第6話 きる
それは月の夜。歪に欠けた月が、『彼女』の来訪を知らせる。
それは雨の夜。降り出す雨が、『彼』の来訪を知らせる。
月が雲に隠され、夜は益々闇に染まる。人工の灯りだけが街に光を与え、自然の明かりの一切が失せる。
『彼』と『彼女』は相見える。誰もいない路地裏。誰も見ない空間。誰も認識しない邂逅。誰も興味がない闘争。誰もが望む互いの死。この街における二匹の『害虫』はどちらが生き残るかを争おうとしていた。
「また会ったな。面妖な女子よ」
「また会ったね。中二病真盛りの三十路さん♡」
「あの日付けられなかった決着を今宵付けようぞ」
「付けられなかったのお前が逃げたからなんだけどね」
「心壊れし者よ。潔く拙者の剣を受けるがよい」
「いい年こいて中二病に目覚めし者よ。潔くそのコスプレをやめなさい」
「拙者の誇りに賭けて……主を斬る」
「killゥ? 殺すのはあたしよ……♡」
互いの心のうちは見せ合った。互いに矜持を示した。互いに────腹は割った。
示し合わせたように同時に動き出す。カタナは念力で背の一刀を抜き、手に収めながら。ドラッグスターは何も持たず、頭から真っ直ぐに。
激突する。刀が深くDSの胸を貫く。彼女は笑みを崩さない。刀をそのまま斬り下ろす。胸から下が両断される。やはり笑みを崩さない。しかしカタナは焦らず、そのまま今度は左から右へ横薙ぎに胸を斬る。十文字の傷口から反対側の景色が覗く。しかし未だにDSは笑みを崩さない。
「……化け物め」
カタナが吐き捨てるように、しかし口角を吊り上げながら刀を構える。
「ちょい待ち」
DSがこちらに向かって左手を突き出し、『待った』をかける。
「問答無用っ!」
カタナが刀を振り下ろs「だから待てっての。お前だよ。お ま え」
DSは袈裟懸けに斬られながらも表情は変えず、相変わらずこちらに向かって語りかける。
「カタナだの刀だのややこしいんだよ。あたしが良いニックネームつけてやるからちょっと待ってろ」
そう言うとDSはカタナに向き直り───無論傷など一つも無く───大袈裟に芝居じみて語りかける。
「あんた! 名前はなんて言うんだい?」
カタナは構えを崩さないまま答える。
「既に答えたであろう。拙者に名前などない。あるのはこの刀と一心同体という事実のみ。故に拙者の名は『かたな』にござる」
「いやそーゆーのいいから。名前は?」
DSが間髪入れず問い詰める。が、
「ない」
カタナの答えは変わらなかった。
「なんなんだよテメー。さては『名無しの権兵衛』ってやつか?」
「誰なのだその権兵衛とやらは」
「知らねえよ。つーかニックネームつけらんねーじゃん」
「それこそ知らぬ。好きに呼ぶが良い」
「そーかいそーかい。じゃあお前は『ニンジャ』だ」
「何故?」
「侍はもっと格好いいよ。あんたみたいにダサくない」
「忍はそうではないと?」
「ニンジャってのは主にじゃなく金に忠を尽くすんだろ? よくわかんねーけど」
「拙者は金などいらぬ。そんな下らぬ物の為にこの手を汚しているのではない」
「じゃーなんで?」
「介錯。魂の解放の為に候」
「嘘ばっかし♡ ホントのとこはただ人斬りを楽しんでるだけだろーに……大層な理由までつけちゃってサ……♡」
「お主と一緒にするな。お主とて正義だのひぃろぉだの述べているようでござるが、その実はただの快楽殺人にござろう?」
「いいや? こう見えても法則性はあるんだよ♡ みーんな、あたしってヒーローに裁かれるべき奴らだった」
「その裁定は?」
「勿論あたし♡」
「フンッ……論外にござるな」
