時間が戻ればいいのに
「いってらっしゃーい!」
車から離れていく杏に向かって、レイネは手を振った。
杏がある程度距離が離れると、車に向き直る。
──制限、かけすぎたか……
レイネはタイヤに突き刺さった金属片を睨みつける。
『3分先の未来予知かつ緊急時発動』
それぐらいでも自分の身を護る程度なら何とかなると思っていた。
だが、誰かに判断を委ねている時は、充分な猶予ではない。
レイネはそう思いながら舌打ちをする。
それに3分程度では、偶然なのか”意図的”なのかも見えない……
「まさか、事故るから止めてって、ストレートに言えないしなぁ」
咄嗟に出たのが、「なんか居る!」って。
なんだそれ。
「レイネちゃん、アドリブ力ゼロね……」
レイネは自分に悪態を付くと
「どうしようかな」と呟やく。
脳裏に浮かぶ方法は二つ。
「10分ぐらい前の世界に戻すか……」
そうすればパンクしないルートで再開も可能だけど……。
並行世界にも干渉しないといけない。
そうしないと世界線がずれる。
だが、他世界に干渉した場合、”奴等”に気づかれる可能性もある。
”護衛”も、向こうの世界に置いてきた現状を考えると、この選択は取りたくない。
って、護衛?
「あーぁ。向こう戻ったら”護衛”にめっちゃ怒られそう……」
やるとしたら、最小限よね。
レイネはそう判断する。
ちらりと杏の姿を確認する。
……これならいいか。
だいぶ遠い所に杏の姿が見える。
あーちゃんにばれませんように……っと。
タイヤのそばにしゃがみ込むと、すっと息を整えて、軽く集中する。
まずは──金属片の摘出。
手は使わず、念動力で操作する。
金属片が空中をふわりと舞って、カランと地面に落ちた。
「サイコパワー、さいこー。これで再興っと」
にやりとしながら「レイネ、ラップしてみた」ぼそっと言う。
「……ラップじゃないですよー、ただのオヤジギャグですよー」
自分で突っ込んで自分で納得しつつ、再度タイヤに向き直る。
──逆行、1時間くらいでいいかな。
再び集中し、タイヤそのものに時間操作をかける。
パンク状態が、じわじわと巻き戻っていく。
ぐにゃりとしていたタイヤが、ふっくら元通りになった。
「……うーん」
レイネは立ち上がり、タイヤをじっと見つめる。
「どうみても、修理跡、ゼロ……」
パンクしてました感も、ゼロ。
「まいっか」
悩んだ末、ポケットから絆創膏を取り出す。
「よくわかんないけど、これで直しました感100%」
ネコのキャラが描かれた絆創膏を、タイヤに貼る。
「十字に貼った方が可愛いかな?」
そう言ってタイヤに絆創膏2枚を貼る。
──あとは。車からそれらしい工具を取り出して、雰囲気づくりっと。
うん、完璧!
* * *
「……ああもう!」
杏はスマホを握りしめたまま、ため息をついた。
圏外表示が変わる気配はない。
会社から支給された業務用スマホも、個人のスマホも、どっちも圏外。
キャリア違うのに、両方圏外ってどういうこと?
「……えいっ」
意味がないとわかっていても、スマホを振ってみる。
何も変わらない。
『圏外』の文字が表示されている
──どうしてこうなるのよ……
苛立ちが胸の奥で渦を巻く。
何とかしないと。
でも、どうしたらいい?
どうしたら……?
誰かに助けてほしい。
でも、そばにいるのは──異世界人。非常識の塊。
ちゃんとしないと。
しっかりしないと。
私が、何とかしないと。
『お姉ちゃんなんだから、ちゃんとしなさい』
頭の中に、子どもの頃にかけられた、母の声が蘇る。
──お姉ちゃんだからって、なんでもかんでも、お姉ちゃんのせいにしないでよ。
不安と怒りが、じわじわ混ざっていく。
どうしたらいい?
どうしたらいいのよ……
ああ……時間が戻ればいいのに。
せめて、パンクの前に──いや、下道選ぶ前に戻れたら──
私はいつも判断を間違える。
どうして『正解』を選べないのか。
なんで、こんな自分なのか……
焦燥感と同時に胸が苦しくなる。
「あーちゃーん! 応急処置したよー!」
レイネの大声が聞こえる。
「えっ?」
耳を疑った。
今、応急処置って言った?
「早く早くー!」
レイネが車のそばで手を振っている。
え、ちょっと待って? レイネが直したってこと?
嘘でしょ……異世界人が?
杏は戸惑いつつも、急いで走り寄る。
そして目にしたのは──元通りにふくらんだタイヤ。
嘘でしょ。
「ほんとに、直ってる……」
杏は、目の前の出来事を疑った。
「どうやって直したの? なにしたの?」
「えへんっ!」
レイネは胸を張ってドヤ顔を決める。
「八戸であったおじさんに、パンクの応急処置、それとなく聞いてたのだ!」
「えっ? そ、そんなんで!?」
「レイネ、すごいのだ! キリッ」
信じられない。
でも、現実に直ってる。
今は……信じるしかない。
でも、一体どうやって……
「仮補修だから、早く早く!」
レイネは、杏の手を引いた。
「まずは、薫風荘へゴー!なのだ」
「う、うん……」
レイネの手のぬくもりを感じる。
細くて繊細で冷え性なのに、どこか暖かく──力強かった。




