毒ある転生令嬢は、魔術王と結ばれる~妹と婚約者に領地を乗っ取られた私、隣国の王太子に拾われてスローライフを謳歌する~
毒魔術の才能。こんなもの、私は欲しくなかった。
「アエラ様、ブレイズ公爵様から新しい毒の催促が来ております」
「もう少し……待って」
自室で瓶を持って数時間。
私は時間をかけて猛毒を瓶の中に生み出していた。
生み出しているのは竜殺しの毒。
強力であるがゆえに、瓶ひとつ満たすのにも半日かかる。
これが私――アエラ・フィオルダが持つ毒魔術の力だ。
数千に一人、人は魔術の才能をもって生まれる。
私が生まれた時から与えられたのが、この毒魔術の才能だった。
しかし最近の私は常に疲れている。
魔物に対処するために毒が欲しいという依頼が多すぎるのだ。
私の毒は特に魔物に対して非常に効果がある。剣の刃が通らないような怪物でも、私の毒魔術の前には無力だ。
「ブレイズ様に伝えて。あまり魔物の住処を荒らさないようにと。これ以上領民を無駄死にさせるなら、毒はもう渡さないわ」
「よ、よろしいのですか? あの方はアエラ様の婚約者ですが……」
「あの人はやり過ぎよ。自分からあえて魔物を挑発するなんて!」
この世界には魔物が多い。
世界の半分はまだ魔物の生息地で人が住めないほどだ。
だからこそ私の毒は魔物を殺す手段として需要がある。
しかし一部の貴族は明らかにやり過ぎていた。
魔物を倒せば領地が広がると、自分の領民を使い潰して魔物に戦いを挑む始末。
はっきり言って理解できない。
婚約者なのに貴族としての考え方はまるで合わなかった。
同じ公爵でもブレイズ公爵のほうが古い家柄で、領地が広かったとしても。
引くつもりはない。
「ブレイズ様に逆らうのは賢明とは思えません」
「もし納得できないというなら、私が直接相手します。毒ももう渡しません」
「そ、そんなことをしたら……」
ブレイズ公爵は苛烈な人だ。
些細な罪で領民や家臣を罰するとも聞いている。
それも私には合わない。
合わないことばっかりだ。
もちろん領地を治めるには力が必要。
それは間違いない。
そして秩序はどこから生まれるか。それは広い心からだ。
決して貴族の私利私欲から領地を治めていいわけではない。
そんなのはただの暴君だ。
私は辛抱する。
待つ。
心の中の感情は制御しないといけない。
「とにかくブレイズ様には必ず伝えるように。わかりましたね?」
……やっとのことで瓶に毒を満たし、執事に渡す。
最近は疲れることばかりであった。
これで一日が終わったわけではない。
次の仕事だ。
領地に関する書類を片付けなければ……。
領地内の揉め事、魔物への備え、近隣との外交。
やるべきことはいくらでもある。
アエラ・フィオルダ、22歳。
私は前世の記憶を持って生まれてきた。
本当の私は小市民で、貧乏性だった。
あとは事務員だったので書類仕事が得意。
それくらいのどこにでもいるOLが異世界に生まれ変わったのだ。
最初はもちろん喜びましたとも。
公爵令嬢に生まれ、お人形のように可愛らしく容姿端麗。
でも母が離縁され、後妻が来て。
異母妹のマールが生まれ。
領内の仕事がどんどんと私に降りかかってきた。
前世の知識がある私だから、なんとか頑張れたのだ。
頑張ってしまったのだ。
せっかく異世界に生まれたのだから――努力しないと。
合わないなと思いながら、王国一の貴族であるブレイズ様とも婚約。
そして数年前、父が倒れた。
今の私は当主代行として、領内の仕事を全部処理している。