「いいよ、議論なんてしなくてサ」
「話始めたのはそちらでござろう」
「固いこと言うなよニンジャ♡ …………おいおまえ。こいつのことは『ニンジャ』って書けよ? いいな?」
ドラッグスターとニンジャが向き合う。ニンジャは再び念動力を使う為に額に片手を添える。ただし用途は抜刀ではない。彼女を、その見えない腕で捕らえる。
「ひょ?」
DSの身体が宙に浮く。しかしDSは一切抵抗する様子を見せない。NJはそのまま念動力を使い、DSを壁に叩きつけた。
「びたーん!」
DSが壁にめり込みながら叫ぶ。NJがもう一度念じる。するとDSが壁から離れ、再び宙に縛り付けられる。が、すぐにまた壁に叩きつけられた。2回、3回、4回……。何度も叩きつけられる。やがてDSの身体が変形し、崩れ始める。しかし相変わらず笑みは崩れない。その不気味な表情はまるで貼り付いているかのようだ。
何度目かの衝撃の後、壁から少しだけ離される。そして、DSの背後に宙に浮いた刀が迫る。
「いやーっ!」
NJが吠える。すると刀が思い切り振られ、DSの身体が両断される。DSが口から笑いを溢すようにして地面に落ちる。NJは念力で自身の刀を手元に引き寄せ、そのまま血を払う様に回転させる。2回転した後その手に収まった刀を今一度振り払い鞘に納める。
────が。
DSの笑い声が響く。両断された身体が癒着しながら立ち上がる。NJは鼻から息を漏らす様に笑い、再び抜刀する。
「懲りないヤツだねぇ……♡ あたしは死なないんだよ。主人公なんだから、サァ…………♡」
「果たしてどうでござるかな?」
「これ以上なにを試すんだ?」
「いくらでもある」
NJはそう言うと以前の様に構える。この独特の構えは『技』を出す兆候────。
「拙者の剣は…………疾きこと、『風』の如く」
そして左手指の力を抜き、刀を振るう。宣言する。技の名を。
「飛影斬波・『鎌ゐ絶薙』っ!」
「それもう見た」
DSは飛翔する斬撃をやはり躱すことなく受ける。袈裟懸けに両断された身体を、自身の両腕で握手するようにして固定することで繋ぎ止めると傷口は塞がり始め、やがて|最初から何も無かったように《・》治ってしまった。
「それしかないのかニンジャぁ……? だったらこっちからイッちゃうよぉ……♡」
不快な水音を立てるような笑みが彼女の顔面に貼り付けられる。NJにその笑みは見えない。が、しかし。NJはまるで|その顔が見えたかのような《・》反応をする。恐怖とは違う。謂わば、否。言葉にできない。複雑な感情だった。
DSはNJの事情など関係ないと言わんばかりに笑みを貼り付けたまま、繋いだ自身の両手を、主に左手で固く握り直す。そして力強く左腕を引くと。
|彼女の右腕は肩を残して引き千切られた《・》。
「お前が刀を使うならあたしは鞭サ。それも自前でね♡」
そしてNJの正面から消える。視界を有さないNJには関係のない戦法に思えるが、視界を有さないからこそ。彼は聴覚や嗅覚、そしてなにより向けられる『気』によって対象の存在を確認してきた。そんな彼にとってDSの消える戦術は、意外にも効果的であった。
「っ──! どこだ!? どこにいる!?」
わかりやすく狼狽する彼の背後にDSが現れる。気配に気づき振り返ったがもう遅かった。
「必殺! 『会場で僕と握手』ッ!」
NJの顔面にDSの右上腕の断面が叩きつけられる。DSの異常な怪力と『鞭』から少し骨が飛び出しているせいで、ぶつかった箇所が打撲と切創の混ざった症状に見舞われる。NJは口の中の血の味と鼻から抜ける鉄臭さを同時に堪能させられる。
