蕪嶋の潮風は、おいてけぼり
八戸市博物館と根城──。
車から降りてほっとしたのもつかの間。
レイネは入口前に飾られている銅像を見るなり、馬と具足(甲冑のこと)に足が止まる。
馬の肉付きが良いだの、甲冑(具足)の本物を見たいだのと言い始める。
中に入るやいなや、レイネは展示物ひとつひとつに足を止める。
「うわ、土器だ。どきどき」だの飢饉の歴史を見て「やはりこの世界にも飢饉は有るんだな……一体どうやって克服しているんだ?」とだのレイネはぶつぶつと呟きは続く。
──始まった。
入館10分後には、杏はもうすでに、げんなりし始めていた。
いったい、何がそんなに気になるのだろう。
なるべく付き合ってあげたいが、それでも遅い。
進まない。
「もー、早く行こうよー」
思わず声が漏れる。
「はーい……って、うおー、具足!ホンモノあった!!」
甲冑に目を輝かせてる。
進まない、全然進まない。
「あーちゃん、盾ないよ!盾!」
レイネはぽかーんと口を開けながら甲冑に見入っている。
「……うん、すごいね……」
「これ、欲しい! あーちゃんも欲しくない?」
欲しくないです……。
何かで釣って進めるしかないか、杏は思う。
とはいえ、あるのは『復元した城』
「あっちにお城跡があるみたいだからさー、早く行こうよー」
物は試しだ。
「城? 行く行く」
──釣れた。まさかの「城」で。
ウッキウキな感じでレイネ。
「あの具足着てたら、がっしゃんがっしゃん音がするんだろうな」と独り言。
「がっしゃんがっしゃん」
え?
杏は振り返る。
「がっしゃん、がっしゃん」
レイネは満面の笑みでそう言いながら、後をついてくる。
──なにこの人……。
さっきハグした人と、ほんとに同一人物なのだろうか……
根城跡に着くと、レイネが感心したように呟く。
「居住系かぁ……木造なんだね」
「──そう、木造。このお城は、1334年、南部師行が——」
隣から声が飛んできた。
見ると、眼鏡をかけた小学生男子。
手には『週刊・日本の名城』。
おそらく城博士ちゃん。
──うわ、来た。このパターン……!
杏は、ゾワっと嫌な予感がした。
レイネ、だめよ。お願いだからその子に絡まないで。
お願い、お願い──
「へぇー、1334年って何年前だ?」とレイネ。
「約700年前ですね!」眼鏡をクイっとあげる博士ちゃん。
──アウトォ!
そこからはもう、少年との城についての熱い論戦が始まる。
根城と出城の違い、日本の現存天守と復元天守、攻城戦の戦術……
──ちょっともうー、誰ときてると思ってんのよー!
博士ちゃんとの白熱教室が終わるとレイネは満足そうに言った。
「あーちゃん、現存12天守※巡りしたい!」
※江戸時代以前に建てられ、現在まで残っている12の天守(城)のこと
* * *
城博士ちゃんと別れ、車で移動して蕪嶋神社へ。
二人は、散策をしながら、杏は「興味ある事には見境ないなぁ」と小言を言う。
「ごめん。ごめん」
レイネは肩をすくめる。
「連れてきたのは私だけど、完全においてけぼりじゃない」
杏にとっては、いつもの会話のつもりだった。
近所の子供と蟻の話をしていたとき。
居酒屋店員や、中華街で店員と話しているとき。
いつも、ちょっとした『おいてけぼり』があって、過ぎてみれば、なんだか楽しい。
自分が保護者になった気分。
気を引こうなんて、微塵にも思っていなかった、いつものようなセリフ。
レイネもいつものように、杏の腕をとる。
「ごめんね」とレイネはいつものように、子供みたいにぎゅっと抱きついてくる。
暖かくて、いつもより心地が良かった。
「菜の花、きれい」
レイネの声が近くで聞こえる。
「写真撮るから、あそこに行って!」
そう言って離れた瞬間、さっきまであった体温がすっと消える。
ニャァニャアと騒いでいるウミネコ。
「この辺りでいい?」
鳴き声の中に擦れたレイネの声が遠くに聞こえる。
うん。そのあたり。杏はそう言って、カメラを構えた。
青空と、黄色と緑のコントラスト。
その中に、透明感のある彼女の姿が切り取られる。
潮風が吹くと、先ほどまでレイネが触れていたあたりが、ひんやりと冷えた。
さっきまで隣にいたのに……。
ファインダー越しに見ると、いつもより遠くに感じる。
まるで、置いてけぼりにされたような感覚だと、杏は思った。




