濃厚カルボナーラを求めて
駅前までは──あと少し!
杏は時計をちらりと確認。
(ギリ?……いや、5分過ぎる? 7分……ああ、どうしよう)
こういう微妙なタイミングが一番悩ましい。
電話入れる? いや、着くかもしれないし……
「レイネ、早くー! 限定ランチ、限定だよ! 早い者勝ちなんだよ!」
「わかってるよ〜、でもこの看板……『ネコを信じよ!』ってなに?」
「立ち止まらない! 見ながら歩いて!」
もう!あなたに食べさせたいのに!
杏は必死だった。
このままじゃマジで限定ランチにありつけない。
その当のレイネはだいぶ後ろにいる。
──が、その瞬間。
「あーちゃん、ストップ!」
「えっ、なに?」
杏は、振り返る
「3歩下がって!」
まさかの謎指示。
「いや無理、なんでよー?」
「2.5歩でいい! おねがーい!」
その真剣な目に押され、杏は反射的に後ろに下がった。
──ゴロゴロゴロッ!
公園の中から、ボールが転がってきた。
「あ、ボール...」
杏は手を伸ばすと拾い上げる。
直後、息を切らして小学生くらいの男の子が駆け寄ってきた。
「すみませーん! ありがとうございますっ!」
「あ、はい……」
無意識に渡すと、少年はぺこぺこ頭を下げて、公園へと走って戻っていった。
その瞬間──ぶおんっ! と車が目の前の道を猛スピードで通過。
「うわ、危なっ……!」
杏は思わず、さっきの少年の方を振り返る。
(あのままボールを追ってたら……)
「車に気をつけてねー!」
公園の向こうから「はーい!」と返事が聞こえてきた。
隣にすっと並ぶレイネが微笑む。
「止まってくれてありがとう。間に合った」
──間に合った?
杏は首をひねる。
「ねえ、あーちゃん。さっき“びゅーん”って通ったハコって何?」
「ああ、車。く・る・ま。人とか荷物を運ぶ乗り物」
あんなにスピード出してたら危ないよなと杏は思う。
「くる…うま?」
「馬じゃない、ク・ル・マ」
レイネはへーと言ってまた聞いてくる。
「どうやって動いてるの?」
「ガソリン燃やしてエンジン回して……って、伝わるかな?」
「もう、聞きなれない言葉がふたつある──後にしよ」
じゃぁ行こうか、と杏は歩き出す。
「限定メニューが、ほんとおすすめだから急ごう!」
「はーい♪」
* * *
ようやく、駅前のイタリア料理屋に到着。
「すいません、2名で予約してた小鳥遊ですけど……」
杏は息を切らせながら店員に声をかけた。
「あ、小鳥遊さまですね。お待ちしていました」
予約の時間は、ギリ間に合った。
ふたりは案内されたテーブルに着き、杏がほっと息をついたその横で、レイネはきょろきょろと店内を見回していた。
「素敵なお店。いい匂いする。……もう、匂いだけでお腹いっぱいになりそう!」
「……えっ。異世界人は『匂いで満腹』とか、あるの?」
一瞬、杏は本気で悩んだ。
「ううん。ちゃんと食べますー」
「……だよね!? 普段もめっちゃ食べてるもんね」
そう言って、杏はメニューを手に取った。
限定ランチ、間に合っててよかった。
「どれにする? この『濃厚カルボナーラ』がイチオシ」
「うーん……料理名だけ見ても、どれがどんな味か全然わかんない……」
メニューには写真もない。
文章だけで料理を選べって、異世界人にはハードルが高すぎる。
「じゃあ、あーちゃんのおすすめでいい」
「おっけー、任せて!」
杏は限定ランチ『濃厚カルボナーラ』と『マルゲリータピザ』をシェア用に注文した。
* * *
おしぼりとカトラリーが運ばれてくる。
杏は自然におしぼりを取り、手を拭く。
それを見たレイネもマネする。
「……あったかい。顔も拭きたくなるね」
「だめです」
「しませんよー」
笑いながら、レイネは手のひらを包むようにあたためている。
「あーちゃん、ナイフやフォーク、全部同じ形。すごい職人さんが作ってるの?」
「いや、たぶん機械製だよ」
「キカイ?」
レイネは首を傾げる。
「えー、どうすれば説明できるかな...」
「キカイ、みてみたい。この世は不思議でいっぱいだ」
「そうかな?」
改めて言われると、だれがどうやって作っているだろうと思い直す。
「この世界って、不思議でいっぱい。なんだか、当たり前じゃないことが、当たり前にそろってる気がする」とレイネは言った。
そうこうしていると、料理が運ばれてくる。
運ばれてきたパスタとピザに、レイネは目を輝かせた。
「めっちゃきれい!美味しそう」
「さ、食べて食べて」
「いただきますって、言うんだっけ?」
──そうそう。いただきますって。
レイネはフォークを手に取り、器用にパスタを巻き取る。
「ああ、美味しい。幸せな気持ちになる」
「でしょー、これほんと食べて欲しかったの!」
来てよかったでしょ、食べてよかったでしょ、杏は、しめしめと思う。
「どうどう?」と感想をせびると──
レイネは目を閉じ、真剣な顔で語り出した。
「初めて出逢ったその皿は、まさに奇跡でした……」
(……え?)
「とろりとした黄金のソースが、まるで夕陽に照らされた麦畑のように麺を包み……」
(あ、食レポ始まった……)
「燻製の香りがふわりと立ち、チーズのコクが舌を包み込み──これは、魂の奥に響く味……!」
(いや、ボキャブラリーの精度、急に高っ!?)
「塩味と脂の甘みのハーモニー、これはまさしく『全身を抱く至福の抱擁』。今日、私の中に新たな希望が生まれました」
(聞くんじゃなかった……)
ピザも同様だった。
「ここまで濃厚なチーズって一種の発明では?」
「赤いの(トマト)と、葉っぱ(バジル)の相性が最高」
「小麦のところ(バンズ)が、さくっとぱりっと。風味がなんとも」と止まらない様子。
杏は食レポを聞いていると、彦摩呂か何かかと思い始めていた。
「あーちゃん、こっちの世界の人はずるいと思います」
一通り食べ終わった後に、レイネはキリっと言い放った。
「そ、そこまで?」
「向こうはパンは固いし、小麦もぼそぼそ。こんな深みのある味は無いの」
少し悲しそう見えた。
食後の紅茶を飲みながら、まったりとした時間が流れる。
レイネがすっと立ち上がった。
「ちょっと、はばかりへ……」
(トイレも覚えたか、進歩したなあ)
微笑ましく見守っていたが──
「……あーちゃん……」
戻ってきたレイネの表情が暗い。
「ど、どうしたの?」
「ボタンが……いっぱい……モノもいっぱい、全然わかんない……」
(やっぱダメだったかー!)
この前ネット通販は秒で覚えたくせに、なんでトイレだけ弱いのこの人……!
でも──
杏は立ち上がり、ニコッと笑って言った。
「一緒に行こうか」
「うん……ごめんね」
──たしかに手がかかるけど、こんな日常も、悪くない。