「ぐぅ!?」
口から漏れる苦悶の声。DSはその声を聞いて益々攻撃を加速させる。
「うらうらうらぁ!!! どうしたんだよコラァ!!!」
袈裟、横薙ぎ、逆袈裟、逆薙ぎ。四連続で顔面に自身の右上腕を叩きつける。そして。
「でぇいりゃぁあ!!!」
一番の力で上段から振り下ろす。NJの頭頂部に激しい衝撃が走り、鼻血を流しながら地面に倒れる。休む間もなくDSに背中を踏みつけられ、圧迫された肺から飛び出した空気がNJの声帯を震わせ、醜く惨めな声を出させる。
「おいおい終わりかヨ……? 大したことないなァ中二病♡」
明確な挑発を受け、NJが額に青筋を浮かべる。そのまま精神を集中させるとDSは体の自由を奪われた。
「イッヒヒ! そうこなくっちゃ!」
NJがゆっくりと立ち上がる。いつの間にか取り落としていた愛刀も念動力で宙に浮かべる。そしてそのまま空中を滑らせると、背中からDSの心臓を貫く。
「あはーん! おっぱいがァ!」
この期に及んでDSにはまるで危機感がない。これもまたNJの神経を逆撫でした。
「小娘が…………!」
念動力で刀を回転させ、ドリルのように心臓付近を削る。が、当のDSは笑っているばかりでちっとも死ぬ様子がない。
「無駄無駄無駄ァ♡ そんなんじゃ効かないよん……♡」
その言葉を聞くとNJは念動力を解き、自身の刀を突きさしたままでDSを地面に落とす。やはりこれも効いてない様子のDSは左手に持ったままの右腕を、おおきく振りかぶってNJに向かって投げつける。
「必殺! 第二弾! 『後髪を引く右手』ッ!」
投げられた右腕は、そういう武器であるかのようにNJに高速で飛んでいき、その肘をNJの額に突き刺す。
「がぁ!?」
衝撃でNJが後ろに身体を反らすと、右腕はDSの方に戻っていく。DSは刀が突き刺さったままこの右腕を捕り、再びNJに向かって投げた。二度目は避けたが、背後にある空中を飛んでいる右手が意志でも持ったようにNJの髪を掴み、そのまま引っ張った。一瞬体勢を崩されたNJに、DSが距離を詰める為に駆ける。走りながら正面に出ている刀身を左手で掴み、固定する。
「必殺! 第三弾! 『当たって砕ける乙女心』ッ!」
見事にNJの右胸に刀身が刺さった────かのように見えたが、実際は。
「……捕まえたぞ、異常者め」
寸前で体勢を整えたNJによって攻撃を捌かれ、刀身も脇を使って固定されていた。
「お互い様だろニンジャぁ……♡ ちゅーしてあげよっか?」
「いらん。吹き飛べ!」
NJが怒鳴るとDSの身体は文字通り吹き飛んだ。刀の鍔が引っかかっていた背中の肉の一部だけを残したまま、後方の壁に背中から減り込んでいた。大の字に貼り付けられたDSは、それでも笑っていた。
NJがようやく愛刀を取り戻す。そして向き直ろうとしたとき、またもやDSの姿は消えていた。
DSは、NJの頭上。遥か上空にいた。落下しながら、無い右腕を構える。
「必殺! 第四弾! 『雨後の筍パンチ』ッ!」
異常な速度で再生する右腕が、上空からの落下速度を伴って、大幅に威力を増してNJに襲い掛かる。DSが律義に叫んだ為にNJは気付けた。よってこの攻撃は回避される。しかし、先程までNJがいた場所は大きく破壊される。まるで局所的に隕石が飛来したかのような衝撃と破壊力が、アスファルトを砕いて地面を揺らす。NJは戦慄した。これまでに戦ったことのない強敵との邂逅に。そして同時に歓喜した。|漸く自分が本気を出せることに《・》。
「ふっふっふっふっふっ…………! いいぞ女子よ。お主相手になら、拙者も全てを出せそうだ」
