冷房とアイスコーヒー
ジリジリと焼けるような日差しのなか、湊は会社帰りに駅前のカフェに立ち寄っていた。
冷房の効いた店内。アイスコーヒーのグラスが、静かに汗をかいている。
(……さすがに今日は、無理だった)
数日前から続く猛暑にやられて、昼休みには軽い頭痛とめまい。
職場では「体調大丈夫ですか?」と何度も訊かれたが、「大丈夫です」と笑ってごまかした。
そして今。やっとの思いでカフェに滑り込んで、ひと息ついていた。
氷の溶ける音が、なんだか遠くに感じられた。
「――湊?」
声がした。聞き慣れた、柔らかくて少し驚いたような声。
「……葵?」
振り向けば、スーツ姿の葵が立っていた。
ネクタイを緩め、少し汗ばんだ額に手をやっている。
「まじか。偶然すぎない?」
「……ああ、そうかもな」
「いつもこの辺り、寄る?」
「たまたま。今日は……ちょっと、しんどくてな」
「やっぱ顔が赤い。ちょっと冷えた方がいいぞ?」
そう言って、葵は湊の向かいに座る。
注文もしないまま、当然のように。けれどその距離感が、不思議と嫌じゃなかったんだ。
「オレ、今日この辺で商談だったんだ。たまたま通っただけだけど……湊に呼ばれたのかと思った」
「そんなこと、あるわけない」
「いやー、オレにはあるんだよな、これが」
そう言って笑う葵の声が、グラスの氷よりも心を冷やしてくれる気がする。
湊は、黙って少しだけ笑った。
「最近、あんまり連絡なかったから、心配してた」
「……ちょっと、余裕なかっただけだ」
「そっか。でも、湊がこうやって黙る時って、たいてい無理してる時だろ?」
その言葉に、返す言葉が詰まる。
何も言わなくても伝わる関係なんて、ほんの一握り。
それが鬱陶しいと思う時もある。けれど、今は――少しだけ救われた気がした。
「……ありがと」
「ん?」
「なんでもない」
グラスの底で、氷がからん、と音を立てた。
その音が、ふたりの間の空気を少しだけやわらかくする。
「なあ、湊。もうすぐ夏休みだけど――」
「……まだ分からない」
「なんだよ、何も言ってないのに」
「言いそうな顔してた」
ふたりは、笑った。
ほんの数分の偶然。
でも、それだけで――湊の顔には、確かに少しだけ色が戻っていた。
別れ際、葵はさりげなく、冷えたペットボトルの水を湊に手渡した。
「ちゃんと飲めよ、アイスコーヒーばっかじゃだめだからな」
そう言って、軽く手を振って去っていく背中。
湊は、手に残った冷たさを見つめながら、小さく息をついた。
(……やっぱり、ずるいよな)