第4話 少女A 前編
これは彼女が『ドランクスター』と名乗っていた頃のお話。
静けさと闇が互いに飲み合う時間、奇天烈な見た目をした一人の少女がいた。今、彼女の目の前には彼女と同じ歳の頃であろう少女の死体があった。
校舎からの飛び降り。うまく落ちることができたようで、その体は原型を留めていなかった。
その死体を前にして彼女は────DSは。
笑っていなかった。
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彼女にも名前はある。ありふれたものではあるが、しかし両親が愛情を込めて与えた名前だ。両親は彼女を愛していたし、彼女も両親を愛していた。
彼女は12歳の頃に人生の転機を迎える。自分が通う学校でいじめを目撃したのだ。両親の愛を一身に受けて育った彼女は、やはり人を愛しており、そして正義感も強かった。いじめを止めて、被害者から感謝された時。彼女は自分が何をするためにこの世に生を受けたのかを知った。
それ以降彼女は自らの正義に従って悪を裁き続けた。自分が、自分こそが正しいと信じて。
人間とは、自分の中にある正義の為なら何処までも残酷になれる。とは、誰の言葉だったか。正確には違う。人間は、自分の主張する正義に相成すモノを一切認める事なく、否定し、信念の名の下に集った弱者達が徒党を組み、破滅させ、|相手に自身は正義ではなかった《・》と自白させることで快感を得る生き物なのだ。
彼女がそうだった。相手の意見など聞かず、自分の勧めた映画こそが至高であり、他は邪道。相手の言い分など耳も貸さず、一方的な裁量で審判を下す。相手の事情など顧みず、もたらされた結果のみを目にして、切り捨てる。
故に、彼女は孤独になった。彼女の美旗に相反する正義が、否。彼女のように、自らの正当性を主張するための都合の良い『正義』が彼女自身を裁いたのだ。
誰が責められよう。
誰が否定できよう。
誰が庇えよう。
誰が。
────そして、その日がやってくる。ついに彼女は、正義ではなくなった。なぜなら正義は、彼女の『敵』となったのだから。
彼女は正義を自称する者から『人造人間』のあだ名で呼ばれては暴力を振るわれ、その取り巻きからは自身の身体を触られ、弄られ、大きな乳房を散々からかわれた。
かつて救いの手を伸ばした相手は見て見ぬフリを押し通し、自分が友だと信じて映画や音楽を勧めてあげた相手は、いつの間にか取り巻き達と一緒に行動していた。
遂には大勢の手により身体を固定され、無理矢理髪に刃を入れられた。彼女の自慢の美しい髪は見る影も無く、どれ程の屈辱にも耐えた彼女でも、耐えきれずに大声で泣き叫んだ。
その様子を見た正義の軍団は、勝利の雄叫びを上げるが如く大笑いした。写真や動画を撮ってインターネットに流し、完全に彼女の心を破壊した。
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遺書
お父さんお母さん。先立つ不幸をお許しください。
私は今いじめをうけています。
昨日まで仲良くしていた子に無視をされ、いじめから助けてあげた子に裏切られ、私は今独りぼっちです。
何がいけなかったのかわかりません。私は何か悪いことをしたのでしょうか。
どれほど考えても答えが出ません。
きっとこれがいじめなのでしょう。
私以外にもいじめられてる子がこの世にはたくさんいます。
私はそんな子たちを救いたい。
そこで自殺をする決心をしました。
今テレビで報道されている様々ないじめ問題も、遺書のようなものを見つけただの学校は把握してなかっただの言って責任を逃れたがる大人たちによって、次々と隠蔽され闇に葬られています。
私は先生にも相談しました。しかし解決しませんでした。
相談した先生の名前と私をいじめた人間の名前は別紙に書いておきます。それを読んでください。
これは遺書です。私はいじめを苦に自殺します。
私の死が、一人でも多くの命を救うことを祈っています。
お母さん。あなたの作ったハンバーグがおいしかったです。
お母さん。あなたの作った玉子焼きがおいしかったです。
お母さん。私が泣いてる時は必ずカレーライスを作ってくれるあなたが大好きでした。
お父さん。いつも学校行事に出てくれたあなたが誇らしかった。
