第5話 雨の夜
────雑踏。誰も彼もが他人への興味を持たず、己の抱えた問題と欲望を隠して歩いて行く。皆何かに苦しむ。皆何かに悩む。皆何かに焦がれる。皆何かに妬む。されどもそれは共有せず。しかし抱え込むには大きすぎるようで。結局は誰かに、何かに、溢しては器は溢れ。ひび割れた器から沁み出たソレは、また誰かに、何かに、寄生しては波紋を広げ。結局は誰も彼もが他人への興味だらけで、己の抱えた問題と欲望を棚に上げて生きていく。
こんな時代だから、街だから、必要とされる『器』がある。受け皿足りうる器が。
その器を人は、『占い師』と呼ぶ。
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彼の目は特殊だった。生まれた時から他人の心の中を覗けた。比喩ではなく、見えるのだ。心の内が。
どこかの格言として語り継がれている言葉に『この世で一番信頼できるのは自分のお袋だが、しかしそれだってホントのところはわからない』とある。だが彼は違った。そのお袋の心の中まで見通せたのだ。文字通り、心の奥底まで。
幸い、彼の母親は息子を溺愛していた。夫の事も愛していた。覗かれて困る隠し事など只の一つもない、聖母のような人間だった。だからこそ、自身の息子の目の事も簡単に受け入れた。『この子は神から特別な力を授かった。きっと皆を救う存在になる』とは、彼の母親の口癖だ。
しかし彼はそんな母親の想いとは逆に、常に誰かと距離を置こうとした。
考えてもみて欲しい。もしも相手の心を見透かすことができたらどんな気持ちになるのか。覗きたくない部分まで無遠慮に土足で踏み荒らす様な真似をしてしまう恐ろしさを。それが他の誰でもない、『自分自身』だったとしたら。
彼は自身の目を気味悪がり、他人と距離を置き、次第に彼の周りに集まる人はいなくなった。しかし逃げ切れなかった。
彼の目は日を追うごとに力を増し、瞼を閉じていなければ常に誰かの心を覗くようになってしまう。起きてから寝るまでの間。ずっとだ。
しかもある一定の状態がより強く彼の目に届くようになってしまった。
悲鳴、断末魔だ。
彼は心を覗ける。故に、心の死の瞬間をハッキリと捉えることもできてしまった。四六時中他人の心の死を見せられ続ける日々。彼が己の目を封じるのに時間はかからなかった。
目を封じれば、確かに心を覗くことは無くなる。だが同時に人並みの生活も捨てることになる。彼は『視力を持った盲人』となった。
街を歩けば見知らぬ他人から罵倒や嫌がらせを受け、少しの段差に怯えながら家を歩く。彼は何度も目の封印を解こうとした。しかし距離など関係なく、他人の心が死んでゆく瞬間が見えてしまう程に力を付けた己の目に恐怖し、封印を解くことはしなかった。
彼はやがて、自身の心が死んでいくのを感じた。無理もないだろう。目を開ければ地獄、目を閉じても地獄だ。心の死は外部からはわからない。それこそ心を覗かなければ。彼の母も父も、そのような目など持ち合わせていなかった。彼は誰に苦悩を打ち明けることもできず、彼は自分の心の死を誰にも止めてもらえず、ただ廃人になるのを待つばかりであった。
そして奇跡が起きる。彼の心の中に救世主が現れたのだ。それはもう一人の自分だった。もう一人の自分は言った。『目を閉じている間に身体を借りる。故に目を開けて生きていけ』と。彼は藁にも縋る思いでその言葉を信じた。その翌日からだった。
彼の目に心の死が映らなくなったのは。
彼は一体どういう理屈なのかを救世主に問うた。答えは貰えなった。だがどうでもよかった。理屈など関係ない。彼には今、自分の目に『死』が映らないことが全てだ。
しかし他人の心の中を、望んでもいないのに覗けてしまうのは変わらない。覗いた結果、死ぬほどの苦しみを持った心を見てしまうこともあった。それはやはり辛いものであったが、彼は大人になって考えが改まる。これを活かさない手はないと。
