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クーデレさんは、こっそり元奴隷の青年を溺愛している  作者: 宙色紅葉(そらいろもみじ) 週1投稿


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12/20

一度だけ

 自分の物だとはっきり答えても何の違和感もない、財布に入ったジルの金。


 初めてタルトに買ってもらった私服が仕舞い込まれているクローゼット。


 ミラやツイからお下がりで貰った参考書が入っている本棚に、クタクタに疲れて眠たくなっても向き合った机。


 タルトが与えてくれた内鍵付きの部屋はジルの物で溢れている。


 ジルはすっかり自分に馴染んだベッドの上に寝転がり、タルトとお揃いの枕に顔を押しつけると声を殺して泣いていた。


 頭を駆け巡るのは楽しい思い出と努力し続けた思い出ばかりだ。


 優しさに浸った瞬間に現状を思い出して冷える。


 怒りや恨み辛みの急速冷凍とタルトへの愛しさで急速解凍を繰り返す心臓はボロボロだ。


 ジルは自分の感情や思考がよく分からなくなっていた。


 悲しいのかさえもよく分からないのに、涙だけは出続けた。


『タルト様、俺がジャムの蓋を開けたのを見て目を丸くしてたっけ。開けられなかったせいで諦めてたジャムがようやく食べられるって、珍しく素直に喜んでた。意外と抜けてるんだよな、タルト様。でも、次の日からジャムを買うようになったのは可愛かったな』


 ジルがジャムの蓋を開けて以来、タルトの朝食はトーストとジャムになった。


 開けてくださいと頼まれるのが嬉しくて、ジルはわざとジャムの蓋をきつめに閉めていた。


 また、毎回こりずに自力で蓋を開けようとして奮闘しているタルトの姿を見るのも好きだった。


 新しいジャムを試したいからと既存のジャムを一生懸命に食べ、申し訳なさそうにジルにジャムの消費を手伝わせてくるのが可愛かった。


 タルトがあんまりにも幸せそうに笑うから、ジャムを自作したら、


「私はこれからジルのジャムだけで生きていきます。ジルのジャムには生きるために必要な栄養素が全て詰まっていますから」


 と、瓶を抱えだしたのには参ってしまったが。


 クスクスと弱った喉から掠れた笑いが漏れる。


『甘党だからスイーツとか飴も好きだし、可愛いな。俺の古傷、基本的にはもう痛くないんだけど、天気が悪くなったりすると、たまに痛むんだ。だから、少しでも良くなるようにって薬くれたの、凄く嬉しかった。手が届かないからって、せがんだら背中にも塗ってくれたっけ。つい、わがままを言うようになっちゃったな』

 決して良い匂いとは言えない薬を躊躇なく手に取り、労わるように背中へと塗り広げてくれた優しい手を思い出す。


 大して痛くない日にも強請っていたのは、彼女には内緒だ。


 ちなみに、ジルの中では慈愛風なタルトだが、彼女的には「合法お触りタイム! 役得! 役得!」とばかりにはしゃいでいて、かなり邪な手つきだった。


 勿論いたわりの気持ちも、ジルの傷が良くなりますように、と願う気持ちもあったのだが、ここぞとばかりに筋肉の形をなぞるスケベな気持ちが入り込んでしまったのも事実である。


 ジルにはタルト補正が入っているので、そんなことは想像すらしていないが。


『俺、随分と変わったよ。自分で言うのもなんだけど、丸く、可愛くなったよ。その方が好まれるし、タルト様に相応しいと思ったから。タルト様にはどう見えてるのか分からないけど、変わったんだよ。だって、とっさに出てきた暴言がバカと大嫌いで、タルト様のことはタルト様って、ちゃんと呼べたんだから』


 今は声量を抑え、なるべく穏やかな響きを持つように気を付けて話しているジルだが、昔は奴隷同士で、殺すぞ! くたばれ! と怒鳴り合っていた。


 他の奴隷に殴る蹴るの暴行を与えたこともあったし、瀕死に追い込んだこともある。


 覚えていないだけで、もしかしたら殺してしまったことすらあるかもしれない。


 だが、言葉遣いを改める過程でジルは脳内での言語を丸く、可愛くし、タルトのことは「タルト様」で固定するように努めた。


 荒々しい発想が出てしまったら諌めて、なるべく穏やかに過ごせるよう気を配った。


 初めはストレスがかかったし、今までが今までなだけに不安だったが、意外にも優しい態度はあっさりとジルに馴染んで溶け込んだ。


 まるで、元から心優しく素直な好青年であるかのように振舞えた。


 それは元々、ジルが穏やかで素直な明るい、優しい性格をしていたからだろう。


 穏やかな姿が無茶なのではなく、昔の尖った在り方の方が無茶だったのだ。


『俺、俺さ、タルト様のために変わったんだよ。好かれたくて、照れたけど頑張ったんだ。俺、途中から媚びてなんかいなかったよ。タルト様には、そう見えなかったのかもしれないけど。でも、タルト様のために努力するのも、プレゼントを買うのも、どんなことも本当に楽しかったんだ。でも、俺が奴隷だからなのか? どこまでいっても奴隷だから、タルト様は、ずっと冷たいのか?』


