ぽぽぽーぽ・ぽーぽぽ
ふたりは薫風荘のロビーに居た。
杏は、公衆電話を通じてレンタカー会社の担当者に事情を伝えていた。
パンクしたこと、そして明日にはどうしても弘前に行きたいこと。
「申し訳ございません。本日中の手配は難しいです。明日の朝なら──」
返ってきた答えは理想通りではなかったが、朝ならまだ間に合う。
杏は、受話器を抑えながら、フロントに立つ女将に声をかけた。
「あの、今日って2名宿泊できますか?」
女将は、にこやかに微笑み、答えた。
「大丈夫ですよ。お待ちしておりました」
──お待ちしておりました?日本語、おかしくない?
杏は、女将の言葉に、内心でいぶかしみながらも、再び電話に向かって言った。
「薫風荘です。部屋、空いているみたいなので……」
『薫風荘ですね。ああ、なるほど。明日の朝10時までには代車を手配いたします』
「はい、よろしくお願いします」
杏は、安堵と同時に受話器を置いた。
「レイネ、今日は代車が無いから手配できないって。今夜はここに宿泊よ」
そう声をかけながら、宿泊の手続きをする。
ロビーで子供と遊んでいるレイネが「はーい」と返事をする。
杏はその姿を、少し複雑な気持ちで見つめた。
「しかし、着物で遊んでる子なんて、今どき珍しい……まるで座敷童みたい」
その子の出で立は髪型も含め、まるで江戸時代の子供のようにも思えた。
* * *
通された和室は、年季こそ入っていたが、隅々まで手入れが行き届いていて心地よい空間だった。
レイネはおもむろに11次元がま口財布を取り出し、旅行用品を次々と並べていく。
「ほんと、これ便利ね。服も靴も全部入る」
やることなすこと、持ってる物も異次元だ。
「でしょー。向こうでは、敵将の首とか入れたりする」
レイネは、何でもないことのようにそう言い、杏の横に座った。
「ちょいちょい怖いこと挟まないで……」
杏は少し触れるぐらいの位置に座りなおす。
レイネの体温がほんのりと伝わってくる。
「って、またあの子」
ふすまの隙間から、着物姿の子供が覗き込んでいた。
「きたきた。こっちおいでー」
子供は、手招きするレイネの膝の上に座る。
二人は折り紙を始めた。
──また邪魔が入った……
「レイネ、温泉あるって。行かない?」
「あとで行く。先にどうぞ〜」
レイネは折り紙に集中し、顔も上げない。
「もう」
杏は、入浴セットを持ち、一人で浴場へと向かった。
木の廊下が、歩くたびにギシギシと音を立てる。
「風情はあるけど、なんか幽霊とか妖怪とかが出そうな雰囲気ね。夜、一人でトイレ行けなさそう……」
杏は、独り言を言い、浴場の扉を開ける。
脱衣場には、誰もいない。
「ラッキー。貸し切り状態。レイネも早く来ればいいのに」
服を脱ぎ、メガネを外して浴室へ。
湯気と視力でぼやけているが、そこそこ広いのがわかる。
檜造りの床は、温泉特有のぬめりがあって、乳白色のお湯だ。
一通りの入浴エチケットを済ませ、湯船に浸かる。
足の先から柔らかい泉質を感じる。
全身が浸かると、疲労物質がお湯に溶けていくようだった。
「ふぁぁ、気持ちいい。レイネも早く来ればいいのに」
独り言が反響。
天井から滴り落ちる水滴の音が響く──
「レイネ、まだかな……」
ひとりの静けさは、不安と寂しさに変わる。
ガラガラと扉が開く音。
「レイネ?」
杏は、反射的に声をかけた。
「すいません。違います。ぽぽぽ」
女の声が、答えた。
「あ、すいません…」
咄嗟に杏も謝った。
──うわー、めっちゃ恥ずかしい。しかも、ぽぽぽってなにー?