彼が選んだのは『占い師』という活かし方だった。占いなど、所詮は体のいい相談役だ。心の中を覗き込み、相手の望む言葉をかけてやればいいだけのこと。死にそうな心にも、言葉一つで救済を与えられる。彼にとっては一石二鳥だ。本来ならば『カウンセラー』と言うべきなのだろうが、『占い』という単語の方がより多くの集客が期待できる。事実、彼の占いは大変高い評価を受けた。
昼は占い師として活動し、夜眠る間は身体を借す。それが今の彼のライフスタイルだった。
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私は漫画家を目指している、夢を追ってこの街にやってきた田舎者だ。子供の頃は絵が描ければ、学生の頃はいい画材があれば、大人になってからはより多くの人の目につけば、漫画家になんて簡単になれると思っていた。だが現実はそう甘くなかった。
自信があった絵は、どこまでも上がいると知った。
画材など道具に過ぎず、自身の技量が追い付いていなければ宝の持ち腐れだ。
多くの人はそもそも目にしてくれず、たまに見て貰えても感想を聞くのだって一苦労だ。
同じ夢を志す仲間もできた。意見交換なんかもよくしている。だが、彼らの『面白い』はお世辞ではないだろうか。或いは自身の作品を面白いと言って貰うために言ってるだけではないだろうか。そんな風に捻くれた考えを持ってしまうほどに、私は承認欲求に飢えていた。
『面白い』の言葉が欲しい。『続きが読みたい』と言われたい。『あなたの作品が好きです』と言って、私を認めて欲しい。欲望ばかりが暴走する。
プロを志す以上、勿論プロに見せたこともある。だが結果は惨敗だった。絵が下手だ、画材がダメだ、見る価値も無い。どれも言われ慣れた言葉だ。だが、彼ら彼女らは才能ある私に恐れを抱いて『若い芽を摘もうとしている』のではないだろうか。或いは自身の作品に自信が無いから僻んでいるのではないだろうか。そんな風に捻くれた考えを持ってしまうほどに、私は承認欲求に飢えていた。
『面白い』の言葉が欲しい。『続きが読みたい』と言われたい。『あなたの作品が好きです』と言って、私を認めて欲しい。欲望はやがて溢れ落ちる程に漏れ出て、私という器では溢れ出てしまって。
だから私は器を探していた。誰でもいい。私から溢れてしまった欲望を、悩みを、受け入れてくれる存在を。私の欲する言葉をかけてくれる人間を────!
そんな時だった。
『占い師』の噂を聞いたのは。
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「どうぞ」
男の声が響く。暗く狭い空間にいた女が一人立ち上がり、声の下────ベールの向こう側へと歩いていく。
「おかけください」
声に従い、女は椅子に腰を下ろす。水晶玉を覗き込み、目以外を全て布で隠した男がすぐに語り掛ける。
「いい夢をお持ちの様ですね。子供の頃から追いかけてる、とても大切な夢ですね」
女は驚愕する。やはり噂は本当だったのだと。
普通、占いというものは遅かれ早かれこちらが何かしらの情報を開示するものだ。それは名前であったり、生まれた所や住んでいる所であったり。年齢や職業。そして会話の中で更にそれとなく情報を引き出される。自分は何も言ってないつもりでも相手は情報をいつの間にか掴んでおり、それ故に信じられるようになってしまうという。だが、目の前の男は違う。会うのは初めて。話したのも事前予約の為に電話をして、時間帯を擦り合わせた位だ。つまり、『一目見た』だけだ。
彼女はそれほど占いに詳しくないが、彼を本物だと思った。そして、その思いすら見抜かれたのか、そんなに驚かないでください。と声をかけられる。再び男が水晶に目を落とし、溜息を一つ。そして苦しそうに、声を絞り出すように喋り始める。
「……そうですか、いやご苦労なさったようだ。辛いですね、正当な評価を受けられないというのは」
「……え?」
「ご心配なさらず。貴女の漫画はちゃんと面白いですよ」
女が渇望していた言葉が、予想だにしないタイミングで与えられる。
「そ、そんなことまでわかるんですか!?」
「ええ。占い師ですから」