そう、これは私の仕事だ。
私がやらなければいけない。
もう何年も旅行もせず、連休もない。
前世ならとんだブラック企業勤めだ。
でも逃げるわけにはいかない。
今では毒を売るのも含めて領民は潤っている。
名君令嬢とまで言われるようになった。
でも足りない。
まだまだ努力しなければ。
夜遅くまで働いて公務を終わらせ、やっと自室に帰る。
……。
自室の前で父と後妻の子、異母妹のマールが私を待ち構えていた。
すぐにベッドに倒れ込んで寝たいのに……。
無視したかったが、そうもいかない。
マールは頭は回って底意地が悪い。
私が代行する領主の仕事を一切やろうとはしないのだ。
それでいて目立ちたがり屋。
コツコツ仕事をする私とは真逆だ。
正直、何年一緒にいても愛着を持てない相手だった。
「アエラお姉様、こんばんわ。夜遅くまでご苦労様ですわ」
「こんばんわ、マール。何の用かしら」
「聞きましたわ。ブレイズ様に物申すよう執事に伝えたとか?」
「……当然です。私の毒魔術にも限界があります」
「あら、魔女様とは思えない謙虚な発言ね」
魔女。マールはいつからか私のことをそう呼び始めた。
今では何人ものメイドが私のことを陰でそう言っている。
強力な毒魔術の使い手。
領地を守るために行ってきた様々なこと。
国内のバルザ王国はもとより、国外でも私は評価されている。
必要とされている。
それは間違いないと思う。
でも近くにいる人は私のことを怖がり始めていた。
いつか、私の毒魔術が向くんじゃないかと。
私はこの毒魔術を人に使う気はない。
そう思っているのに。
マールがきゅっと嫌らしく笑う。
「そのブレイズ様ですが、今近くにいるのはご存じ?」
「近く……? そうなのですか? そんな報告は受け取っていませんが」
「私が口止めするよう屋敷内の人間に命じていましたから」
「……なぜそんなことを?」
背筋がぞくりとした。
「ブレイズ様に頼まれたからですわ。最近、彼とよく手紙をやり取りしてますの。話題はお姉様のことですけど。彼、すごく困っていましてよ」
「随分と親しいことですね」
「でしょう? お姉様がそんなのだから、ブレイズ様と交流してるのよ」
最近、彼との距離は開くばかりだ。
愛情あふれる私的な手紙も貰ってもいないし、こちらも送っていない。
でもあえて媚びを売るつもりはなかった。
間違っているものを私は許せない。
そもそも彼との婚約も親が決めたもの。
そこに愛情はない。
運命も感じない。
この世界ではこれがルールと言われても、乗り気でない結婚だ。
はぁ……。
今となっては婚約もうっとうしい。
なかったことにしたい。
しかも真夜中で疲れているのに。
マールはまだ会話を終わらせるつもりがないらしい。
こんなしょうもないやり取りで時間を使いたくない。
なので、私はつい毒のある発言をしてしまった。
「もしブレイズ様がお気に召したのなら、あなたが結婚して差し上げれば」
「私はお姉様の予備じゃないわ!」
マールが声を荒げ、前に出る。
彼女の一番嫌いなことは私の代わり扱いされることだ。
「まったく! ブレイズ様は王国でも一番の大貴族なのに、お姉様は何が嫌なのかしら。不思議だわ」
「彼が間違っているからよ」
瞬間、私の首元に冷たい物を感じた。
金属の冷たさ。
誰かが私の背後に立っていた。
「そうか、俺が不満か」
「ブ、ブレイズ様……!? どうしてここに!?」
私の首に刃を突きつけたのは、誰だろう。
ブレイズ公爵その人だった。
