私のアイデンティティ
今日は大事な日。これから面接なの。
髪は黒、それを後ろも前もピンでとめてピシっと纏める。
スーツに袖を通して、はい完了。鏡の前で笑顔笑顔。
……うん、量産型人間だね。だから私は右手の小指の爪にマニキュアを塗るの。
少し濃い目のピンク。見ているとホッとするの。
これが私らしさ。自分の姿。そう、これが私のアイデンティテ――
「はい、不採用。それはアイデンティティとは言いませんね」
次は髪の色を茶色に変えてみたの。でも暗めの色ね。
あとは前と同じ。あ、でも今度は両手の小指の爪にマニキュアを塗ったの。
前回よりさらに濃いピンクね。うん、いい感じ。これが私のアイデンティ――
「不採用ね。もっと考えて」
次はもう少し変えて、これで大丈夫。これが私のアイデン――
「不採用。脳みそあるの? あ、はははっ。ないか」
今度はまたもう少しこうして、よし。これが私の――
「不採用。つまんないよ」
次はこうしてこれで――
「不採用。馬鹿なの?」
次はもっと――
「不採用ね。死ねば?」
次は――
「不採用」
「不採用」
「不採用」
「不採用」
「不採用」
今度はどうですか。
「うーん、まあまあ。それじゃ質問ね。すぐそこでお婆さんが転びました。
はい、あなたならどうする」
「駆け寄って大丈夫ですかと聞き――」
「不採用。はぁ……」
また落ちちゃった。駄目ね私は駄目ね駄目ね駄目ね。
わからないわからないわからないわ。もっと変えなきゃ変えなきゃ。
髪はああああああこうしてええ。爪はこうう。服はああああ。中身ももっともっともっと。
「はい、それじゃあ質問です。すぐそこでお婆さんが転びまし――」
「無視して通り過ぎます。その際に見下すように眺め
ああはなりたくないと思うようにします」
「んーよし、採用。はい、じゃあ外のバスに乗ってね、はーいどうもー」
少子化。人口の減少に伴い、各地の過疎化は進んだ。
人がいなければ活気もない。立ち並ぶ空き家はまるで巨大な墓標。
灯がなければあるのは闇。人々は心を病んだ。
講じられた対策。それはロボットだ。
企業がロボットを導入しているのは当たり前の時代であるが
さらに一歩進み、彼らに人間と同じような暮らしをさせることになった。
より形を人間に近づけ、ゴム製の皮膚を被り、表情や声も全て人間らしく。
休日は町を歩かせ、活気があるように見せる。
つまりは真似事。行列のサクラ。モデルハウスの灯り。
過疎化した村を案山子で埋めるように。
しかし、問題があった。彼らの主体性の無さだ。
ある時、ひとりの老人が躓いて転んだ。
すると『人のため』『人に尽くせ』というプログラム通りに
周囲にいた数十体のロボットが一斉に駆け寄ったのだ。
大丈夫ですか、大丈夫ですかと連呼し、手を伸ばすその光景は
まさにホラーそのもの。老人は心臓発作を起こした。
決して、老人が臆病だっただけのことではない。
物を落とし、拾い上げようとした瞬間、感じる視線。「あっ」という人間の声に反応し
ロボットたちが一斉に自分のほうに向けば誰でもゾッとする。
ゆえに彼らの人工知能にある程度の個体差を、自己というもの
そう、アイデンティティを植え付ける必要があったのだ。
親切なロボット。その逆を行くロボット。無関心。嘲笑。意地悪。人間らしさを。
マニュアル通りではない、決して変わらない己を。
この社会で与えられた役割を果たすために。
ピンクの髪に短いスカート、網タイツ。
バスの窓に映る、当初とは打って変わった自分の姿を見つめ、女型ロボットは微笑む。
これが私。私のアイデンティティ……。
彼女はそう呟いた。
アイデンティティとは他者や社会から認められ、確立されるものである。
こと、ロボットの場合は個人の意思など存在しないしその必要もない。
……が。
「ぼく、大丈夫……?」
彼女が差し伸べた手。
転んだその子供は誰よりも早く駆け付けた彼女の手を握った。
「ありがとう」で満たされた胸の奥。
子供が走り去った後も測ることができない温度を保っていた。
――これが私のアイデンティティ。
いつ頃からか芽生えた揺るぎのない個は
履かせられたパンプスのヒールをへし折り、世界へ強かな音を響かせたのだった。