布の隙間から見える目が細くなる。笑っているのがわかる。だが、『お世辞』じゃないのか? そう思った彼女は疑心暗鬼になりつつ一つの質問を占い師に投げる。
「……で、でしたら、特にどこがおもしろかったのか窺がってもよろしいでしょうか」
「疑っていらっしゃる?」
「い、いえ。ただ、単純にどこがおもしろかったのかなーって。気になったので」
誤魔化す。必要は無いのだが、最早反射行動だった。そして同時に心に思い描く。『自分の最も力を入れたコマ』を。
「主人公の、えー、ケイくんですか? が思わず飛び出してしまうあのコマ。シーンとしてもいいですがそれ以上に目や足の描き方が素晴らしい。引き込まれてしまいますね」
「ほ、ほんとうですか……?」
女は、半ば茫然とした様子で占い師に問いかけた。
「ええ。本当です」
「ほんとうの、ほんとうに……?」
「ええ」
「お世辞じゃなく?」
「本心からです。あなたの拘りを感じますよ。他にも吸血鬼の男の子のデザインや最後のシメ。名前を活かしてくる辺りなんかは好きですね」
気付けば女は涙を流していた。どれほどこの言葉を待ち望んでいただろう。どれほどこの瞬間を夢見たことだろう。どれほど……。どれほど…………!
「ふっ…………! えぐっ……! う゛、嬉しい、で、です…………!」
「まだ喜ぶのは早いですよ。夢を叶えるまでは」
「で、でもぉ……っ! ご、ごんなごとっ、い、言われたの、は、初め、初めてっ、で……! う゛ぅ゛っ! あ゛あ゛あ゛あ゛っ! 描いててよかったぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
女は涙を止めることができなかった。無理もない。これまでどれほど望んでも手に入らなかったものが、今ようやく手に入ったのだ。彼女の溢れた欲望はついに受け入れられた。彼女はようやく満たされたのだ。
「落ち着きましたか?」
「す、すみません。お見苦しいところを……」
なんとか泣き止んだ女に声をかけると、男は更に女に言葉をかける。
「どうやら今夜あたり、あなたはとても素晴らしいものを見ることになりそうです」
「素晴らしい、もの?」
「きっとあなたの漫画の良いアイディアになることでしょう」
「おお!」
女の目が輝く。男は、最後に、と言葉を続ける。
「期待していますよ。どれほど苦しいときも忘れないで。あなたのファンの一人が、ここにいますから」
「…………! ありがとうございます! 私、頑張りますっ! 絶対絶対っプロになって、みんなにあなたのこと自慢します!」
勢いよく立ち上がり、胸を力いっぱい叩く。すっかり調子を取り戻した彼女に、占い師は微笑みながら言葉を送った。
「宣伝おねがいしますね」
「任せて下さい!!!」
女はまるで別人の様に足取り軽く部屋を出ていくと、鼻歌を歌いながら帰路に着いた。
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っと。今日の分はこれで終わりかな。さっきの漫画家さん、あれで立ち直ってくれたならいいんだけど。なにしろ一度心が死にそうになるほどだったしなぁ。
……え? 身体を借せ? ちょっと早くない? いや、まあいいんだけど。うん。それじゃ、今日もよろしくね。
もう一人の僕。
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やったやったやった!!! 行ってよかった! まさかあんなこと言って貰えるなんて!
漫画家目指してもうどれくらいになるだろう。その間何回言われたんだろう。いつから素直に受け取れなくなったんだろう。『面白い』の言葉がこんなに嬉しいなんて! それに今夜はなにかいい物見れるって言われたし! あぁ! 今日は人生最良の日だ! ケーキでも買って帰ろうかな!?
スキップしながら鼻歌交じりにニッコニコの笑顔で家路に着く私の姿は、傍から見たらそれは気持ち悪いだろう。でも今日くらい許してほしい。なんていったって私の人生のピークなのだから! あ、いや、ピークは連載開始するときかな? でもこれまでの人生で今が一番嬉しいのは本当だし。う~ん、まぁいいか!