お湯を使う音がしばらく続くと、やがてその女も湯船に浸かってきた。
よく見えないが、随分と高身長のようだ。
* * *
高身長で、ポポポポーと話す女が湯船に浸かってくる。
「ああ、いいお湯。ぽぽぽ。お姉さん、どちらから?」
女は、気兼ねなく話しかけてきた。
「東京からです。地元の方ですか?」
杏もレイネの真似をして、話題を広げてみる。
こういう時、視界が悪い分、かえって話しやすいなと杏は思った。
話が弾み、いつしか男女の仲の話になっていく。
私、ダメンズほいほいなんですよね。
大学卒業して、そのままその人と結婚なんて思ってたけど、結局別れて。
その後、付き合ったのがフリーター。
優しい人って思ったけど、誰にでも優しいっていえば良い所だけど、ただの優柔不断。就職もしないし、私以外にも何人かいたみたい。
ちょっと頼りないところがって、支えなきゃって思ってたんだけど──バカみたい。
次は、自称ミュージシャン。
フリーターの後に、付き合うのがミュージシャンって、もうダメでしょ。
でも結構ぐいぐい来てね、芯があるかなって思ってた。
その時、いろんな音楽を教えてくれてね。
結局、お金のことで喧嘩して、出てったっきり──そのあと、すぐに違う人と付き合い始めてて……。
いいなって思う人は大体、彼氏持ちだったり、既婚者だったり。
すでにスコープ外で、なかなか巡り合えないのよ……
「──って、不倫はしたことないですからね!」
杏は慌てて言った。
「男なんて、好みのだったら喰っていけばいいのよ。ぽぽぽ」
話を聞いていた女は、嬉しそうに言う。
「喰うだなんて。そんな肉食系みたいな…そういう積極的にできなくて……」
今はむしろ、男は諦めようかと思っている口にしようと思ったがやめた。
「ちゃんと誘惑すれば乗ってくるわよ、あなたかわいいんだから。ぽぽぽ。誘い方を教えましょうか?ぽぽぽ」
女は、杏の反応を楽しんでいるようだ。
杏が返事に困っていると、女は湯船から上がった。
「あら、ちょっと苦手なタイプが来るわ。お先に。ぽぽぽ」
女は、そう言って浴室を出て行く。
扉が開く音が聞こえ、姿は消えた。
その直後「あーちゃん、おまたせー」とレイネが、浴室に入ってきた。
「レイネ、遅いよー」
──せっかくレイネじゃない人と話してたところを見せれたのに。
レイネがどんな反応するか見たかったと杏は思った。
「恋愛トークで盛り上がってたのよ」
杏は、敢えて残念そうな声で言った。
レイネの怪訝な声が聞こえる。
「恋愛トーク? 今出てったのと?」
「うん。そう。まさか知り合い?」
「いや。初めてだよ、見たの。──八尺様」
「八尺様?」
杏は、レイネの言葉に、首を傾げた。
* * *
夜。
電気を消し、天井を見上げながら杏は言った。
「いろいろあったけど、ここに泊まれてよかった。宿泊費は、レンタカー屋さんが立て替えてくれるって」
「ほんとにー。よかった。料理も美味しかったしね。お風呂、さいこー」
レイネは、そう言って、幸せそうに寝返りを打った。
「今日みたいに、トラブルがあっても、結果としていいことが起きてる。レイネといると、前向きになれるっていうか、何があっても、なんとかなる気がする」
「そう言ってもらうと、レイネも嬉しい」
「レイネがいてくれてよかった。これからもよろしくね」
「はーい」
二人の言葉は、夜の闇に吸い込まれるように、静かに消えていった。
* * *
翌朝。
チェックアウト直前に、代車が到着。
「事故にならなくて良かったです」
そう何度も言いながら、担当者は代車のキーを杏に渡す。
「じゃぁレッカーで持っていくんで」
担当者は、一通り車の状況を見てから首を傾げた。
「なんで、タイヤに絆創膏が貼ってるんすか?」
「え?」
杏は答えられなかった。
答えに詰まる杏。直したのはレイネだし……。
視線を送ると、レイネは昨日の子供と楽しそうにボール遊びをしていた。
* * *
「レイネー! せっかくだから、みんなで写真撮ろうよ」
杏はそう言ってカメラを手にする。
”──昨日から私のレイネを独占している憎たらしい──”「その子も一緒に」
「写真? ちゃんと写るかな」
レイネが、きょとんとした表情を浮かべる。
「大丈夫よ。逆光補正するからさ。ささ、二人とも並んで」
杏は、一眼レフカメラを構え、液晶画面を見た。
「あれ?」
肉眼で子供を見る──いる。
もう一度、液晶画面──レイネの隣に、白く光る球体。
子供の姿は、そこにはなかった。
「オーブ……?」
杏はぽつりとつぶやいた。
「写りそう?」と言ってレイネが近づいてくる。
「うん。あ、いや、オーブが写ってる」
液晶を覗き込んだレイネは、少し残念そうに呟いた。
「やっぱり、こうなっちゃうんだ」
「どういうこと?」
杏が、驚いて尋ねると、レイネは、さらっと言った。
「あの子、日本語で言うと、妖怪の類。見えてるけど、実在はしないよ」
「ええー!」
杏が驚いていると、女将がやってきた。
「お写真、撮りましょうか?」
女将の言葉に、レイネは、嬉しそうに言った。
「はい。お願いします。あーちゃん、一緒に撮るよ」
理解の及ばない杏の手を引っ張り、子供を真ん中にして、三人で並んだ。
「はい、チーズ」
女将が、シャッターを切る。
その瞬間、杏の脳裏に、女将の「お待ちしておりました」という言葉が蘇り、意味がわかったような気がした。




