湿った夜のノイズ
雨上がりの夜は、やけに空気が重たく感じる。
湊はカーテンを少しだけ開けて、曇った窓の向こうをぼんやりと眺めていた。
部屋には扇風機の風が回っている。カラカラと、ゆっくり回る羽根の音が、眠れない夜に心地よいはずなのに、今夜は妙に神経に触る。
布団に入ってから、もう何度目か分からない寝返りを打ったときだった。
スマホが、鳴った。
画面を開くと、「葵」の名前が目に入る。
> 『今日、無理してない?』
> 『湊って、だいたい体調崩す前日って、黙るんだよな』
静かに、鼓動が跳ねた。
どうしてそんなに分かるんだ。
いや、分かってしまうくらい、ずっと見てきたんだろうな。
(……余計なことばっか、気づきやがって)
ため息混じりにスマホを伏せる。
でも、数秒後にはまた画面を見つめてしまう自分がいて、笑ってしまった。
少しだけ指先が震えたけど、湊は短く返信を打つ。
> 『……ちょっとだけ、しんどいかも』
数秒後、既読がついて、間を置かずに電話が鳴った。
湊は一瞬ためらって、それでも、そっと通話ボタンを押した。
「……なに?」
「なに、じゃないって。声、聞きたかっただけ」
葵の声は、扇風機の音よりもずっと静かで、体温を下げてくれる。
「……あのさ。俺、今日は会いに行けないけど」
「……来るなって言ってない」
「来ても平気?」
「……来ないって言ったの、そっちだろ」
沈黙。
でもその沈黙は、あの日の夜と似ていた。悪くない、静けさ。
「じゃあさ、今度、ちゃんと休みの日に……冷房の効いたカフェとか、また行こうよ」
「……暑くなるぞ。アイスコーヒーじゃ足りねぇかもしれない」
「じゃあ、二杯頼む?」
「氷、多めでな」
ふたりとも笑った。声に出さなくても分かる。
それだけで、今夜の湿気が、少しだけましに感じられた。
「……湊」
「ん」
「明日も、起きれなかったら、電話するからな」
「……は?」
「起きろって、言うだけ」
「……好きにしろよ」
電話を切ると、扇風機の音がまた耳に戻ってきた。
でも今度は、不思議とその音に、眠気が混じっている。
湊はスマホを枕元に置いて、静かに目を閉じた。
(……ああ、これくらいの距離が、ちょうどいいのかもしれない)