カリスマ美容師『上木理人』の憂鬱。返り血を添えて。
なんて日だ──上木 理人は、姿勢を正す。
薬剤で手荒れをするし、アイロンで火傷をする。
そして目の前には、謎の外国人──いや、果たして人間なのか……。
「今日はヘアドネーションとのことですが、ばっさりカットで大丈夫ですか?希望の長さとかあれば」
落ち着け、俺はプロだと、上木は自分に言い聞かせスマイルを作る。
「ボブカットがいいです。かわいい」
レイネは、ヘアカタログを指差した。
「承知しました。顎のラインが綺麗なので、それを活かす感じで整えますね」
上木は頷き、仕事モードに入る。
長さは余裕で基準の31センチを超えている。
「これで、かつらって作れるんですか?」
レイネが素朴に尋ねた。
「お一人分では足りないことが多いですが、毛質が良ければ重宝されますよ」
そう言いながら手ぐしを通して──上木は思わず息をのむ。
このサラサラ感、毛量、ツヤ……
──いや、これはもう、ラプンツェルだろ。
「すごい毛量ですね。ずっと伸ばされてたんですか?」
「伸ばしてた、というより……伸びてただけです」
「……だけ?」
上木の思考がまた止まる。
努力ゼロの美髪って何。
ここまで伸ばすのは相当な時間と労力があったはずなのに『伸びてただけ?』
上木は、その言葉の意味を理解できなかった。
さらに理解できなかったのは、その複雑な髪色だった。
「しかし、ホントにキレイに水色のメッシュとか、白髪部分もブリーチですかね?銀髪がベースなのかな?すごい技術だ。本物みたい」
上木は、美容師としての好奇心を抑えきれずに尋ねた。
「あ、どれも地毛です。染めてないです」
レイネは、首を傾げた。
「……地毛?」
え?じげ?
このひと、いま、地毛って言った?
おそるおそる上木は、水色の毛の根元を探り、そっと髪を引っ張ってみた。
頭皮がそれに合わせて引っ張られる。
染めた痕跡はどこにも見当たらない。
地毛だ……。
「あれ、人間って水色の髪、生えましたっけ?」
上木は思わず呟くと、レイネはきょとんとした顔で言った。
「知らないですけど、レイネ、人間じゃないんで」
「え?」
上木は、頭が真っ白になった。
俺は一体、何と話をしているんだ?
彼は、自分の耳を疑った。
「あ、あとこの一部ピンクな髪の毛も、天然ですか?」
上木は、別の疑問を口にした。
このピンク色も、見るからに不自然だ。
「これは違いますね」
──ですよね。
レイネは、続ける。
「返り血です」
「……返り血?」
「はい。植物系の怪異で、ポケモンでいうラフレシアみたいな感じで、人食いのやつを討伐したときに返り血を浴びちゃって」
てへへ、とレイネは肩を竦めると続けた。
「染料に使うこともあるんですけど、一度つくとなかなかとれないんですよ」
上木は、思う。
説明が説明になっていない。
というか、客の言葉をどこまで信じていいのか、完全に判断不能である。
──だが、俺はカリスマ美容師!
ハサミを構え、上木は腹をくくった。
「では、切らせていただきます……」
「はーい。ばすっと行ってください」
レイネは、嬉しそうに頷いた。
レイネの髪を束ね、位置を確認し、ハサミを入れる──
ぱつん。
切った毛束を手に持った瞬間、上木の動きが止まった。
──なっなんか、光ってるッ!?
髪の先端が、ほのかにぼんやりと発光していた。
え?どういうこと?
ふわふわと毛先は浮いている。
俺、今……幻覚見てる?
やばい。
完全に現実がねじれてる。
もはや美の最前線どころか、異世界の入り口じゃないか。
だが、俺はプロだ。落ち着け!──上木はカットを続ける。
毛先の整えに入った、その時。
ぴしっ。
「──あっ」
指先に鋭い痛み。
ヘアアイロンの火傷跡の近くを、うっかり切ってしまった。
出血を確認しようと指先を見るが──血が、出ない。
いや、それどころか。
傷口が、目の前で“ちゅみみーん”と音を立てて治っていく。
しかも超スピードで。
さらに、火傷の痛みも跡も消えている。
手荒れも消え失せ、つやつや。
──ラプンツェルー!!
「……なんて日だ」
上木は、静かにハサミを置いた。
* * *
カット終了後。
「すごいテンションあがるー! 髪の毛つやつや、毛先くるんくるん!」
レイネは自分の髪をくるくる指に巻いて、鏡にうっとり。
その横で、杏が言った。
「似合ってるね、レイネ。すごく可愛いよ」
「あーちゃんもかわいいー」
二人は、美容室の大きな鏡に並んで映る。
どちらも満足そうに笑っていた。
***【余談】***
この日、レイネがヘアドネーションで寄付した髪の毛。
それらで作られたウィッグを使った子どもたちは、なぜか不思議なくらいに元気になった。
『病状が急速に回復する』という現象がいくつも報告され──
そのウィッグはやがて、「女神のかつら」と呼ばれるようになったことは、レイネも杏も、知る由もなかった。
* * *
週末の静けさが終わり、また日常が戻ってきた。
小鳥遊杏は、自宅のデスクに向かい、在宅勤務の真っ最中だ。
ノートパソコンの画面を前に、眉間にしわを寄せている。
ずらりと並ぶ英数字と記号の海に目を凝らし、何度もスクロールしてはコードを見直す。
「……ふぅ」
ふと集中が切れて、杏は背もたれに深く体を預けた。
両手を上げてぐーっと伸びをする。肩甲骨がコキコキと音を立てた。
その音が、妙に部屋に響く。
聞こえるのは、キーボードの打鍵音と、自分の息づかいだけ。
(あれ……こんなに静かだったっけ)
少し前までなら、杏がタイプするたびに、「それは何?」「どうしてそうなるの?」と、レイネが横から首を突っ込んできた。
作業の邪魔だなと思いながらも、ちょうどいい息抜きでもあった。
けれど今は、レイネの姿は見えない。
レイネは、元カレが使っていた部屋──今は彼女の作業部屋になっている場所に籠り切りで、例のお守り作りに没頭中らしい。
静かすぎる部屋。
そこにあるのは、仕事用パソコンと杏自身だけ。
杏は、ぽつんとした孤独を噛みしめながら、胸の奥にわだかまっていた感情が顔を出すのを感じた。
──トイレの使い方も知らなかったレイネ。
──ガスのつけ方も、水道のひねり方すら分からなかった。
まっさらで、常識の欠片もなかった。
それなのに、今では──
料理も洗濯も、スマホ操作もお手のもの。
やることなすこと、あっという間に習得していく。
まるで何かを思い出しているみたいに。
(レイネって……何でもできる子だったのよね。最初から。私と違って)
知識も、行動力も、そして完璧なまでの外見も。
すべてが、自分よりもずっと優れているように思えてしまう。
「私、コード打って、テストして……成長してるのかな」
独り言が、小さくこぼれる。
杏は、もう一度深く息を吸って、画面に視線を戻した。
設計書とプロンプト画面を見つめる目に、わずかに力をこめて。
──余計なことは考えない。考えたら負け。
仕事という名の『処理をするだけの時間』なのよと杏は思い、それを続けた。