─────なんてウキウキ気分でいた私の耳に届いたのは。
咆哮。
獣のような、化け物のような……。恐ろしいが、どこか魅了されるというか……。もしかしてこれが占い師さんの言っていた『とても素晴らしいもの』?
ならば行かなければ! 今の私なら、なんでも受け入れられそうだ! どんなことでも吸収して漫画に活かせそうだ!
私は咆哮の聞こえた方向…………げふん、方角へと急いだ。
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ここは街の一角。集まらねば悪事を働くことも出来ぬ小心者共が苦労して編んだ稚拙な巣。巣の中で悪巧みをしては実行し、幼稚なデザインのプラスチックフィルムを貼って縄張りを主張しては巣に戻り、互いの働きを労いながら酒を飲む。彼ら彼女らはいつも通りの生活をしていた。いつもと違ったのは────『彼女』が来たこと。
それは突然だった。彼らの中の一人が大笑いしながら夜空を見上げ、見つけてしまった。
空から降ってくるなにかを。
それが近づくに連れ人型だとわかり、しかもそれが笑っていることに気が付いた時には全てが遅かった。
降って来たそれが大笑いしている男の頭を踏み潰した。
一瞬、空気が固まる。目の前で起きていることに頭脳が追いつかず、全員が言葉を失う。正体を認識するために開かれた瞳に映ったのは少女だった。
「ぐっも~に、嘘。ぐっなあ~い、えぶりわ~ん……♡」
少女が笑う。しかしその笑みからは恐怖しか感じられない。
そこからの光景は蜘蛛の子を散らしたようだった。日頃は一人を相手に集団で暴行を加えたり店内で暴れまわったりと、己らの強さを誇示するかのように暴虐の限りを尽くすが。その脅威が自身に向いたと知るや否やこのザマだ。
「なにも逃げるこたぁないじゃない。どーせあたしに殺されるんだから……観念しなさいな……♡」
どこからか取り出した缶を一つ。封を切って中身を飲み干す。目を閉じる。身体中に駆け巡る衝動を確かに感じ取る。目を開き、月に向かって咆哮を上げる。
「ヒーローターイムッ!」
彼女の、DSの時間が始まった。
────歪に欠けた月の光に照らされて。歪に砕けた頭蓋を壁に、地面に。擦り付ける歪な死体が一つ二つ。腰を抜かして立てなくなった者が一人二人。その元凶となる奇天烈な見た目をし、歪に口角を吊り上げる少女が一人。そして。
そこに新たに現れた、女が一人。
「え…………?」
女は驚愕していた。自身にとって『とても素晴らしいもの』が見れると思って駆けつけてみれば……殺人現場だったのだ。無理もないだろう。
「なに……これ……。ど、どういう……状況……?」
戸惑う女を余所にDSは次々に殺戮を繰り返して行く。あまりに凄惨な現場に、女は遂に胃の中の物を地面に戻してしまった。
DSが振り向く。女と目が合う。次は自分か、女がそう思った瞬間DSが口を開いた。
「楽しいショーはおわったぜい。どうする? アンコールに応えてやってもいいわよ……?」
女は確信した。このままここにいれば、自分は殺されると────!
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「いやあああああああああ!!!!」
絶叫と共に駆け出す。一刻も早く彼女の視界から消えなければ。走れ。走れ。走れ!
後ろを振り返る! ついてきている!? いない!? 見えない! わからない! 走る! 角を曲がる! いるか!? いないか!? だめだ、わからない!!! …………! 最悪! 雨まで降って来た! 滑って転んだら洒落にならない! 今は!? 後ろにいない! よし! このまま走る! 角! 曲がる! 振り返って視界に映ったのは────降り注ぐ瓦礫。
走り、距離を取ることと同時に相手の視界から消えることだけを考えていたからだ。私は無意識のうちに大通りや人通りの多い所ではなく、路地を走っていたことを今更認識する。って言ってる場合じゃなーい!