お父さん。てきぱきと仕事を終わらせて真っ直ぐ家に帰ってくるあなたが誇らしかった。
お父さん。常に誰かの中心にいるあなたが大好きでした。
二人とも。深く愛し合ってるあなたたちは私の自慢の両親です。あなたたちの子供で幸せでした。
そんな二人にお願いがあります。
どうか私の後を追おうなどとは考えないでください。
私の死が一人でも多くのいじめ被害者を救う未来を見届けてください。
私の最期のワガママです。
今までお世話になりました。あなたたちの娘があなたたちより早くに命を捨てることをどうかお許しください。
私を愛してくれた二人へ
二人が愛してくれた私より
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寝間着から着替える。私は逃げるのではない。使命を果たすのだ。ならば相応しい服装がある。相応しい場所がある。
下で寝ている両親を起こさないように注意を払って階段を降りる。足音を立てないように。物音を立てないように。玄関でドアノブに手をかける。一度振り向く。両親が起きていないかの確認。今ここで気付かれては全てが水の泡だ。
決して、止めて欲しいのではない。行くなと言って欲しいのではない。そう、自分に言い聞かせる。──言い聞かせる? 違う。再確認だ。誤解されないために。──誤解? 誰に? 自分に? バカな。自分のことは自分が一番よくわかってる。迷ってなんかない。恐れてなんかない。むしろ気高い。使命を果たせるのだから。
玄関を出て何度も往復してる道程を歩く。いつもと違うのは時間だけ。それだけなのに、今いる場所がまるで異世界のようだった。人がいないから? 暗いから? 人ならいる。いつもの時間とは種類が違うだけ。暗くもない。街灯やネオンが道を照らし、星のように空を瞬かせてるから。ならなぜ? そうか。いつもなら私は前を向いて歩く。当たり前だ。だけど今の私は下を向いている。だから街灯やネオンが反射してグリーンマイルが目に入る。それでか。
いや、私は処刑されるわけではない。悲観的な死ではない。自ら選んだ、尊い行動。これは、そう。花道なのだ。そう思えば周りの人間も自分を祝福するために集まった群衆に見えるし、街の灯りもスポットライトのように思える。
誰も止めてくれるな。誰も声をかけてくれるな。今の私はそれだけで立ち止まってしまうから。あ、いや、気持ちが揺らぐという意味ではない。水を差されたら折角の気分が台無しというだけだ。例えるなら気持ちよく歌ってる時に邪魔される時のような、そんな感じだ。それではいけない。今の私は高潔であり、謂わば歴史的な英雄の凱旋のようなものだ。だから邪魔されたくないだけなのだ。それだけだ。
何度もそう自分に言い聞かせながら私は歩く。違う。本心だ。嘘など無い。心臓の高鳴りは興奮しているから。吐きそうな気持ち悪さは、今自分が生きているこの世界への嫌悪感から。目が回るのは慣れない街の灯りに眩んでいるから。怖くなどない。怖くなどない。怖くなどない。手の震えは寒いから。足が重いのは寝不足だから。息が上がってきたのは疲れてるだけだから。怖くなどない。怖くなどない。怖くなどない。怖くなどない。怖くなどない!
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい!!!!
なんで!?
どうして!?
私が死ななければいけない!?
あいつらが死ねばいいんだ!
殺してやる!
殺してやる!!!
ふざけるな!
あんなクズどもが明日も普通に生きて普通に笑っていられるのに!
どうして私が!
私がこんな思いをしなきゃいけないんだ!?
殺す!
殺す!
殺す殺す!!!
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!!!!
だめだ。殺すなんて、それはできない。
だってそんなことしたら、お母さんもお父さんも困る。私はいいさ。仇を討って、ちょっと刑務所入れられて、それで終わりだ。未成年なんてそんなもんだろう。裁判でも、いじめのことが拾われれば、きっと罪は軽くなる。
でもお母さんは? お父さんは?
人殺しの親になってしまうじゃないか。あの素晴らしい二人が、生きづらくなってしまう。私のせいで。そんなバカなことあるもんか。あって良いハズがない!
