第八話:SNSでの逆襲?と歩み寄りの兆し
デザイナー佐藤玲奈の加入は、第7開発準備室に、確かな変化をもたらしていた。
もちろん、根本的な問題が全て解決したわけではない。
キラ☆の感覚的な要求と、京一郎健太の論理的な思考、そして技術的な制約との間のギャップは依然として存在し、日々のデザイン検討会議では、依然として火花が散ることも少なくなかった。
「このフォント、なんかダサい! もっと手書きっぽい、ゆるふわな感じがいい!」
「手書き風フォントは、可読性が低下する可能性があります。特に、小さな画面での表示においては…」
「じゃあ、文字サイズめっちゃデカくすればよくない?」
「それはレイアウトの破綻を招きます!」といった具合だ。
しかし、以前と決定的に違うのは、佐藤という存在が、その衝突を単なる言い争いではなく、建設的な議論へと導く触媒となっていることだった。
彼女は、キラ☆の抽象的な言葉の裏にある
「本当に表現したいこと」
を辛抱強く引き出し、それをデザイナーとしての言語に翻訳する。
同時に、京一郎の指摘する技術的な懸念や機能的な要求を理解し、デザインとして実現可能な落としどころを探る。
そのプロセスは、決して容易ではなかったが、三者の間には、少しずつ「共に創り上げていく」という意識が芽生え始めていた。
京一郎自身も、その変化を感じていた。
佐藤という、論理的な対話が可能な相手が現れたことで、彼の精神的な負担はいくらか軽減された。
そして、渋谷での経験と、その後のキラ☆との(噛み合わないながらも)繰り返される対話を通して、彼は、以前ほどギャルの感性を頭ごなしに否定しなくなっていた。
理解はできないまでも、「彼女たちには彼女たちなりの論理や価値観があるのかもしれない」と、考えるようになっていたのだ。
それは、彼にとっては大きな変化だった。
※
そんなある日の午後、デザインのモックアップ(試作モデル)を見ながら議論をしていた時のことだ。
キラ☆が、突然、自分のスマホを取り出し、モニター画面を撮影し始めた。
「ねーねー、この画面、ちょー可愛くない? ちょっとだけ加工して、インスタのストーリーに上げてもいーい?」
キラ☆は、悪戯っぽく笑いながら言った。
「い、インスタグラムに!? 開発中の画面をですか!?」
京一郎は、思わず声を裏返らせた。彼の表情が、一瞬にして険しくなる。
「だ、ダメですよ、そんなこと! これは、まだ部外秘の情報です! 情報漏洩になります!」
「えー? なんでー? 別に全部見せるわけじゃないし、『チラ見せ』ってやつだよ! 『#開発中』『#新作ゲーム』『#ギャルゲー神』とかハッシュタグつけてアップしたら、逆に宣伝になるじゃん!」
キラ☆は、全く悪びれる様子もなく、むしろ良いアイデアだと言わんばかりの表情だ。
「宣伝だとしても、会社の正式な許可なく、開発情報をSNSに公開することは、コンプライアンス違反です! 絶対にやめてください!」
京一郎は、強い口調で制止した。これは、彼のエンジニアとしての倫理観、そして会社員としての常識に関わる問題だった。
安易な情報公開が、どれほどのリスクを伴うか。彼は、過去の事例を知っていた。
しかし、キラ☆は、そんな京一郎の剣幕にも、全く動じなかった。
「あー、それなら大丈夫! パパにはもう言ってあるもん!」
「…社長に、ですか?」
「そ! この前、『なんか面白いことないの?』って聞かれたから、『今作ってるゲーム、チラ見せしたらバズるかもよ?』って言ったらさー、『はっはっは、面白そうじゃないか! やってみろ! 責任はワシが取る!』って!」
キラ☆は、五十嵐社長の口調を真似ながら、得意げに言った。
「…そ、そんな…」
京一郎は、絶句した。あの社長なら、確かに言いかねない。
いや、おそらく本当に言ったのだろう。
トップの鶴の一声。コンプライアンスも、情報管理規定も、その前では無力なのか。京一郎は、深い溜め息をつき、崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
もはや、自分に止められる術はない。
「じゃ、そーゆーことなんで!」 キラ☆は、勝利宣言とばかりに、再びスマホを構えた。
そして、撮影したモックアップ画面に、手慣れた様子で加工を施していく。キラキラのエフェクトを追加し、可愛いスタンプを散りばめ、手書き風の文字で「ちょーカワイイゲーム開発中☆ お楽しみに!」と書き込む。
その作業は、驚くほど手際が良かった。
「よし、できた! じゃ、アップしちゃいまーす!」
キラ☆は、あっという間に、自身の数十万人のフォロワーを持つインスタグラムアカウントのストーリーに、その画像を投稿してしまった。
京一郎は、頭を抱えた。
一体、どうなってしまうのか。
もし、この情報が元で、競合他社にアイデアを盗まれたら?