しかしDSはそれに冷たく返す。
「出ーたよ、そういう『今まで自分は本気なんて出してませんでした』中二病あるあるムーブ。いやいやいや最初から本気出しとけって。どーせ勝てやしねーんだからさぁ。強がるなよなー。絶対さっきまでだって本気だったじゃんかよ~。『おかまいたち』だか『かもひたし』だか『カモノハシ』だかなんだか知んねーけどよ~。あれで本気じゃねーって、そりゃあ無理ありおりはべりいまそがりよん。正直に言ってみなさいよ~。『さっきまでも本気でした~』ってサ♡」
NJはこの言葉に鼻で笑うだけだった。そして、何故か愛刀を鞘に納める。
「あん?」
DSは目の前の男の行動に、背にした道路標識にもたれかかりながら疑問の声を投げる。
「言ってわからぬならば仕方あるまい。見せてしんぜよう。これが拙者の本気にござる」
そう言うと深く腰を落として、顔の前で印を組むように両手を構える。深く息を吸うと、肺の中の全ての空気を絞り出すように深く息を吐く。
「拙者の剣は…………静かなること『林』の如く」
そして鞘から刀が飛び出す。念動力によって加速したその刃を両手で振るう。宣言する。技の名を。
「居合抜刀・『死魔狩レ』っ!」
狙いはDSの首。素早い袈裟斬りに手応えを感じるが、それは首を斬った感覚とは違った。DSは間一髪避けていた。斬られていたのは道路標識だったのだ。
「お主……今避けたな?」
NJは光を見た。対面した面妖な少女はこれまで、如何なる攻撃も甘んじて受けてきた。その彼女が、避けた。それが意味するのは……『受けてはいけない』、即ち『致命傷足りうる可能性がある』ということ。
「さてはお主、首を斬られたら死ぬのではないのか?」
一筋の光明。それはNJの戦意を確かなものにするには十分すぎた。これまでとは比べ物にならない程に明確な殺意。それがDSに向けられる。しかし当の本人は冷めたもので。
「そう思う? なら試してみたら?」
切断された道路標識を拾いながら堂々とした態度で、笑いながら挑発する。
「必殺! 第五弾! 『|道交法で決められたおまわり小遣い稼ぎの剣《一時停止カリバー》』ッ!」
道路標識を構えてDSが吠える。NJは刀を上段に構えながら笑い、静かに宣誓する。
「これより拙者は守りを捨て、矜持も捨て、お主の首を何としても斬る。精々逃げ回るが良い」
そして呼吸を整える。静かながら確かな殺意と闘気を纏う。
「拙者の剣は…………侵略すること『火』の如く」
練り上げた『気』を刀に伝える。宣言する。技の名を。
「一意奮闘・『鐓戈禅勝』っ!」
NJが斬りかかる。DSは武器として道路標識を構え、刃を受ける為に体勢を作った。しかし、NJの斬撃が当たることはなかった。それは彼女が再び消えたから。
「無駄だっ!」
しかしNJは動揺せず。振り向きながら縦に一閃。現れたDSの先を読んだ斬撃は、しかしDSが道路標識で捌いたことで直撃を避けられる。
「ヒュー! やるねえ! ニンジャぁ!」
NJはその言葉に応えることなく、再び斬りかかる。
「おいおいシカトかよ」
横薙ぎに首を刈り取らんとする凶刃を、DSは一歩退ることで容易く避ける。間合いに余裕があり、DSからすれば想定の範囲内の軌道であったからだ。が、それは罠であった。
「かかったな」