なら三人で逃げよう。逃げたっていいはずだ。二人はきっと理解してくれる。
でもあのクズどもにお咎め無しってのはダメだ。悪は裁かれなければ。罪には罰が与えられなければ。
やっぱり、私が死ぬしかないんだ。それしか道は無い。恐れるな! 私は、私の命を持って、未来の多くの命を救えるんだ! 胸を張れ!
…………なんて色々考えてるうちも、私の足は動いてたみたいね。気がついたら屋上への扉の前まで来ていたなんて。あとは、ここを潜ってフェンスを越えて、一歩踏み出すだけ。
怖がらなくてもいい。死ぬのはたった一度だけだ。痛いのも苦しいのも一瞬だ。
さあ。扉を開けよう。
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少女が扉を開ける為に、|あらかじめ盗んでおいた《・》鍵を差し込み、ひねると。
「え?」
鍵が掛かってしまった。なぜ? と頭の中を疑問が支配するが答えはそんなに難しくない。
元々鍵が開いていただけの話だ。
しかしここで新たな疑問が発生する。少女が鍵を職員室から盗み出したのは、ここが『危険だから』と施錠されていたからである。それを開けるために盗んだのであり、元々開いていたのなら盗み出す必要はどこにも無いのだ。
つまり、|元々開いているということがすでにおかしい《・》のだ。
鍵は一つだけ。壊された様子もない。ならば考えられる方法はただ一つ。
|何者かが外から屋上へと侵入し《・》そのうえで内側から鍵を開けた。
一体誰が? なんのために? この時少女は恐怖と疑問と同時にある感情に支配された。
好奇心である。
この時少女は大人しく家へと戻って両親の眠る部屋へと飛び込み、胸の内を明かして泣きじゃくっているべきだった。この扉をあけるべきでは無かった。しかし────運命とは、皮肉であり絶対だ。少女は扉を開けて、そして見てしまった。
少女の目に映ったのは夜中の学校の屋上で花火をしている一人の奇天烈な恰好をした人影だった。顔は見えないが、声はとても楽しそうだ。
その影の背は自分と大差無いように思える。その聞こえる声から推察するに年齢もそこまで離れていないだろう。しかし、なぜか少女には妙に大人っぽく見えた。それがなぜなのかはわからない。わからないが、いや、わからないからこそ、更なる好奇心が少女から冷静な思考を奪い去ってしまう。あろうことか、少女はこの目の前にいる謎の影に声をかけてしまった。
「あの……おねえさん?」
「ん? 誰誰誰っ?」
誰と聞かれて言葉に詰まる。こっちのセリフだと言いたくなったが堪えた。影が少女に問う。
「何しに来たのー?」
少女はその問いには答えず、自分の要件だけ伝え始めた。
「あの、おねえさん。私のお願いをきいてくれませんか?」
「お願いィ? あんたみたいなカワイ子ちゃんのお願いなら聞く前から答えはYESよん♡」
「なら、ここで見ていてくれませんか?」
意を決して、これから自分が取る行動を言葉にしようとしたその瞬間。影が一歩早く言葉を返した。
「誰か殺すの?」
全身から汗が噴き出す。鳥肌が立つ。────確かにそうだ。私はここに人間を殺しに来たのだ。
「…………えぇ」
「誰を?」
「自分を」
「へぇ~自分をねぇ…………自分を!? 器用なのね~。どうやって?」
「……そこから、飛び降りて…………」
「バンジーもセックスもゴム無しなんて危険よ?」
ふざけたような、真剣なような、なんとも形容しずらい声色で影が答える。その解答を聞いた少女は、何故か急に怒りが込み上げてきた。
「ふざけないで! 真剣なのよ!?」
「だろーねー」
「止めるとか説教するならまだわかるわ!?」
「止めて欲しいの?」
「ちがっ……! 違うわよ!」
「だろーねー」
「命掛かっているのよ!? どうしてそんなふざけた態度で応答できるのよ!?」
「ブローネー」
「なんなのあんた!? なにがしたいの!? なにが言いたいの!? ってかここでなにしてんの!?」
「良い質問ですねぇ~。では一つ目の質問の鼻くそ丸めた物体の正式な名称についてから答えますが」
「聞いてないわよ!?」
「鼻くそですね」
「聞いてないったら!」
「うるせーなー。鼻くそはどこまで行っても鼻くそだよ耳くそにはなれねーんだよ」
