希望をこの手に
車が青森市中心街に入る前だった。
レイネはスマホから目を離すと言った。
「あーちゃん、写真撮ろうよ。レイネとふたりで」
杏は、一瞬、戸惑ったような顔をした。
「え…?なんで?」
運転する表情は変わらず険しい。
「青森駅近くに行くんでしょ?」
レイネは杏の返事を待たずに言う。
「青森市森林博物館っていう、素敵な洋館があるらしいよ。そこでコスプレ写真を撮ろう」
杏は前を向いたままだった。
「昨日、ふたりの写真は”今度ね”って言ってたでしょ?」
「良いけど、衣装無い」
「大丈夫だよ。昨日の衣装はあーちゃんも着られるでしょ」
杏は少し間を置いてから言った。
「レイネの分、無いじゃん」
「レイネは法衣がある。こっち来たとき着てたやつ」
ああ、なるほど。と杏は言った。
「バロック様式の建物に、19世紀の衣装と、法衣って悪くないと思うんだけど」
「──そうね」
「それに、今はブラしてるから法衣でも大丈夫」
レイネが言うと、少し杏の口元が緩んだ。
コスプレ写真を撮る──それは共通の達成項目を作ること。
そして共通目標を達成する。
それで空気感は変わるはず。
「じゃぁ決まりね」
半ば強引にレイネは言った。
* * *
「それ、着替えるの大変じゃない?」
駐車場に停め、ドレスに着替え済みの杏がレイネに言った。
「そうでもないよ。コツがあってね」
ファスナーも無い世界製。
そこら中に縛る紐や、金具がついている。
「ラミレス、ティラミス、ルルーのルだっけ? へんし~ん」
レイネの掛け声と共に、ふわっと衣装が宙に舞う。
次の瞬間には着替え終わっていた。
「すご。なにそれ」
「装着魔法。一瞬が命取りだからね」
「私にもできるかな?」
「できると思うけど、30年ぐらいはかかるかな」
そう言ってふたりで微笑んだ。
庭園を背景に、写真を撮り始めた。
三脚を立てるわけにはいかないので、お互いのスマホで交互に、たまには至近距離でふたり寄り添いながらシャッターを切る。
”あ、めっちゃ可愛い”
他の観光客数名が、ふたりの様子を伺ってくる。
そのうちのひとりが、隙を見て声を掛けてくる。
「──写真、撮ってもいいですか?」
「ごめんなさい。時間ないのと、友人といるので」
レイネは、そう断ると杏の手を引いて車に向かった。
* * *
その後二人は、青い海公園へ。
途中で買ったアイスを片手にベンチに座る。
潮風が、二人の髪を優しく撫でていく。
「アイスのチョコミント味って、歯磨き粉っていう人いるでしょ」
レイネはあかねリンゴのアイスを食べながら言った。
「うん。あれね」
シードル(ノンアルコール)のアイスを杏は口にする。
「歯磨き粉ってレイネの世界にないし、あーちゃん使ってる歯磨き粉ってレモングラスだから、”何言ってるんだろう”って思ってた」
「ふふ......」
杏から小さな笑いが漏れた。
「だいぶ違うなー、おかしいなーって」
冷たくて甘い。リンゴの風味が広がる。
「おかしすぎでしょ、それ」
「でもどっちも好き。アイス美味しい。し《《わ》》あせ」
「し《《あ》》わせ、な」
杏はそう訂正すると「一口食べる?」と言ってきた。
「あい。もちろん」
レイネは笑顔で答えた。
言葉少なにアイスを口にしている。
距離感的に悪くない。
紐解くように。
そして杏が自分から口を開けるように、会話を詰めて行く。
レイネがそう思っているときだった。
一台のベビーカーが、二人の前を通りかかった。
ベビーカーの中には、生後六ヶ月くらいの赤ちゃんがいた。
手足をぱたつかせている。
──あ。
かわいい。
レイネの中にほんわかと暖かいものが宿る。
話しかけたい。
触りたい。
でも、ダメだ、今は、目の前の友人と話さねば……
小さな手足。
精巧な指。
意味を成していない手足の動き。
弱くて不完全で、護らないと生きていけない。
それでいて、何世代も護り続けてきたもの。
日本語で言うと慈しむっていうのかな。
レイネはそんなことを思いながら、目を奪われていた。
あーもー、理性を保とうね、レイネちゃん。と自分に言い聞かせる。
そのベビーカーは、人一人分をあけた先に止まる。
母親はベンチに座った。
手遊びをしながら、赤子をあやしている。
”あの、あーちゃんさ……”
どこから切り出そうか。
”──向こうの世界に帰る話なんだけど……”
それとも、無難に
”もう、旅行終わっちゃうね”
か……
「ふにゃぁ…」
その赤子が喃語を発した。
「かわいいっ!」
ほぼ衝動的に、レイネはベビーカーに向かっていた。
「あら」
母親がレイネに微笑む。
かわいいですね。
ちっちゃーい。女の子ですか?
え?男の子?
やだーわらった。
かわいいー。
私、こんな近くでちっちゃい子見る機会が無くて。
あ、指握った。
指握ってくれたー。
「抱っこしてみますか?」
「え?いいんですか?イエスかハイしかないです」
母親から抱き方を教わりながら、赤子を受け取る。
腕の中に大切な重さと暖かみを感じる。
自分でもわかるぐらい満面の笑みが浮かぶ。
「めっちゃ可愛い」
そう言って、レイネは腕の中の赤子をじっと見つめた。