あるいは、未完成な情報が出回ることで、ユーザーに過度な期待を抱かせ、後々批判を浴びることになったら? 様々なリスクが、彼の頭の中を駆け巡る。
隣を見ると、佐藤も、さすがに少し困惑したような、心配そうな表情を浮かべていた。
(終わった…このプロジェクトは、もう滅茶苦茶だ…) 京一郎は、半ば諦めの境地で、天井を仰いだ。
だが、彼の予想は、良い意味で裏切られることとなる。
キラ☆が画像を投稿してから、わずか数分後。
彼女のスマホには、通知が鳴り止まなくなった。
ストーリーを見たフォロワーたちからのダイレクトメッセージやコメントが、殺到していたのだ。
「え、何これ!? めっちゃ可愛いんだけど!」
「キラ☆ちゃんがゲーム開発!? ヤバすぎ!」
「アバター? 着せ替え? 詳細ハヤク!」
「リリースいつですか!? 絶対やる!」
「神ゲーの予感しかしないんだが!」
「#プロジェクトギャラクシー って何!? 気になりすぎる!」
コメント欄は、期待と興奮の声で溢れかえっていた。
その投稿は、瞬く間にスクリーンショットで拡散され、他のSNSやまとめサイトなどでも話題になり始めた。
キラ☆のフォロワーだけでなく、ゲーム好きの若者や、トレンドに敏感な層からも、大きな注目を集めていたのだ。
「ちょっ…ヤバ! めっちゃバズってるんだけど!」
キラ☆自身も、予想以上の反響に驚き、興奮を隠せない様子だ。
「ほら見て、センパイ! リョウチー!」
と、スマホの画面を二人に見せる。
京一郎は、その画面に表示された夥しい数の「いいね」やコメント、そして、リアルタイムで増え続ける閲覧数を見て、呆然とした。佐藤も、「すごい反響ですね…」と、感嘆の声を漏らしている。
その騒ぎは、すぐに社内にも伝わった。
広報部からは、「あのSNS投稿は一体何事か」という問い合わせが入り、高山プロデューサーも、慌てて第7開発準備室に駆け込んできた。
「き、君たち! 一体何を…!」 高山は、血相を変えていたが、キラ☆が見せたSNSの反響の大きさと、添えられた「社長公認です☆」という(キラ☆が勝手に書き加えた)一文を見て、それ以上何も言えなくなってしまったようだった。
彼は、深いため息をつくと
「…くれぐれも、情報管理には気をつけてくれよ…頼むから…」
とだけ言い残し、胃薬を飲むような仕草をしながら、力なく部屋を出ていった。
京一郎は、一連の出来事を、まるで現実感のない夢でも見ているかのような気分で眺めていた。
情報漏洩のリスク。
コンプライアンス違反。
それらは確かに存在する。
しかし、それ以上に、SNSというプラットフォームが持つ、圧倒的な情報拡散力、そして、ターゲットユーザーの心を直接掴み、期待感を醸成する力。
それを、彼は目の当たりにしたのだ。
キラ☆の、常識外れに見えた行動が、結果的に、プロジェクトにとって、極めて有効なプロモーション活動となっていた。
(これが…彼女の言う『リアル』なのか…? データ分析や、従来のマーケティング手法では決して到達できない、ダイレクトな反応…)
京一郎は、自分の凝り固まった常識や価値観が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じていた。
SNS。それは、彼にとっては、単なる時間の浪費、あるいは、承認欲求を満たすための空虚なツールでしかなかった。
だが、キラ☆にとっては、それは現実世界と地続きになった、コミュニケーションと自己表現のための、そして、時には世界を動かす力さえ持つ、強力な武器なのだ。
その価値を、彼は認めざるを得なかった。
※
この出来事は、チームの関係性にも、微妙な変化をもたらした。
京一郎は、キラ☆の持つ、自分にはない能力…その鋭い感性、行動力、そして発信力に対して、以前のような完全な拒絶ではなく、ある種の敬意に近い感情を抱き始めていた。
もちろん、彼女の無計画さや、開発プロセスへの理解不足に頭を悩ませることは、依然として多い。