「ぎゃああああああ!?」
持っていた鞄が肩から抜け落ちるのも構わず前方へ飛び込む。寸での所で回避し、安心したのも束の間。目の前に影が降りてきた。
でもその影は先程の少女ではなかった。
「…………誰?」
その影は男だった。侍、あるいは忍者と呼ばれる者に似た服装。袴っていうんだろうか、ゆったりとしたズボンと足袋。丈が短めの上着は着物って言うよりも空手とか柔道とかをやってる人が着てるような……道着? に似ている。後ろに大きな日本刀も見える。いや、大きいのかな? あれが普通なんだろうか。髪型はなんかちょんまげ? っぽい? ちがうなあ。なんかオールバックにしつつ後ろで纏めてあるから……でも漫画に出てくる侍キャラって大体あんな髪型してるし、あれもちょんまげなのかな。色々目に付くものがあるけれど極めつけは…………目だ。何重にも布が巻かれていて目が封印されている。くり抜いてあれば仮面のようでもあるけれど、あれでは目は見えないだろう。ファッションなんだろうか。それとも目が見えない人? にしては……白い杖も持ってないように見えるし…………。
「お主、探したぞ」
侍が話しかけてきた。本物なんだ!? 『オヌシ』なんて言うんだ!? あ! これがホントの『とても素晴らしいもの』!? 確かに取材には持ってこいすぎる! しかも多分助けてくれたんだよね!? え? え!? え!?!? やばくない!? イケメン執事ではないけとイケメン侍!? なにそれ新しい。
「主、聞いておるのか?」
あ、いかんいかん。落ち着け。折角の取材対象の機嫌を損ねるようなことがあってはマズい。
「あ、ひゃ、はい!」
思い切り噛んだ。恥ずかし。
「聞いてなかったようでござるな。致し方無し、改めて口上を述べるとしよう。拙者に名は無い。強いて語るならば、この背に背負いし刀こそ我が分身。故に『かたな』とでも名乗っておこう。拙者の行動理念はただ一つ。それは他ならぬ弱者の救済。魂の救済。その為に拙者は刀を振るい、この手を汚す。この肉体を粉にし、救えるのであれば喜んで差し出そう。今宵、拙者はお主を救いに参上仕った。案ずるな。お主の魂の平穏は、拙者が保証致すで候」
やべええええええ!!! カッコイイいいいいいいいい!!!! まじ侍じゃん!? え、ちょ、ま写真撮りたい。聞いてみよ。
「あのー、すいません。一緒に写真映ってもらっても」
「さあ首を出すがよい」
あれ? 聞いてくれない? 食い気味で被せてきたけど。えーとどうしようか。
「あの、カタナさん?」
「恐れることはない。お主は解放されるのだ」
全然話聞いてくれないんですけどこのお侍さん。えー困る。
「あのですね、ちょっと聞いて欲しいんですけど」
「お主の心は既に瀕死だ。故にこのままではいつか後悔する苦しみを味わうだろう。その前に介錯し、肉体から解放する。それがお主を救済する拙者の役目に候」
え…………?
「あの、えっと、ちょっと何言ってるかわかんないんですけど」
「お覚悟」
え、ちょ待、そ、そんな感じ? 私の最期そんな感じ!? やだやだやだやだ!
「いやあああああああああ!!!!」
また走る。なによ、もう全然話が違うじゃない!!! さっきからずーっとこんな感じなんだけど!?
「待たれよ!」
やかましい! 誰が待つもんか!
走る、走る、走る! 振り返ると、追ってきている! 壁走りながらとか壁蹴りながらとか、アレもう侍じゃなくて忍者じゃん! 逃げなきゃ殺される! でも忍者からなんて逃げ切れるの!?
角を曲が……る!? 最悪っ! 行き止まりだ!
「死に場所を決めたようでござるな」
追いつかれてる。すぐ後ろにいる。わかる。わかるさ。息が当たるほど近い。なのにまるで息は乱れていない。肩で息している私じゃ、どのみち逃げ切れなかったみたい……ね。
「お覚悟」
刀が鞘から抜かれてるのだろうか。不穏な音が聞こえる。完全な運任せだけど、私が助かる道はただ一つ。なんとか避けて、今目の前になぜか転がっている消火器で牽制して人通りの多い所へ行く! ヤツも往来が激しい所で暴れたりはしないだろうし、それにうまく逃げれば今度こそ撒けるはず! チャンスは一度だけ……! 1、2、3!
