行き先は、いずこへ
杏がリビングの片隅で旅行雑誌をパラパラとめくっていると、横でレイネがせっせと
中学受験の問題集を片付け始めた。
──あれ?
今さらだけど、なんで国語の勉強してるんだっけこの人。
「ねえ、レイネ」
「なーに?」
「その問題集さ……国語って、そもそも必要? だって魔法で言葉通じてるでしょ?」
レイネは問題集を揃えながら、当然のように答える。
「魔法は、双方が“共通認識してる概念”だけ翻訳されるから、知らない言葉は通じないの。しかも翻訳が微妙にズレるのもあるし、本質的には自力で理解したほうが早いんだよ」
「なるほど」
なるほど?
納得しかけたが、微塵も理解できる要素が無いなと杏は思った。
「あと、魔法ばっかに頼ってたら、成長しないし」
「えらすぎ!」
この子、異世界から来てるのに、意識だけは完全に“ストイック系努力女子”である。
「……ねぇ、ちなみに私でも、その言語魔法とか使えるようになる?」
杏が興味半分で聞いてみると──
「うん。たぶんできる」
と、レイネは軽く言う。
かすかに杏の心に宿る希望──勉強しなくていいじゃん。
「まずは、基礎魔法からかな」とレイネ。
「へぇ、それはどのくらいで使えるようになる?」
「センスいい人で、習得に3年。こっちはマナ※が薄いから30年はかかるかも」
※マナ=魔力の根源的なエネルギーみたいなもの
「……30年?」
杏の希望は、あっさりと打ち砕かれる。
「それ、私が言葉覚えるより、英会話スクール通った方が早い気が……」
「たぶんね」
普通に勉強します──杏は思った。
* * *
「やっぱさ、日本といえば温泉じゃない? 温泉で通じる?」
杏は旅行雑誌をバサッと広げる。
「温泉は似たのがあるから大丈夫。地面からお湯出るやつでしょ?」
「おっ、通じるんだ!」
ちょっとホッとする杏。
「わかりにくいのは名前とかかな。”スミス”さんなのか”鍛冶屋”さんなのか、判断しにくい」
レイネの言葉を聞いて、10年ぐらい前のWeb翻訳の精度ぐらいかなと思う。
「あとはね」レイネは続ける「地名とかかな?」
「じゃあ、これは? 『箱根』」
杏は雑誌のページをペラッとめくる。
「“ハコネ”? 言われないとわからないですね」
レイネが首をかしげながら言う「ひらがなは覚えたので、ふりがながあれば読めます」
「へぇ、いつの間に」
「漢字は意味があるので、なんとなく──ハコネは、何かの箱に、木の根っこが生えているイメージはありますね」
レイネは、ハコに根っこが生えた絵をラフスケッチする。
「なにそれ?」
ふたりでツボに入りかけたところで、杏がふと思い出す。
「そうだ!福利厚生で“箱根フリーパス”使えるんだった!旅行は箱根にしよう」
そんなこんなで、話はどんどん現実的な旅行計画へ。
スマホで宿泊サイトを開き、口コミをチェックし、温泉宿を探す杏。
「ここ行きたい!」
「この料理、食べてみたい!」
そんな会話をしながら、
「よし、ここにしよう。貸切風呂あり、部屋食あり、露天もあり!」
杏の予約完了クリック
「うわぁ!やったー!!」
レイネは両手を上げた。
「よし……準備は整った」
杏の心に、久しぶりの、そして確かな「楽しみ」を灯してくれる。
思わず笑みがこぼれた。




