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第七話:デザイナー佐藤と『カワイイ』を巡る戦い

 渋谷でのフィールドワーク(という名の狂騒曲)から数日が経過した。


 富安(とみやす・)京一郎(けいいちろう)は、第7開発準備室の自席で、ノートPCに記録した大量のテキストデータと格闘していた。


 ギャルたちの生々しい言葉の洪水。

 そこには、支離滅裂に見えて、しかし無視できない熱量と、彼女たちの切実な欲求が渦巻いていた。

「盛れる」「エモい」「ヤバい」「神」


 それらの感覚的な言葉が、具体的にどのようなゲーム体験に結びつくのか、彼はエンジニアとしての思考回路をフル回転させて分析しようと試みていた。

 しかし、その作業は、最適化されたアルゴリズムを解読するのとは全く異質の困難さを伴った。

 論理だけでは、到底辿り着けない領域が、そこには広がっていたのだ。


 部屋の主であるキラ☆は、相変わらずマイペースだった。


 渋谷での調査結果をまとめるように京一郎が促しても、「えー、だって、もうセンパイに全部伝えたじゃん? あとは、いい感じにヨロシク!」の一点張り。


 スマホで友人と長電話をしたり、ファッション雑誌を読みふけったり、時には持ち込んだポータブルゲーム機で遊び始めたりと、自由気ままな時間を過ごしている。


 ただ、以前と少しだけ違うのは、時折、京一郎のPC画面を覗き込んでは、「それ、うちらが言ってたやつ?」などと、わずかながらも関心を示す素振りを見せるようになったことだろうか。


 もっとも、それが本当の意味での関心なのか、単なる気まぐれなのかは、京一郎には判断がつかなかった。


 そんな混沌とした日々が続く中、プロジェクトはようやく次の段階へと進む兆しを見せた。高山プロデューサーから、新しいメンバーがチームに加わるという連絡が入ったのだ。


「デザイナー? 専属でついてくれるということですか?」

 京一郎は、内線電話で高山の声を聞きながら、わずかな期待を込めて尋ねた。

 これまでは、企画の方向性すら定まらず、デザインについて具体的な検討を進めることができなかった。

 しかし、専門のデザイナーが加わるなら、キラ☆の抽象的なイメージを、具体的なビジュアルに落とし込むことができるかもしれない。


『ああ、そうだ。UI/UXデザインを中心に、アートディレクションもお願いすることになるだろう。

 佐藤涼子(さとう・りょうこ)さんといってね、社内でも若手だが、非常に優秀なデザイナーだ。

 特に、女性向けコンテンツのデザインには定評がある。

 君たちのプロジェクトには適任だろう』


 高山の声には、いつものような疲労感に加え、わずかな安堵の色が滲んでいるように聞こえた。

 おそらく、このカオスなチームにまともな(?)人材を投入することで、少しでもプロジェクトを軌道に乗せたいという、彼の切実な願いが込められているのだろう。

『今日、午後一でそちらに合流する手筈になっている。

 しっかり連携して、まずはゲームのビジュアルコンセプトを固めてくれ』


「…承知しました」

 京一郎は、電話を切ると、小さく息をついた。


 デザイナーの加入。


 それは、この五里霧中のプロジェクトにおいて、一条の光となるかもしれない。

 少なくとも、自分とキラ☆だけでは不可能だった、具体的な「形」を作り出すための、重要な一歩となるはずだ。


 午後の開始基準となる13時になると間もなく、第7開発準備室のドアが静かにノックされた。

 京一郎が「どうぞ」と応じると、一人の女性が入ってきた。

 年の頃は、京一郎より少し下、20代後半だろうか。

 ショートボブで艶やかな黒髪。

 派手さはないが、洗練された印象のシンプルなワンピースを着こなし、華奢なフレームの眼鏡をかけている。

 化粧もナチュラルで、清潔感があり、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

 彼女が、高山プロデューサーの言っていた佐藤涼子なのだろう。


「失礼します。本日よりこちらのプロジェクトに参加させていただきます、デザイナーの佐藤涼子です。富安リーダー、そして…」

 佐藤は、室内の異様な光景と、ソファでスマホをいじっていたキラ☆の姿を一瞥し、一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐにプロフェッショナルな表情を取り戻した。


「五十嵐さん、ですね。よろしくお願いいたします」

 丁寧な自己紹介と、落ち着いた物腰。

 京一郎は、それだけで、彼女が信頼に足る人物であると直感した。


 ようやく、まともなコミュニケーションが取れる相手が現れたことに、彼は内心で安堵のため息をついた。


 一方、キラ☆は、佐藤の登場に興味津々といった様子で、スマホから顔を上げた。

「えー! 新メンバー? デザイナーさん? やったー!」

 キラ☆は、椅子から飛び上がると、佐藤に駆け寄った。


「うち、キラ☆って言います! 佐藤さん、名前、涼子さんって言うんだ?