「ったああああああああ!!!!」
思い切り前方へ跳ぶ。空を斬る音が後ろで聞こえる。消火器にたどり着く。安全ピンを抜く! グリップを握る! ファイアー!!!(消火器だけど)……ってあれ!? 出ない!?
「……往生際が悪いにも程がある。見苦しいぞ」
いやいやいやいや! 出ないって何よ! やめてよちょっと! なんで! 出ないのよ! 安全ピン抜けてるしグリップも握っているし、ってゆーかこんなに重くて空っぽってことないでしょうよ!?
……ん? なんかこれ開けれそうになってない? 開けれるの? …………覗いてみよう。
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女が消火器の蓋を開ける。本来無いはずの蓋を開ける。それは異常な光景。日本刀を構えた男の目の前で、女があるハズの無い消火器の蓋を開けて中を覗き込む。
日常と異常の境界線は常に曖昧だ。
ましてやこの街では。この世界では。
この、『一度溢れてしまった器』の前では。
「やぁ! また会ったね!」
女が覗き込んだ先には、あの少女の顔が。
「イ~ヒッヒッヒッヒッヒッヒ!!!」
不気味な笑い声が響く。女も、カタナも、硬直する。いや、硬直するしかなかった。
「どーりで出ないと思ったでしょ?」
消火器の中からDSが頭だけを出して女に笑いかける。最初は恐怖から硬直していた女だが、DSが笑うのに連れてその顔に怒りを滲ませ始め、力任せに蓋を閉めた。
「出ないと」
消火器を持ち上げる。そのままカタナの方に向かって叩きつけるように投げる。
「思ったわよォ!!!」
消火器がカタナによって一刀両断される。
「茶番は済んだか? そこに直れ」
女はその言葉に従わず、そのまま走って去ろうとする。
その時だった。振り返るつもりがなかったはずの女が|自分の意思とは無関係に《・》後ろを見る。目にしたのは────切断された消火器の中から現れたDSだった。
ただし。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!」
「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!」
縮んだ上に、二人になって。
「いきなり一刀両断なんて酷いことするじゃな~い」
「おかげで増えちゃったわ~」
よく見ると二人の大きさは丁度一回り程違い、丁度二人合わせて一人分になるようなバランスだ。しかし服は対応していないらしく二人共全裸だ。
「今のあたし達って児ポにひっかかるかな?」
「大丈夫じゃね? 小説だからビジュアル出てこないし」
「でも有志がイラスト描くかも」
「そんな物好きいる?」
「いないね」
「でしょ?」
「つまりは折角のスケベチャンスは活かされない?」
「エロ同人みたいな目に合いたい?」
「どちらかというと合わせたい」
「あたしが受け? それなんてオナニー?」
「新感覚自慰の名を欲しいままに」
「謹んでご遠慮します」
小さなDSが自分同士で話込んでる中、カタナによって更に斬られる。
「ばんぐううううううう!?」
「2号ぉおおおおお!!!!」
「えー!? 大きさ的にはあたしが1号だと思ってたのにー!?」
「やったね。自分が増えるよ!」
「増えるかッ!」
「結果的には3号が増えました」
「いいぞもっとやれ」
しかし更に一人増えただけだ。DSが死ぬ様子は無い。
「面妖な……!」
カタナが顔を顰めてさらに刀を振るう、が。三人が五人に、五人が八人に。八人が九人に、九人が十一人に増えたところでカタナは刀を鞘に納めた。
「わー! わー!」
「賑やかしー! 賑やかしー!」
「とりあえずなんか書いとけ」
「ルームランナー暴走中」
「賑やかし方雑すぎない?」
「モーパンスー! モーパンスー!」
「インテルは入ってなさそうね」
「アルソックにも入ってないわ」
