【絶許】私の知らないところで、女神が「人生逆転」のバナーをクリック
その日の夕方。
玄関の扉が開き、杏が「ただいま」と声をかけると──
「おかえりなさい。今日は和風ハンバーグにしてみました!」
リビングから、レイネの声が聞こえる。
漂ってくるのは、甘辛いソースの香りと、ちゃんと炊きたての白ご飯の匂い。
杏は思わず目を丸くした。
「ちゃんと形になってる。すごいじゃん」
「ふふーん。肉塊こねくり回すのは、向こうで散々やったからね!」
テーブルには、照り焼き風のハンバーグと、小鉢に盛られたおひたし、きのこの味噌汁。
立派な『日本の夕飯』が整っていた。
「すごい成長スピードね。人間ってやればできるのね」
レイネがガス台に驚いていた数週間前が懐かしい。
「異世界人だけどね?」
ふたりでくすくす笑いながら、箸を取る。
「味もばっちり。ほんとにおいしい。ありがと」
「ウェーイ、料理屋でもやろうかな」
レイネはちょっと得意げに笑って、またひと口ご飯を頬張った。
食事を終えて、食器を片付けているときだった。
ふと、レイネが真面目な顔になって言った。
「あーちゃん。レイネ、スマートフォンがほしい」
「……スマホ?」
杏は皿を拭く手を止め、レイネをじっと見た。
「身分証明がないから、契約はあーちゃんにお願いしたい」
たしかに、先日の旅行キャンセルのときも、連絡が取れないのは不便だった。
今後のことを考えると、スマホはあった方がいい。
(……まぁ、格安プランなら、月々の出費もそこまでじゃないし)
杏は軽くうなずいた。
「わかった。安めの機種を探してみるわ」
「ほんと!? やったー!!」
その反応があまりにも無邪気で、杏はちょっと笑ってしまった。
* * *
翌日の夜。
新しく届いたスマートフォンを前に、杏はレイネに使い方をレクチャーしていた。
「まず、これがロック画面。ここをスワイプで解除ね」
「スワイプ……こう?」
「そうそう。で、ここがアプリ。電話、メール、地図、天気、あとSNS……」
レイネは真剣そのものでうなずきながら、ひとつひとつ指で操作を確認していく。
覚えが異様に早い。
魔法の才能があると、こういうのも飲み込みが早いのかもしれない。
「じゃあ、まずは私と繋がっておこうか。SNSアカウント作って」
「ほーい」
数分後、杏のスマホに新着通知が来る。
『こんにちは! 異世界より♡』
杏はそれを見て、思わず噴き出した。
「ふつーにコメントしてよー」
「Hello Worldのつもりだよー」
そういわれて杏は思い出す。
初めてプログラムを教わったときの、基礎中の基礎。
それでも画面の中に、たった一行表示されたあの時の感動。
”Hello World”
新しい世界へ踏み込んだ、あの時の思いを──
* * *
レイネがスマホを使えるようになった翌日。
杏は出社しており、部屋にはテレビの小さな音だけが響く。
「おぉー、釣り番組!」
レイネはスマホそっちのけで、テレビに近づく。
──『深夜の釣りサバ会議』 今週は本牧埠頭から、伝説のヌシを追う…
番組名を知らせるナレーションと、興奮気味の解説が続く。
画面の端には、再放送を示すテロップが表示されていた。
「ぉお、海釣りだ。レイネ、釣り番組に釣られる」と自己解説を始める。
そのまま30分番組を見続ける。
”──次回、伊豆でチヌ特集”
あ。
「いかん、いかん。簡単にお金が稼げる方法っと!」
その言葉通り、レイネはさっきまで放置していたスマホを手に取り、検索窓に文字を打ち込む。
「よし。出た」
表示されたのは、まばゆい広告の数々。
『初心者歓迎!』
『未経験でも即日OK!』
『一日5分で月収100万円!?』
『まずは登録料3万円で人生逆転!』
『私も億を稼げました!』←※謎の自撮りつき
「ふぅん…運ぶだけで月収50万? しゃべるだけで人生変わる?」
レイネの指がスクロールを止める。
「チャットだけで、口座にお金が振り込まれる? すご」
レイネはさらにスクロールし、そのうちのひとつをクリックする。
「うしし。これで”それっぽく『稼げる』でしょ」
怪しく微笑んだ。