 じゃあ、リョウチーって呼んでいーい?」

「え? あ、はい…構いませんけど…」

 突然の馴れ馴れしい呼びかけに、佐藤は少し戸惑った表情を見せたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


 その大人な対応に、京一郎はさらに安堵感を深めた。

「よろしくね、リョウチー! これでやっと、この部屋にカワイイ成分が増えるわー!」キラ☆は、あっけらかんとそう言い放ち、佐藤の腕に自分の腕を絡ませようとする。

 佐藤は、苦笑いを浮かべながらも、それをやんわりと受け流している。


(…大丈夫だろうか。佐藤さんも、この調子に巻き込まれてしまうのでは…)

 一抹の不安が、京一郎の脳裏をよぎった。

 しかし、今は、新たなメンバーの加入を前向きに捉え、プロジェクトを前進させることだけを考えるべきだ。


「佐藤さん、ようこそ。リーダーの富安京一郎です。

 早速ですが、プロジェクトの概要と、これまでの経緯についてご説明してもよろしいでしょうか」

 京一郎は、三人で会議テーブル

(相変わらずキラ☆の私物が散乱しているが、少しだけ片付けられていた)

 に着くと、PCを開き、企画の現状について説明を始めた。


 渋谷での市場調査の結果(京一郎が必死でまとめた分析レポート)や、そこで得られたギャルたちのリアルな声、そして、それらを踏まえて、どのようなゲームを目指すべきか、という現時点での課題。

 佐藤は、真剣な表情で京一郎の説明に耳を傾け、時折、的確な質問を挟みながら、プロジェクトの全体像を素早く把握していく。

 その理解力の高さと、プロフェッショナルな姿勢に、京一郎は改めて期待感を抱いた。


「なるほど…状況は理解しました」

 一通り説明を聞き終えた佐藤は、眼鏡の位置を直しながら言った。


「ターゲットは明確ですが、具体的なゲーム体験やビジュアルの方向性については、まだ固まっていない、ということですね」

「はい。キラ☆さんのイメージする『カワイイ』や『エモい』といった感覚的な要素を、どのように具体的なデザインに落とし込むかが、最大の課題だと考えています」


「ふむ…」

 佐藤は、顎に手を当てて、少し考える素振りを見せた。

「確かに、感覚的な言葉を形にするのは難しい作業ですが、非常にやりがいのあるテーマでもありますね。まずは、いくつか方向性の異なるコンセプトアートや、UIのワイヤーフレーム(骨組みとなる設計図)を作成してみて、皆さんとイメージを共有するところから始めましょうか」

「それがいいと思います。お願いします」

 京一郎は頷いた。


「えー! コンセプトアート? ワイヤーフレーム? 何それ、カッコイイ響き!」

 キラ☆が、横から目を輝かせて口を挟んだ。

「ゲームの世界観や、画面のデザインの元になる、ラフなスケッチや設計図のようなものですよ」佐藤が、優しく説明する。


「へー! じゃあさ、早速だけど、うちのイメージ、伝えていーい?」

「もちろんです。ぜひ聞かせてください」


 ここからが、正念場だ。京一郎は、内心で身構えた。

 佐藤という緩衝材を得たとはいえ、キラ☆の感覚的な要求と、現実的なデザイン、そして技術的な制約との間で、再び激しい衝突が起こることは避けられないだろう。


「まずねー!」

 キラ☆は、身を乗り出し、熱っぽく語り始めた。

「ゲームの全体的な雰囲気は、もう、とにかく『キラキラ☆ドッカーン!』って感じ!」

「…キラキラ、ドッカーン、ですか」

 佐藤は、冷静にメモを取りながら、穏やかに問い返す。


「もう少し具体的に言うと、どのようなイメージでしょう? 色使いはパステル系? ビビッド系? テイストは、ファンシーな感じ? それとも、もう少しクールでスタイリッシュな感じ?」


「んーっとねー、色は、ピンクと黒とゴールド! 最強の組み合わせじゃん? で、テイストは、ファンシーもいいけど、ちょっと『地雷系』っぽい、病みカワイイ感じも混ぜたい!」


「…ピンクと黒とゴールドで、地雷系のテイスト、ですか」

 佐藤は、少し眉をひそめたが、それでもプロとして、その意図を探ろうとする。

「なるほど、甘さと毒気のある感じ、ということでしょうか。面白い組み合わせですね」


「そうそう! それ! でね、押すところのボタンの絵とかあるじゃん? あれは、全部、宝石みたいにしてほしいの! ダイヤとか、ルビーとか! で、ボタン押したら、キラキラ~って星とかハートとかが飛び散るの!」


「…ボタンのデザインを宝石に、ですか」

 今度は、京一郎が口を挟んだ。

「視認性や、タップ領域の確保という観点からは、あまり複雑な形状は推奨できませんが…」

「はぁ? シニンセイ? そんなん、どーでもいーし! カワイクなきゃ、押す気にもなんないじゃん!」

 キラ☆は、即座に反論する。


「まあまあ、京一郎さん」佐藤が、なだめるように言った。

「ボタンの形状自体はシンプルにしつつ、宝石のような質感や、タップした時のリッチなエフェクトで表現するという方向性も考えられますよ。そのあたりは、いくつかパターンを作ってみましょう」


