第十話:迫りくる危機 ~外部からのプレッシャー~
「全パーツ・リアルタイム・キラキラ☆MAX」機能がもたらした衝撃的なビジュアルと、それ以上に深刻なパフォーマンス問題。
第7開発準備室は、そのジレンマを解消するための出口を見つけられないまま、時間だけが刻々と過ぎていった。
富安京一郎は、昼夜を問わず最適化の可能性を探り続けていた。
シェーダーコードを一行一行見直し、メモリ管理のアルゴリズムを改良し、GPUの並列処理効率を改善するための様々な手法を試す。
しかし、彼がどれだけ努力を重ねても、あの過剰なまでの「キラキラ」を維持したまま、目標とするパフォーマンスレベルを達成することは、絶望的に困難だった。
わずかな改善は見られても、それは焼け石に水。根本的な解決には程遠い状況が続いていた。
その間にも、プロジェクト全体のスケジュールは、容赦なく遅延していく。
当初の計画では、既にプロトタイプの評価を終え、アルファ版(主要な機能が一通り実装されたバージョン)の開発に着手しているはずだった。
しかし、現実には、未だにプロトタイプの核心部分で足踏み状態が続いている。
他の機能…例えば、キラ☆が熱望していたSNS連携機能や、「推し」との連動要素などの開発は、ほとんど手つかずのままだった。
この遅延は、当然ながら、プロジェクトを管理する立場にある高山健吾プロデューサーの神経を、日に日にすり減らしていった。
彼は、ほぼ毎日、第7開発準備室に顔を出し、京一郎とキラ☆に進捗状況を確認するようになった。
その表情は、最初は心配げだったものが、次第に焦りの色を濃くし、最近では、隠しきれない苛立ちすら滲ませるようになっていた。
「京一郎君、例のパフォーマンス問題、解決の目処は立ったのかね?」
高山の声は、努めて冷静さを装ってはいるが、その裏には強いプレッシャーが感じられた。
彼は、デスクに置かれた胃薬のボトルに、無意識のうちに手を伸ばしている。
「…申し訳ありません。現在も、あらゆるアプローチを試みていますが、抜本的な解決には至っておりません。描画負荷、サーバー負荷ともに、依然として許容レベルを大幅に超えています」
京一郎は、正直に現状を報告するしかない。
技術的な嘘をつくことは、彼の信条に反する。
「そうか…」
高山は、深いため息をついた。
「キラ☆君、君からも何か、代替案というか、妥協できる点はないのかね? このままでは、プロジェクト自体が…」
「ヤダ!」
高山の言葉が終わる前に、キラ☆が鋭く言い放った。
「あのキラキラがないと、このゲームは意味ないもん! 絶対に諦めない! センパイなら、絶対なんとかしてくれるって信じてるし!」
彼女の瞳には、頑ななまでの決意が宿っている。
高山は、その言葉に、ぐっと眉間にシワを寄せた。
「信じるのは結構だが、現実問題として、スケジュールは遅れに遅れているんだぞ! このままでは、会社としても…!」
「でも!」
「もういい!」
高山は、珍しく声を荒げた。
「とにかく、一刻も早く、この問題を解決するなり、あるいは別の方向性を見出すなりしてくれ! 私も、いつまでも上層部を説得し続けられるわけではないんだ!」
高山は、苦虫を噛み潰したような顔でそう言い残し、足早に部屋を出ていった。
彼の背中からは、板挟みの苦悩と、尽きかけている忍耐が痛いほど伝わってきた。
残された部屋には、重く、気まずい空気が漂う。
京一郎は唇を噛み締め、キラ☆は不満そうにそっぽを向いていた。
そして、恐れていた事態は、ついに現実のものとなった。
数日後に開かれた、月例の役員会議。
プロジェクト・ギャラクシーは、その主要な議題の一つとして取り上げられたのだ。
会議室の重厚なテーブルには、社長の五十嵐をはじめ、各部門のトップである役員たちが顔を揃えている。高山は、京一郎と佐藤を伴い
(キラ☆は「そーゆー堅苦しいの、ムリ!」と言って欠席した)
その末席に座っていた。
会議の序盤、他のプロジェクトの順調な進捗報告が続く中、京一郎は、これから始まるであろう糾弾を予感し、生きた心地がしなかった。
そして、ついに、プロジェクト・ギャラクシーの番がやってきた。
「さて、次は、例の『プロジェクト・ギャラクシー』だが…高山プロデューサー、進捗状況を説明してくれたまえ」
口火を切ったのは、財務担当の、社内でも特に厳しいことで知られる老獪な役員だった。
その目は、明らかに疑念と不信感を湛えている。
高山は、額に汗を滲ませながら、立ち上がった。
そして、用意した資料に基づき、プロジェクトの現状…プロトタイプの開発状況、渋谷での市場調査の結果、SNSでの予想外の反響、そして、現在直面している深刻な技術的問題と、それによるスケジュールの遅延について、可能な限り客観的に、しかし苦しい弁明を交えながら説明した。
説明が終わると、案の定、役員たちから厳しい質問と批判が矢継ぎ早に浴びせられた。
「高山君、君の説明は分かったが、要するに、計画は大幅に遅延し、しかも、プロジェクトの根幹に関わる技術的な問題が解決できていない、ということかね?」 「SNSでの反響? そんなものは水物だ。一時的な話題性で、この莫大な開発費を正当化できるとでも?」
