お守りみたいな水
朝、職場の自席に座って、湊はそっと足元のカバンを開けた。
中から取り出したのは、ペットボトル。
葵が、この前の帰り際に手渡してきたものだった。
>「ちゃんと飲めよ、アイスコーヒーばっかじゃだめだからな」
そのときは、軽く受け取って「分かってる」とだけ返した。
だけど家に持ち帰ってもなぜか冷蔵庫に入れられず、そのままカバンの中で一緒に通勤していた。
ラベルは少し擦れて、ぬるくなっている。
でもなぜか、それを捨てられない。
(……飲むわけでもないのにな)
湊はふと思って、キャップを開けた。
ほんの少し口をつけてみる。冷たくはないけど、体の奥に染み込んでくるような感覚だった。
(……ああ、そうか)
これって、水じゃなくて――「ことば」なのか。
そのとき、自分に渡されたのは、たぶん“気遣い”とか“声”とか、そういうものだったんだ。
湊はペットボトルを机の片隅に置いた。
仕事の合間にふと視界に入るその存在が、まるでお守りみたいだった。
夕方になって、同僚がふと湊の机に目をやった。
「それ、珍しいね。三浦さんってあんまり水とか飲んでるイメージないけど」
「……そうかもな」
「それ、大事なやつ?」
「……いや。たまたま。置いてるだけ」
そう答えながらも、ペットボトルを手に取って、少しだけ角度を変えて置き直した。
ラベルがこちらを向くように。
その無意味な動作が、なぜか丁寧になってしまう。
今日も湊は、その水を一滴も飲み干すことなく、持ち帰った。
ただ静かに、それがそこにあることに、安心していた。