冷たい夜色の髪と金の瞳、私の婚約者。
「あはは、お姉様。ブレイズ様が近くに来ていると言いましたよね」
「……っ!」
剣には殺気が満ちている。
下手に動けば彼は私を殺すだろう。
「マール、君の言う通りだな。アエラはおかしくなってしまった」
「クスクスクス……でしょう? お仕事のせいで、ね」
マールが実に楽しそうに笑う。
何度も見てきた笑い。
彼も微笑んでいる。
マールとそっくりな笑いだ。
勝ち誇った意地悪な笑い。
私はやっと悟った。
マールとブレイズ様は結託し、私を追い落とすつもりだ。
「殺しはしない。君の毒魔術の力は有用だ。それなのに君はつまらない領民のために時間を使って……実に無駄だ。貴族のために死ぬのが領民。なのに、領民なんかのために身を粉にして働くなど言語道断。君は貴族失格だ」
「こんなことをして許されると思っているの?」
「君の毒で人が死んだ、そう広める。君の力の恐ろしさは誰もが知っている。呪われた毒使いを婚約者が捕らえた――どうかな、この筋書きは?」
「素晴らしいですわ、ブレイズ様!」
マールが手を叩いて喜ぶ。
まるで子どもみたいに。
吐き気がする。
「私も証言いたします! お姉様はついに自分で生み出した毒を人に使い始めた、と。皆、きっと信じますわ」
「……マール、これはあなたの差し金なのね」
「ええ、私がブレイズ様に持ちかけたの。私が公爵家を継いで、お姉様は毒を生み出すことに専念する。こうすれば皆が幸せでしょう」
「全くだ。素晴らしい提案だと思ったよ」
マールが私を嫌っていることは承知していた。
でも彼女には魔術の才能も統治のセンスもない。
ただ貴族の家に生まれただけの女だ。
彼女はそれに納得していない。
だから強引な手段に出たのだ。
ブレイズ公爵が嘆息する。
「君もマールくらい可愛げがあれば良かったのにな」
「駄目よ、ブレイズ様。お姉様にそういう感情はないもの。だって魔女だから」
……そんなことはない。
おかしいのは、マールとブレイズ公爵のほうだ。
「ああ、魔女か。まさにそうだな。アエラ、賢い君はもう理解しているはずだ。詰みだよ。君の御父上も最後は承諾してくれた――現時点をもって君の全権限を剝奪し、幽閉する」
最後にわざとらしくブレイズ公爵が付け加えた。
「おっと、君との婚約も破棄だ。これで満足だろう?」
「ふふっ……お姉様の望み通りですわね」
マールが踊るように彼のそばへ寄って、腕を絡ませる。
「清々しましたわ! これでご褒美に、私を婚約者にしてくれるのでしょう?」
「もちろんだとも。一緒にこの国を牛耳ろう」
こうして私は全てを奪われ、敷地内の監獄へと幽閉されることになった。
♢
悔しさで眠れないまま、時が過ぎていく。
敷地内の監獄は数百年からの代物で、ひどい臭いだ。
マールの当てつけだろう。
鋼鉄製の扉、冷たい石の壁、苔むした床。
窓はひとつもない。
あるのは小さな小さな覗き窓だけ。
私の毒を警戒しているのか、見張りは近くにいない。
「はぁ……こんなことになるなんて」
屋敷の人間もほぼ全員が敵になってしまったようだ。
助けが来る可能性はゼロ。
私は呪われた毒使いとして幽閉され、死ぬまでここで毒を作り続けることになる。
そして用済みになれば殺されるだろう。
冗談じゃない。
そんな未来は嫌だ。
せっかく異世界に生まれ、努力してきたのに。
寝る間も惜しんで働いた結末が、コレ?
あんまりな結末だ。
納得なんてできない!
妹のマールにも、元婚約者のブレイズ公爵にも!