「あとね! 背景! ずーっと、オーロラみたいに、ゆらゆらキラキラしてる感じがいい! なんか、見てるだけでテンション上がるじゃん?」

「…背景を常にアニメーションさせるとなると、描画負荷がかなり高くなります」京一郎が、再び技術的な懸念を表明する。


「特に、スマートフォンでの動作を考慮すると、バッテリー消費や発熱の問題も…」

「負荷? バッテリー? 知らねーし! だって、その方が絶対エモいもん!」

 キラ☆は、全く譲る気がないようだ。

「うーん…」佐藤も、少し困った表情を浮かべた。


「常に背景全体を動かすのは、確かにパフォーマンス的に厳しいかもしれませんね。でも、例えば、画面の一部…空の部分だけとか、あるいは特定のモードに入った時だけ、特別な背景演出を入れるというのはどうでしょう? メリハリをつけることで、かえって『エモさ』が際立つかもしれませんよ」

「えー? でも、常にキラキラがいいんだけどなー」

 キラ☆は、まだ納得がいかない様子だ。


「カワイイ」の定義を巡る戦いの火蓋は、切って落とされた。


 京一郎が重視するのは、論理に基づいた機能美と、技術的な実現可能性。

 キラ☆が求めるのは、感覚的で、絶対的で、時に矛盾を孕んだ「カワイイ」の最大瞬間風速。


 そして、佐藤は、その両極端な要求の間で、デザイナーとしての美意識と、プロジェクトを破綻させないための現実的な落としどころを探るという、極めて困難な舵取りを迫られていた。


「そもそも、『カワイイ』とは何か、という定義自体が、人によって大きく異なります」

 京一郎は、あくまで冷静に、一般論を述べようとした。

「客観的な指標を設定することが困難である以上、まずは最大公約数的なデザインを目指し、そこから…」

「もー! センパイは、すぐそーやって難しく考えるんだから!」

 キラ☆が、京一郎の言葉を遮る。


「『カワイイ』は、理屈じゃないの! 見た瞬間、キュン!ってなって、『これしか勝たん!』って思う、それが『カワイイ』なの!」

「『これしか勝たん』…ですか」

 京一郎は、内心で新たなギャル語をメモした。


「その『キュン』となる感覚を、デザイン要素に分解するとすれば…例えば、色彩心理学的には、暖色系の明るい色は…」

「だから、そーゆーの、いらないんだってば!」


 議論は、平行線を辿るかに見えた。

 しかし、佐藤は諦めなかった。


「お二人の言いたいこと、よく分かります」

 彼女は、穏やかに、しかしきっぱりとした口調で言った。


「京一郎さんの言う、機能性や実現可能性はもちろん重要です。一方で、キラ☆さんの言う、理屈抜きの『カワイイ』へのこだわりも、このゲームの核となる部分だと思います。大切なのは、そのバランスですよね」

 佐藤は、タブレット端末を取り出し、素早い手つきでスケッチを描き始めた。

「例えば、ボタンのデザインですが、形状はシンプルでも、押した時のエフェクトを、キラ☆さんのイメージする『宝石が砕け散るようなキラキラ感』に近づけることはできるかもしれません。

 背景も、常に動かす代わりに、特定のアイテムを手に入れたり、アバターが『盛れた』時にだけ、特別なオーラのようなエフェクトを出すのはどうでしょう?


『カワイイ』の瞬間を、よりドラマチックに演出するんです」

 佐藤が提示したラフスケッチには、機能性と装飾性、そしてキラ☆の言う「キラキラ感」や「エモさ」を、巧みに両立させようとするアイデアが描かれていた。


「…!」キラ☆は、そのスケッチを食い入るように見つめ、やがて目を輝かせた。

「あ! これ! これ、いいかも! なんか、分かってるじゃん、リョウチー!」

 京一郎も、そのスケッチを見た。

 技術的な負荷を考慮しつつ、最大限の演出効果を狙う、クレバーなアプローチだ。

「…なるほど。この方向性なら、パフォーマンスへの影響を最小限に抑えつつ、ユーザー体験を向上させられるかもしれません」


 初めて、三者の意見が、一つの方向へと収束しかけた瞬間だった。

 もちろん、これで全てが解決したわけではない。

 デザインの細部を詰めていく過程で、新たな衝突や困難が待ち受けていることは想像に難くない。


 だが、少なくとも、絶望的な断絶状態からは、一歩前に進むことができた。


 佐藤涼子という、優秀な翻訳者であり、冷静な調停役を得たことで、このカオスなチームにも、ようやく建設的な対話の可能性が見えてきたのだ。


 京一郎は、まだ完全には消えない不安を感じつつも、ほんの少しだけ、このプロジェクトの未来に希望の光を見出したような気がしていた。

 それは、長く暗いトンネルの中で、遠くに微かな出口の光を見つけた時のような、そんな心境だった。


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