「そもそも、このプロジェクトは、社長の鶴の一声で始まった、いささか思いつきの感が否めない。費用対効果という点で、本当に見合うものなのかね?」
「競合他社では、既に類似のゲームがβテストを開始しているというではないか。この遅れは致命的だぞ」
高山は、それらの批判に対し、必死で反論し、プロジェクトの可能性を訴えようとした。
京一郎も、技術的な側面から補足説明を試みたが、役員たちの懐疑的な空気は変わらない。
彼らが求めているのは、言い訳や可能性ではなく、具体的な成果と、確実な収益見込みなのだ。
「まあまあ、皆さん、少し落ち着いてください」
見かねた五十嵐社長が、そこで助け舟を出した。
「確かに、プロジェクトは難航しているかもしれません。
しかし、これは、我が社にとって、全く新しい領域への挑戦なのです。
多少の試行錯誤や遅延は、当然予想されたことではありませんか。
私は、現場の若い力…京一郎君の技術と、我が娘、キラ☆の新しい感性が、必ずや、これまでにない価値を生み出すと信じています。
もう少し、長い目で見てはいただけませんか?」
社長は、いつものような自信に満ちた口調で語りかけた。
しかし、具体的な成果を示せない現状では、その言葉も、役員たちには空虚な楽観論にしか聞こえないようだった。
「社長のお気持ちは分かりますが、我々にも株主に対する説明責任があります。いつまでも、成果の出ないプロジェクトに、会社の貴重なリソースを投入し続けるわけにはいきません」財務担当役員が、冷ややかに言い放った。
議論は平行線を辿り、会議室の空気はますます重くなっていく。高山は、冷や汗を流しながら、ただ下を向くしかなかった。
最終的に、会議は、ある厳しい結論をもって締めくくられた。
「…よろしい。では、こうしましょう。プロジェクト・ギャラクシーには、あと一ヶ月の猶予を与えます。
その間に、現在抱えている技術的な問題を解決し、具体的な成果…例えば、安定して動作するアルファ版の提示と、明確なリリーススケジュールを示すこと。
それができなければ、残念ながら、プロジェクトは凍結、もしくは大幅な予算削減を検討せざるを得ません」
それは、事実上の最後通牒だった。
一ヶ月。
その短い期間で、あの深刻なパフォーマンス問題を解決し、遅れを取り戻さなければ、プロジェクトは終わる。
京一郎は、その言葉の重みに、目の前が暗くなるような感覚を覚えた。
※
第7開発準備室に戻った京一郎、佐藤、そして高山(彼は会議の後、やつれた顔で合流した)の間には、これまでになく重苦しい空気が漂っていた。
高山から役員会議での決定事項を聞かされた佐藤は、言葉を失い、ただ表情を曇らせている。
京一郎も、責任の重さに押しつぶされそうになっていた。
(あと一ヶ月…それで、全てが決まるのか…)
そんな絶望的な状況に、さらに追い打ちをかけるニュースが飛び込んできた。
業界系のニュースサイトが、競合他社である大手ゲームメーカー「サイバーノヴァ社」が開発中の新作アバターSNSゲーム『ドリーム☆クローゼット』のβテストが大成功を収めた、と報じたのだ。
記事には、美麗なスクリーンショットと共に、
「圧倒的なカスタマイズ性!」
「リアルなファッションブランドとのコラボが熱い!」
「SNS連携機能も充実!」といった、絶賛の声が並んでいる。
それは、まさに、プロジェクト・ギャラクシーが目指していたコンセプトと、酷似していた。
しかも、彼らは既に、安定して動作するβ版を公開し、多くのユーザーから高い評価を得ている。
「…ドリーム☆クローゼット…」佐藤が、タブレットでその記事を見ながら、力なく呟いた。
「…すごい、完成度ですね。UIも洗練されてるし、アバターのクオリティも高い…」
「…我々が、あの『キラキラ機能』に固執している間に、彼らは着実に開発を進めていた、ということか…」
京一郎は、唇を噛み締めた。焦燥感と、そして、自分たちの選択が間違っていたのではないかという疑念が、彼の心を激しく揺さぶる。
「このままじゃ、ヤバい…! 絶対に負けちゃう…!」
そのニュースは、部屋の隅でふてくされていたキラ☆の耳にも届いていた。
彼女は、スマホで『ドリーム☆クローゼット』の情報を食い入るように見つめながら、焦りの表情を浮かべていた。
しかし、次の瞬間、彼女の瞳に、再び頑なな光が宿った。 「…やっぱり! こうなったら、ますます、あの『キラキラ☆MAX』が必要だよ! あれがあれば、絶対うちらの方が勝てるもん! あれこそが、他のゲームにはない、最強の武器なんだから!」
キラ☆は、競合の脅威を目の当たりにし、焦りを感じながらも、それを、自らの理想…あの実現困難なキラキラ機能…への執着を、さらに強める方向へと転化させてしまったのだ。
その姿は、京一郎には、もはや現実から目を背け、非合理な信念にすがりついているようにしか見えなかった。
外部からのプレッシャー、迫りくるタイムリミット、そして強力なライバルの出現。
プロジェクト・ギャラクシーは、まさに崖っぷちに立たされていた。
そして、チーム内部では、解決困難な技術的問題と、リーダーと主要メンバーとの間の、埋めがたい意見の対立が、依然として暗い影を落としている。
状況は、刻一刻と、悪化の一途を辿っていた。