石油王の娘
女子トイレ。
大きな鏡の前でレイネはリップを塗り直す。
──うん、現代メイクも悪くない。
今度は地雷系でもやってみようかな、なんて思っていたときだった。
背後から、ヒールのコツコツという音が近づいてくる。
「……だいぶ楽しそうにしてるじゃない」
声の主は鏡越しに睨んでくる。
中野嶋だ。
口角だけを持ち上げた作り笑い。
その目は氷のように冷たい。
腕組みをしたマウント姿勢。
──ああ、ちょろい。
レイネは肩の力を抜いた。
「合コンって、女同士の“空気”ってあるのよね。少しは周りを立てるってこと、考えたら?」
中野嶋は、凄みを利かせたつもりだろう。
そんな事を言ってきた。
お。きたきた、これが女の闘いってやつ?
レイネは、表情を変えず、前髪を直す。
「そういえば──一条寺さん、中野嶋ちゃんのこと、いいなって言ってましたよ」
「……え?」
中野嶋のまつ毛がぴくりと揺れる。
レイネはわざとらしいほど柔らかい声で、軽く首をかしげる。
「中野嶋ちゃんって、一条寺さん狙いですよね? 彼、イケメンだもん」
図星を突かれたのか、頬が引きつった。
「な、なに言ってるの? 別に……」
レイネは唇の色を確認しながら肩をすくめた。
「大丈夫。この後は譲りますよ。レイネ、ブラッド・ピット並みで年商十億くらいないと興味ないんで」
手鏡をパチンと閉じ、退屈そうに言い放つ。
「場はしらけさせないようにしますんでー」
「わかってるなら、いいわよ」
中野嶋は、唇を尖らせる。
レイネはそこで振り返り、一歩詰め寄った。
「ただな」
「な、なによ」
「その前に──お前にわからせておかないとな」
レイネは、中野嶋の胸倉を掴むと、宙に引き上げる。
「私の友人にナメた真似をするんじゃねぇ」
中野嶋は浮いた足をばたつかせる。
「金輪際、あーちゃんにふざけたことすんなよ。その時は地獄に叩き落としてやるからな」
そのまま手を離すと、中野嶋はその場にへたりこんだ。
「ちょっと、ちびったろ? ダサッ」
レイネは、ポーチから替えの下着を渡す。
「場をシラけさせんなよ」
そう言って、レイネはトイレをあとにした。
* * *
席に戻ると、男性陣が待ち構えていた。
「レイネちゃん、こっちこっち!」
相変わらず視線は集中している。
「はーい」手を振りながらも──
──めんどくせー。
心の中で毒づく。
──そろそろ、ドン引きしてもらいますか。
レイネはワントーン上げた声で「こないだ東北いったんですよー」と、杏との旅行の話を切り出す。
「あ、オレ、東北の出身!」
男性のうちの一人が食らいつく。
──ほんと、ちょろいな。
レイネは、話題を出身へと誘導する。
「レイネちゃん、出身ってどこ?」
「アゼルバイジャンですー!知ってます?」
聞いたこと有るような、無いようなギリギリのところ。
それでも、だいぶぽかーんな空気。
適当な嘘を混ぜ込みながら、それっぽく話を広げる。
レイネのパパ、石油関連会社やってて。
でも、パパ。元軍人でー。
そう言いながら、生成AIで作った架空の人物を見せる。
いかにも屈強で堅物な雰囲気。
「めっちゃ厳しい性格なんですよね、もう。レイネ困っちゃう」
もう親がそういった仕事しているので、結婚するなら年商億単位かな?
好みの異性は、若い頃のブラッド・ピット。
身長は最低一八〇センチ欲しいなぁ。
レイネ、おっきい人が好き。
あ、でもー。趣味が一緒だったら結構関係ないかもー。
えー?趣味ですか?
趣味は、読書。
お気に入りは、ハイデガーの『時間と存在』
日本人だったら、柄谷行人の『探求』かな。
でもー、なんで、考察者みたいな立場の人たちは、左巻きになっていくんですかね?
ね?
ね?
「え?あ、なんでだろう?」
一条寺が困窮し、苦し紛れに答える。
───あ。良い感じに引いてきた。
「でねー、さっきね!」
もういいよ、お前とは話が成立しないよ。
そんな空気を感じながらも、レイネは話を続ける。
「トイレでコンタクト落としちゃって……」
「ああ、そうなの」
反応薄な男性陣。
「めっちゃ探してたところに、中野嶋ちゃんが……」
突然名前を出され、中野嶋がビクッとする。
「一緒に探してくれたんですよ。めっちゃ優しくないですか?トイレの床ですよ」
ほんと、レイネ感動しちゃってー。
キュッと肩をすくめる。
「だから、中野嶋ちゃん、しょんべん臭くなってないですか?って心配なんです」
さっきの下着、いちご100%柄。
伊達メガネを掛けながら、レイネはニヤニヤを隠す。
そこからは、中野嶋を話題の中心に持ち込む。
派生してきた会話ネタは、そこからはさりげなく女性陣に話を振りつつも、ちょい褒めは忘れない。
男性陣のズレたツッコミも日本語の聞き違えを装って和ませる。
杏の様子を時折伺いながら、レイネはあくまで会話のつなぎ役に徹した。
結果、合コンは不思議と盛り上がりを見せて終わる。
「二次会いくよー」
店を出ると、一条寺が声を上げた。