「……どうして私が!」
私の中の押し込めていた感情が爆発する。
領主として、私はなるべく感情を抑えてきた。
それが今、決壊した。
もう我慢なんてしない。
嫌なことははっきりと嫌と言ってやる。
こんなところで終わってたまるか。
濡れ衣を着せられたまま、全てを奪われたままなんて。
魔女と呼ぶなら、魔女らしく生きてやる。
こんなところから脱出して――。
いつか復讐してやる。
罪を償わせてやる。
そう思うと、私の右手から魔力があふれ出してきた。
私の怒り。
あるいは復讐心。
私の中の毒が色濃くなっていく。
感情と一緒に、私の中の魔力も荒れ狂っていた。
こんなに魔力が表に出ようとするのは、これまでの経験になかった。
だって抑えていたから。
それが――私は本能で理解した。
感情と一緒に魔力も抑え込んでいたのだ。
それが怒りとともに目覚めた。
「あはは。なんだ、抑える必要なんてないんだ」
色々なものから解き放たれた気分だ。
状況は最悪。
でも気分は高揚している。
私の心はまだ折れてない。
右手に魔力を集中させる。
毒々しい紫の魔力が形成されてきた。
最強の毒が手に生まれている実感がある。
「……これなら逃げられる!」
立ち上がり、石の壁に向く。
連れて来られた時の内部の様子。敷地内の間取り。
全部、頭に入っている。だって私の屋敷だもの。
彼女たちは私を甘く見た。
「ここからなら……っ」
右手に生み出した毒を壁に塗り込める。
あっという間に石の壁がぼろぼろと崩れていく。
予感した通りだ。
これで脱出できる。
今は明け方。
なんとか遠くまで逃げるしかない。
♢
「逃げたですって? どういうことよ!」
「も、申し訳ありません! 石の壁を溶かして脱獄したようで……」
「くっ……お姉様の毒にそこまでの力があるなんて」
マールは爪を強く噛んだ。
姉であるアエラの力は把握しているつもりだったのに。
警戒すべきは空気中への毒。
だから監視もつけず窓もない監獄部屋へ送ったのだ。
それが……。
まさか石の壁を溶かすほど強力な毒を使えるとは思わなかった。
ブレイズ公爵が報告してきた執事を見据える。
「……問題はあるまい。金も持ってないし助けになる人間もいないんだ。すぐに捕まる」
「そ、そうね! いくらお姉様でも逃げ切れるはずがないわ」
ブレイズ公爵は落ち着いている。
それがマールを安心させた。
「それよりも他の貴族に接触されると面倒だ。アエラを慕う貴族は少なくない。呪われた毒使いという噂が定着するまで時間がかかる。領内から絶対に外へ出すな」
「……捕まえたら次はどうするの」
マールが意地悪そうに目を細める。
「少しアエラには甘くしすぎたな。捕まえたら目と脚を切り取っておくか。毒を生み出す、あの腕だけあればいい」
「いいわね! ぜひそうしましょう!」
マールはブレイズの残酷な提案を心から喜んだ。
逃げたところで何もできないわ。
悪あがきよ。
お姉様はいつも諦めが悪いんだから。
あのアエラにできた領主という役割と名誉。
それをどうやって横取りするかだけが、マールの頭を支配していた。
完全に勝利に酔っていたマール。
だが、彼女は破滅への未来をひた走っているのであった。
♢
牢獄から山を抜け、近くの街へ。
ボロを被って何とか追手から逃げていた。
しかし街にはもう手配書が回っている。
用意のいいことだ。
呪われた毒使いのアエラ、生け捕りには大金――。
どこまで逃げられるか……。
でも諦めるつもりはなかった。
他の貴族のところにまで逃げ込めば、まだ……。
そこから先はまた考えなければいけない。
呪われた毒使いという汚名の返上。
王国最大の貴族、ブレイズへの対抗策。
他国への亡命も選択肢のひとつだ。
思考し続けながら私は街を目立たないように歩く。
しかし考えれば考えるほど、今の私には何もない。
空っぽだった。
虚しさに胸が押し潰されそうになるが、なんとか踏みとどまる。
負けてはいけない。
歯を食いしばって耐えるんだ。
そこへ聞き覚えのある男の叫びが降ってきた。
「そこの女、止まりなさい!」
屋敷の執事。
私のそばにいた彼が街中にいたのだ。
どうやら彼はマール派へ鞍替えしたらしい。
まずい。
彼は私の歩く癖などを全部知っている。
執事のそばには屈強そうな兵士が5人ほど。
毒を使えば……。
でもこんな街中で毒を使ったら相手の思う壺だ。
呪われた毒使いという濡れ衣が本当になってしまう。
ここで助かっても、未来がなくなる。
「――っ!」
毒を使うのは最後の手段だ。
私は裏通りへと駆け出した。
この街の構造は知っている。
なんとか逃げられる可能性に賭けるしかない!