NJが静かに笑う。後ろへ歩を進める回避は、近接戦闘においてあまり好ましくない手段だ。一歩詰める、或いは横への回避は連続して行える上、次への行動が容易であるのだが後方は違う。一つは背中にも後頭部にも眼球はない以上、安全の確保ができないということ。二つ目は足の構造上、人間というものは後ろへは比較的バランスを崩しやすい。即ち、攻防それぞれのバランスを両立させた理想的な構えが一度崩れてしまうということ。修練を積んだ者はこの限りではないが、修練を積んだ多くの者は後方への回避よりも横方向や前方への回避を優先して行う。先に説明したデメリットを抱えたうえで得られるほどアドバンテージの多い行動ではないからだ。
NJは、DSの首を斬る為の戦術の組み立てを、『戦闘中でありながら』『極めて短時間に』こなした。その戦術とは至って単純。基本的でありながら忘れられがちな手段。『崩し』であった。
読者諸君はこれまで生きてきて一度は思ったことがあるはずだ。所謂ヒーローものと呼ばれるコンテンツにおいて『最初から必殺技を撃て』と。或いは格闘技を観戦してる時に『なぜ最初から派手な技でKOを狙わないのか』と。その疑問への答えこそが『崩し』なのである。
ボクサーは相手をKOするためにジャブを打つのではない。相手との距離を測るため、相手の出足を挫くため、攻撃の突破口を開くため、と様々な理由があるが、一纏めに言えばこれも『崩し』である。『崩し』失くして戦術は成り立たない。
本来、『崩し』は前提でしかない。しかしNJは剣豪ではなく、ただの辻斬りだ。
誰に教えを乞うた訳でもなく戦闘の基本に辿りつけたのは、偏に踏んできた場数の多さによるものだ。直感、本能的に理解し、自分のものにした。そう言う意味では彼は天才なのかもしれない。
しかしやっていることはどれだけ御託を並べようと正当化されない快楽殺人。根は同じなのである。────彼女と。
体勢を崩したDSの首元に、素早く一歩踏み込み逆薙ぎに斬りかからんとするNJの愛刀が迫る。しかしDSはまるで|それを待っていたかのように《・》口をあけた。
「なに!?」
刃を、歯で咥える。それはまさに異常。ありえない光景だった。
「必殺! 第六弾! 『真剣白歯捕り』ッ!」
DSの歯にNJの刃が挟まれ、膠着状態に陥ってしまう。先に動いたのはNJだった。刀を手放し、念動力でもってDSを上空に持ち上げる。
「しつこいなー」
DSが呆れたように呟く。しかし、その言葉にNJは冷たく笑って返すだけだった。
「先の拙者の宣言の意味がまるでわかっていないようでござるな」
誰に言うでもなく独り言の様に呟き、精神を統一する。
「喝っ!」
NJが気合を発すると、DSが咥えていた刀が刃の方向へ回転し出した。当然DSもこれを受けることになり、体が顎の上下で二分される。斬られた箇所は首でこそないが、しかしこれまでのようにはいかないはずだ。NJは今まで以上の手応えを感じる。追撃の手を緩めることもせず、ひたすらに空中に縛り付けたDSの肉体を念動力による刀捌きで切り刻む。やがて満足したようでNJはDSの身体を自由にし、宙に浮いた愛刀を己の手に戻す。
「『鐓戈禅勝』はただの技にござらん。例え自身の身体に害が及ぼうと、例え苦痛の中にあろうと、例え姑息な手を使おうとも、|確実に相手を討ち取るための姿勢そのもの。謂わば、戦術の一つにござる。これを出させた時点で、お主がこうなることは決まっていたのだ」
既に物言わぬ肉塊となった少女だったモノに言葉を送る。勝ちを確信し、その場に正座すると、頭を垂れた。NJなりの敬意の表れであった。────しかし。
「な~に勝った気でいるんだぁ? ニンジャぁ……♡」
聞こえるはずのない声が背後から聞こえた。完全に油断していたNJは遅れを取り、DSの道路標識による斬撃をまともに受けてしまう。
「ぐあああっ!?」
