中華街、ふかひれスープと地政学(地雷を踏みに行く回かもしれない)
その週の土曜日。
空は快晴、気分も上々。
杏とレイネは、商店街の福引で当てた「横浜中華街ペア宿泊プラン」へと繰り出していた。
「プラン内容はこちら──インターコンチネンタルホテル宿泊に、中華街共通クーポン!」
杏は朝からテンション高め。
旅行もそうだが──今年の花粉は軽いわね。
春先といえば、花がムズムズ、水っぱな。
かゆくて仕方ない目、止まらないくしゃみ。
寝るときに襲う、鼻づまり。
それらが無い。
暖かな春先を満喫できる。
ああ、世界って素晴らしい。(←レイネの加護発動中)
レイネも、というかレイネは基本いつでも元気だが、今日は特にうきうきしている。
例によって、大きな荷物は11次元ポーチに収納。
ふたりの生活に、完全に馴染んでいた。
中華街へ着くと、目の前にはカラフルな門がずらり。
湯気の立ち上る肉まん、甘い匂いの胡麻団子、謎の漢方茶とか。
すでに五感が忙しい。
「あーちゃん、すげえっす」と語彙が貧困化したレイネ。
蒸し器のオブジェから立ちあがる湯気を触っては、嬉しそうに微笑んでいる。
「レイネ、お腹すいた? 先に点心食べに行こうか」
「はーい。もりもり食べるのだ」
ランチは賑やかな老舗の中華料理店へ。
円卓に座り、小籠包が運ばれてくると、ふたりして顔をきらきらさせる。
そんな中、レイネがふと問いかけた。
「あーちゃん、中華街って、なんであるの?」
来たか、恒例の『なんで?』攻撃。
でも、レイネの場合、それが『知識欲』なのが救いだ。
子供の『なんで?』には、窮してしまうが、レイネはやたら理解力があるから説明しがいがある。
とは言っても、横浜出身でもないし、社会は苦手だ。
「うーん……神戸にもあるって聞いたことあるし、たぶん昔から中国の人が来て、文化が根づいたんじゃないかな……?」
「へえ……」
レイネはスマホを取り出して、地図や歴史を検索し始める。
杏もつられてスマホを開く。
いつの間にか『中華街とは』の検索大会が始まっていた。
その時、レイネがふと画面を指差す。
「ねえ、中国と日本って、違う国なんだよね?」
地図アプリを開き見せてくる。
「うん、そうだよ。ヨーロッパの方から見ると一緒だと思っている人もいるみたいだけど」
当たり前なところに疑問を持つんだなと杏は思う。
「じゃあ、日本って、相当強力な海軍があるんだね。軍人を見かけないから、そんな風には思えないけど」
「え? あー、うん。軍隊はなくて、自衛隊っていうのがあるけど、それはまあ……防衛専門ってことになってて」
レイネはしばし沈黙したあと、思わず口にした。
「……軍隊無いの? そんなの、どうやって国守ってるの?」
「え、えぇ……守ってるよ、いちおう」
杏は困惑する。
「そもそも、こっちの世界は平和だし...」
想像以上に根本的な『世界観』の違いがあるのかもしれないと杏が思ったとき、レイネが言う。
「私の世界だったら、こんな位置の国……確実に属国化か侵略されてる──」
「えっ……」
杏は一瞬、背中がひやっとした。
──レイネがいた世界、どんだけ物騒なんだ。
「いや、海があるから防衛ライン引きやすいのかな……?」
思案する表情は、今まで見たこともないような鋭さを持っている。
「でも軍隊はない? 逆に、なんで平和が保たれてるだ?」
レイネは真剣そのもの。
「うーん、国際的な取り決めとか……周りとの信頼関係とか……えーと、まあ、なんかいろいろ?」
「あぁ、なるほど。外交力が凄まじいんだ!」
レイネは自分の回答に合点がいったように言う。
「……いや、そうなのかな?」
杏は答えに詰まった。
これ以上聞かれても何も答えられない。
「そんなことを考えても仕方なくない?」と杏は続けた。
「あ、うん」レイネは、いつものきょとんとした表情を浮かべると「……不思議な世界だね」と呟いた。
その表情はにこやかだったけど複雑だった。
そして続けた。
「レイネからしてみると、別の意味でここは『異世界』だよ」
「レイネは異世界から来たんだから、こっちが異世界なのは当たり前でしょ」
「うん。まぁそうだね……」と言ってレイネは微笑んだ。
そこに、ふかひれスープが運ばれてくる。
「来たこれ、ふかひれ。中華と言えばこれよ、これ」
「ふかひれ?」
「サメの背びれらしいの。ささ、食べてみて!」
杏はまず、スマホで写真を撮る。
「あ、美味しいこれ……」
レイネは肩をすくめながら、ぷるぷる震わせる。
ああ、なんてことでしょう、とレイネがいつもの食レポモードに入る。
シャキシャキというには優しすぎる。
ぷりぷりというには上品すぎる。
この独特の食感は一体……。
口いっぱいに広がる、海の恵みと深みのあるハーモニー。
このスープは、ただの食べ物ではない。
異世界の、いや、宇宙の神秘が詰まった玉手箱。
これを一口飲めば、どんな苦難も乗り越えられる気がする!
ああ、故郷の仲間たちにも、この奇跡の味を教えてやりたい!これはまさに…
「口の中に広がる、海の宝石箱〜!」
「彦摩呂か!」
杏はすかさず言った。