 タルトの吐き捨てた冷たい言葉を思い出しては胸が痛み、何度も涙を溢したはずの目の奥が熱を持つ。


 何度だって瞳が潤んで嗚咽が漏れる。


 それが無性に悔しかった。


 どんなに冷たく見えても、ジルにとってはとても優しいタルトだ。


 ジルは彼女が自分の働く姿を見て成果を認めてくれたり、普段から体調に気を配ってくれたりしていることに気が付いていた。


 だからこそ、タルトが自分のことを奴隷や使用人ではなく一人の人間として認め、必要としてくれているのだと期待していたし、頑張り続ければ男性として隣に立てるのだと信じていた。


 そんな彼女の口から「奴隷風情」なんて言葉は聞きたくなかった。


 ジルは心臓に穴を開けたまま起き上がり、自分の部屋を抜け出すとタルトの元へ向かった。


 ドアノブを回せば何の抵抗もなくドアが開き、タルトの部屋へ侵入することができる。


 真っ暗な部屋はジルが片付けたおかげでだいぶ片付いているが、床には部屋着と下着が転がっていた。


 タルト、寝る時は何も身につけない派である。


 月明かりに晒させるベッドの上で薄いシーツを体に掛け、タルトは静かに寝息を立てていた。


 布を一枚捲れば何も身に着けていない美しい体が姿を現す。


 シーツ越しに緩く体の線が映し出されていて、豊かな胸が微かに上下している。


 背徳感と性的興奮に傷心が合わさって激しく心臓が鳴る。


 ジルは半ば茫然としながらも息を殺してタルトの元へ歩み寄った。


 ギシギシとなる足音にタルトは何も気が付かない。


 寝たふりでもしているのではないかと疑いたくなるほどの鈍感さだ。


『タルト様は不用心すぎる。なんで俺の部屋にだけカギがあって、タルト様の部屋には無いんだよ。普通、逆だろ? 男なんて、基本ヤることしか考えてないのに。ただでさえ盛ってるのに、好みの体型とか、好きな子とか、そんなのが目の前にいたら余計にそう言うことしか考えられなくなる。汚したいな。上から下まで全部俺で汚して、ナカにもぶち込んで染め上げたら、俺のものになるかな? って、そう思って夜中にタルト様の部屋の前に来たこと、何回もあったっけ。でも、タルト様が好きだから引き返したんだ。我慢したんだ。タルト様は知らないだろうな。犯されるなんて心配もしてないだろ。本当に、タルト様にとって俺って何なんだよ。なんで俺を買ったんだよ!』


 スヤスヤと眠る健やかな寝顔を睨みつける。


 憎かったが愛しかった。


 閉じきった瞼に白い頬、無表情に結ばれた唇、柔らかい胸に細い肢体を見つめる。


 タルトの姿は氷のように冷たい。


 やはり悔しかったが、それでも愛おしかった。


『一度だけ、一度だけだから、許してくれ』


 ギシリとベッドをきしませて這いあがる。


 ジルはタルトの身体に覆い被さった。


 薄い布越しに触れる体が柔らかくて暖かい。


 触れたくて、汚したくて堪らなかった肌がすぐそこにある。


 ジルは酷く興奮していた。


 ゆっくりと顔を近づけ、キスをしてしまうような距離になっても、あるいはジルの紙がタルトの頬をくすぐっても、綺麗な寝顔は歪まない。


 熱い吐息がかかってもタルトはうめき声すらあげなかった。


 まるで人形のようだが、スースーと聞こえる寝息や体温がタルトが生きていることを教えてくれる。


 目の前に狼が来たというのに、タルトは、ただひたすらに安心して眠っているようだ。


 その無防備さが愛おしくて、ジルは手のひらで優しく頬をなぞる。


『タルト様、泣いてたのか? なんで? 俺の方が……』


 頬には乾いた涙の跡があって、今もまだ少し湿った箇所がある。


 心臓がドクンと跳ねた。


 背徳感と共にせり上がる庇護欲と性的興奮。


 愛しさ。


 迷ったジルは数分間タルトの寝顔を見つめると、最後に唇だけを奪った。


 かすかな寝息を立てるタルトの唇に自分の唇を触れさせて、数秒の時を過ごす。


 甘くて、空しくて、涙が出た。


 ぽたりと落ちてタルトの頬を濡らす涙は元から彼女が流していたものなのか、あるいはジルの瞳から溢れたものなのか判別すらつかない。


 ただ、月明かりに煌めく雫は妙に綺麗だった。


 再びギシリと音を立てながらジルがベッドから降りると、タルトが「んん……」と唸って寝返りを打つ。


 ジルには己の恋を秘匿しよう。


 絶対にジルを縛らないように。


 傷つけないように。


 苦しめないように。


 そう願って行動し続けた結果なのだろうか。


 タルトには無意識にジルから目や顔を背ける癖がある。


 今も、愛しい人からの口づけに眠りながら感じるものがあったのかもしれない。


 タルトは知らない内にニヤニヤと歪む口元や表情から零れる幸せを秘匿しようとして、彼に背を向けた。


 彼女がふわりと笑って、寝言を吐かない唇がジルを呼ぼうと微かに動いたのを彼は知らない。


 ジルには冷たい、タルトの温かな寝返りだ。


『こんな時までそっぽ向くなよ。俺が悪かったから、謝るから、もう、汚さないから。だから、せめてこっちを見てくれよ』


 ボロボロと溢れる涙を拭って、ジルは踵を返した。


 そして、部屋で泣きながら物思いにふけって、明け方、一つ決心をした。

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