決して鋭利ではない標識も、彼女の怪力にかかれば立派な刃となる。背に袈裟懸けの傷を負ったNJが悶絶する。
「おいおいおい……。お前4話の後編で何読んできたんだヨ。『殺った』と思った時こそ後ろを気を付ける。それがあたしとの戦い方じゃないのサ……♡」
「どういう……ことだ………!? お主………っ! 何故、生きている………っ!?」
声を絞り出すNJに、DSは残酷な答えを示す。
「あたしがこの物語の主人公だからだよ。あたしが死ぬときはこの物語が終わるか、もしくはあたしがこの物語の主人公じゃなくなった時よ……♡ 安心しな、|そんな時は当分やって来ないから《・》♡」
NJがなんとか立ち上がり、必死に呼吸を整える。またしても独特な構えを取る。
「拙者の……剣は…………う、不動っこと……『山』の……如……し」
気を練るように呼吸を意識し、回復に努めながらも、宣言する。技の名を。
「絶・不退転・『八ッ敵』っ!」
これまでとは明らかに違う構え。また、技名を宣言してはいるものの斬りかかる様子もない。しかし、DSはそんなことを全く気にした様子もなく、NJに襲い掛かる。
「ヘィイイイイイヤッッッ!」
奇声と共に道路標識を振り回す。一時停止を示すそれがNJの顔面に吸い込まれる様に空気を滑る。
「むん!」
しかし、NJがその軌道を自身の刀によって逸らす。そして、素早く切り返して反撃の一太刀を浴びせる。
「いやーっ!」
「うひょっ!」
DSの左膝から下が、逆袈裟によって斬り落とされる。DSの攻撃の手は止まることは無い。今度は標識の部分を地面に叩きつけて空中に跳び、NJが作った切断面を槍のようにして突き出し、落下していく。だが、これも捌かれて反撃の一太刀を浴びる。
「ヒッヒッヒッ……。なんだよ、やるじゃんか♡」
足を一本と腕を一本斬り落とされたDSは、それでも笑いながらNJに語り掛ける。NJはその言葉に答える。
「これは……『鐓戈禅勝』とは……正反対に……位置する、戦術…………に、ござる。『八方の敵から襲われても生還する』、ことを……理念とした、攻防一体の技………。さあ……ど、どこからでも……来るが良い」
息も絶え絶えに、しかし構えも、芯も崩さず。あくまでも堂々とした態度でNJが宣戦布告する。DSはそれを受けて狂ったように笑う。
「良いぜェ~お前。最っ高だよ。お~け~お~け~、特別サービスだ」
そう言ってDSは、欠損していたはずの四肢を最大限に稼働させて舞う。そしてその舞いを突然止めると……そこにはいつもの缶が二本。両手に握られているそれをこちらに突き出し、DSが囁くような小声で喋る。
「実は6話ではまだ一度も飲んでないって気付いていたかい? 何を隠そうこのためだったのよ♡ あたしが二本一気にキメると、相手がどーいう目に合うか。知りたくないかい…………♡」
直後。二本同時に開栓される。NJは構えたまま動かない動けない。彼の今の戦術は『専守防衛』というのが最も近い。つまり、いくら相手が隙だらけであっても自分から攻めることができないのである。
黙って見ているだけのNJの視線を背に受けて、DSが缶を傾ける。大口を開き、二本を同時に注ぎ込む。辺りに異臭が立ち込め、NJは思わず眉間に皺を寄せる。空になった缶が投げ捨てられ、空虚な音が響くと。DSは大きく身体をのけ反らせ叫ぶ。それはまるで歓喜しているように。それはまるで発狂しているように。それはまるで絶望しているように。それはまるで……絶頂しているように。