だが、少なくとも、彼女を単なる「お荷物」や「問題児」としてではなく、プロジェクトにとって重要な「異能」を持つメンバーとして、認識し始めていたのだ。
その変化は、コミュニケーションにも現れ始めていた。
デザインの議論中、京一郎がいつものように技術的な専門用語を使った時だった。
「…ですので、ここのUI要素の描画には、ドローコール(描画命令)の回数を最小限に抑えるために、アトラス化されたテクスチャを使用するのが効率的かと…」
以前なら、キラ☆は「は? ドローコール? アトラス? 何語?」と、そこで思考を停止していただろう。
しかし、その日の彼女は違った。
「…えっと、ドローコールって、なんか、いっぱいお願いすると、スマホが疲れちゃう的なやつ?」
「…まあ、簡潔に言えば、そうですね。処理が重くなる原因の一つです」
京一郎は、少し驚きながらも答えた。
「で、アトラス? ってのは、なんか、バラバラのシールを、一枚の大きいシートにまとめるみたいな感じ?」
「…! その通りです! よく分かりましたね!」
京一郎は、思わず感心して声を上げた。
キラ☆の例えは、技術的に正確とは言えないかもしれないが、本質は捉えている。
彼女なりに、京一郎の言葉を理解しようと努めている証拠だった。
「えへへ、まあね! で、そのシールを一枚にまとめとくと、スマホが『あ、これね!』って一回で済むから、楽ちんになるってこと?」
「その通りです!」
「なるほどねー! じゃあ、そうしよ!」
隣で聞いていた佐藤も、微笑ましそうに頷いている。
言葉の壁が、少しずつ低くなっている。
京一郎が、キラ☆の言語レベルに合わせて説明しようと試み始め、キラ☆もまた、京一郎の専門用語を自分なりに解釈し、理解しようと歩み寄り始めたのだ。
それは、まだ、ほんの小さな一歩かもしれない。
だが、このチームにとっては、大きな進歩だった。
※
佐藤という触媒を得て、そして、SNSでの一件という予想外の出来事を経て、第7開発準備室の空気は、確実に変わり始めていた。
衝突や混乱がなくなったわけではない。
しかし、そこには、以前にはなかった、チームとしての共通の目標に向かおうとする意志と、互いの違いを認め合い、補い合おうとする協力の精神が、確かに芽生え始めていた。
「さて、デザインの方向性もだいぶ見えてきましたね」
佐藤が、会議を締めくくるように言った。
「そろそろ、次のステップに進みましょうか」
「次のステップ?」
キラ☆が聞き返す。
「プロトタイプの作成です」
京一郎が答えた。
「実際に動くものを作って、ゲームのコアとなる部分…特に、アバターのカスタマイズ機能や、基本的な操作性を検証するんです」
「プロトタイプ! なんか、響きがカッコイイ!」
キラ☆は、目を輝かせた。
「それって、もうすぐゲームが遊べるってこと!?」
「いえ、あくまで試作品ですから、完成形には程遠いですよ」
京一郎は、釘を刺すように言った。
「バグも多いでしょうし、実装されていない機能もたくさんあります」
「ふーん。まあ、いっか! とりま、そのプロトタイプで、うちが最強に盛れるアバター作ってみせるから、楽しみにしててよ、センパイ!」
キラ☆は、自信満々に胸を張った。
その根拠のない自信に、京一郎は、やれやれと溜め息をつきつつも、以前のような絶望感ではなく、むしろ、ほんの少しの期待感のようなものを感じている自分に気づき、内心で驚いていた。
課題は、まだ山のようにある。
技術的な壁、スケジュールのプレッシャー、そして何より、この予測不能なチームメンバーたち。
だが、少なくとも、今は、前に進むべき道筋が、ぼんやりとではあるが見えている。
プロジェクト・ギャラクシーは、まだ混沌の中にある。
しかし、その混沌の中から、確かに何かが生まれようとしている。
その確かな予感を胸に、京一郎は、次なるステップへと意識を向けた。