とうとう
日曜のお昼すぎ。
弘前公園の桜に想いを馳せたり、異世界から来た迷子のエピソードに軽く衝撃を受けたり──。
いろいろあったが、とりあえず今は静かで平和な部屋に、再びゆるやかな時間が流れていた。
外から聞こえるのは、車の走る音と、どこかの子どもの笑い声。
まさに、よくある休日の午後。
「……そういえばさ、朝ごはん、まだ食べてないよね?」
お腹がグーと鳴った気がして、杏はそっとレイネに声をかけた。
「はい」
素直にうなずくレイネ。
異世界の住人でも、お腹は空くらしい。
杏は立ち上がって、冷蔵庫を開けてみる。
中には、卵、豆腐、ネギ──以上。
「あら……びっくりするほど何もないわね」
このところ、まともに買い物してなかったのを思い出す。
気合を入れて料理できる食材もない。
なので──。
「えっと、目玉焼きでいい?」
振り返ってレイネに聞いてみる。
「めだまやき……? なんの?」
レイネが首をかしげる。
「え?あ、鶏の」
鶏以外何があるというのだろうと杏は思う。
「ああ、鳥ですか……なるほど……」
なんか納得しつつあるレイネを横目に、杏はフライパンの用意に向かった。
卵を冷蔵庫から取り出し、フライパンを温め始めた杏。
よし、今日も平和にベーコンエッグ──と思った矢先。
背後から、少し緊張感のある声が飛んできた。
「あーちゃん」
また改まった口調。さっき観光雑誌のときもそうだった。
振り返ると、レイネが妙に真剣な表情で立っている。
「ど、どうしたの?」
「えっと……あれ、どこにありますか?」
「あれ?」
と言われてもだな…杏は困った。
「その……はばかり…」
「はば……? かり……?」
杏は首を傾げた。聞いたことのない言葉だ。
「せっちん?」
「せ、せっちんって…なに?」
杏は、その言葉が何を意味するのか全く分からなかった。
レイネの表情に、微かな焦りが浮かぶ。
言葉が出てこないもどかしさを感じているのか、手をぱたぱた振りながら、
「あれれ?えっと、かわや」
「かわや?」
杏は、その言葉を聞いて、ようやくピンとくるものがあった。
頭の中で、「御用だ!御用だ!」と同心が走り回る。
「あ、かわや!水戸黄門とかで言う…あれか。トイレのことね」彼女は指を鳴らした。
「トイレならそこよ。ほら、そこの扉」
「あ、トイレ。そう言うんですね」
レイネはホッとした顔を見せた。
「あの扉の向こうだよ。どうぞどうぞ」
杏が指差すと、レイネは首をかしげながら、ゆっくりと扉へと歩いていく。
──そして、扉を開けた瞬間。
レイネが振り返る。
「……これ、どうやって使うのですか?」
眉をひそめる。
「え?まさか……レイネの世界、トイレ無いの!?」
「ありますけど……これはちょっと違います」
レイネはトイレの中を覗き込みながら、言葉を探すように続けた。
「私の世界では、トイレはもっと建物の端っこの方で、薄暗くて、外に近くて……こんなに明るくて、綺麗で、密閉された空間ではありません」
「うーん、確かにマンションの水洗トイレって、異世界的には最先端よね……」
「あの、できれば正しい使い方を教えていただけると……」
「あ、うん。いいよ、今すぐ、超真面目にレクチャーするね」
こうして、日曜昼下がりの住宅街にて──
異世界人にトイレの使い方講座・初級編が開講されることとなった。




