ずしりとくる
火曜の朝。
小鳥遊杏は、在宅勤務中だ。
ノートPCのモニターとにらめっこし、キーボードをカタカタ叩いていると──
背後から、何やら視線を感じる。
「…………」
そっと振り返ると、そこには静かに杏の行動を観察しているレイネ。
その表情はまるで、“巫女が神託を待っているとき”のような真剣さだ。
(……めっちゃ見てる……!)
彼女の視線も気になるが、その服装《いで立ち》も気になって仕方ない。
なにせ、見た目は銀髪ロングの美少女。
耳はちょっととがってて、ザ・異世界系ヒロイン。
──が、今着ているのは、真っ赤なジャージ(近所のスーパーで急遽購入。在庫処分品)。
しかも、胸元にはデフォルメされた熊が一匹。
いや、それはもう『熊』だったハズなのに、ありあまる胸に引っ張られてぐにゃあっと横に伸び、熊の目が楕円になって『鼻の穴』にしか見えない。
豚?これは豚?もはや熊じゃなくなって豚?
(これ……豚に真珠じゃなくて、真珠に豚だわ…)
しかもレイネは、「胸を人前で見せるのは恥ずかしいこと」と杏に教えられ、律儀にファスナーを限界まで上げて首元で折り返す始末。
挙げ句、上着の裾はズボンにin。
──結果、赤い豚柄のジャージを首まできっちり着込んだ銀髪美女という合成獣が、仕事中の人間をガン見しているという異常事態が完成していた。
(……これもう、神に謝るレベルじゃない?)
※補足:杏はレイネが「本物の女神」だとはまだ知りません。
そんなツッコミだらけの朝だが、杏は気を取り直して資料を確認する。
詳細設計書と、対応するテスト項目──
(……あれ? なんか、おかしい)
設計書にはバッチリ記載されている“ブロック間連携機能”が、テスト項目からごっそり抜けている。
(いやいやいや、これシステムの根幹なんですけど!?)
大事な項目がすっぽり抜けてるって、どういうこと!?
すぐさま同じプロジェクトの年下同僚・田中くんにチャットを飛ばす。
『田中くん、ブロック間連携のテスト項目抜けてない? 設計書には書いてあるけど』
──数分後、返ってきたのは、まさかの返事だった。
『あー、そこですね。気づいてました』
(……気づいてました?)
チャットが続く。
『実は、上の指示で。覇村さんの』
(うわ、出た。覇村さん)
その名前はずしりと重く、杏の胃がぎゅるっとなる。
この社内では知らぬ者はいない、威圧力全振りのレジェンド。
口癖は「やる気あるの?」「工数ないからカットで」「俺が若いころは、3日帰らないのはあたり前だった──」
威圧的な態度は、会議室に入るだけで空気が張り詰めるタイプ。
強引な指示も日常茶飯事で、周囲は「逆らわずに黙って従う」が基本スタンス。
(いやいや、だからって“連携機能のテストごと削る”ってどういう判断?)
杏はキーボードを叩きながら、さらにチャットを送る。
『でも、それ削ったらバグ出るよね?』
しばらくして、田中くんから返ってきた。
『そうなんですよね。不安ですけど……”モジュールは流用だから大丈夫”、だそうです』
──その言葉の端々に漂う、あきらめのオーラ。
やばいとは思ってる。でも反対しても無駄だから、黙って進める。
そんな「現場あるある」が、テキスト越しににじみ出ている。
(うーん……これ、上に言うべき? でも波風立つしな……)
杏自身がそのテストを担当してるわけじゃない。
言わなければ、責任が直接降ってくることもない。
スルーしてれば、嵐はスルーできる。
そう、できるけど──
──ピンポーン!
おあつらえ向きなタイミングで、玄関のチャイムが鳴った。
杏は、思考を切り替えようと席を立つ。
(レイネの服、届いたかな?)
モニター越しに見えるのはやはり、宅配業者さん。
エントランス解除キーを押し、玄関で待つ。
* * *
「小鳥遊さま、こちらにサインをお願いします」
受け取った箱は──想定外に小さい。そして、やたら重い。
(え、服ってこんな重かったっけ……?)
疑問に思いながらリビングへ。
慎重に開けると、目に飛び込んできたのは──
「……本? 10冊?」
しかも見慣れぬ背表紙が並んでいる。
ハイデッガー。ニーチェ。あと、医学書、司法制度、中学受験問題集、ゼクシィ……?
(ゼクシィ!?)
「わぁーっ!届いたーっ!!」
背後からレイネが登場し、満面の笑みでダンボールを覗き込む。
「これこれ!ぽちぽちしたやつ!ほんとに届くんだ、すごーい」
(ええええ……あんた、タブレットで買い物してたの!?)
確かに、服を買ったときの操作をガン見してたけど……何で操作、覚えてんの!?
杏は恐る恐る、納品書を確認する。
──総額:¥63,800。
(ろくまん……!?しかも“小児科学”っていう本、3万円!?)
レイネ、医学書って何に使うの!?
っていうか、なんでゼクシィもあるの!? 誰と結婚する気なの!?
杏は、崩れ落ちそうになる自分のメンタルを「落ち着け……落ち着け……私」と念じて立て直した。
(あの喜んでる顔に……怒れない……)
哲学と医学と受験と結婚情報誌と──
嬉しそうにニーチェを抱え軽やかに本を広げるレイネの姿とは裏腹に、納品書に書かれた金額は、ズシリと杏の家計と心に刺さるのだった。