「逃げたっ!? あの女を追え!!」
息せき切って走る。
曲がりくねった細い路地。
汚れた建物の裏、人混みにまぎれるように。
目覚めた魔力のおかげで、今の私には体力がある。
男の兵士より速く走れる。
だけれど――。
「絶対に逃がすな!」
「多少傷つけても構わん!」
「あっちだ! 回りこめ!」
怒号が飛び交う。
街中での騒ぎが大きくなってきた。
追手も増えてきてしまっている。
今では数十人に追われていた。
だめだ。
逃げても逃げても追手を振り切れない。
息が……苦しい。
魔力も体力も尽きてきた。
「追いかけっこは終わりです!」
私の前に執事が立ちはだかる。
先回りされてしまった。
周囲を兵に囲まれる。
逃げ道はない。
あるとしたら、強行突破だけだ。
「さぁ、観念しなさい」
「……断るわ。あなたのことは信頼していたのに」
「あなたは模範的な領主様ですよ。でもマール様は気前がいいのです。それこそ一介の執事にぽんと大金を払うくらいにはね」
要は金で買収された、ということか。
こんなのを執事に使っていたなんて情けない。
さらに兵が集まってくる。
終わりだ。
毒を使うしかない。
でも下手をしたら大量の死人が出る。
絶対的な危機だけれど、まだ人相手に毒を使う勇気が出ない――。
『じっとしていて』
「――!?」
その時、私の足元に見たことのない魔法陣が展開していた。
魔法陣からは凄まじい魔力が放たれている。
「な、なんですか! この膨大な魔力は……!」
執事も兵士も驚愕していた。
追手の魔術ではない?
では誰の魔術なのか。
「――まさか」
この魔力には覚えがある。
どこか懐かしさを感じる魔力だ。
思い出した。
この魔力は魔術大国の王太子だった彼の――。
魔法陣が蒼い閃光を放つ。
私の全身は蒼い魔力に包まれ、何もかもが塗り潰された。
でも怖くはなかった。
むしろ心地良ささえ感じるくらいに安心できた。
♢
「もう大丈夫ですよ」
目を開けるとひとりの青年が立っていた。
長い黒髪と赤い瞳。絶世の美青年だ。
忘れるはずもない。
すぐに記憶の中から彼の名前が出てきた。
「ルーファウス・ヴェルディ……様」
隣国であるヴェルディ王国の王太子。
世界一の魔術国家の第一王子だ。
会ったのはずいぶんと久し振りだけど、昔と変わらない。
鋭い目つきの中に落ち着きと優しさがある。
でも、どうして私の前に。
それにここはどこだろうか――追手は?
彼がゆっくりと話し始める。
「ここはヴェルディ王国。転移魔術を使って、君をここに呼んだんだ。もう安全だよ」
転移魔術。
ヴェルディ王国が密かに研究しているという大魔術だ。
実現はまだまだ先だという噂だったけど。
私はそれに助けられた、ということらしい。
遅れてやっと実感してくる。
もう大丈夫なのだ。
「助かった、のですか」
「ええ、もう大丈夫です」
その言葉で。
私はへたり込んでしまった。
同時に涙が出てくる。
本当は怖かった。
何もかもが奪われ、信頼していた人にも裏切られ。
でも助けてくれる人がいた。
助かったんだ……。
泣いている私の隣に彼が座る。
「突然の大事件、大変だったと思います」
彼は何も言わずに寄り添ってくれる。
嬉しい。
それだけで嬉しかった。
数分、経っただろうか。
少し落ち着いてきた。
彼の前でずっと泣いているわけにもいかない。
私は前に彼と会った日を思い返した。
「十五年振りですね、ルーファウス様」
「はい、覚えてくださって何よりです」
「忘れるはずがないじゃないですか」
私と彼の出会いは十五年前。
彼はとある暗殺者によって毒を盛られたのだ。
即死こそしなかったが彼は昏睡状態に陥った。
当然、ヴェルディ王国は全力で解毒の方法を探した。