「何を言ってるの!? あんた頭おかしいんじゃないの!?」
「オメーほどじゃねーよ」
明らかに、影の雰囲気が変わった。先程までの気の抜けたようなものじゃない。もっと尖った、恐ろしい。そう。
殺意。
そう言うより他にない気を当てられる。
「自分で自分殺すとかバカじゃね? だったらその勢いそのままに他人殺せよ」
「……っ! 人殺しなんてだめよ、犯罪じゃない!」
「罪になるからいけないことなの?」
「いや、そうじゃなくてっ」
「じゃあ自分を殺すのはいいの?」
「いいっ……いや、ダメ、じゃなくてっ、その…………!」
「わかってねーなーウスラトンカチ。いいか? 自分で自分を殺すってことはなぁ」
影が消える。少女の視界には燃え続ける花火とバカンスチェアしか入らない。
「え?」
何が起こったのかわからず、少女は狼狽する。咄嗟に後ろを振り返るが、そこには誰もいない。耳を澄ませる。わずかな音も聞き漏らさぬように。目を凝らす。わずかな予兆も見逃さぬように。
「わり。思いつかなかった」
その声は突然聞こえてきた。声の方向は扉の方だ。先程見たはずだったが、もう一度振り返る。すると扉の向こうから影が現れた。
「は?」
混乱。先程自分が屋上に入って来た時に扉は閉めた。鍵は掛けていなかったが。そして影は扉を背にした自分の視界から消えた。次に姿を現したのが自分の入ってきた扉の向こうだ。どうなってるのか、どうやったのか、なにもわからない。
「いやぁ、こう、なんか良いこと言おうとか思ったんだけどダメだったわぁ。直前の鼻くそ談義のせいで頭から鼻くそが離れなくてさぁ」
喋りながら近付いてきた影の顔がようやく月明かりに照らされて少女の目に映る。少女がその顔に見惚れていると。
「お嬢さん♡ まーこれでも飲みなさいな♡」
なにかの缶を投げ渡された。一般的にDI缶と呼ばれるそれのラベルを見た少女は。
「ダメよ! 未成年飲酒は犯罪だもの!」
「いけないことよ。でも、どうせこの後あなたは自分に殺されるのよ?」
「体内から酒が検知されたら私の目的は達成されない」
「そんなに大事? その目的って?」
「大事よ。そのために私はここにいるの」
「もっといい方法があるわよ♡」
「もっといい方法? 私はどうしたらいいの?」
「ヒーローになればいいのよ」
「ヒーローに……なる……?」
「そう。悪を裁く為に命を捨てる愚か者になるのではなく、その命を使って悪を裁くヒーローになるのよ……♡」
「……ヒーローに……私が……?」
「そうねぇ…………『ドランクスター』なんてどうかしら?」
「『ドランクスター』?」
「あなたのヒーローネーム♡」
「…………いいわね。気に入った♡」
少女が手に持った缶の封を切り、口をつけて思い切り傾けて中身を飲む。喉を鳴らして、呼吸も忘れ、貪るように飲む。
「────プハッ! …………ぁぁぁぁああああああ!!!!!」
閉じていた目を開く。その目は狂気に満ちた殺意の光を灯していた。
「あああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
一声。吠える。背筋を伸ばして遥か上空に叫ぶ。
「正義の味方、ドランクスター。ここに誕生ってね♡」
少女が誤った道へ進んだことを見届けた影は、夜に浮かぶ月のように妖しい光を纏い、その歪に欠けた月のように笑っていた。
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あの後。私はおねえさん、いや『お姉さま』と語り合った。自分が何をされたのか。自分はどうあるべきなのか。正しいとは、正義とはなにか。お酒を飲みながらだったからもうよく覚えていないけど、とても充実した時間だったし、おかげで私は|生まれ変わることができた《・》。両親への迷惑を考えて人殺しを思い留まったけれど、それが既に間違いだった。
なにも|私自身の手で殺す必要は無い《・》。彼ら彼女らが自発的に死を選択すればいいだけなのだ。
これは裁きだ。愚か者共への天誅だ。そうだ。思い出した。私は弱者を救いたかったのだ。ならば、私が死んではいけない。私が死んでしまえば、誰が弱者を救うのか。誰が弱者を導くのか。誰が弱者を守るのか。