「吉田沙保里呼ばないと」
「セールスマンじゃないけどな」
「おじや」
十一人に増えたDSはすっかり縮んでおり、その大きさは完全に子人だった。
「な、なにこれ……。私、おかしくなっちゃったのかな…………?」
目の前の余りに常軌を逸脱した光景に女が自身の正気を疑う。しかしここにいるのは女とDSだけではない。もう一人────この異常な光景の原因となったと言えるカタナだ。
「貴様、何故死なぬ?」
「教えなーい♡」
「教えなーい♡」
「教えなーい♡」
「ギャグ補正入ってるからだよ」
「教えなー……言っちゃったー♡」
この光景を見て正気でいられるものは、ある意味では既に正気ではないと言える。問答無用で女の首を斬ろうとしたカタナは元より、その女も未だに正気を保ったままなのだ。
「…………あっ。も、もしかしてこれが。これが本当に私が見るべきだった、もの?」
女が一人納得したように呟き、そして。
「あ、あ、あ! ああああああああ! 今来た! 降りてきた! わわわ忘れないうちに、メモ、メモ!」
女はポケットを弄り始めた。一方カタナは。
「…………興が醒めたでござる。お主の相手はもうせん。拙者は拙者のやるべきことを成すまで」
自分に迫る脅威のことも忘れ、メモを書くために必死になっている女へと迫っていた。
「ダメよん♡」
「イカせないよん♡」
「むしろ児ポ上等でイカせちゃうゾ♡」
「やらないか」
そのカタナの足に、十一人に増えたDSが纏わりつく。そして纏わりついた状態で。
「ぼーんっ!」
十一人全員が声を揃えて、煙となって消える。しかし、その煙の中に影が見える。その正体は────。
「合体! 正義のヒーロー、ドラッグスターちゃん! ブッピガァン!!!」
元の大きさに、一人に戻ったDSだった。足だけでなく、カタナの身体に纏わりついている。
「どうよ、全裸の美少女に抱き着かれてる感想はァ!? 股に仕舞った刀も切れ味増してるかぁい!?」
「主のような奇怪な者に抱き着かれても迷惑なだけだ。失せろ」
「嫌なこった、パンナコッタ!」
「口で言ってもわからぬようでござるな」
「さっきからなんだござるござる喋りやがって。バザールかテメー?」
「意味が分からぬ」
「じゃあラサールかよォ?」
「これ以上の会話は無駄にござる」
一向に力を緩める気配のないDSだったが、その腕がまるで見えない腕によって引きはがされるように、カタナの拘束を解いてしまう。
「あー! 人生の中で一度は言ってみたかったセリフ第14位の『身体が勝手に』を言える日が来るなんてー!」
「物の怪め」
カタナが眉間に皺を寄せながら右手の人差し指と中指を額に当てながら念じると、そのままDSは遥か上空まで浮き上がっていった。
「わー! すげー! 空飛んでるよ、空!」
「飛んでなどおらぬ。落ちるのだ。これからな」
「おいおいおい、スペースレンジャーのつもりか? そんな言い方じゃないぜぇ? 手本見せてやるよ……♡」
「無限の彼方に、さぁ」
「逝ね!」
カタナが念じると共にDSは地面に激突し、断末魔の一つも上げずにバラバラに弾け飛んだ。女はその光景を目にしながら、しかし逃げ出そうとはせず。逆に未だ手にできていないメモに書き込む新たなアイディアが閃いたようでより一層メモを探すのに躍起になっている。
「なんで!? なんで無いのよ!? 早くしないと! 忘れる!」
カタナが先程と同じように念じると、今度は刀が鞘から抜かれ空中で静止する。そのまま半回転し、カタナの手に収まる。
「今度こそはお覚悟なされよ。お命、頂戴!」
「うっさい! 今話かけんな! 忘れる!」
己に迫る危機を認識できなくなっている女の首に刃を振り下ろす────が。
「させないっての♡」
DSがその刃を直接掴み軌道を止めた。
「ん? なんじゃこりゃ!? なんでこんなにぬるんぬるんなんだ!?」
「…………油にござる。こうするとよく斬れるのでな」