しかしどんな治療も毒を消すことはできなかった。
彼は生死の境をさまよい続けた。
そして打つ手がなくなった頃。
私はヴェルディ王国に招かれたのだ。
なぜ招かれたのか。
彼の両親から理由を聞かされた時、私は腰を抜かしてしまった。
私の毒魔術を彼に使ってほしい。
つまり私の毒で彼の身体を侵す毒を打ち消す。
毒をもって毒を制す。
私が招かれたのは禁断の治療を行うためだった。
もちろん最初は断った。
死にかけとはいえ一国の王子に毒魔術なんて使えないからだ。
まして私は前世の記憶を持っている。
そんな常識外れの治療なんてできなかった。
でも最後には承諾することになり、私は彼に毒魔術を使った。
あの時の恐怖はしっかり覚えている。
人に対して毒魔術を使ったのはあれが最初で最後だ。
「今も夢に見ます。私の毒を摂取したアルス様がひどく苦しんで――」
絶叫と高熱。痙攣。彼は私の毒で地獄のような苦痛を味わった。
夢に見るのは本当だ。
あんなのはもう二度と見たくない。
だから私は人相手に毒を使いたくないのだ。
それから数日後、彼はすっかり元気になっていた。
どうやら私の毒が暗殺者の盛った毒を洗い流したらしい。
彼は賭けに勝ち、助かった。
そして経過観察ということで私は少しの間、ヴェルディ王国にいた。
滞在している期間中、彼とずっと過ごしていた気がする。
彼は優しくて頭が良く、私の毒魔術を一切怖がらなかった。
楽しかった。
あれは今でも良い思い出だ。
「でも、どうして私の危機がわかったのですか」
「君が人を毒殺したというお触れが、バルザ王国から回ってきたんだよ。そんなはずがないのにね。君は誰よりも優しいのに」
信じてくれる人がいた。
私のこれまでは無駄じゃなかった。
その事実を噛みしめる。
また涙が出そうなほど嬉しい。
「聞かせて。何があったの?」
「――っ」
彼は間違いなく味方だ。
助けてくれたのだから。
それにもう彼を巻き込んでしまった。
ブレイズ公爵は私を諦めないだろう。
一体、何があったのか。
私は包み隠さずに彼へ説明した。
「……酷いね。そんなことをするなんて。アエラ、君には協力を惜しまないよ」
「ルーファウス様、それは?」
「すぐにヴェルディ王国を出陣させよう。まだ間に合う」
彼は軍を貸してくれるのだという。
武力行使だ。
クーデターに対する逆クーデター。
思ってもみない申し出。
でも私は少し考えて、断った。
「いえ、それには及びません」
「え? でも……」
「非常にありがたいのですが、そんなことをしたら戦争になります」
泣いて、事情を説明して。
頭が回ってきた。
今、私はいくつもの可能性を考えていた。
「私はバルザ王国の民を傷つけてまで、返り咲こうとは思いません」
「アエラ、君は本当に優しいんだね。妹と元婚約者に復讐したくはないのかい?」
「したいです」
そこははっきりと断言した。
彼が目を丸くしてちょっと笑う。
復讐はしたい。
でも私には私のやり方がある。
彼の協力が必要だけれど……。
「しばらくヴェルディ王国に匿ってくれませんか」
「それはもちろん。いつまでも居ていいよ」
「もうひとつ、私が健在なことをアピールしてくれませんか」
「それも簡単なことだ」
「……それでしばらく待ちます」
彼は私を興味深そうに見ている。
「なるほど、様子見かい?」
「ええ、私の毒がなければバルザ王国は困ったことになるはず。そこで私がヴェルディ王国にいるとなれば――」
「徐々に風向きも変わるだろうね。ブレイズ公爵もここには手出しできない。他の貴族からの不満にいつまで耐えられるか」
「そう長くはかからないと思っています」
「だろうね。彼の強引な政治手法は嫌われているし」
あとは言わなかったが、異母妹のマール。
