あいたい
レイネから送られてきた謎構文のメールを見た杏は、
家に帰るとやっぱり、ほっとした。
リビングで異世界人がアニメの続きを見ているという非日常な日常。
それが杏にとって日常。
ルイボスティーを飲みながら、ふと思ったことを口にした。
「レイネって、フリーレン?」
「あーちゃん、それ言いたい事わかるけど、”あーちゃんって、ひなんちゅ?”って聞いているのと一緒だよ」
ひなんちゅ?『あーちゃん』と来たら、そこは『かしゆか』か『のっち』だろう──と杏は思う。
「どゆこと?」
「フリーレンは固有名詞。レイネも固有名詞。たぶん聞きたいことの回答は、フリーレンはエルフで、レイネはエルフじゃない」
「そうなの?耳とかとんがってて似てるから」
「──似ている?」
ああ、そうかとレイネは呟く。
「こっちの世界の人は、そう見えるんだね──似ているのか……」
なにか納得したように呟いた。
「で、今日は遅かったけど何かあったの?」
レイネはホットミルクを飲みながら聞いてくる。
「あ、うん。仕事」
「ふーん」
「残業だったのに、昔の友達から電話があってね。長話しちゃった」
なぜか焦る気持ちが杏には、湧いてくる。
「うんうん」
相づちを打つレイネ。
ユリとの大学時代の話を少し織り交ぜて、電話の内容を伝えた。
「そのユリって子が結婚するんだって」
「へぇー、結婚かぁ」
レイネはマグカップを両手で抱えながら、体をゆらゆらと揺らす。
また何かの妄想をしているのが想像つく。
「──ねぇ、レイネ」
「なーに」
「もし私が結婚したら……祝ってくれる?」
杏は思わず聞いてしまった。
「もちろん。杏が結婚したら、レイネも嬉しい」
何の迷いもなく微笑んだ。
そんな笑顔は、心のもやをますます色濃くさせる。
──ブルル
杏のスマホがメッセージの受信を知らせた。
”今日はありがとう。付き合わせて、ごめんね”
ケンジからだった。
メッセージが続く。
”必ず、返すから”
”杏には、変わった俺を見て欲しいんだ”
杏は返信の内容を考えながらレイネに聞いた。
「ねぇ、ひとって変われると思う?」
「変われると思うけど、ひとによる」
結婚の文字に感化されたのか、レイネはゼクシィを見ている。
「そりゃ、そうよね」
杏はそんなレイネの横顔をみて呟いた。
──ブルル
また、ケンジからメッセージが届く。
”それと、あんまり無理するなよ”
* * *
あれからケンジとは会っていない。
向こうも会おうという話もしてこない。
だが、一日に2-3回の頻度でメッセージが届く。
ほとんどは他愛のない内容だ。
”契約取れたぜ、テンション上がる”とか
”仕事でミスしたけど、フォローしてくれた”とか。
仕事の話が多い。
たまに”訪問先に犬がいてさ!杏、犬好きだったよね?”
”吞みすぎるなよ”
などと、杏のことについて送られてくる。
そんな、5月も終わる頃。
レイネは元の世界には、まだ帰らず、帰るそぶりも無い。
『大人の社会科見学』なる雑誌を手にしている。
「味噌の社会科見学は近くに無いの。あーちゃん、休みっていつ取れそう?」なんて会話をしてくる。
「夏かな?お盆は避けて休暇取るよ」
「はーい。わかった。お盆てなんだ?」
そんなことを言いながら自分で調べている。
週末は買い物に行ったり、美術館に行ったり。
近所で過ごす事が多かった。
──ブルル
スマホにメッセージが届く。
ケンジからだった。
三日ぶりぐらいだろうか。
新着通知がある事が、なんだか嬉しかった。
”給料入ったから、少し返したい。木曜日か金曜日、どっち空いてる?”