「油? いやこれローションだろ。『私魔女のキキ! こっちはペペ!』ってか? やっぱりこれチンコなんじゃね? お前の股間に仕舞ってあったんだろこれ?」
「どうやら先の者と同一人物のようでござるな。声を聞いただけでは信じられなかったが……。今一度問う。お主、何故死なぬ?」
「言ったろ? 主人公補正サ……♡」
「初耳に候」
カタナが再び念じ────ようとするが一歩早くDSに横面を殴り飛ばされる。
「っぐう!?」
「怒りの鉄拳! ってか?」
飛ばされ、地面に転がるカタナを見下ろして、吊り上げた口角から笑い声を漏らす。しかし未だに彼女は服を一切着ていない。
「厄介な女子にござる……。ならば…………!」
カタナが構える。その形は独特なものだった。右肩を上げて刀を握った手を背中に回し、刃先を左腰の方へ垂らして左手の中指と人指し指で挟み込み、腰を落とす。一度深呼吸をし、静かに口を開いた。
「拙者の剣は…………疾きこと、『風』の如く」
そして左手指の力を抜き、刀を振るう。宣言する。技の名を。
「飛影斬波・『鎌ゐ絶薙』っ!」
それは正に異常。振られた刀が空気を斬り、通常では考えられない速度で振られた刃によって斬られた空気は真空を生み出し、その真空は新たなる刃となって斬られた方向へと襲い掛かる。即ち────飛ぶ斬撃。信じ難いことだが、カタナは亜音速で空気を斬り、それによって衝撃波を生み出したのだ。そして、それがDSに向かって真っ直ぐに飛ぶ。
「あふん」
あっさりと食らい、上半身と下半身が両断される。が、濡れた地面に落ちるより早く両腕で自身の下半身を掴み、無理矢理切断面を合わせる。すると────傷一つない身体に戻った。DSにはまるで効いていない。
「また増えてちゃ芸が無いだろ?」
そう言ってDSは笑う。が、笑うのはカタナも同じだった。
「拙者の目的は果たされた。今夜はこれにて御免」
「え? 帰っちゃうの? もうちょっと遊んでくれよ……♡」
「恐らく近い内にお主の下に現れることになるであろう。どうやらお主も心が壊れているようだ」
「芯? いや体幹には自身あるのよ。見なさい、このY字バランスを! 御開帳ォ~♡」
「さらばだ」
カタナは懐から出した謎の小袋を地面に叩きつけた。すると辺り一面に煙が巻かれ、煙が晴れる頃にはカタナの姿は消えていた。
「まったく。せっかくこんな美少女が全裸でサービスショットしてやってるって言うのに、あんなの無いんじゃない? インポなのかしら? それとも竿無し? なんにしてもロクでもないわね」
DSがそう言いながら後ろを振り返る。するとそこには。
「あ……。嘘だろ、やっちまった」
変わり果てた姿の女がいた。
「おいおいおい、死んじゃだめだって。グロいなおい……。ゴメンね。いや、悪気は無かったんだよ。でもまさか、あたしの身体貫通してそっちにまで行くとは……。救急車は……いらないよね。後で霊柩車は呼んどいてあげるよ」
言いながらDSは女の死体の近くに歩み寄る。そして、どこから取り出したのかわからないがいつの間にか持っていたメモ帳を女の手に握らせる。
「探してただろ? いや、いいんだ礼なんて。些細なことだ。ペンは無いけど、赤いインクなら自給自足でなんとかなりそうだし。大丈夫だよね。じゃああたしは行くよ。今度会ったらサインちょうだい♡」
DSはそう言うと全裸のままどこかへ去って行った。
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あぁ、あぁ…………メモ…………メモ…………メモ…………。書かなきゃ…………忘れないうちに…………今…………。ああ…………。なんだか、とても眠い。でも起きなきゃ…………。書かなきゃ…………。描かなきゃ…………。今なら、すごく面白いものが……描ける気がする…………。
は、や…………く…………メ…………モ…………を…………。
…………。