わたしが最後にできること
「二次会いくよー」
店を出ると、一条寺が声を上げた。
「眠い。帰る。レイネ、ねんねする。あーちゃん、帰ろう」
レイネが、眠たげな顔で手を差し出す。
杏は一瞬、ためらった。
最悪の始まりだったはずなのに、少しだけ名残惜しい気持ちが芽生えていた。
でも、握られた手はいつものようにひんやりと冷たい。
それが、現実へと引き戻す。
「すみません、先に失礼します」
杏は頭を下げ、導かれるようにその場を離れた。
* * *
タクシーの窓越しに、夜の街が流れていく。
ネオンの光が、レイネの横顔を柔らかく照らしていた。
「楽しかったね」
レイネの声は、小さく、けれど余韻を含んでいる。
「ちやほやされるのって、気持ちいい」
視線は窓の外に向けられたまま、静かに言葉を重ねる。
「あーちゃん、一条寺さんのこと……いいなって思ったでしょ?」
ドキリと心臓が跳ねたが、杏はすぐさま首を振った。
「そんなことないよ。私にはレイネがいるし」
その瞬間、車内の空気がひんやりと引き締まる。
レイネは杏に顔を向けず、正面を見据えたまま、静かに話し始めた。
「ごめん。レイネは、知ってる。このままだと、あーちゃんは理想の未来に到達しない」
「何を言ってるの?」
杏は耳を疑い、続けた。
「未来のことなんて、誰にも分からないよ」
胸の奥から、じわじわと不安が広がっていく。
レイネは、淡々とした声で続ける。
「レイネ、次元超えてきたでしょ?」
「やめてよ、そんな話。タクシーだよ。運転手さんが聞いてる」
「大丈夫よ。記憶なんて消し飛ばすから」
外を見たまま、レイネはさらりと言い放つ。
「まあ、聞いて」
レイネ、ある程度の未来を予見できる。
場合によっては時間を巻き戻し、未来をなかったことにできる。
ナンバーズを当てたのも、そう。
公園であーちゃんに止まってもらったのも、そう。
あの子、死にはしないけど怪我してた。
淡々と語られる言葉に、杏の頭はうまくついていけない。
「私は、過ぎた時間を巻き戻せる。そうすれば今も、未来も変えられる……でも、誰かを変えることはできない。その人の未来を変えられるのは、その人しかできない。あーちゃん、過去と同じことをしていたら、同じ未来しか来ない」
「……意味が分からないよ」
杏は戸惑いを隠せない。
「この前、約束してくれたじゃん。そばにいてくれるって」
杏は声を震わせながら続ける。
「だから、あなたがいてくれれば、私は大丈夫なんだよ!」
レイネは、静かに首を振った。
「それがね、大丈夫な未来じゃないの」
はっきりと言い切ると、諭すように続けた。
「レイネが知っている未来は、この先もあなたはこう言うの。『──私の人生なんだったの? 返してよ』って」
レイネはまだ外を見ている。
「結局ね、あーちゃんと私の関係は、対等じゃなくなっていくの」
「そんなの当たり前でしょ!」
杏は声を荒げる。
「見た目も、頭の良さも、行動力も、全部違う。……対等なわけないじゃない!」
「対等って、そういうことじゃない」
レイネの声が震える。
「私がいなくても、大丈夫になってこそ対等なの」
そう考えたら、やっぱり私は、あなたといつまでもいられない。と、レイネは言った。
胸の奥から、苛立ちとやるせなさがこみあげる。
嘘つき。
「……嘘つき。いつもそう。期待させて、約束したくせに!」
「あーちゃん。お願い。お願いだから、私が居なくても、大丈夫になって」
震える声のままレイネは杏の方を向く。
その眼に大粒の涙が浮かび、こぼれ落ちていく。
「大好きなあなただから、『あなたにとって、生きててよかった』と思う人生を歩んでほしい」
そのためには、私は要らない。
レイネはそう呟いた。
* * *
「SMSが来る」
レイネが不意にいう。
杏は目を見開く。
──ブルル。
スマホが震え、通知音が車内に響く。
「月島さん。ランチの誘い」
レイネは、杏が画面を見る前に呟いた。
シンプルな文章が一行。
”今度、ランチにでも行きませんか?”
それは、旅行の話で盛り上がった『月島』からのメッセージだった。
「なんで?」
なんで、わかるの?
杏は胸騒ぎを感じ、レイネにスマホの画面を見せる。
「証拠よ。レイネは未来が分かる」
そう言ったレイネは、軽やかにスマホを奪い取る。
「来週の木曜日、空いてます!ぜひー」
涙をこらえながら、フリック入力して送信した。
「ちょっとー!」
杏が抗議の声を上げ、手を伸ばす。
だが、もう遅い。
送信ボタンは押されていた。
そしてレイネは呟いた。
きっと私ができるのは、ここまで。
これから先、誰にも奪われない。
誰にも委ねない、あーちゃんの人生を選ぶの。
それは、あなたにしか出来ない。