私は死んではいけない。私の命は、多くの弱者の為に。私は────ヒーローなのだから。
お姉さまから貰った缶の封を切って、中身を飲み干す。頭の中がふわふわし始める。これだこれ。これが私を目覚めさせる。お姉さまを意識して自分で作ったヒーローコスチュームも気分を盛り上げてくれる。
「さぁ…………ヒーロータイムよ…………♡」
私は夜の街に繰り出した。
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少女がいた。彼女は学校でもどこでも人気者であり、彼女自身もそれを自覚していた。少女にとって『正義』とは『人望』であった。故に、常に自分が正しくあるための努力を怠らなかった。
外見は流行の服や髪型で着飾り、相手の第一印象に訴えかける。
初対面の相手への声かけも欠かさず、自分の社交性を周りにアピールする。
朝はキチンと挨拶を、帰り間際にも声かけを忘れない。例えどれほど関係の薄い相手でも。
たったこれだけで少女は自分を友と慕ってくる者に囲まれるようになった。当然といえば当然だろう。人間というものは存外単純なのだ。
一人が近づけば二人目が、二人が話し込めば三人目四人目が。まるで光に吸い込まれる羽虫のように『象徴』に纏わりついて|自らの価値が上がったと勘違いをして《・》、そして溢れ者を敵視する。自分たちの正しさを証明するために『悪』をつつき、そして快楽に目覚める。
この時少女が真の正義であれば周りを止め、弱者に救いの手を差し伸べることだろう。
しかし彼女はそうではなかった。むしろ逆だった、と言っていい。
少女は先導した。彼の者に裁きを与えるべく。相手はどこまでも自分勝手であり、『みんなに嫌われている』、まさに恰好の獲物だった。
少女はなぜ努力をしてまで正義を人望を重んじるのか。簡単である。このためだ。
少女は他人をいじめることに生きがいを見出していた。
周りを味方に付け、自分の一声を神の審判として、歯向かう者を炙り出しては、徹底的に追い込む。その様子を見せれば誰もが自分に歯向かうことは無くなる。
人望という正義の皮を被った欲望の女王。それが彼女の正体だった。
少女は貪る。己より矮小な者を嬲る快楽を。
少女は嘲る。努力を怠り、周りに必要以上の期待をした愚者を。
少女はやがて恍惚とする。自分の意のままに操られる群衆に。
そして少女は勝利した。特に憎くもなく、恨みもなく、しかし自身の獲物として役割を全うした者の髪に刃を入れ、遂に泣き叫ばせることに成功した。彼女は満足した。もうこの者がいつ死んでもいいとさえ思うほどに興味も失せた。今はただ、勝利の余韻に浸り、飽いた頃に新たな生贄を作り出すのみ。
しかし彼女は知らなった。人間の持つ感情の中で最も強く、最も恐ろしく、最も狂った感情。
復讐心。という感情を。
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今、私はストーカーに狙われている。犯人に心当たりはない。一体どこの誰が? 学校の人間? 考えにくい。みんな私の味方だ。あの頭のおかしい人造人間を除いては。その人造人間だってこの間徹底的に追い込みかけたんだ。多分もう二度と表は歩けない。ってか早く死なないかなアイツ。生きてるってだけでむかつく。マジ死ねよ。いや、今はアイツのことなんかどうでもいい。私のことだ。
始まりは先々週の火曜日。玄関を開け自転車に乗って学校へ向かおうとして気が付いた。私の自転車の籠に何かが入れられていた。ビニール袋だ。何かわからなくて、というか気になって手で持つと思ってた以上に重くて驚いたのを覚えている。ピチャピチャと水っぽい音が聞こえてきて、思わず中を覗いて後悔した。
水の中で無数の虫が浮いていた。驚いてそのまま地面に落としてしまった。そのせいで袋は破裂、中身が四散した。飛沫が足に掛かり、あまりに気持ち悪くて叫び声をあげた。あわてて両親が飛んできて、すぐに警察に電話した。でも、唯一の証拠品があの有様。しかも目撃者もいなければ犯人の心当たりも無いということを伝えると『何かあったら』また連絡しろといって帰っていった。いや、何かあってからじゃ遅ぇーだろーが。バカじゃねーの?