彼女は我の強いトラブルメーカーだ。
同じく我の強いブレイズ公爵とぶつかりあうのは時間の問題だろう。
私の帰還はそれまで待ってもいい。
……悪くない。
これならば最小の手間で返り咲けるはずだ。
多分、数年くらいで。
あるいはもっと早く。
それに――。
「私も疲れました。ちょっと長めの休みを取りたいのです」
「いいね、僕もそうしたい」
彼が苦笑する。
王太子の彼にもたくさんの苦労があるのだろう。
「とりあえず、君にゆっくりしてもらえるよう全力を尽くすよ」
「ありがとうございます。さすがにタダで衣食住を貪るのは気が引けますので、疲れない範囲でヴェルディ王国の役に立てればと」
「助かるよ。君のファンは僕の国にも多いから、士気も上がる」
それはなによりだった。
とりあえず彼に伝えたいことは伝えた。
あとは路地裏を駆け回ったので、さっさとお風呂に入りたい。
その後は飽きるまで寝たい。
いつまでもみじめな気分でいても仕方がない。
待つんだ、私は。
「そろそろ行くかい?」
「はい」
彼が手を差し出す。
男の人の手を取るのは何年振りだろう。
彼の手は暖かくて大きい。
それに……私は子どもではない。
気づいてしまった。
彼の瞳に燃え上がるものがある。
ルーファウスは私に恋をしている。
でなければ、私にここまでする理由がない。
でも……それは少し置いておこう。
今の私には冷静になる時間と休みが必要だ。
先のことは先のこと。
ゆっくりと考える。
それよりも、これから新しい生活が待っている。
不安はあるけれど。
晴々としたいい気分だ。
ルーファウスは優しい。
ヴェルディ王国もとても良い国だ。
新生活、楽しみだな。
――それから後日。
私が思っていたよりもずっと早く。
義母妹のマールは最悪の魔女として。
ブレイズ公爵はバルザ王国の大罪人として。
断罪されるのは、また別の話。
なにせ私は毒ある魔女。
ゆっくりと毒が広がるのを、待つだけですから。
♢
ルーファウスの手を取り、立ち上がる。
今になってようやく周囲を見渡す余裕ができた。
私がいるのは整えられた円形の儀式場だ。
壁は石造りで。
床には大掛かりな魔法陣が刻まれている。
窓が等間隔にあるので、日差しがよく入ってきていた。
私が放り込まれた監獄とは全く違う。
しかし、ここはどこだろうか。
「あの、ここはヴェルディ王国のどのあたりになるのでしょう?」
「バルザ王国との国境だよ」
「では……」
「直線距離ならバルザ王国から馬で一日かな。でも安心して」
彼とともに儀式場を出る。
強風が私に向かって吹いてきた。
思わず服を押さえる。
目の前に広がっていたのは、雲の海だ。
ぽつりぽつりと山々が見える。
私たちがいるのは山の頂上だった。
「……確かにこれなら、居場所がわかってもすぐには来れませんね」
「だろう? まぁ、長居するつもりもないけどね」
彼がぱちりと指を鳴らす。
雲の合間からひとりの老騎士が進み出てきた。
眼光鋭く、重装鎧を着こなしている。
「紹介するね。僕の側近のダオダ・グルフォだ」
ダオダ――私の住むバルザ王国でも恐れられている騎士。
鬼神とまで呼ばれる武人だ。
そのダオダが私に向かって膝をつき、頭を下げる。
「アイラ・フィオルダ様。無事にお迎えできたこと、安堵するばかりでございます」
「こ、これはご丁寧に――」
私は少し慌てた。
というのもさきほど泣いていたし、服はかなりボロボロだからだ。
きっと公爵令嬢としてはマズい姿。
そこにルーファウスがこそっとささやく。
「大丈夫、彼はそういうの気にしないから」
「そ、そうですか……」
ダオダがぐっと顔を上げる。
怖い。
なんだか殺気に満ちている。
「で、フィオルダ様にあらぬ汚名を着せた者どもは、どのように成敗するので?」