”振込みで良いよ”と杏は返信する。
”心配なら昼、杏の所に行くよ”
ケンジは食い下がってくる。
”そういうわけじゃないけど”
返信するとすぐに返ってきた。
”前も言ったろ。金を返す口実に、杏に会いたいんだよ”
その文字に胸が熱くなる。
お金返してもらうだけだし……
”わかった。木曜日なら”
高鳴る胸。
それに押し出されるように送信ボタンを押す。
”マジか! 木曜日ね!外回りだから時間は合わせる”
ケンジから、そう返ってきた。
* * *
ケンジの件。
レイネにはまだ話をしていなかった。
彼は典型的なダメンズ。
そんなのと復縁しつつあると言ったら即座に否定される。
「あーちゃん、そんな男ダメなのわかっているでしょ?」
そんなセリフが頭によぎる。
わかっている。
わかっているが、杏は「今日、残業だから遅くなる」と言って家を出てきた。
ファミレスで待っている間に、血液型占いを見る。
ケンジとは相性がいい。星座占いも同様だ。
何か期待している自分がいる。
それに、無駄に余計な事も考えてしまう……。
「ごめん。お待たせ」
ケンジは正面に座った。
彼は、この場は奢りますよーと言う。
そして、いらずらっぽく笑うと「やっぱ、カルボナーラ?」と聞いてくる。
「たまには違うのにしようかな」
「そうか、じゃ俺も違うの」
ふたりで1枚のメニュー表を見る。
近づく肩。
ケンジの匂いがする。
レイネの淡い匂いとは違う、男性の固い匂い。
「肉だな」ケンジは言った。
「肉、かな?」
「肉だ。 ハンバーグかステーキ」
「じゃぁ私がハンバーグで」
「俺がステーキな」
そう言って微笑む。
「おっと、忘れないうちに」
ケンジはまた3万円を杏に渡してきた。
「ありがと」
素直に受け取る杏。
「いえいえ。って、ありがとう、こっちのセリフだけどな」
そんな会話をしながら食事を取る。
途中で取り分け、交換しながら。
食べ終わった後も、仕事の話を少しして店を出た。
「駅まで送っていくよ」
そう言ったケンジとJR横浜駅に向かう。
隣を歩くが、今日は手が触れることも無い。
そのまま他の店に寄ることも無く、改札口に着いた。
「俺、相鉄だから──って知ってるか」
そう言ってケンジは手を振る。
「私、JRだし」
「知ってる」
ケンジは笑うと言った。
「じゃぁね、また今度。来月は、2回だな。給料日とボーナス」
「振込で良いってば」
「だから。会いたいんだってば」
都合、着いたらね、杏はそう言うと改札を抜ける。
杏は振り返る。
ケンジが軽く手を振って、背を向けた。
やがて相鉄方面へ消えていった。
離れていく姿に、杏はぼんやりと思う。
──下着、揃えてたのに。
本当に、余計な事ばかり考えてしまう。
* * *
「ねぇ、レイネ」
「なに?」
「ひとって、変わると思う?」
金曜日の夜。
寝冷えネコ蔵を抱え、本を読んでいるレイネに、杏は問いかけた。
「んん-?」
首を傾げた後、レイネは本をそっと置く。
ちらっと見えた、本のタイトルは『探求Ⅱ』
なんだこれ?と、杏は素直に思った。
レイネは、「前と同じ回答だけど」と言って続けた。
「変わるかは、その人次第だと思う。あーちゃん、変わって欲しい人がいるの?」
杏はどきりとする。
鋭いのか天然なのか。
「そういうわけじゃないけど……」
まだケンジの事は言いたくないし、言えないと思った。
「変わっても変わらなくても、期待しすぎない方がいいよ。他人だもん」
ネコ蔵を置き、レイネが向き直る。
その姿は、無言で杏の次の言葉を促しているようだった。
「──友達にね、ちょっと相談されてて」
杏は咄嗟に噓をついた。
「ダメな元カレに言い寄られて困っていて。でも、今は真面目になったらしくて」
「レイネ、こっちの世界の恋愛事情の正解が分からないし、参考になることは言えない」
”真面目の定義”も良く分からないと付け加える。
少し考える様子を見せたレイネは言った。
「ただ、自分の理想の人だったら、どう考えるかで判断するかな」
「前も言ってたね、それ」
杏は覇村問題の時の会話を思い出した。
「人って、誰かの指摘は理解できなくて、自分の思い込みで間違えるしね」
ゆっくりと言葉を選ぶようにレイネは言った。
「そういうレイネは、間違えなさそうだけどね」
頭が良いっていいなぁ、と杏は呟く。
「そんなことないよ。取り返しのつかないことは、やっぱりしちゃう」
いつものような微笑みはなかった。
寝冷えネコ蔵を抱きながらレイネは言った。
「どちらにしろ、見返りが無くてもいい関係とか、その程度にしておいた方が良いかなって思う」
やっぱり、そうだよね。
そう思いながらも、杏は何も言えなかった。
* * *
ケンジから来るメッセージは続いていた。
日によって多かったり少なかったり。
作業合間にメッセージを見る。
返信が無かったら無かったで、”なんでだろう”なんて考えてしまう。
日々のサイクルに、ケンジが入り込む。
──そういえば、そろそろボーナス
カレンダーを見る。
また誘ってくるのだろうか。
って、なんだか楽しみにしてない?
杏は自問した。
いやいやいや──ダメンズだし。
浮気したし、お金にだらしないし。
でも、今は彼女、居ないし。
でも、今はお金も返してくれる。
”お金を返す理由をつけて、杏に会いたいから”
「ほんとに真面目になったのかな……」
──ブルル
スマホが震える。
ケンジからだった。
”──今日、会いたい。話したいこともある”
そんなメッセージから始まった。




