黙ったままの春
春の風が街を吹き抜ける。桜はもうほとんど散って、アスファルトに花びらが落ちているだけ。
週末、湊はベッドに寝転びながらスマホを握っていた。
画面には、今日の日付。
4月27日――相澤葵の誕生日。
メッセージの入力欄には、打っては消した「おめでとう」が数十回分、未送信のまま溜まっていた。
(どうせ、他の誰かからたくさん祝われてるだろ)
(今さら俺が言ったところで、何かが変わるわけでも――)
そう思いながら時間だけが過ぎていくのが、やけに落ち着かなかった。
画面の上に、葵の名前を見つける。
最後の通話履歴は、一週間前。自分が体調を崩して、葵が「ただ話をするだけでいいから」と言ってくれた日だった。
あの声は、今でも耳に残っている。
(……あんなに、さりげなく優しくされると……余計に言いにくくなるじゃん)
自分でも理由がよくわからない。
照れなのか、怖さなのか、それとも――期待なのか。
──ピコン
突然、スマホが鳴った。
画面を見ると、「葵」からのLINE。
> 『今日、俺の誕生日だってこと、湊、覚えてないわけないよな?笑』
> 『もしかして、言いそびれてる?』
> 『だったら、今からでも聞かせてよ。湊の声でさ。』
心臓がドクンと跳ねた。
なんで分かるんだ、こいつは。
いつも、何気なく先回りしてくるし。
でも今回は――少しだけ、素直になってもいいと思った。
湊は、ゆっくりと画面をスワイプし、通話ボタンを押した。
「……もしもし。葵」
「おーっ、つながった。やっと声聞けた」
「……誕生日、おめでとう」
一拍置いて、葵が笑ったのが分かった。
「ありがと。湊の声で聞けて、今年がいい年になる気がしたよ」
その言葉に、俺の胸が少しだけ温かくなる。
沈黙が流れる。でも、悪くない沈黙だった。
「今からでも会えるなら、嬉しいけどさ。」
「時間的に無理だろう?」
「……会えなくても、いいよ。俺はこうして声が聞けたから」
春の風が、窓を揺らす。
今年の春は、なんだかいつもより穏やかだ。
黙ったままでも、何かが少しずつ、動いている気がした。
通話を終えて、湊はソファに深く沈んだ。
胸の奥が、じんわりと熱を帯びている。
(もう少しだけ、このままでもいいか……)
画面の向こうにいる葵の声を思い出しながら、目を閉じた。