「えっ?」
「フィオルダ様はルーファウス殿下の命の恩人。それすなわち、ヴェルディ王国の恩人。その恩人を陥れた大罪人を処断するのは、騎士の務めでございます」
ええと。
目を見る限り、彼は本気のようだ。
本気でバルザ王国に乗りこもうとしている。
「さらにフィオルダ様の毒魔術により、どれほどの魔物が討伐されたか。かくいう私もフィオルダ様の毒魔術には大いに助けられました。その恩義、忘れた日はございませぬ!」
「あの、ルーファウス様……」
「付け加えると、彼は君のファンなんだ」
……ううん。
どうやら私の評判は思ったよりも高いらしい。
でも今、いきなりバルザ王国に突撃をする気はない。
まだ。機が熟してからだ。
私はこほんと咳払いをする。
「申し出は非常に嬉しいのですが、私はバルザ王国の民を傷つけたくはありません。どうぞ剣をおさめてもらえれば」
「ということだ、ダオダ」
「なんと慈悲深い……。このダオダ、フィオルダ様の忍耐に胸を打たれましたぞ」
あぶない。
いきなり武力衝突が始まるところだった。
まだブレイズ公爵がどこまで手を回しているか、わかってない。
自領とマールだけならいいが、バルザ王家にまで根回ししていたら厄介だ。
武力行使には早すぎる。
「アエラ、攻めないというなら、まずはヴェルディの王都に向かおうか」
「そうしてもらえれば助かります」
とりあえず今はちょっと休みたい。
ここまでほぼ徹夜。
かなり眠い。
「近衛騎士団、前へ!」
ダオダが叫ぶと雲の海から空を飛ぶ騎士団が現れた。
これは比喩ではない。
羽の生えた空飛ぶ馬、ペガサス。
それに乗った騎士団が現れたのだ。
さらに空の王者、グリフォンまで。
見上げるほどの巨体。
ふわふわの毛並み、優雅な身体。
グリフォンはルーファウスのそばで腰を下ろす。
そしてその頭を彼に擦りつけた。
ずいぶんと慣れている。
「シャーディ、よしよし」
シャーディ。
その名前で思い出した。
15年前、私がヴェルディ王国で過ごしていた頃。
ルーファウスの胸の中でごろごろしていた毛玉。
猫サイズのモフモフ動物がいた。
それもシャーディという名前だったはず。
私もかなりモフモフさせてもらったけれど。
まさか……。
「15年でここまで大きくなったのですか」
「ああ、覚えてくれていたんだ。そうだよ、おかげさまでね」
クルルルとシャーディが喉を鳴らす。
ご機嫌のようだ。
ルーファウスがさっとシャーディへ乗る。
「さっ、アエラ。君もシャーディに乗って」
「は、はい……」
ドキドキする。
公爵でもグリフォンなどは飼えない。
バルザ王国の王家でも飼ってはいないはずだ。
グリフォンは真の王族の特権。
そのグリフォンに私が乗る。
ブレイズやマールが知ったらきっと悔しがるだろう。
シャーディは静かだ。
落ち着いている。
私はたいした手間もなく、シャーディの背に乗った。
ふわふわの毛に包まれ、いい気分だ。
そのままルーファウスの背に掴まる。
ちょっと恥ずかしい。
けれどグリフォンの背ならしょうがない。
そう自分に言い聞かせる。
「じゃあ、いくよ」
「はい……!」
ルーファウスとシャーディ、それに近衛騎士団。
全員が空へ駆け出す。
雲を切り裂き、青空を背にする。
太陽がまぶしい。
こんなに空はきれいだったのか。
思えば空をちゃんと楽しく見上げたのは、久しぶりのことだ。
忙しかった私には空を楽しむ余裕さえなかった。
「……さようなら、バルザ王国」
あの雲の向こうに故郷がある。
でも寂しくはない。
これは長い休みだ。
きっと私は、帰ってくるのだから。
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