きょうは、キノコづくしよ
──名前が、出てこない。
隣の席なのに。
四月から同じ部署なのに。
ゴールデンウイーク明け早々。
小鳥遊杏は、職場で東北旅行のお土産を配りながら、心の中で焦っていた。
最後に残ったのは、どうしても名前を思い出せない『先輩女性社員』だ。
四月の人事異動で、同じ課になったその人だが。
隣の席に座るその人だが。
テレワークが多く、取引先で作業をすることが多い杏は、その人とは、ほとんど顔を合わせたことが無い。
そして、よりによって、今日はいる。
ちらっと横目で伺うと、その人は自分のネイルを見ている。
「小鳥遊さーん。旅行行ってきたんですか?」
にこにこ顔の中野嶋が話しかけてくる。99.999%恋バナで構成された女だ。
「例の彼女さんとですか?」
目がからかっている。
「まあ、そんな感じ」
苦笑でごまかし、杏は自席に戻った。
──やばい。ほんとに思い出せない。
意を決して、最後のお土産を隣に差し出す。
「どうぞ、東北のお土産です」
「ありがと。小鳥遊さん、東北行ってきたの?」
髪をかき上げながら、彼女は自然に話しかけてきた。
どうやら向こうは、こちらの名前を覚えている。
ますます、気まずい。
「ええ、弘前城の桜を見に」
「いいわねー。でも日本のお土産って、こういう“配るもの”前提なのよね」
鼻で笑うような口調。
──なんだこの違和感。
「私なんてバリ行ってたから、ちょうどいいお土産なくて困っちゃった」
また髪をかき上げる。
癖なのか自慢なのか。
「へえ、バリですか。すごいですね」
杏は相槌を打つ。
バリか。レイネと行くのもいいな。
って──あの子、パスポート持ってないか。
「ところで、小鳥遊さん。さっき“彼女さん”って聞こえたけど……」
値踏みするような視線が刺さる。
「ルームシェアしてる外国人です。女性で……日本旅行が趣味で」
慌てて説明する杏。
「そっか。あたしLGBTQとか気にしないの。だってサバサバしてるから。古い考えとか持ってないし。で、彼氏は?」
また髪をかき上げる。
──髪切れよ。そんな気になるなら。
「三か月前に別れました」
杏は会話を切り上げ、フリースペースに行こうと決心する。
「ごめんねー遠慮なく聞いちゃって。あたし、サバサバしてるから」
「……ぃえ」
──サバサバ、連呼。
「そういえば、あたしもさ──」
──あ。勝手に話し始めた。
「──男振る方じゃん?」
──いえ。知らないです。
「女々しい男は無理だし?」
──あ。彼氏いないってことね。
「私たち、似てない?」
──似てないですー。
ノートPCを持ち上げ杏は、遮るように言った。
「あの、打ち合わせの準備が……」
が、杏の様子にかまうことなく彼女は続けた。
「小鳥遊さん、良かったら今度私の家に来ない?」
──行くわけ、あるかーッ
「女性だけで集まって“キャリア”の話とか“自己実現”とか語り合うの」
──キャリア? 自己実現?
思わず杏は止まってしまった。
「でも、私、あんまりキャリアとか深く考えたことなくて……」
「大丈夫。最初はみんな何も考えてなかったの。情報交換から始めればいいのよ。じゃ、決まり!」
また髪をかき上げた。
「はい。考えておきます。打ち合わせるんで──」
会話を打ち切ると、杏はフリースペースに向かった。
個人用に仕切られたブースに座る。
キャリア……私、どうするんだろう。これから。
転職の話が無くなってから、漠然と広がる不安とその言葉。
『キャリアを描きましょう』
人事からの通達メールも思い出す。
将来の展望──キャリア。
あって当然。
考えていて当然。
そんな空気を感じる。
どうしたいなんて無いよ……。
いろいろなモヤモヤを抱えながら杏は、後輩の田中くんにチャットを送った。
”私の隣の席のひと、名前なんだっけ?”
すぐに返信が来た。
”占地です。占地亜希子さん。元金融セクターの人です”
”占地? シメジって読むの?”
杏は返した。
”センジだそうです”
──珍しい苗字だな
そう思いながらも、まだ残るモヤモヤと向き合おうと考えた。
* * *
その夜。杏のマンション。
二人の食卓には、味噌汁と浅漬けと焼き魚。
質素だけど、温かい。
「なめこの味噌汁、好き。しばらく続けてもいい?」
味噌汁をひと口すすってから、レイネが言った。
今では家事のほとんどは、レイネが行っている。
現代食のレパートリーも増え、食卓を彩る。
最近は発酵食品に興味があるらしい。
発酵と腐敗は紙一重って、興奮しながら話してたっけ。
「もちろん。献立はもうレイネにお任せだよ」
杏が笑うと、レイネも満足そうに頷いた。
「今度、大人の社会科見学に行きたいな。みその発酵とか、きのこの栽培とか。ナメコ、マイタケ、シメジ……」
「やっぱり変わってるね」
杏は吹き出す。
「変じゃない。発酵食品は健康にもいいし、キノコは食料供給に欠かせない。かもすぞ」
レイネは真顔だ。
「……やっぱり根底が重たいわ」
杏は肩をすくめ、味噌汁をすする。
「キノコで思い出したんだけど、今度の休日、ちょっとひとりで出かけてもいい?」
「いいよ。どこ行くの?」
レイネがきゅうりの浅漬けをポリポリ。
これもお手製。
煎り酒?というのを使っているらしい。
「異動してきた先輩がいてね。サバサバしてるって人なんだけど……その人が“キャリアの話をする会”を開いてて。試しに参加してみようかなって」
杏の声は、少しだけ固い。
「へー。難しそうな会?」
「最初はセミナーっぽいのかと思ったんだけど、ホームパーティ風らしい。食べ物持ち寄って、情報交換するんだって」
レイネがにっこり笑った。
「じゃあ、ローストビーフでも作ろうか。塊は二人じゃ余るし、ちょうどいい」
「ほんと?お願い。ありがとう」
杏の胸に温かいものが広がる。
「付け合わせも何か作っておくよ」
「あーもー、レイネと結婚したい!」
思わず杏はそう声を上げた。