「イヒヒヒヒヒヒッヒイイイイイイイィ!! イ~ィヒイヒヒヒヒヒヒ!!! ヒィイイヒィイイイイッッッ!!! ヒィイイイイロォオオオオオタァアアアアアアイムゥウウウウウウウウウッッッッッ!!!」
彼女が自分の時間を宣言した途端。またもや姿を消した。が、今度は姿を現すのが早かった。消した直後には、もうNJの股下のアスファルトをたたき割って出てきていた。
「なっ!?」
「ヒャアアアアオウッ!!!」
DSの拳がNJの顎を捉える。守ることも捌くことも避けることもできずにまともに食らってしまい、NJは一瞬意識を手放してしまう。が、すぐに目を覚まして構えを取ろうとする。しかしDSはすでにそこにいない。NJの背後に回ったDSはそのままNJの首に絡みつくように腕を回し、その恐ろしい怪力で締め上げる。NJが念動力を使おうとしたときには解放され、またしても姿がない。今度は正面に現れ、いつの間にか回収したらしい道路標識を突き出しNJの脇腹を突き刺す。
「ぐぅおお!?」
間一髪急所は外れたようだが耐えがたい激痛がNJを襲う。しかしDSは道路標識をNJに突きさしたまま姿を消してしまう。NJはなんとか自身の身体から引き抜くと、今一度構え直そうとする。が。
「イイイイイヤッッッッホオオオオウッ!!!!」
どこからか走り込んできたDSに後ろから滑り込まれて足を払われる。
「うぅわっ!?」
NJは翻弄されていた。なにもできない自分にイラ立ち、焦りながらも、同時に恐怖していた。そして後悔も。今更。漸く。彼は、自分が誰を相手にしているのかを理解する。桁違いの怪物を相手にしてしまったことを嘆く。しかし、こうなった今。自分が生き残るには、彼女を殺す他ないと結論付ける。
しかし現状は何も変わらない。依然自分は彼女の姿を捉えることができず、この構えすらもまともに保てていない。これでは首を斬るどころか、生き残ることも難しい。NJは賭けに出ることにした。
「聞けぇい! 女子よ! 今から拙者の最終奥義をご覧にいれよう! この奥義で必ずお主の首を斬る! しかし万が一にもお主が生き残れば、その時は拙者潔く腹を切って死のう。どうだ! 受ける覚悟はあるか!?」
挑発。あまりに稚拙であり、歯牙にもかけられそうにない作戦であったが。
「オオオオオオッオモモモモオモシシシシシレエエエエエジャアアアンカカカカカカ。コ、ココココイヨヨヨヨヨ」
DSには通じたようだ。白目を剥き、涎を垂らした怪物が動きを止めて両腕を広げる。隙だらけの体制。俗に言う『ノーガード』状態。
「感謝する。では……ゆくぞ!」
NJは、これまで以上に深く呼吸をする。吸い込まれた酸素が肺を通して血中に溶け、細胞を覚醒させる。素早い血流と細胞の震えにより生み出された余剰エネルギーを二酸化炭素と共に吐き出す。一呼吸毎にNJの筋肉は肥大し、血管が浮き上がる。そして最後の一呼吸を終えると、念動力でDSとの距離を詰める。宣言する。技の名を。
「天に舞い上がる様、『神風』が如く!」
NJが逆袈裟の形でDSを斬り上げる。念動力も使い、互いに宙に浮かびながら。NJが何度も身体を回転させ、まるで竜巻のようになってDSを空中に吸い込む。
「風に流されず伸び続ける様、『竹林』が如く!」
今度は空中で踊らされるDSの下方にNJが回り込み、突き上げる。念動力によって加速し続け、二人はビルよりも高くに縫い付けられる。
「林を焦土とし燃え盛る様、『業火』が如く!」
念動力を解いてDSを重力に引き渡す。DSは何もできずに地上に叩きつけられる。当のNJは落ちてくる様子もない。DSは当然のように身体を再生させ立ち上がる。
