【タイムリミットはすぐそこ】難読問題「音威子府」とファイナルアンサー!?
平日の昼下がり。
小鳥遊杏は、在宅勤務の間をみて、旅行サイトを開く。
いつものようにレイネは、近くにいない。
杏が作業している間は、元カレが使っていた部屋にこもるのが常だった。
そこは、今やすっかりレイネの工房と化している。
アクセサリー作りのほか、電子工作や、ガンダムのプラモデル──杏から見たら、皆ロボット系はガンダム──何かの配線を繋いで何かを作ったり。
杏には理解不能な作業を黙々とこなした結果が転がっている。
男が出ていった部屋にもかかわらず、そこは、妙な男臭さ、いや、どこか懐かしい理科室のような匂いが漂っていた。
杏は画面に出てくる選択肢を操作し、マウスをちょいとクリックした。
ポチッ。
『予約完了』の画面が表示される。
「よしっ」
杏のスマホにも予約情報控えの通知が飛んでくる。
杏はすぐさまその通知を、レイネのSNSに共有した。
数秒後......
──バタン!と勢いよく部屋のドアが開いた。
「あーちゃーん!ありがとー!」
レイネが飛び出してきた。
その手にはスマホ。
その画面にゴールデンウィークの旅行プランが映し出されている。
行き先は東北、弘前城公園を含む3泊4日の周遊プラン。
勤務の合間を縫った地道な検索の成果である。
「やったー!最高すぎる!あーちゃん、神すぎる!」
弘前の桜が見れる!とレイネは声をふるわせる。
そんな満面の笑みを浮かべるレイネを見ながら、杏は言う。
「うん、ゴールデンウィークの真ん中だけど、なんとか確保できたよ。弘前周辺は埋まってたからちょっと移動多いけど、温泉付き」
「おぉー!」
レイネは感極まり、再び杏に抱きつく。
「レンタカーも手配済み。ペーパードライバーだけど、私が運転するよ」
「きゃー、さいこー!」
そう言い合いながら、レイネはスマホ画面に視線を落とし、言った。
「初日は八戸か〜。海産物、山盛り食べる。いまからお腹空かせて待ってる」
「いまからって、早すぎでしょ」
杏は苦笑しながら、ふと気がつく。
はちのへ…?
「……あれ? “はちのへ”って読めるの?」
「うん。はちのへ」
レイネは、どや顔で胸を張る。
いつもながら、ジャージの熊(というか豚)が苦しそうに伸びる。
「地名は、翻訳魔法だと読めないって言ってなかった?」
「うん。魔法はもう使ってないのだ」
「え? いつから?」
他言語憶えるの早くね、と杏は驚愕した。
「箱根くらいから徐々に。中華街あたりからは使ってない」
レイネは頬に指を当てて答える。
「って、こっち来てから2ヶ月くらいじゃん!? それで読めるようになるの!? 信じられない」
杏の頭には、お揃いを「おろろそい」と言ったり、レイネがたまに変な単語を使うことがあったのを思い出す。
──あれって、日本語の学習中だったんだ。
「日本語は変則多いけど、似た言語を覚えてたからね。文法構造がわかれば、あとは単語量」
レイネは、さらっと言う。
そんな脳みそ欲しいわ、杏はそう思いながらいたずらっぽく言った。
「じゃぁ、問題出していい?」
「ばっちこーい」
レイネは空手の構えの真似をする。
それ野球の掛け声だな、と杏は思った。
杏はスマホで検索するとレイネに見せる。
「じゃあ、これは?」
──御前崎。
「おまえざき」
「正解!」
「これは?」
──茨城。
「いばらき。最後“ぎ”じゃなくて、”き”。濁らない」
「すごい……。やりおるな。じゃあ、これならどう?」
──音威子府村。
「おといねっぷむら!」
「正解!」
二人で「きゃー!」と声を上げ、軽く抱き合う。
そんなふうに笑い合いながらも、杏の心の中には、ふとした“引っかかり”が残っていた。
──転職の返事、まだ出してないな……
取引先の佐々木さんに声をかけられてから、もう一ヶ月以上が経っている。
なのに、返事をしないまま、時間だけが過ぎていった。
──旅行の準備が忙しい“フリ”をして......
レイネのため──と理由をつけているけど、それ、本当にそうなの?
自分でもわかっている。
結局、逃げているんだ。
決めることを。
変わろうとすることを。
楽しげな空気の中で杏は、そんな思いを胸に秘めながら、レイネを抱きしめる力をもう一度強くした。
* * *
午後から出社の杏に合わせ、駅前でランチを取るふたり。
イカをサービスで出してくれたあの定食屋だ。
目立つ外見と、天然な発言を繰り返すレイネは、店長にすっかり気に入られている。
店に入るなり「お。いらっしゃい、イカ娘」などと言われる始末。
レイネもレイネで「また来たゲソ」などと言い、謎に高いコミュ力で、今日もおまけを貰うのであった。
先に食事を終えた杏はふと思いついたように口を開いた。
「ねえレイネってさ、何かを決めるときに迷うことってある?」
レイネは箸を止め、杏の顔を見た。
「あるよ? どうしたの?」
「本当に? いつも即決で迷いゼロって感じだけど」
そう思いながらも、さっきまで「マグロにしようか、鯛にしようか迷っちゃう」とレイネが、おまけネタで迷っていた姿を思い出した。
それでも何か重要な判断──特に未来にかかわる事──については迷っている印象が無い。
「なんていうか、レイネって未来がわかっているっていう感じよね」と杏は付け加えた。
「そんなことないよ。子どもの頃はすごく優柔不断だったし。……あーちゃん、なんかあったの?」
杏は、以前レイネに話した転職の件をいまだに決めかねていること。
佐々木さんからのオファーに返事を出していないまま、時間だけが過ぎていることを打ち明けた。
「どうすればいいのか、分からなくて」
いっそ誰かが決めてくれればいいのにとさえ思う。
レイネは、少し考えてから答えた。
「うーん……尊敬する人か、理想の自分をイメージして、その立場だったらどうするだろうって考える」
その立場だったら、どうするか……。
「多分ね」レイネは続けた。
「それでも、判断がつかないときって、情報が足りてないと思うよ」
レイネはそう言って、にこっと笑った。
「なんかマジレスっぽくなっちゃったけど、大丈夫?」
杏もつられて笑いながら、頷いた。
「ううん、ありがとう。たしかに……あの話、詳しく聞いてないや」
「自分で決めるって、難しいよね」レイネは付け加えた。
「選ぶことは多いけど、決めることは、慣れていないと難しいよね」
そしてレイネは「おじちゃん、おまけ両方って有り?」とにこやかに言った。




