、最初のバージョンが実装された。
京一郎は、緊張した面持ちで、プロトタイプを起動した。
モニターに、カスタマイズされたアバターが表示される。
そして…次の瞬間、息をのむような光景が広がった。
アバターが身につけたティアラ、イヤリング、ネックレス、ドレスのスパンコール、靴のラメ、指先のネイル…その全てが、まるで内側から発光しているかのように、眩いばかりの輝きを放ち始めたのだ。
アバターが動くたびに、あるいは視点を変えるたびに、その輝きは複雑に変化し、虹色の光の粒子が、キラキラと周囲に舞い散る。
それは、京一郎自身が実装したにも関わらず、非現実的なほどに美しく、そして…過剰だった。
「……ヤバい……」
最初に声を発したのは、キラ☆だった。
彼女は、モニターに釘付けになり、言葉を失っている。その瞳は、これまで見たことがないほどに輝いていた。
「なにこれ…マジで…神じゃん……!!」
次の瞬間、キラ☆は絶叫に近い歓声を上げた。
「センパイ! れなちー! 見て! 見てよこれ! 超キラキラ! 超アガる! これだよ! これこそ、うちが求めてた、最強のゲームだよぉぉぉ!!」
彼女は、興奮のあまり、その場で飛び跳ね、京一郎や佐藤に抱きつかんばかりの勢いだ。
佐藤も、「これは…すごいですね…。想像以上です。ビジュアル的なインパクトは、間違いなく過去最高レベルです」と、感嘆の声を漏らす。
部屋中が、一時的な興奮と達成感に包まれた。京一郎の胸にも、困難な課題を乗り越えたという、技術者としての確かな満足感が込み上げてきていた。
しかし、その高揚感は、長くは続かなかった。
京一郎は、冷静さを取り戻し、画面の隅に表示されているパフォーマンス測定用の数値を注意深く確認した。そして、彼の表情が、みるみるうちに険しくなっていく。
「…やはり、こうなりましたか」彼は、重い口調で呟いた。
「え? 何が? センパイ?」
キラ☆が、不思議そうに尋ねる。
「フレームレートを見てください。目標値の30fpsを大幅に下回り、10~15fps前後まで落ち込んでいます。グラボの乗っているPCでこれでは、ゲームとして成立しません。動きがカクカクで、操作に対する反応も鈍くなる」
指摘されて改めて画面を見ると、確かにアバターの動きが、以前よりも明らかに滑らかさを欠き、ぎこちなさを感じさせる。
「えー? でも、ちょっとくらいカクカクしてたって、この可愛さなら許されるっしょ?」
キラ☆は、まだ楽観的なようだ。
「問題はそれだけではありません」
京一郎は、さらに厳しい現実を告げた。
「このゲームはクラウドゲーミングを想定しています。
シミュレーション結果によると、この描画処理を複数のユーザーで同時に行った場合、サーバーへの負荷は、当初の想定の…5倍以上に跳ね上がっています。
これでは、安定したオンラインサービスを提供することは不可能です。
高確率で、サーバーダウンを引き起こすでしょう」
「さ、サーバーダウン…? それって、ヤバいやつ…?」
キラ☆の顔から、流石に血の気が引いた。
「ええ。サービスが停止し、ユーザーはゲームをプレイできなくなります。一度失った信頼を取り戻すのは、容易ではありません」
部屋に、再び重苦しい沈黙が訪れた。
圧倒的なビジュアルインパクト。
しかし、その代償は、ゲームとしての根本的な動作保証を脅かすほどの、深刻なパフォーマンス問題だったのだ。
「…じゃあ、どうすればいいの…? せっかく、こんなに可愛くなったのに…」
キラ☆は、泣きそうな声で言った。
「…現時点での結論を言えば、この『全パーツ・リアルタイム・キラキラ☆MAX』機能を、このまま製品版に搭載することは、不可能です」
京一郎は、非情な宣告を下した。
「パフォーマンスを改善するためには、大幅な機能縮小か、あるいは、この機能自体を根本から見直す必要があります」
「そんな…やだ! 絶対やだ! これがないと、意味ないもん!」
キラ☆は、強く首を振った。
「センパイなら、なんとかできるって信じてたのに! もっと頑張ってよ! 諦めないでよ!」
「諦めているわけではありません! 技術的な限界を申し上げているんです!」
京一郎も、感情的になりかけている自分を抑えながら、反論した。
「これ以上の最適化は、現時点での技術レベルでは極めて困難です!」
「限界なんて、やってみなきゃわかんないじゃん! センパイは、最初からできないって決めつけてるだけじゃないの!?」
「僕は技術者なんです!出来ないなんて口が裂けても本来言えません!ただ現実の問題として今起きている現象は受け止めなければならないんです!」
「でも…出来ないって言ってんじゃん」
「極めて困難であって、不可能という完全否定じゃないです…が、難しいという事実を述べています」
「それって出来ないとどう意味が違うんだよ?!」
二人の間に、再び険悪な空気が流れ始める。
佐藤が、心配そうに間に入ろうとするが、根本的な問題…キラ☆の理想と、技術的な現実との間の、あまりにも大きなギャップ…を埋める言葉は、すぐには見つからないようだった。
プロトタイプ開発は、一見、大きな進歩を遂げたかのように見えた。
しかし、その光の裏には、プロジェクト全体の根幹を揺るがしかねない、深刻な技術的暗雲が、音もなく忍び寄ってきていたのだ。
この問題を解決できなければ、プロジェクト・ギャラクシーの未来はない。
京一郎は、その重い現実に、改めて直面させられていた。