そしてそれから今日に至るまで朝は籠に何を入れられてるか震え、学校のロッカーも、家のポストも、開ける度にドキドキする。次は何を入れられてるのかと。実際ロッカーの中に生ごみが入ってたこともあるし、ポストには鼠の死骸が。酷いときは無言電話や脅迫状なんかも送りつけられた。
警察が警戒を強化すると言ったのはつい昨日のことだ。遅すぎる。思わず言った。何か起きてからって、それじゃ意味ないじゃないかと。そしたらこう返された。「|似たような被害者が周辺に多く《・》、人員が割けなかった」と。
気になって、学校やバイト先で聞いて回ると、驚くことに5人に1人くらいは私と同じような目に合っていた。そして、気がついてしまった。私たちの共通項。
あの人造人間だ。
これで犯人もわかった。警察にも伝えてやろう。私たちは揃って警察の元へ向かっていた。
そして、出会ってしまった。
彼女に。
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かつて一人の少女を自身の欲望の為に追い詰めた集団が、夜の街を歩いていた。行先は警察。目的は自首ではない。自分たちが今被害にあってるストーカーの正体が件の少女だとアタリをつけたので、それを伝えに行こうというのだ。人数も集まってる為、少しばかり気が強くなっていたのだろう。集団の内の一人が目前にいる人影にいち早く気が付き、それが男でもなければ強そうでもないと決めつけると、乱暴な言葉を浴びせた。
「どけよオラァ!」
しかし影は動かなかった。暗闇の中だからか顔はよく見えないが、不思議と『嗤われている』気がした。徒党を組んで気が強くなるのは小物故。小物なのだから自尊心だけは人一倍大きく、ソレを貶めるモノには敏感であった。
「おぉい! お前だよ!」
影が集団に近づいたことで顔が見える距離になり、そこで彼ら彼女らは初めて気が付いた。
その奇天烈な恰好に。
ただならぬ気配に圧倒され押し黙るも、『舐められたくはない』というあまりに軽薄で惨めな感情から────それも目の前の影にではなく、今隣にいる者たちに対しての行動として一人、また一人と強がって嗤うフリをする。本心では恐怖に支配されそうなところを持ち前の虚栄心でもって精神を保ち、影に問う。
「ははははっ! なんだよその恰好! ピエロかよお前! ははははは!」
その影の容姿はまさに道化師のようだった。右側の髪を刈りこみつつ反対側は長い前髪を垂らして片目が隠れ、顔は真っ白でありながら両目と唇は特徴的な色使いで塗られている。服装も臍と肩を出していながら太い鎖の繋がったチョーカーとネクタイを締め、異常さが際立つ。刈り込まれた頭にのせられた小さなシルクハットからは鮮やかな色のリボンが垂らされ、それが風になびく度に左右非対称なシルエットがより鮮明に浮き出る。
「ピエロ……? 違うね」
影が呟くように答える。集団の中で一番腕に覚えのある者が一歩前に出て威嚇するように聞き返す。
「あ?」
しかし、影もまた憶することなく返した。
「私はヒーロー……。正義のヒーロー『ドランクスター』」
「正義の? ヒーロー? ドランクスター? ははっウケる」
「ウケる、か……。」
強がり、嗤おうとする者を前にしてDSはしかし余裕がある。どこからか出した缶の封を切って中身を飲み干す。その姿は異質そのものだった。缶をすっかり空にしたDSはそのまま星空に向かって咆哮を上げた。威嚇のためでも無ければ、己を鼓舞するためでもない。
純粋な狂気。どこまでも捻じ曲がり、鋭く研ぎ澄まされたその感情がDSの原動力となる。
「なんだよコイツ、マジきめえ……」
「おい、警察呼ぼうぜ警察」
集団といえど、一枚岩ではない。自尊心や虚栄心よりも恐怖心に敏感な者達が抗議する。が、DSがそれを許さなかった。
「待ちなさい」