「火に潜み絡みつく様、『影炎』が如く!」
DSの背後にいつの間にか現れたNJがDSの首に絡みつき骨を外す。常人が相手ならばこれで死ぬが相手は化け物。そう簡単にはいかないようで、DSはただ笑い続けている。
「影を作りて影を飲み、聳える様は『富士山』が如く!」
首に絡みついたまま腰でDSを投げるとそのまま念動力を使って空中に縛り付ける。また念動力による絞首も行われ、|DSの首が隙だらけになる《・》。
NJが不敵に笑う。
「山でありながら天に触れんとし、怒るは雷神!」
宣言する。奥義の名を。
「受けてみよ我が奥義! 大地を割る様、『怒槌』の如しぃ!」
念動力により空中へ飛翔したNJの遥か上空で雨雲が吼える。その刀身に雷を纏わせて遂にDSの首を斬った。念動力を解き、自由落下と共にDSの身体も念入りに切り刻む。今度こそNJは勝利を確信する。
「どらっぐすたあ。敵ながら恐ろしい相手であったが、最期は拙者の奥義を見事全て受けた、天晴な女よ」
NJが刀を鞘に納めながら呟く。今度ばかりはDSも背後に現れることもなければ再生する様子も見せず、NJはこの場を去るために天を仰いだ。
その時だった。
「オイオイオイ。何勝手ニ終ワラセテンダ?」
聞こえるはずのない声が聞こえる。────上だ。上に何かがいる。
「ココダヨ。ココ。アタシハコこにいるよ……♡」
NJは驚愕する。確かに首を斬った。なぜ死なない? どうすれば彼女は死ぬ? どうすれば殺せる? 考えは纏まらず、NJは半ば発狂しながら念動力により飛翔し、送電線に後ろ髪を絡ませたDSの生首の方へ向かう。
ふと、違和感を覚える。身体がいつもより重いような。まるで、|人間一人を背負っているような《・》……。
生首が笑う。NJの背からNJの物ではない腕が伸びる。NJの足に、NJの物ではない足が絡みつく。
「な、なんだこれは!?」
それは首を失ったDSの身体だった。DSの身体に刀を持った右腕の自由を、両足の自由を奪われ、顎にかけられた左腕によって背骨を直線にさせられる。
「うおおおおお!?」
NJが声を上げる。月が、雲の隙間から顔を出す。宣言する。技の名を。
「必殺! 第七弾! 『洒落にならない髑髏』ッ!」
DSの後ろ髪が送電線から解き放たれて、生首がNJの額に激突する。衝撃で、直線となった背骨が砕かれる。
「ぐほあっ!」
NJの口から悲鳴が漏れる。しかしこれで終わらない。NJが一時的に意識を失ってしまったことにより念動力は解かれ、二人の身体は真っ逆さまに地面へ向かっていた。NJが地上に激突する寸前目を覚ます。自身の置かれた状況を脳が理解するより先に、口が本音を溢す。
「い、嫌だっ死にたくな」
言い終わる前にその時は訪れた。DSはいつものように復活したがNJはそうもいかなかった。
「もう終わりか? 元号は変わっても結果は変わらなかったようだなァ……♡」
雨はいつの間にか上がっていた。
奇天烈な少女を、歪に欠けた月だけが見下ろしていた。
━━━━━━━━━━━━━━━
NJは、いやカタナは多重人格者であった。昼は占い師として、夜はあまりにも身勝手な快楽殺人者として。二つの人格は互いの領域に干渉しすぎないよう住み分けていた。心を覗く瞳を閉じた時は念動力を有して、念動力を封じた時は心を覗く瞳を開いて。彼ら二人は同じ身体を有していながらにして他人として生活してきた。
しかし占い師は知っていた。知らないふりを通して、罪から目を背けていたが、報いは結局受けることになった。
最期の言葉は果たして実行犯か傍観者か。
彼が裁かれた今、それを知る術はない。