失くした未来から、さようならをもう一度
弘前城公園の桜は、変わらず咲き誇っていた。
──むしろ、初めて目にしたあの時よりも、ずっと鮮やかに。
レイネはひとり、欄干に身を預ける。
あの頃と変わらない風。
ひらひらと舞い落ちる花びらを追う。
時を経て、ひとりの人生を見送るのも。
花びらが散るのも。
過ぎてしまえば一瞬。
あれから、弘前城公園のように残されたものもある。
けれど、多くは喪われてる。
遥か昔の人が未来を思い、残そうと思ったもの。
それらをなぜ、受け継ごうとしなかったのか。
捨ててしまい、無くしてしまったものは、嘆いても元には戻らない。
過去を見つめ、未来を思い、今を紡がなければ──消えてしまう。
そんな当たり前のことすら、人は見えなかったのか。
それが、この世界の強みだというのに……。
人ごみの中で声が聞こえる。
「ここでね、女神さまに会った。夢だったような、現実だったような」
「またその話?」
大人の声に混じり、小さな子供の声が「女神さまー?」と繰り返す。
「そう。一緒に、びゅーんって空を飛んだんだ」
高く持ち上げられた子供は、笑い声を上げる。
「いつかまた、ここで出会える気がしてね」
レイネは思う。
縁とは、意思だと。
人と人とのつながり、思いへの実現。
そして未来への遺産。
それらは、成し遂げようとする自らの意思が紡ぎ、引き寄せる。
その人は誰ともなしに言った。
「もう一度あえたら、あの時のおかげで、良い人生になったと伝えたい──」
やがて、その人はレイネに気付く。
「女神さま……」
震える声を聞き、レイネは微笑みながら、やはりと思う。
──やはり、杏に取って私の存在は間違えだった。
あの言葉を言わせない未来にしないといけない。
私の存在が返って、あの言葉を言わせる事になった。
彼女の思いをすべて汲んでいたはずなのに……
「また、会いましたね」
その人に微笑みかける。
そして、「また、会いましょう」
レイネはそう言うと、目を閉じる。
複数の宇宙を超越する地点に意識を集中させる。
数字では表せない数の並行宇宙と、多次元を認識する。
戻るよ、あの時に。
レイネは魔力を解放した。
膨張する宇宙は収縮に向かい、収縮していた宇宙は拡張する。
光は逆行し、エントロピーは縮小する。
分岐は結合し、成立していた情報が混沌へと戻る。
全次元の時間が過去に巻き戻った。
* * *
2025年6月27日(金)17:00
その日。
小鳥遊杏は、客先の機械室にいた。
蒸し暑い季節だというのに、この部屋は冷房が強すぎる。
ジャケットを羽織ってちょうどいいほどだった。
最後の確認を終える。
パッチ適用は無事に完了。
深く息をついた。
──着信音
機械の唸りだけが響く無機質な空間に、唐突に震える。
私用のスマホだ。
表示は番号だけで、相手の名前はない。
「──もしもし」
「もしもし、杏?元気にしてる?」
聞き覚えのある男の声。
心がざわつく。
「ユウマ?」
ベースをやっているバンドマン。
美容学校を中退した、かつてのダメンズ彼氏。
どうしてまた、こういうのが連絡してくるのか。
電話越しのやけに柔らかい口調。
また裏があるんだろうと杏は勘繰った。
”あいつ、ちょろいから”
ケンジの言葉を思い出す。
そう思われていると考えると悲しさを覚える。
「ひさしぶり」
ユウマは切り出す。
数分の世間話を挟んだ後、彼は想像通りの本題を切り出した。
「三万円でいいからさ、貸してくんない?」
どいつもこいつも。
杏の指先が汗ばんだ。
私には、レイネがいる。
それでも、「ノー」とはっきり言えない自分。
喉元まで出かかった拒絶の言葉は、結局「考えておく」という曖昧な返答にすり替わった。
電話を切った瞬間、自己嫌悪が押し寄せる。
脳裏に浮かぶ、レイネの真っ直ぐな声。
”言うべきことは言う”
杏は深く息を吐き、スマホを握り直した。
指が自然にメッセージアプリを開く。
「貸せないし、もう連絡しないで」
ほんの一瞬だけ迷う。
だが、送信ボタンを押す指は震えていなかった。
画面に表示された送信済みの文字を見て、自分を取り戻した気がした。
* * *
ユウマへの返信後、杏は作業に戻る。
ログを確認。
端末の接続を解除。
PCをシャットダウン。
──着信音
またスマホが鳴った。
胸の奥が一瞬ひやりとする。
まさか、またユウマ?
だが、着信は会社用だった。
表示された名前を見て肩の力が抜ける。
電話の主は、9割は恋バナで構成されている中野嶋だった。
「あ。よかった。小鳥遊さん、今夜、時間ありますか?」
妙に丁寧な声音。
仕事の話ではなさそうだ。
聞けば、取引先との懇親会に急な欠員が出たらしい。
人数合わせで杏に声がかかったのだ。
──懇親会か……正直、気分は乗らないけど。
その取引先は大口だった。
杏も何度かプロジェクトで関係をしている。
──仕方ないか。
杏は「わかった」と応える。
「本当ですか!ありがとうございます!」
中野嶋の高い声が聞こえる。
「場所とか詳細を送って」
杏がそう言うと、中野嶋は高い声のまま続けた。
「それと……取引先の方が、杏さんがレイネさんと一緒に暮らしてるって話、すっごい興味を持たれてまして! よかったら、レイネさん一緒に!」
杏は思わず眉をひそめた。
中野嶋が世間話のつもりでレイネのことを話したらしい。
──この前、写真を見ても興味なさそうにしてたくせに。
「ぜひ会ってみたいって、先方が」
中野嶋は悪気も無く言った。
先方が言うなら仕方ない。
それに”吉田さんごっこしたい”というレイネの過去メールを思い出した。
同窓会じゃないけど、まぁ似たようなもんね。
「……わかった。レイネに声をかけてみる」
自然に出たその言葉に、杏自身が少し驚いた。
仕事絡みの面倒ごとでも、レイネと一緒なら案外楽しめるかもしれない。
私用のスマホを取り出す。
杏は、レイネにメッセージを送った。