そう言ってDSは何かの封筒を投げて渡す。集団の一人がそれを拾い目を通すと、その瞳は驚愕の色に染まった。
「これって…………!」
「見覚えあるでしょ?」
他の者達も続けてソレに目を通して驚く。自分たちの元に送られてきた脅迫状と全く同じだったから。
「なんで、お前が……?」
その問いにDSは。
「さぁて、なんででしょおか…………♡」
嘲りながら答えた。全員が理解する。今目の前にいるこの女が一連の犯人なのだと。しかし同時に疑問も湧く。なんで見ず知らずのこの精神異常者から付け狙われなければならないのか。しかし、その疑問はすぐに解消された。
「…………オメー、もしかして『人造人間』か?」
集団の中でもリーダー格であろう少女が何かに気付いたらしく、DSに問う。言われて他の者達も注意深く見る。刈り込まれた頭髪。あれは自分たちがやったものだ。先程から聞いている声。確かにどこかで聞き覚えがある。背恰好。『人造人間』だと思えば確かに。そう見える。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。人間の恐怖心の対象は正体が不明なものがほとんどだ。そして逆を返せば、正体さえ分かれば、さほど恐れないものなのだ。ましてやそれが、自分がいじめていた────格下の者だと分かれば。
途端に皆強気になる。先程までの鬱憤を晴らすが如くDSを囲み、次々に罵声を浴びせる。これまでと同じように。
しかしこれまでと圧倒的に違うことが一つ。
────それはDSが『笑っていること』。
「いーのかなー? そーゆー態度取っててさー……♡」
「は? どういう意味だよ?」
「わかんないかな? 私はもう、|あんた達の住所全部覚えてんのよ《・》?」
「っ!?」
「……季節外れの火災にご注意ください♡……ってね」
片目だけ閉じておどけてみせる。明らかな脅迫。そして、これまでの被害を想起した彼ら彼女らの思考は|これがただの脅しではない《・》ことを悟る。
「おまわりさんに逃げんのも禁止よ。そもそもあんた達がいじめなんて卑怯なマネに出たからこうなってんのよ。自業自得よ、自・業・自・得♡」
DSの言葉に、主犯格の少女が抗議する。
「は? オメーがキモいから悪ィんだろーが。ウチら悪くねーよ。気持ち悪い映画勧めてくるわ、いい子ちゃんぶって説教ばっか垂れてくるわでみんなウンザリしてたんだよ」
「ムカデ人間のどこが気持ち悪い映画なのよ」
「名前からしてキメーだろ。頭おかしいんじゃねえの?」
「あんた達程じゃないわよ。この人殺し」
「はぁ!? 誰がいつ、誰をどこで殺したんだよ!?」
「私の心は『あの時』間違いなく殺されたよ」
そう言って刈り込まれた右側頭部を撫でる姿は、年頃の少女そのものだった。その目には薄く、涙も見える。
「あの日の夜だった。私は自殺するつもりで学校の屋上へ向かった。そこで出会ったの。『お姉さま』と。お姉さまのおかげで私は生まれ変わることができた。お姉さまのおかげで私は身体までは殺されなかった。でも、あんた達のせいで心は殺された。これは復讐じゃない。裁きよ。罪には罰を。陰惨な行為には陰惨な報復を。そして、今日はほんのご挨拶。これから先、あんた達は二度と私を目にすることは無いしそして逃げ切れることもない。あんた達全員が自ら死を選ぶまで徹底的に追い込むから…………覚悟しときなさい♡」
集団は恐怖した。彼女の笑顔に。彼女の狂気的な決意に。全員が悲鳴をあげて各々の方向へ逃げ出した。
DSは愉快そうに笑っていた。勝利を確信したように。そして歩き出す。あの日から『思い出の場所』となったあの屋上へ向かって。
近道の為に路地裏へと入ったDSの口は何かに抑え込まれ、声をあげることもできずに暗闇へ引きずり込まれた。
──to be continued…